今宵ご紹介する映画は
『愛の亡霊』
(仏題:L'Empire de la passion)
*・゜゚・*:.。..。.:*・'あらすじ'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
時は明治中期、
北関東の鄙びた山村に
人力車夫の儀三郎(田村高廣)と
せき(吉行和子)夫妻は住んでいる
キツイ車屋家業の儀三郎、
唯一の楽しみは息子の伊七を腕に抱え呑む焼酎で、
妻せきは、にこやかに酌をして夫の労を労う。
『今日も豊次(藤竜也)は来てたのか?』
自宅前で豊次とすれ違った儀三郎が尋ねると
『うんだ、豊次さん来てただよ』とせき。
『あいつ、お前に気があるんじゃねーか?』
からかうような儀三郎に
『なにゆうだー、
豊治さんは息子みたいなもんだにー』と
屈託なく笑い飛ばすせき
艶やかなその顔は、四十を超えた今でも
三十そこそこにしか見えぬほど若々しかった
夫婦の話題の主、豊次は兵隊上がり
定職には就いておらず、だからまぁ時間はあって
今日も今日とて儀三郎の留守宅に上がり込んでいた
ある日のこと、息子に授乳しながら
しどけなくうたた寝をするせきを凝視したかと思えば
突然襲いかかった豊次
そう、、、
儀三郎の見立て通り
豊次はせきに欲情していたのだ
トーゼンせきは抵抗するが
しかし最後は豊次のなすがまま
その後は堰を切ったかの如く逢瀬を重ねる中、
儀三郎に嫉妬した豊次は
せきを我が物にするため儀三郎の殺害を計画
今や26歳年下の豊次の言うがままのせきは
翌夜、命令通り儀三郎に焼酎を浴びるほど呑ませ
そして、
酔い潰れた儀三郎の首を二人して麻縄で絞め
死体は庄屋の持ち山の、古井戸の中に投げ捨てた。
村の人たちには、
儀三郎は東京へ出稼ぎに行ったと嘘をついたせき
主犯の豊治は生活費を稼ぐため
地主の山で集めた落ち葉を売りに出さず
(当時落ち葉は燃料として需要があった)
儀三郎が眠る古井戸に投げ入れるを繰り返す
その行為が
人を殺めた自責の念からなのかは
豊次から読み取ることは出来ないが、
それから
三年目の月日が流れ、迎えた盆の入り
それでも全く姿を見せない儀三郎に
不審を表す村人たちの視線や、奉公から帰った
娘おしんの『おとっつぁんが死んだ夢ばかり見る』の
言葉に
不安がつのるせきの前に、儀三郎の幽霊が現れた
恐怖に見舞われたせきは
豊次に助けを求めたものの
二人の仲を隣人らに邪推されてはと、
慌てる豊次に彼女を思いやることは出来なくて
儀三郎の幽霊は
今宵もまたせきに焼酎を要求し
毎夜、酒屋へ焼酎を買いに走るせきに
いい人出来たんだーと、噂する村人たち。
この頃には古井戸に落ち葉を投げ入れる
豊次の奇行も村人の口に登るようになり
やがてそれは
駐在(川谷拓三)の耳にも入る
豊次に不審を抱いた
地主の若旦那(河原崎建三)と
古井戸で鉢合わせてしまった豊次は
『なんで売りもんの落ち葉を捨てるのか?』と
訝しがられ、若旦那を咄嗟に殺してしまう
益々分が悪くなってしまった豊次
このままでは古井戸に
衆人の耳目が集まってしまう
追い詰められた豊次とせきは
儀三郎の死体を別の場所に移そうと
意を決して古井戸の中に降りて行ったのだが、、、
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妻子を養うために
汗水垂らして働く実直な夫と
年嵩の頼れる夫に感謝をしつつも
妻は寝床に入るとすぐにいびきをかきはじめる夫に
寂しさを覚えることもあり
そこへ『姉(あね)さん姉(あね)さん』と
慕ってやってくる近所の青年がいて
弟のような彼と一緒に饅頭を食す時間は
娯楽など一つもない貧しい暮らしの中で
