日本以外はどんな国? -2ページ目

チリ2日目&アルゼンチン1日目

こちらの時間の3月19日(土)の仕事後のお昼は、Centroの魚市場に行き、魚市場内にあるレストランで、サーモンのフライとご飯とポテトフライを食べた。

サーモンに使われているソースはカルボナーラ風であり、量が多すぎて最後のほうはしつこかったが、とても美味しくいただけた。


その後は、久々に時間ができたので、レンタル自転車を借りれる情報をレストランの女性に教えてもらったのでその場所を探し、無事にたどり着けた。

4時間で1000円だった。

Bicicleta verde(緑色の自転車)と言われており、海外では、スペイン以来久々に自転車を乗りまわした。


場所の名前は忘れたが、山の上にマリア像が建っており、どのくらいの眺めなのか気になっていたので、その山を普通の自転車だが上る事に決めた。

1時間半くらいかけて、ノーマルチャリでてっぺんまで登った時の達成感は最高だった。

回りの人たちはマウンテンバイクやらいい自転車やバイク・タクシー・車で登っていたが、

レンタル自転車で登っているのは自分だけで、しかもアジア人は自分だけだったので、みんなの視線が熱かった。


頂上に登った時は太ももはパンパンだったが、頂上に着いて甘い物をとったせいか、翌日の今日は筋肉痛はなかった。

頂上でみんなが変わった飲み物を飲んでいたので、出店の店員に尋ねると、


MOTE con HUESILLOというチリで独特の飲み物であるという事がわかった。

トウモロコシと桃を煮込んで、そのまま冷やした飲み物だ。

甘すぎるくらいだったが、疲れている体には丁度良かった(普通だったら飲めないくらい甘い)。

プラスチックコップで飲むのだが、飲んだ後、みんなそのコップをプラスチック専用のごみ箱に投げ捨てる。

その甘い匂いを頼りに、沢山のミツバチがごみ箱周辺に集まってきていて、蜂の巣のようになっていた。


頂上から見下ろすSantiagoの町並みは、テレビで見るラスベガスのような感じがした。

自転車返却の1時間前まで頂上で眺めを満喫し、帰りは下り坂のみだったので、自転車をこぐ事はなく快適な走りを楽しんだ。

夜はFacebookで知り合った友人と、スペイン留学時代に知り合った韓国人がSantiagoに仕事で駐在しているので、その2人は初対面だが3人で食事をし、朝まで飲み明かした。

