2024年のフランソワーズ・アルディさん
昨年 歌手で女優のジェーン・バーキンさんが亡くなられ とても寂しく思っていましたが…
マダム フィガロの記事によると かの フランソワーズ・アルディさんも2018年から「咽頭がん」 を患われており、 昨年12月フランスの マクロン大統領に 「安楽死の合法化を視野にいれて欲しい」との 書簡をおくられたのだとか…
1944年生まれの彼女は 現在80歳になられている。
私がかつて1991年 原宿クエストホールでアルディさんのプライベートトークショーを観覧してから実に33年も経っているのでした。アルディさんに伊勢丹書籍コーナーで握手して頂いた あの瞬間だけは まるで昨日の事のように私の中で甦るのですが…(このブログ内記事 フランソワーズ・アルディの思い出@1991に詳しく書いてありますのでご覧ください) 歌手であられる以上 喉への負担は大きかった事でしょう。聴き手は ただ 美しいその歌声に現実を忘れ癒されるのだけど…それは「歌い手の喉や体の酷使と多くのあらゆる犠牲」の上に あるのでした。
朝ドラの 「ブギウギ」を見ていて つくづくそう思っていたところでもありました。
アルディさんの「安楽死」というご希望が もしも 叶うとしたら…
それは もちろん とても×1000回(mille fois) 以上も寂しいのだけど
知的で冷静な「 時代のミューズ」としての彼女の役割だといえるのかもしれませんね。その 波紋はもちろん無限大∞と予想しております。
アルディさんのファンとしては もちろん彼女のご回復を心から祈っております。

2018年のアルバムから
隠れて(cache)欲しくないけど……でも 痛いほど わかる。
続 フランソワーズ・アルディの思い出@1991
2024年6月11日 アルディさんが旅立たれました。R.I.P ご冥福をお祈りいたします。思い出の記録の為一部 加筆いたしました。
前回のブログで記しました1991年のアルディさんですが こちら1991年週刊文春の5月30日号のCatch Upコーナーに掲載されたアルディさんをご紹介します。
残念ながら 白黒ですが ブロンド風のショートヘアで優しく微笑む ご様子は 私がトークショー前日 伊勢丹の書籍コーナーで目撃した1991年のアルディさんそのものです✨✨✨
記事によると「あの外出嫌いが本当に来るの?」と
フランス大使館の職員さんらも驚いておられたのだとか ……86年以降音楽活動(アルバムは88年まで)を休止されている この頃 本当の来日目的はアルディさんしかもちろん わかりません。 西洋占星術を熱心に研究されているうちに ふと 東洋の異なる空気に触れてみたい……と思われたのかもしれません… そんな アルディさんの星座は山羊座だそう。 webで調べますと…一見 内気で奥手に見えますが、山羊座の女性は自分をしっかり持っているので、人に流されません。 人見知りなので、慣れない相手を前にすると言葉が少なくなります。 …だそうですから プライベートトークショーとはいえ大勢のファンや関係者の前で ご自分からペラペラと話されなかったのは当然ですし… そんな 言葉数を選ぶ神秘的なアルディさんだからこそ 私達は魅了されているのでしょう。
アルディさんは ご自分で書かれた占星術の本を↓出版されたばかりで サイン会当日 書籍コーナーでこちらも販売しておりました。 タイトルの意味は「宇宙占星術」となるのでしょうか。こちらの書籍 かなり高価でしたが それでもアルディさんのファンの方々は購入されてました。アルディさんは フランス人でも難しい内容なのに皆さん理解できるのかしら…? と目を見開いて素直に驚かれていたのが印象的でした。アルディさんは🇫🇷のラジオで✡️星占術のコーナーの担当されておられたのだとか。
もしも こちら⬇️本がご自宅に保管されてありましたら
表紙をめくってすぐの白いページをご確認ください。 青インクの万年筆で書かれた"アルディさんの直筆サイン"があるかもしれません。…熱心なアルディさんファンのあなたの
ご家族が1991年のサイン会に参加されていたとしたら…
こちらはアルディさんの 有名な曲から ソレイユ (太陽)
Soleil je t,'aime の 2006年頃のデュエット作品です。
大人の落ち着いた歌声が 素敵なのでご紹介しました。
デュオのお相手はフランスの歌手Alain Souchon
(アラン・スーション)氏です。。
お若い頃の ソレイユ⬇️はこちら
歌詞にご興味のある方は是非⬇️ リンクを是非 ご参考になさってくださいませ。
フランソワーズ・アルディの思い出@1991年
2024年6月アルディさんがご逝去されました🥺RIP🍀
内容を 一部 追記・加筆いたしました。