憩いのひと時だったのだが、せきが見せた
一瞬の隙が豊次を『弟』から『男』へと変えてしまい
せきを母として引き留める
幼い息子の泣き声に、自ら耳を塞いだ時
彼女もまた、『母』ではなく
『女』であることを選んでしまったという
こうやってそれまでの均衡が
破れた後は一気にフルスロットリング
短絡的と言っていいほどに
二人はあっという間に儀三郎を亡き者にします
その躊躇のなさに
正直かなり違和感を覚えたのだけれど
今作は中村糸子さんと仰る作家が書かれた
『車屋儀三郎事件』というタイトルの実話を
元としたお話で、だからアレですわ
『事実は小節より奇なり』が
当てはまるんじゃないかってね
そこに着地しました
監督は、今作公開の二年前に
世界中をざわつかせた『愛のコリーダ』の
大島渚さんです
『愛のコリーダ』と同じくフランスの
アルゴスフィルム社と大島渚プロダクションによる
合作映画で、製作も同じくアナトール・ドーマン
今度もまた男女の性愛がテーマであり
大島渚監督✖️藤竜也さんとくれば
どなたがヒロインをかって出るのか?
呼ばれて飛び出てきたのは
意外や意外な吉行和子さんで
吉行和子さんと言えば
『3年B組金八先生』での
家庭科の先生役が真っ先に浮かぶ、
品行方正な女性の代名詞みたいな方でしたから
どえりゃ〜驚いたものでした
当時まだひよっこだったわたしには
吉行さんが正直おばさんに見えました
それが、当時の吉行さんより
年上となった立場で今回再見してみたら
吉行和子さんたら大変お美しゅうございましたね
お顔ももちろんですがお身体もお美しいのです
黄色人種特有のマット感と言いますか
滑りのある肌がどうにも色っぽくて、、、
藤竜也さんの二の腕のエロスは
『愛のコリーダ』でも拝見済みでしたしな。
今作への出演に際し、
周囲から反対された吉行さんですが
せきを体当たりで演じて、
日本アカデミー主演女優賞を獲得されております
またカンヌでは大島監督が監督賞を受賞されましたが
『愛のコリーダ』も『愛の亡霊』も
人の道を踏み外した者に待ち受けるは、
『破滅』です
しかし『破滅』すら
吉蔵を独占する術とした定と比較すると
『愛の亡霊』のせきは、
豊次とそういう仲になった途端
それまで彼女の魅力、夫に尽くし
貧しくとも笑顔を絶やさない、、、
そういった彼女本来の美徳が失われ
ただただ男の言いなりの
哀れな女に成り下がってしまって
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で
ジェシカ・ラングが演じたコーラに通じるものが
ありましたわ
アンニュイでカッこ良く見えたコーラも
フランクと不倫関係後は
カッコよくなくなっちゃったしね
結果、覚悟なき不倫者の行く先は
先程も申しました、『破滅』と言いますか
『自滅』ですね
それよりも
わたしが印象に残ったシーンは
儀三郎夫妻の娘が、父の肩を叩きながら言った
『いつか ふくしく なりたい』って
台詞だったんですよね
最初は美しくなりたいって聞こえたんですが
よくよく聞いてみると 福(ふく)しくなりたいで
つまり、裕福になりたいってことだなって気づいて
当時(明治時代)の日本って
幼い子供を働きに出すほど貧しかったんだなって
改めて思い至り、ちょっと切なくなりました
舞台となったこの村などその典型で
しかもその中にすら
ヒエラルキーが存在するんですよね
親もおらず精神病の弟(おすぎ)を抱える豊次は
最下層
豊次を怪しんだ地主の若旦那は最上層
だからといって貧しさが
人を殺める理由になっていいはずなど
毛頭ないわけで、多分豊次とせきを彼方へと
連れて行ったのは二人に殺された儀三郎が引く
『火車』だったんじゃないでしょうかね。。。