古代ギリシャではgenius(天才)という言葉は人を指す時に使うのではなく、ちっゃいおじさんの呼び方であった。

つまりアイディアはgenius(人)が自分の内側から生みだすものではなく、人の外側にいるgeni(ちっちゃいおじさん)が人に持ってきてくれる贈り物なのである。では"inspiration"(インスピレーション)はどこから来るかという問いに対してはどう答えるか。もちろん外側のどこかからやってくるのである。古代ギリシャ人はインスピレーションも外側のだれか(きっと神様)がくれるものと考えていた。

inspirationの中にはspiritという語が隠れているが、この語源をみるとそれはbreathe(呼吸する)となっている。in+spiriration=inspirationであるからこの語のイメージは息が「フッ」と自分の中に入ってくることだと分かる。
このようにspirit(息)を用いる単語はたくさんある。ここに5つ挙げる。

1transpire=through(trans)+spirit; 息がフッと見えないところから出てきて、物事が判明すること。

2expire=out(ex)+spirit; 息を出し切り死ぬこと。

3aspire=to(a)+spirit; ある方向に向かって息を吹きかけること。a=to というのはadjust(調整する)という単語の中にも見受けられる。justに向かう(to=ad)という形で。

4conspire=together with(con)+spirit; 一緒に息をする(一人じゃ陰謀は企てられない;it takes two to tango.)

5respire=again(re)+spirit; 呼吸(呼=はく、吸=すう)する

神様、ため息でもいいから僕の方にふきかけてください。
軍隊と教会。この二つは相反するものの典型にもみえる。
軍隊は対立の象徴であるし、教会は平和の象徴であるからだ。
しかし意外にもこのふたつには類似点がある。アナトール・フランスの『舞姫タイス』などでも描かれているが、両方とも完全な「階層性」社会だ。ヒエラルキー的にトップがいて、下のものはそれに従順であることが要求される。

教会(キリスト教)でいえば、Pope>Prince of Church>Arch Bishop>Bishop>Priest,軍隊であれば、General>Colonel>Major>Captain>Privateの順で身分が階層的に決められている。

また、教会も軍隊も、ある目的のために存在する。教会はイエスの教えを広め人類を救済し、軍隊は相手国を叩き潰すことが目的だ。この目的はmissionとよばれる。このmissionを達成するために、両者とも「武器」を持ち合わせている。

教会の「武器」はmissionary(宣教師)であり、軍隊の武器はmissile(ミサイル)である。どちらも語源はmissionにある。

missionaryがmissileとして機能していた事実もある。宣教師は基本的に教えを広めるために派遣される。日本にやってきたイエズス会のフランシスコ・ザビエルもその一人だ。この派遣には莫大な費用がかかるわけだが、それは国家によって負担されることが多かった。莫大な費用を負担してくれたことにはワケがある。

宣教師を派遣し、その宣教師が自国との貿易を仲買してくれることによって費用に見合うリターンが得られたのだ。たとえば江戸時代直前、宣教師によって島津藩と外国間での交易が仲介されていた。これによって日本には大量のgunpowder(火薬)が入り込んだ。戦争が悲惨さを増し、死傷者数が増加したのはこのためである。これで国家は利益を挙げることに成功した。

つまりmissionaryは国家の経済的missileとして機能したのだ。家康はこれを見抜いていた。
江戸幕府を立ち上げるとただちに禁教令を発行し、missionaryを国内から追い払った。出島で貿易を行ったことを考えれば鎖国そのものが第一の理由じゃないことがわかる。その圧迫は後に島原での反乱を生むことにもなる。

missionaryを駆逐することが家康のmissionであったのだ。
'make'には使役動詞としての役割もある。
 
Her beauty made me fall in love with her at first sight.
(あまりの美しさに、彼女に一目ぼれした)。

この使い方の出所については納得できる説明がある。
一般的なmakeの意味は「つくる」である。(I made the chair:私はその椅子をつくった)

材料を示すときはofを用いる。(I made the chair of wood:木でその椅子をつくった)
つまり'wood'を使って'the chair'をつくった、ということである。

語順を無理にかえれば、'I made wood the chair.'となる。
このとき椅子という「もの」をつくるために、材料としてwoodが用いられていることを示している。

使役表現はこの材料を「ひと」にまで拡大して、つかわれるようになったものである。
では、He made me go. という文について考えてみる。

この文において'go'という「こと」の材料はなんであろうか。'me'である。
つまり「私」を材料として「いくこと」を生じさせているのであり、その製作者は'He'なのである。

「彼」が「わたし」を使って「いくこと」をつくるのであり、訳としては「(かれは)私にいかせた」となる。

'She made me sad.'という文についてもおなじことがいえる。