『フェラーリ』(アメリカ•2023年) | Cinéma , Mon Amour.。.:*☆

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左脳は邦画で出来ておりまする╰(*´︶`*)╯

こんにちは


今日 ご紹介する映画は


『フェラーリ』(原題:Ferrari



    *・゜゚・*:.。..。.:*・'あらすじ・*:.。. .。.:*・゜゚・*


1957年の、イタリアはモデナ


幾度も自動車レースを制してきた

名門自動車メーカー『フェラーリ』は

創業10年目を迎えたこの年、業績不審に喘いでいた


レース重視で一般車の販売実績は振るわず

十八番であるレースでも『マセラッティ』の

台頭に押されていたからだ


その事実は

オーナーでありマシーンデザイナーでもある

エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)の肩に

重くのしかかる


さらに彼は前年に

愛する息子アルフレードを病で亡くし

にも関わらず、哀しみを分かち合う筈の妻ラウラ

ペネロペ・クルス)とは不仲であり


唯一の癒しの存在である愛人のリナ

シェイリーン・ウッドリー)までもが


息子ピエロを認知するよう

エンツォにプレッシャーをかけてくる


長年隠してきたリナと子供の存在が

ラウラの知るところとなり、会社の

共同経営者でもある彼女は怒り心頭


金庫番ラウラの出方次第で

会社は倒産するやもしれず

それだけはなんとしても防ぎたいエンツォ


由緒ある自動車ロードレース

『ミッレミリア』で優勝し、起死回生を

図ろうとするのだが、、、





うちの夫は

フェラーリが大好きでして

かといって実物を買うことは叶わないわけでね


ヨーロッパへ行った際には、縦列駐車する車の中に

『フェラーリF40』を見つけ大興奮


当時の夫談


『ええか!ようお聞き

このフェラーリF40言うのんは

販売台数がわっけもなぁ(物凄く)少ないんや

それを生で見れてもう眼福眼福ぅーー』


とまぁ、 


おサレなヨーロッパの地にて

方言丸出しで蘊蓄を垂れておりましたけれど

それよりもわたしゃ、我が国固有の軽トラック

スズキのキャリィはんを並み居るヨーロッパ車の中に

発見してびっくりしてもうて、


フェラーリも凄いけど軽トラも、何気にすごって、、、


それから縦列駐車から出ようとしてた

アーマーゲーのマダムが前後の車にバンパーをぶつけ

押し広げながら、涼しい顔で走り去って行ったことも

culture shockでしたϵ( 'Θ' )϶


これも、当時の夫談


『や、あのオバハン、

バンパーの使い方は間違っとらんで』

と、シックなマダムをオバハン呼ばわりはやめなはれ


つーかそのためのバンパーなの?


わたしゃ傷つくからあんなの嫌なんだけど


コホン


与太話が長くなりました(●´ω`●)


今作『フェラーリ』はフェラーリ社の

生みの親であるエンツォ・フェラーリの、

彼にとっては激動の年となった1957年に

スポットを当てて描かれております


とにかくこの1957年の1年間に

公私に渡る問題が一気に顕在化したと言いますか


ですから視点も次々に変わっていきます


よってレースシーンがメインではないので

そこが目的の方には少し物足りないないかもですね


まぁ、映画の大半が

エンツォ・フェラーリってどゆ人?なわけですけれど


自身もレースドライバーだった彼は



レースで勝てる車に拘り

自社のドライバーにもそれを強く強く求めます


競い合ってる時に

死んでも先にブレーキを踏むな、ですから

言うてることは『鬼』の一言


ただ当時はそういった

命が惜しくてレースなど出来るか?が

当然だったんでしょうね


その姿勢が奏功し更に実績を上げ

部下やモデナ市民から『コメンダトーレ』(名社長)

と呼ばれ、名士扱いを受けてはいるけれど

『素敵なシニョールだわ💓』とはならないんだな

これが。


だって愛想もないし執念も深いし


エンツォ若かりし頃

彼を切り捨てたフィアットのオーナーには

倍返しするわでね


そんなところからも

エンツォが単なる走り屋、技術屋ってだけでなく

優秀な交渉屋であったことも見て取れます


そして聖人君子でもない


愛が持てなくなった妻に対する非情、、、

しかし『わたしの銃を返して』には

ニヤッとして呼応するという


(しばらくこの意味がわからなかったジェーン)


本当に愛する愛人リラに対しては

朝、眠る彼女をエンジン音で起こさないように、

押しがけで出ていくあたりがジェントルっぽいですが


(因みにエンツォの普段走りの車は

 自社製にあらず、アルファロメオ)


息子の認知に関しては

妻の顔色を窺っているせいか

はたまた後継者問題への発展を恐れてか

先送りにしている辺り、女たちが望む優しさ

誠実さには、応えてはいないわけです


そういった為人であっても

エンツォ・フェラーリと彼が創造した

フェラーリ車が、崇めたてられるのは何故か?


わたしの解釈ですけども

イタリアン・レッドの車体と言い、

甲高いエンジン音と言い、跳ね馬のエンブレムと

言い、イタリアの粋を集めていて理屈抜きで

カッコいいんです


お膝元だったら尚更のことでしょうし

アレは自国の誇りでしょうよ


庶子のピエロがなかなか認知してくれず

泊まっても朝には本宅へ帰るパパエンツォに対し

思うことはあるだろうに、その背中に向かって

笑顔で『フェラーリ!フェラーリ!!』と喝采を送る

シーンに、その辺りを感じました


監督は自身もフェラーリフリークの

マイケル・マン


ドラマ性で言うならば

彼がプロデューサーに名を連ねた

『フォードvsフェラーリ』の方が明快です


けれどマイケル・マン

確信的な散文さがわたくしは好きなので

こちらはこちらでなるほどね、となった次第です


エンツォに扮したアダム・ドライバー

気難し気で良かったですし、愛人リナに扮した

シェイリーン・ウッドリーのフェミニンさは

エンツォにとっては確かに癒しだったろうなって

思えました


しかし彼女もまあ、

こと息子のこととなると母虎にはなりました

けれども。


実在のレーシングドライバーに扮した

演者さん方も魅せてくれはりましたけれど

着目すべきはエンツォの妻ラウラ役のペネロペちゃん

でしょう



彼女はエンツォにピストルをぶっ放す

エキセントリックさを持ち、見た目も

目の下にドス黒い隈を作りやさぐれておりました。


女だてらに会社の経営にイッチョカミする姿勢も

時代背景的に、受容されがたかったでしょうし


だからと言って

エンツォが愛想尽かしても仕方がないかと申せば

そうではないでしょう


逆縁の不幸に耐えている最中に

夫に長きに渡る愛人がいてしかも子供まで

いたことが、発覚したわけですから


しかも、彼女だけがそれを知らなかったわけですから

知らずに『お手当』の段取りもしていたわけですから

同じ女性としては『ワレ、ふざけとんのか、おおっ?』

と、未知やすえ姐さん化してしまいますがな。


しかも姑はんも毒舌やし。。。


それでも彼女が

恩讐の彼方に向かって腹を括ったその姿は

エンツェよりよっぽど漢らしかったわさ。




ただ一つだけ

注文をつけるとすれば

台詞は英語ではなくイタリア語で

お願いしたかったかなぁ


その方がもっと

これぞイタリア、イタリア人気質っていう

臨場感に溢れた気がしましたから。。。