James Setouchi

2025.10.7

 

大江健三郎『さようなら、私の本よ!』

       講談社文庫2009(初出『群像』2005年1,6,8月号)

 

1 大江健三郎 1935(昭和10)~2023(令和5)ノーベル文学賞作家。

 愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。内子高校から松山東高校に転校、伊丹十三と出会う。東大仏文科で渡辺一夫に学ぶ。在学中『死者の奢り』で東大五月祭賞。23歳で『飼育』で芥川賞。『個人的な体験』『ヒロシマ・ノート』(ルポ)『万延元年のフット・ボール』『沖縄ノート』(ルポ)『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』『あいまいな日本の私』(講演集)『取り替え子』『憂い顔の童子』『水死』『晩年様式集』など。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。反核・護憲運動でも知られる。

 

2 『さようなら、私の本よ!』講談社文庫2009(初出『群像』2005年1,6,8月号)

 長江古義人を主人公とする作品群の一つ。『取り替え子(チェンジリング)』『憂い顔の童子』に続く「おかしな二人組(スウード・カップル)」三部作の三つ目。但し本作では塙吾良(伊丹十三をモデルとする)ではなく椿繁なる人物(モデル不明)が出てくる。

 主な舞台は9.11テロ(2001年)よりあとの東京の成城、北軽井沢、志賀高原。それに長江古義人や塙吾良や椿繁の過去と関わる四国の谷間の村(モデルは愛媛県の大瀬村)や松山が出てくる。

 ネタバレだが、題名の『さようなら、私の本よ!』とはどういう意味か。最初は大量の蔵書を終活の一貫で廃棄する話かと思った。あるいは、例によって「もう執筆をやめる」という意味かと思った。だが、最後まで読んではっきりした。自分はもう高齢になって死が近い。自分は自分が書いた多くの著作を残して死んでいくだろう、「さようなら、私の本よ!」。そういう意味だと分かった。大江はもうすぐ死ぬ。だが作品と思想は残り、後に続く人が出る。その期待を込めている。

 9.11テロ(2001年)やドストエフスキー『悪霊』『白痴』や三島事件(三島由紀夫の市ヶ谷でのテロ決行。1970年)を踏まえた作品。巨大な暴力である世界各国の軍隊(その代表は米軍)や核兵器に対してどう対抗するか? 小さな単位で組織的またはゲリラ的に対抗暴力を実行するとどうなるか? を問うている。エリオットも繰り返し出てくる。おなじみの長江古義人の家族(アカリさんをはじめとする)も出てくる。

 

 

3 登場人物

長江古義人:老作家。国際的な賞を受賞。東京の成城に在住。北軽井沢に別荘。四国の谷間の村の出身。コギー。なお、古義人という名前は、「コギト・エルゴ・スム」と、もう一つ伊藤仁斎の古義学から来ている、とあとから屁理屈をつけた、と本人が言っている。(『大江健三郎 作家自身を語る』新潮文庫(平成25年)302頁)

千樫:古義人の妻。吾良(古義人の友人)の妹。懸命にアカリを育てる。

アカリ:古義人の息子。多動性の自閉症だが音楽の才能がある。

真木:古義人の娘。マーチャン。

吾良:古義人の親友。高校時代古義人に世界文学について開眼させた。俳優、のち映画監督。謎の自死を遂げる。

神戸の祖母:吾良と千樫の母。

梅子:吾良の妻。

アサ:古義人の妹。四国の谷間の村で家を守ってきた。

古義人の父:終戦間際錬成道場を作り青年たちと行動を共にしたが謎の死を遂げた。

古義人の母:谷間の村で古義人を育てた。また帰国した椿繁の世話をした。

椿繁の母:谷間の村の出身。敗戦時上海にいた。椿繁を帰国させたが自分は中国にとどまった。

椿繁:古義人の幼なじみ。上海生まれ、谷間の村育ち。ヒロシマ・東京の大廃墟パノラマに衝撃を受け建築家に。今や国際的に有名な建築家。しばらくアメリカ西海岸で東洋研究所の語学教師をしていた。帰国して古義人と再会、「おかしな二人組」を結成。古義人の北軽井沢の別荘を建築したのも彼。シゲ小父さん。

ウラジーミル:ロシア系の青年。謎の組織「ジュネーヴ」の一員らしい。かつてオウム真理教にロシア製ヘリを売った。

清清:中国人女性。二十代。「ジュネーヴ」の一員か。

ネイオ:三十くらいの女性。父はイスラエル人、母は日本人。椿繁の学生。武とタケチャンを連れてくる。

:若者。タケチャンと二人組を形成。タケチャンより年長。

タケチャン:若者。武よりも背が高い。

羽島猛:自衛隊のもと幹部。

木庭(こば):怪しい人物。「ジュネーブ」の一員か? かつて長江一家を脅かしたことがある。

ミシマ:作家。世界的に有名。かつて仲間(「タテの会」)を連れて自衛隊に乗り込んで演説、割腹自決。長江古義人の批判者。言うまでもなく三島由紀夫がモデルだが、作中ではカタカナで書き、虚構としている。

六隅先生:長江古義人の生涯の師。フランス文学者。渡辺一夫がモデル。

伊澤保:世界的な指揮者。小澤征爾がモデル。

浦さん:ベルリンで託児所を作る。千樫の友人。

ヒロコさん:浦さんの友人。ベルリンで託児所を手伝ってくれた女性。

そのほかにも、次のような人物が言及される。芦原:石原慎太郎がモデル。保守派の作家で政治家。迂藤:江藤淳がモデル。保守派の文系評論家。篁透:武満徹がモデル。世界的な音楽家。織田:小田実がモデル。小田実はベ平連で実際の政治活動に従事。蟹行:開高健がモデル。開高健は大江健三郎とほぼ同時期に若手作家として有名になった。荒博:原広司がモデル。建築家。