それは1991年(平成3年)の4月3日 めったに新聞を見ない私が たまたま新聞を広げると・・・・

なんと! あの憧れの フレンチ歌手✨フランソワーズ アルディ✨さんが 原宿のクエストホールで2日間トークイベントをされるとの告知広告。しかも 「抽選で無料ご招待」。何人まで愛せるか。フランソワーズ・アルディを世界中のファンが愛し続けました。彼女も、歌で映画で人々を愛しました。時は流れ。彼女の長い沈黙は、東京で破られます。歌でなく語り始めます。
とか書かれているではありませんか!!!
彼女の大ファンだった私は 早速ハガキを20枚ほど記入し
分散して応募。 幸運にも2日間とも当選したのでした。 (日本でのインターネットの普及は1995年頃からで まだ ハガキが大活躍してた時代でした 。記憶が曖昧ですが同居家族の名前も使って応募したので2日とも当選したのかもしれません) なお 伊勢丹本店にはそなえつけの「応募コーナー」もあったようですよ。
こちらは ↓ゲンズブールの作詞(作曲はArnold Goland)で日本でもお馴染みの代表曲です。
ちなみにアルディさんは この頃 音楽歌活動休止中。本格的に西洋占星術の研究をされている頃の来日。 もともとライブはほとんどされていなかったのでイベントはトークのみ。それだって露出嫌いのアルディさんなので本当に驚きだったのです。
更にイベントに先立つ4月26日(金)伊勢丹書籍売場にて アルディさんの本を購入すると 直接 ご本人からサインをして頂ける告知が当選ハガキにありました。私は迷わず
仕事を休み 4月26日の朝 伊勢丹の開店と同時に 書籍売場にダッシュ しました。
今のように情報がSNSで一瞬に広まる事のないのんびりした時代。平日の朝 私と同じ考えの人は それほど多くなく
無事 サイン会の整理券を入手できたのでした。
午後のサイン会が始まるまでの時間は アルディさんに何かしらフランス語で伝えたく手渡しすべく用意したプレゼント(日本の化粧品)に添える短いメッセージを書くため
辞書と格闘しました 。
今のようにGoogle翻訳なんてありませんので(笑)
午後 ついに 待ちに待ったその瞬間。黒いスーツと短かめのブロンドヘア(アルディさんの本当の髪色は明るめのブラウン系だと思います)で にこやかに書籍売場に現れました。ファン達はため息と歓声 拍手でアルディさんを出迎えました。
私は購入した書籍↓と持参したレコードにサインして頂ける幸運🍀に恵まれたのでした。

superstar et ermiteの意味は 「スーパースターであり隠者でもあるフランソワーズアルディ」アルディさんの写真と生い立ち実績などのバイオ本です。著作は歌手のエティエンヌ・ダオ氏とデビッドボウイなどの研究家として有名な ジャーナリストのジェローム・ソリニー氏
この本は フランスのアマゾンやeBayでまだ入手可です。
こちら↓は その際にダメもとで持参したレコードにお願いして書いて頂きました直筆サインです。