そのチリ人は早めに帰り、韓国人は朝7時頃帰り、自分はその後朝10時までホテルで寝た後空港に向かった。


チリからアルゼンチンまでは2時間ほどのフライトであったが、今回のフライトもビジネスクラスであった。

しかも一番前の席だった。


ブエノスアイレスに夕方16時に着き、ホテルに着いたのが18時頃。

お腹は一杯だったので近くのキオスクで水とビールを購入し、今ブログを書いている。


さて、このホテルの店員はゲイっぽく、回りのお客さんを見ても男ばかり。

なんか変だと思い部屋に入ると、とても快適な部屋だ。

さっきフロントに行って回りにあるチラシを見ていると、

GAY GAY GAYと、GAYという言葉が載ったチラシしか置いていない。

「今晩はホテルのバーで夜の22時半までパーティーをやっているから是非顔を出してみてよ」と言われたが、


なんか危険なにおいを感じたので遠目からそのパーティーの雰囲気を見ていると、男だらけだ。


男性が40人ほどいて、女性が2人。

部屋に戻りインターネットでホテルを調べたら、な、な、な、なんと、やはり、

GAY HOTELと書いてあった。


ホテルを代理店を通して予約した時はそんなことは一言も書いていなかったのに。

今晩を含め、ここに3泊もしなくてはいけないといけないが、何もない事を祈る。


明日は朝10時からお客様と会議がある。

新しいお客様なので、いつも以上に大事に接したい。

チリ2日目

昨晩から今朝までよく眠れた。

約7時間も寝れた。

ここ1週間、毎日3時間くらいしか寝れてなかったのでとても快適だ。

チリの時間は日本の時間からマイナス12時間。

朝9時に起き、朝食を取らずに9時50分にホテルを出て、歩いてお客様の所に

10時に到着した。

丁度待っていてくれ、1時間半ほど自社製品を売り込んだ。

自社製品の強みは、製品群ではなく、

1. 「日本の会社である事」
2. 「中国製品よりも高いが品質がいい事」
3. 「アメリカ製の製品よりも安く、品質は同じくらいである事」

とても興味を持ってくださり、月曜日に彼らが上司にこの旨を報告し、

来週月曜以降にうまくいけば初注文をもらえる。

チリマーケットでは昔は有名だったが今は若者にはほぼ無名の会社である

自社が、今後、若者もターゲットにいれ、どう販売していけるかが重要に

なってくる。

お土産に日本のピーナッツを渡し、「ピスコやビール」と一緒に食べてくれ

と伝えると大笑いしていた。

ピーナッツがウケたみたいで、つかみはOK。

少しでも売り上げにつながればよい。

これから両替をしに、また、チリはサーモンが有名なのでうまいサーモンを

食べに行こう!

メキシコ4日目&チリ1日目

こっちの時間で昨日はよく眠れなかった。

ホテルの各部屋のトイレの調子が悪いらしく、やっと眠れたと思ったら、

隣や上や反対の隣の部屋から、「ががががががが」と、トイレが壊れている音が聞こえた。

初日に自分の部屋で起きた症状と同じだ。

こんなホテル始めてだ。

メキシコの電気系大学を訪問し、自社製品を過去に購入してくれたので、

製品の品質、価格、生徒の反応などを先生に聞いてきた。

特に問題は無し。新しい製品を売り込み、会議は1時間ほどで終わった。

海外の大学を訪問するのは、2年前のタイの電機大学以来だが、

生徒は生き生きしていて、ましてやラテンの生徒達はもっと生き生きしている。

昨晩はメキシコ→チリに移動だった。

初のビジネスクラスで、カウンターに並ぶと、なかなか進まない。

出発は夜の21時だったのに、結局22時に変更になった。

テクニカルプロブレムだったらしい。

ビジネスなので、ラウンジを無料で使えるので、それを楽しみにしていたのに、チェックインの時間が予想以上にかかり、結局30分ほどしかラウンジを満喫できなかった。

初のビジネスシート。

他の人より早く飛行機に搭乗できる。

シートに座ると、とても広い。

シートは180度フラットにもなる。

横に座っていたおっさんに挨拶をし、「仕事は何をしているの?」と聞かれた。

測定器を販売していると伝え、自分のメキシコでの出来事や今後の予定を話した。

チリの後にアルゼンチンにいく話をし、そのオジサンはアルゼンチン人だと分かり、こっちが仕事を尋ねると、在メキシコのアルゼンチン大使館で働いている偉い人だった。

Tシャツにスウェットとスニーカー姿だったので、驚いた。

その話をしている最中に、そのおっさんがチェックインするときに不手際があったことを謝りにスッチーが来た。

こんなに丁寧な外人のスッチーは見たことがなく、やはり、大使館関係者や

大手企業の常連にはどこの国でもこんな丁寧に接するのだと感じた。

おっさんは結局他の席に移動したので、横に誰も居なくなったと思ったら、

新しい若めのオジサンが来た。

また挨拶を交わし、自分の素性を話した。今回のチリ訪問で新しいお客さんを探している事を伝えると、2社程紹介してくれた。
また、ビジネスクラスの過ごし方を教えてくれた。

