軍隊と教会。この二つは相反するものの典型にもみえる。
軍隊は対立の象徴であるし、教会は平和の象徴であるからだ。
しかし意外にもこのふたつには類似点がある。アナトール・フランスの『舞姫タイス』などでも描かれているが、両方とも完全な「階層性」社会だ。ヒエラルキー的にトップがいて、下のものはそれに従順であることが要求される。

教会(キリスト教)でいえば、Pope>Prince of Church>Arch Bishop>Bishop>Priest,軍隊であれば、General>Colonel>Major>Captain>Privateの順で身分が階層的に決められている。

また、教会も軍隊も、ある目的のために存在する。教会はイエスの教えを広め人類を救済し、軍隊は相手国を叩き潰すことが目的だ。この目的はmissionとよばれる。このmissionを達成するために、両者とも「武器」を持ち合わせている。

教会の「武器」はmissionary(宣教師)であり、軍隊の武器はmissile(ミサイル)である。どちらも語源はmissionにある。

missionaryがmissileとして機能していた事実もある。宣教師は基本的に教えを広めるために派遣される。日本にやってきたイエズス会のフランシスコ・ザビエルもその一人だ。この派遣には莫大な費用がかかるわけだが、それは国家によって負担されることが多かった。莫大な費用を負担してくれたことにはワケがある。

宣教師を派遣し、その宣教師が自国との貿易を仲買してくれることによって費用に見合うリターンが得られたのだ。たとえば江戸時代直前、宣教師によって島津藩と外国間での交易が仲介されていた。これによって日本には大量のgunpowder(火薬)が入り込んだ。戦争が悲惨さを増し、死傷者数が増加したのはこのためである。これで国家は利益を挙げることに成功した。

つまりmissionaryは国家の経済的missileとして機能したのだ。家康はこれを見抜いていた。
江戸幕府を立ち上げるとただちに禁教令を発行し、missionaryを国内から追い払った。出島で貿易を行ったことを考えれば鎖国そのものが第一の理由じゃないことがわかる。その圧迫は後に島原での反乱を生むことにもなる。

missionaryを駆逐することが家康のmissionであったのだ。