très amicalement +à +私の名前 (〜に親しみを込めての意味)
大きい文字はHardy (フランス語ではHは発音しないのでアルディとなります) ちなみに CDも持って行きましたが レコードの方が大きくサインしてもらえてお得かなと判断しました(笑)
優しく微笑むアルディさん。 私はつたないフランス語で 大ファンである気持ちをお伝えしながら用意したプレゼントとお手紙を渡しサインと握手をして頂きました✨✨✨ もちろん通訳の方もおられましたが なんとか自分の気持ちをフランス語で伝えようとする私をアルディさんとともに 優しく見守ってくださり本当に感謝です✨✨✨
デジカメ時代ではなかったけど やはりカメラを持って行けば良かった…… 禁止ではなかったようで撮影されてる方もいました。アルディさんにお願いして一緒に写真を撮って頂いている方もおられて とても羨ましかったです。
さて! 週末の4/27 .28の2日間行われた アルディさんの「プライヴェートークショー」 表参道 原宿のクエストホール (2023年現在建て替えの為閉館) は300人~400人ほどの小規模な映画館といった感じの規模 素敵なホールでした。
照明を暗めにおとした会場のステージにアルディさんと聞き手が お2人で座られてのトークショーでした。
なお 進行役として野中ともよ(TVキャスターでご活躍)さんがステージ袖におられましたが アルディさんと聞き手のトークの内容には入らないようにされておりました。
ステージには特にパネルやスクリーンなどはありませんでした。
トークショーというと 実は話しの「聞き手」がかなり重要です。しかもアルディさんというボブ・ディランも恋した ♡「時代のミューズ」ですから… 過去現在のフランスの音楽やカルチャーに精通された方でないともちません。
1日目は パリの写真や本も書かれているという男性の作家の方 。あまり慣れていらっしゃらないのか アルディさんの方からお話ししてくださるのを待っている…感じでした。パリの街を撮影されたくらいであなたにフランスの何がわかるのかしら?と アルディさんに鋭い突っ込みを入れられておりました。^^;
2日目は ポピュラーミュージックにはあまり お詳しくない感じの 少しご年輩の声楽家で詩作もされている女性の方
「今朝 我が家のカナリアにアルディさんの お歌を聞かせたら 喜んでさえずりだし…♪」とファンタジーなお話しをされ アルディさんが 少しあきれてしまう…という冒頭……^^;
残念ながら教養の浅い私はお二方とも存じ上げない方々でした。
思うに…この人選はアルディさんから とっておきのプライヴェートなお話しを自発的に引き出すのは難しく さらに不幸な事に「 同時通訳を介しながら」のトークなので スムーズな意志疎通にならず アルディさんの沈黙も多く…予想外の展開となってしまいました。
また “アルディさんにファンが質問するコーナー“でも
フレンチポップス界の巨匠セルジュ ・ゲンズブール氏
(Comment tu dire adieu「さよならを教えて」の作詞編曲を担当)が亡くなったばかりの頃だったこともあり セルジュ本人に関する事とアルディさんの親しい友人でもあり「セルジュの元妻(実際にはパートナー)であったジェーン・バーキンさん」についての質問をするファンが複数おられ、その事は アルディさんをかなり困惑させてしまったかのようでした。 今と違ってフレンチポップスの最新情報を知る事が難しい時代でした。
私も1989年のジェーン来日公演に行きましたが、この当時日本のフレンチポップスファンの間では音楽や映画で大活躍中のジェーンは大人気で セルジュゲンズブール作詞の「さよならをを教えて」からファンになった人も多かったので予想できる事ではありましたが…
ファンの中にはフランス語で質問する熱心な方々もいました。私も質問したいと思い(日本語ですが…)挙手したのですが 当てられなく残念。そんな事もあり 2日目は なかなかのお疲れモードで トークショーの最初から少々のご立腹気味?を抑えている感じ「私は なぜ このような場所で大勢の皆さんのご質問に答えなくてはならないのかしら? 私は今できれば 少しでも早く帰りたいと思っています。いったい どういうお話しを皆さんにすればよいのでしょう?」と 正直トーク全開……。思うに…たぶんアルディさんの性格にはあまり向いてない スタイルのショーだったのではないかと思います。音楽活動休止中という事もあったので 話題に制約もあったのかもしれません。もちろんアルディさんは最後まで一生懸命がんばって話してくださっていましたし ご家族とお子さん(現在歌手で大活躍のトマ・デュトロンさん)のお話しなどもされていました。
とはいえアルディさんと日本のファンが直接交流できた素晴らしいイベントでした。以上は私個人の感想です。
さて では アルディさんのトークショーにふさわしい聞き役とは いったいどのような方が良かったのでしょう?
私が(勝手に)考えた「理想の聞き」は… 例えば
女優の 小林麻美さん。 彼女は著書でアルディさんに対する長年に渡る深い尊敬と愛を語っていますし、 歌手としての実績もあり ジェーンバーキンさんとも交流がおありですしフランスのモードを理解されてますから ファッションのお話しなどもされて素晴らしいトークを引き出せた事でしょう。
また もうおひとり私の考えた「理想の聞き役」はユーミンこと松任谷由実さん。 ユーミンさんは「 私のフランソワーズ」という自作曲を発表されるほどのコアなアルディさん
ファンですし、海外の音楽事情にも詳しく 実績もおありですから もしトークされたら 大盛り上がり間違いはなかった事でしょう。(実はその後 1996年 ユーミンはアルディさんとフラウという雑誌での対談が実現されたそうです。) ブログの1番下にユーミンさんとの対談の内容のリンクをご紹介させて頂きましこのたので ご興味のある方は是非ご覧くださいませ。
もしも イベントのご予算などのご都合なく アルディさんのお話し相手が このお2人だったとしたら より素晴らしいイベントとなりアルディさんも ファンもトークショーを更に楽しめた事でしょう… (勝手な妄想です)
でも これでは トークショーではなく 完全に「対談」になってしまいますね(笑)それにマスコミも来てしまうかなり大規模なイベントになってしまいますね。
活動休止中のアルディさんが 自発的に話されるスタイルでの「プライヴェートトークショー」として企画されたのでしょう。このような素晴らしい機会を作ってくださいました
伊勢丹さんにはとても感謝しております。ありがとうございました。
↓こちらは トークショーの当日配られたリーフレット

※「何人まで 愛せるか。」いかにも1990年代 。
何を意図しているのかはっきりわからない けど 印象に残る短めのキャッチコピーが多い…… そんな時代でした。
アルディさん そんな文言がプライベートトークショーの タイトルに記されているなんてご存知だったのかしら。
なお このイベントについてご記憶がおありの方 是非 コメントなどをお待ちしております。30年以上も昔の事なので記憶が曖昧な部分にご意見などございましたら……
この思い出の続編も書きましたので よかったらご覧くださいませ。
こちらはアルバムMISSLIMでユーミンこと松任谷(荒井)由実さんがアルディに捧げられた名曲
補足※「何人まで愛せるか。」はコピーライター 真木準さんの作品で 1991年当時の伊勢丹百貨店全体広告に使われたコピーだったそうです。媒体の少ない時代 に 記憶に刺さる印象的なコピーは企業のイメージを決める最大の手段だったのですね 。私は アルディさんの為のイメージコピーと勘違いしておりましたが…(笑)
追記 ↓アルディさんについての貴重な記録です。 その1から3まであります。こちらのリンクはその1ですが 下記のブログから全てリンクされています。