スッチーは俺に対しても優しくしてくれ、すごい良い待遇であった。

席は広いし、席につくやシャンパンは出してくれるし、夜食や朝食の

メニューは選べるし、ワインも10種類くらいから選べるし、かけ布団もあるし、アメニティーグッズはBVLGALIの物だし、いたれりつくせりだった。

チリには2時間ほど遅れて到着した。朝の9時45分だった。

両替してタクシーを拾い、ホテルまで直行してもらった。

チェックインが15時からだったので、荷物だけ置かせてもらい、お客さんを2件回った。

最初のお客さんは少し手ごたえがあったが、2件目は商品群が合わないから

「結構です」と丁寧に断られ、ホテルに戻ったのが15時半。

チェックインを済ませ、2人目のおっさんが教えてくれたお店がホテルの近くにある事が判明し、そこを早速訪問してきた。

30分ほど歩いたが、長年の旅と出張で培った見事な方向感覚と野生の感覚で

見事到着し早速交渉する相手を見つけた。

話をすると担当者が今日は休みなので、明日の土曜日の朝10時にアポイントを取る事が出来た。

マーケットを見る限り、日本製の製品はなく、アメリカの製品か中国の製品だけだ。

うちの製品が入る余地は十分にありそうなので、明日の交渉には力が入る。

チリは日本の時間から丁度マイナス12時間。

今は金曜日の夜19時だが外はまだ明るい。

今晩はスペイン留学時代の韓国人の友達がここSantiagoで働いているので、

彼と食事をする予定だが、飛行機でも3時間くらいしか眠れていないので、

毎日の疲労が困憊し、今はすごく眠たい。

少し寝て、彼の電話を待つことにしよう。

メキシコ2日目

今日は朝10時からお客さんの事務所で待ち合わせだと思ってて行ったら、店が空いていない。

これがメキシコノリだなと思って、近くの公園でタバコを一本やっつけた。


ベンチに座りボーっとしていた。


鳥がたわむれているのを見て楽しかった。

オス同士っぽい鳥が俺の目の前で5分くらい争っていたのかな。

それとも、メスに求愛でもしていたのかな?

こんなにゆっくり鳥を見たことがないのでよくわからなかったが、なんかリラックスできた。


その後、一匹のミツバチが地面に落ちている花を転々と巡っていた。

蜜でも探していたのだろう。 花は5つ程落ちていたが、それぞれにミツバチが滞在している時間は1秒ほど。

蜜がなくて、転々と花を渡り歩いていたのだろう。


10時半にお客さんの事務所前に行くと、丁度社長が歩いてきた。

歩いてきた方角から想定すると、どうやらホテルまで迎えに行ってくれたのかもしれない。

挨拶を交わし話をすると、やはりホテルに10時に迎えにいってくれたらしい。

俺はてっきり事務所で待ち合わせだと思ったと言って、お互いの確認ミスを笑いあい、事務所に入った。


昼の15時まで色々交渉し、注文を獲得。 「ホッと一息できた。」 目標金額まで、今日取った注文額のあと13倍だ!! なんとか他の国のお客様との折衝で残りを満たすしかない! それにしても非常に疲れた。


運動不足だな。

やっとメキシコに着きました。

悲惨な地震から2夜が明けた。


3/13(日)、この日から中南米出張であった。


地震の影響で、電車のダイヤに乱れがあったので、3/13(日)早めに家を出た。


駅に着くや、余震があり、電車が目の前で止まった。仕方ないので、親父に協力いただき、車で船橋まで送ってもらった。

船橋からは電車は通常通り運行していた。

成田空港に着いたのは朝の9時。フライトが12時05分だったが、早めについておくにこした事はなかった。

アメリカン航空でダラス経由メキシコに行くはずであった。

フライト運行状況をボードで見ると、自分の乗る飛行機だけCANCELEDとなっていた。

すぐ様、上司と旅行代理店に連絡をしどうなっているか確認していただくと、確かにキャンセルになっていると言われた。仕方なくカウンターに2時間も並び、代わりの便を確保してもらったが、朝っぱら立ちっぱなしで足が棒だ。次のフライトは夕方18時。時間がまだ7時間もある。


時間があるので一回自宅に帰ろうとしたが、また地震の影響などで電車が動かなくなったらそれこそ大変なので、仕方なく成田空港に滞在することにした。


1時間ほど空港を徘徊し、コンビニを見つけた。

相変わらず水とお茶が売り切れていた。 お昼時なので、レストランで食べると馬鹿みたいにお金を取られるので弁当でも食べようと思ったら、餃子2パックと、角煮弁当2パックしかなかった。

おじさんがすかさず角煮弁当をとっていったので、残りの1パックを俺もすぐさまとってレジに進んだ。

コンビニの近くでいすが並んでいる場所があったのでそこで温めた弁当とビールを飲みながらゆっくり食を楽しんだ。

その後はお土産を買いにブラブラした。今回は、ピーナッツを上げる事にする。

お客様6件分を購入した。自分にも一つ別口で購入し食べたが、やはり千葉の落花生は美味しい。

「こば屋本店」というピーナッツだ。


ピーナッツの始まりはアメリカから種子を輸入し、明治11年に千葉県から全国に広まったそうだ。

お土産を買った後は外の天気が良かったので1時間ほど陽にあたりながら外で寝て、その後マクドナルドでマンハッタンバーガーを食べた。

これでマクドナルドの4種類のアメリカンバーガーは全部を制覇した。自分のなで順序をつけると、


マイアミバーガー→オハイオバーガー→マンハッタンバーガー→テキサスバーガーの順になる。


飛行機は無事に18時頃離陸をし、3/13(日)の16時半にシカゴに着いた。伝え忘れたが、本来のフライトは成田→ダラス→メキシコなのだが今回の変更後のフライトは成田→シカゴ→ダラス→メキシコになる。


シカゴに着くや、今度は3時間後ダラスに行かなくてはいけない。アメリカに入国するのは久しぶりであった。

初めてアメリカに来たのは高校2年の春休みの時だったからあれから丁度16年位が経つんだなー。

シカゴからダラス行きは1時間も遅れた。時間がまたありすぎるのでシカゴ空港を再度徘徊し、念のため両替をした。レートが非常に悪かった。

1ドル=95円だったので、2000円ぶんしか両替しなかった。メキシコに着くのは真夜中0時の予定なので、ペソも両替した。

1万円を出し、5000円分だけペソに両替を依頼したが、1万円分しかできないと言われ、他に細かい札もなかったので仕方なく1万円分両替してもらった。

ここの両替やはボッタクリだ。皆さんもシカゴに着いたら両替所は一つしかないが、そこでは両替をしない方が良い。 夕方19時に飛行機がシカゴを発ち、ダラスに着いたのは21時40分。

元々ダラスでの乗り換え時間は1時間しかなかったが、飛行機が1時間遅れたので飛行機には乗れなかった。搭乗口はすぐ横であったのに、「既に搭乗の締め切りを行った」だって。

馬鹿だよ。

本当に俺の事は何も考えていない。

「ホテル代を出すから」と言われ、その他食事代として10ドル分のチケットをもらい、 Blue Mesa(青い机という意味。英語とスペイン語が合わさっている)というメキシコ料理屋でタコスチップと水とクランベリージュースを買い、ホテルまでの無料バンに乗りこみ、High wayを走り、10分ほどでホテルに到着した。

本当は缶ビールが欲しかったのだがどの店でも売っていないと言われたのでホテルに着くやすぐに隣にあったガソリンスタンド兼コンビニに入り、MILLERビール(1ℓ)を買い、部屋でタコスチップをつまみにビールをかっくらった。

このタコスチップはまずかった。ついていたソースも辛いならいいが中途半端な味で、チップ自体もまずかった。ホテルに着いて、日本の免税店で買った煙草を吸おうとしたら、購入した1 Cartonがなくなっていた!!ショック!


「過去の記憶をたどる」と、シカゴ→ダラス便のラックの中でお土産袋がひっくりかえっていたのでおそらくその時に無くなったはずだ。

シカゴで飛行機に乗るときまであったのだから。メキシコ便に乗る事で頭がいっぱいであった。


今朝は5時にホテルから空港までの送迎バスに乗り込み、空港には5時10分に着いた。

アメリカン航空の受付に行き煙草の忘れ物がなかったか聞くが、「忘れ物は9時半から受付」だと。

メキシコ行きの飛行機が9時45分なので、間に合うかボケ!


今はメキシコのホテル。約2日かけて成田からメキシコに着いた。 これからお客さんとMeeting!!


注文とるぞー。

金曜日の地震後生活

金曜日は東京の田舎にある自社工場で15時から会議があった。

14時半に着き、椅子に座っているとなんか揺れていた。

隣に居た課長と課長代理が「貧乏ゆすり」でもしていたのかと思っていたがどうやら違った。

途中から地震だという事に気がつきすぐ様に外に避難した。


大地があんなに揺れているというのは初めてみた光景であった。


東京であんな状態だったので、さぞかし震源地近くは恐ろしい光景であっただろう。

工場は木造建築の為、外に出たほうが安全であった。

15時から会議が始まったが、また余震があり、一度は避難したがそこから

会議は続行。

帰りは電車は止まっており、ホテルもあとで予約をすればいいと思っていたが、


既に予約がいっぱいで60人待ちだった。

50件ほどホテルに電話をしたが全て満室。

課長が調べてきてくださった市民会館で毛布をもらい、豚汁と乾パンを支給され、

避難生活を余儀なくされた。


被災地の方々のご苦労はこれとは比べ物にならないものであったろう。


一日も早い復興と、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今日から中南米出張。だけど・・・・・。

今日の昼にダラス経由最終目的Mexico DF行きの飛行機に乗るはずであったが、


空港に着くと、このフライトだけ「キャンセル」との表示があった。

カウンターが長蛇の列で、2時間待って、やっと受け付けてもらえた。

結局フライトは夕方18時過ぎのに変える事が出来たが、メキシコ到着まで相当時間がかかる。

成田→シカゴ→ダラス→メキシコDFになる。

全ての時間は約20時間ほどかかる。

うわー最悪。

メキシコ到着は真夜中の23時で、次の日は朝から仕事だ!

起きれるかな。ーー???

着いたらテキーラたくさん飲んで仕事ぶっちぎるか。

中南米出張第2弾

土曜日に中国・香港出張から帰ってきた。

久々に疲れ、日曜日はぐったりして、月曜日は仕事後帰宅し、高熱が出て

爆睡し、今朝まで風邪を治し、なんとかまた会社に行った。

13日からは今度は中南米出張になる。

こんどのルートは:

成田→ダラス→メキシコ→チリ→アルゼンチン→ボリビア→ペルー→
エルサルバドル→ホンジュラス→マイアミ→ニューヨーク→成田

になる。

うひょー。よくこんな予定を組んだもんだ。
アメリカ以外は全ての国に平均3泊づつ滞在だ。

マイアミ辺りで息抜きしたいが。。。。

今回はボリビア、エルサルバドル、ホンジュラスが初めて行く国々なので少し緊張するが、ワクワクもする。

今度の旅での目標は2000万円売り上げアップ!


さーて、心機一転、できることを精いっぱいやろう!

シンセン→香港→シンセン

今朝は朝9時にホテルを出発し、シンセンから電車で香港に移動した。

シンセンから香港までは出国入国手続きを含め、1時間半~2時間もあれば到着する。

日本の地下鉄を使って国境を越えるのだからなんだか面白い。

中国での引き継ぎ業務、香港での引き継ぎ業務。

沢山やることがある。

自分が中国に赴任できるかどうかはまださだかではないが、

やれることはすべてやりきり、誰からも信頼され頼りにされる人間になるしかない。

それが自分の今まで生きてきた哲学でもある。

海外での生活はやはり面白い。

中国人の理不尽な行動や、アグレッシブさ。
信号無視は余裕でするし、歩行者は信号を守る人は全体の10%にも満たないと思う。
信号はあってないようなものだ。


車は逆走しているし、バスですら歩行者の道をふさぎ、我が先にと進んでくる。
バイクも余裕で逆走したり、歩道を平気で走ってきたり。
しまいには、車やバスまでが歩道を走ってくるのではないかと気が気ではない。
しかし、そういった環境は自分にとってとても面白い。
日本のように素晴らしく全てが整った国に住んでいると、それが普通になる。
しかし一歩外に出るとその世界は逆転する。

世界は日々めまぐるしく変化しているのだ。
それに対応できる人間でなくては、到底海外で暮らすことなどできないであろう。

バックパッカーをやり、ある程度の国しか回ってきてないが、その時の感覚が今では非常に役立っている。

危険もあるかもしれないが、高級ホテルに泊まるよりも格安ホテルに泊まり、その店員のあつかましい態度を面白く思えるくらいが丁度よい。

中国ホテルをチェックアウトし、他のホテルに移動する際、日本人ビジネスマンがチェックインをしていた。

中国人のチェックアウト者が、どうやら、ホテル側から朝食を食べてもいないのにその分までチャージされており、腹を立てて大声で従業員に申し立てをしていた。
その姿をみたその日本人ビジネスマンたちは、「大声で騒ぐなよ」とか調子こいて言っていたが、その声を聞いた瞬間、腹が立った。

「てめえらの基準で世界を見てるんじゃねえよ!」

ここは中国。これが中国なのだ。日本のように甘やかされて育っている国ではないのだ。
そういう常識を知らず、さも、日本人が世界をリードしてきたかのような考えを持っている日本人や他の国々の人間は、世界を股にかける仕事には必要ないと思う。

相手の文化を受け入れる。相手の習慣を受け入れる。

そこに初めて、国際性という言葉が成り立つのではないかと思う。

いちいち腹を立てていると疲れる。少しは慣れよう!と言いたい。


中国から香港に行くと、香港の生活は非常に整っている様に思う。
パワーでは日本以上だが、少しは相手の気持ちをくんでくれる気質がある。

でも、中国でも一概には言えない。
勿論中国でもいい人はいる。

心と心がつながるのに、国境など関係ない。

いかに相手の懐に踏み入れるかが人間関係を構築していく重要な要素になる。

まだ中国出張に来て4日ほどしかたっていないが、やはり現地に飛び込んで現地の言葉を使うと、言葉の必然性が生じてくる。

そこでやっと言葉を学べるのだと思う。

スペインに留学した時も「ありがとう」しか言えないで留学した。

その時から比べると、あらかじめ日本で中国語を勉強してきたので今は楽なもんだ。

下手でもいい。自分がやれることを真剣に行動すれば、結果はおのずとついてくる。

因果具時(結果というのは、自分がとっている現在の行動に具わっている)。

今を精一杯生きよ!!!!



今後どうなるんですかねー。

今日から香港・中国出張になる。

今朝は朝5時に起き、9:40分の飛行機に乗る。

今は成田空港第二ターミナルに我在。

今回の出張は、新製品開発に関する中国企業との打ち合わせ。

それともう一つ大事なのが、今後俺が中国・香港に駐在できるかどうかだ。

3月15日に中国駐在の日本人が急遽退職することになり、中国事務所の契約が

今年の10月までなので、「最低でもその期間まで私を駐在させてください」

と社長に先日お願いしたところ、了解していただき、今回の出張に行けることとなった。

チケットの支払いをし、行く準備をしていたら、火曜日に会長からは、

「そんな話は社長から聞いていない。君は行く必要はない」との事ふらふら

でたーーーーー、いつもお決まりの家の会社のパターンだ。

なんでこうもつながりがないのかねー。

社長に聞けば言った。会長に聞けば聞いてない。
愚痴ばかり言っていても仕方がないので、今は行動あるのみ!
会社での最強の素晴らしい上司に本当に親身に相談にのっていただき、その上司のおかげで、最強の転属願いを作成することができた。
会長には「最強の転属願い」をメールで送り、今は最終回答待ち。

でも、この出張期間中に色々な手続きをしないと間に合わないんですけど~たらーっ(汗)

上層部の行動は相変わらず遅い。

しかも「俺が今回中国等に行く事により、メリットは増大!

売り上げも増大!」の可能性が沢山あるのに(そうしてみせる)、その現実を見てくれない会社。

所詮リーマンはそんなもんでしょ。

某大手企業を早期退職して今は隠居している某先輩には、

「頑張れよ!」とお言葉を頂いた。その言葉には色々な意味が含まれている。(リーマンやっていても楽しくないよ。)といったような。


会社の同僚も俺の仕事を引き継ごうとして一生懸命に協力してくれている。

そんなみんなの為にも、そして自分の見聞を広げるためにも、何としてもこの中国赴任を成功させたい。
絶対に皆が働いていて楽しい会社にしたい!(仕事面でも給与面でも)