 

4 あらすじ

 高名な老作家・長江古義人(コギー)は、ある事件で大けがをしていた。そこに昔なじみで因縁のある椿繁(シゲ)が現われる。繁は過去のいきさつを越え、二人でチームを組もうと提案する。繁は、9.11テロを見て「この崩壊は、世界の大都市のドミノ的な崩壊の始まりだ」と言い、巨大な暴力である各国の軍隊や核兵器に対して一矢報いるべく、東京の高層ビルを次々と爆破する計画を胸に温めてきた。長江古義人はその計画に立ち会い、小説に書いて世界にアピールしてほしい、と。

 繁の連れてきた若者、ウラジーミルと清清は、謎の国際組織「ジュネーヴ」の一員であるようだ。ところが繁の計画は「ジュネーヴ」から時期尚早と却下される。繁は代わりに東京の小さいビルを破壊する提案をするが、ネイオは実行役の武とタケチャンの生命を心配する。古義人は二人の安全のために、北軽井沢の自分の別荘の爆破を提案する。

 計画直前。古義人たちは志賀高原で音楽会に出席している。実行役の武とタケチャンが暴走し、別荘を爆破し、その中でタケチャンが事故で死んでしまう。想定外の事態に古義人たちは慌てるが・・・

 後日談。繁と古義人は四国の谷間の村で語り合う。古義人は様々な新聞を読んでは何かの徴候を読み取ろうとして記事を集めている。古義人は、自分が集めたカタストロフィの「徴候」に対抗してすべてをひっくり返す子供たちが出現してくれることを期待する

 

5 コメント

・文章も小説全体も長々しいし結局ああでもないこうでもないと行ったり来たりしているばかりで、大した事件は起らず、家庭内の会話に終始する場面が多い。しかも大江作品の予備知識があった方がよく、終戦や三島事件など昭和史のトピックスの知識が要る。今の、昭和史を知らず、かつ血湧き肉躍る物語に馴れた若い人は、途中で投げ出してしまうだろう。だが、途中あたりから面白くなり、最後は結構面白い。考えるところがたくさんある。昭和史を知り大江作品を多少でも読んできた読者には、面白いはず。(若者の大江入門書としては勧めないが、何冊か読んだ人にはお勧めできる。)

 

・本作で「ジュネーヴ」という秘密結社=上部組織が語られている。これはドストエフスキー『悪霊』のモデルであるネチャーエフ事件の上部組織「ジュネーヴ」から取っている(176頁)。『悪霊』のピョートル・ヴェルホヴェンスキーは上部組織の指令と称して過酷な命令を仲間たちに出す。本当はそのような上部組織などあるかないかわからないのだが、『悪霊』のピョートルのやることは非常に気持ちが悪い。『さようなら、・・』のウラジーミルはそれに準じた不気味さを持つべきだが、(実際彼はオウム事件にも関わったとあるが、)私にはそれほどの気味の悪さは感じられなかった。大江は年を取って疲れているのかもしれない。謎の中国人、清清は独自の生彩を放っている。ウラジーミルと清清は後年実業家になったと言うが、過激派の若者が大人になって実業家になるのだろうか・・?

 

・本作には、ミシマ事件が出てくる。ミシマは自衛隊の総監室で死んだ。これは実は、彼の希代の才能を惜しんだ人びとが彼を美少年クラブに誘い込み官憲に摘発させることでミシマを政治的運動から救出しようとしたのではないか? その美少年クラブが「タテの会」で、しかし若者たちは暴走して決起しミシマを死なせてしまったのではないか? もしミシマがあのとき死なず深手を負って入院・治療され裁判を受け一〇年の入獄の後右翼革命の伝説的闘士として社会に再登場していたら? いやミシマが死んでも、後に続く者がその志を受け継ぐかもしれない? いや、1970年の10年後=1980年にミシマはなお文化英雄たり得ただろうか? などの仮説と想像が語られる。バブルまではミシマは出てきてもトリックスターの終わっただろう、だがバブル崩壊と「失われた30年」を経て、今(2025年)やウルトラナショナリズムの党が議席を伸ばしているとは・・?

 

・本作では、フリーターが自爆テロを起こす可能性が述べられている(143~145頁)。その後の日本の各種の「拡大自殺」を予言しているとも言える。だが、清清は「そのようなアナーキーな個人のテロに、どんな意味があるのかしら?」と疑問を呈する(146頁)。清清は「ジュネーヴ」の一員のようだが健全な判断力の持ち主に見える。私見だが、自爆テロや「拡大自殺」に追い込まれる若者が出ないように、希望の持てる安心して暮らせる社会にしなければならない。「疎外された」「居場所がない」「自分には生きている価値がない」「死んだ方がまし」と思わせる社会は改めていく必要がある。自己責任主義、勝者総取り主義、成果至上主義などはすべて問題のある思想だ。(これのわからない人は苦労が足りない人か自分勝手なエゴイストだ。)

 

・本作には、繁と古義人のペア以外に、武とタケチャンというペアも出てくる。繁の解説によれば、彼らは「おかしな二人組」とは違う「特別な二人組」だ、二人のどちらかが死んでも、「生き残った方は、死んだ片割れがそれまで自分でしたこと、見たり聞いたりしたこと、読んだことの全部を引き継ぐ。そのようにして死んだ片割れの代りに生き始めることにしよう!」と二人は黙約していた、とネイオは考えている。なるほど。「生者のあらん限り 死者は生きん 死者は生きん」(『日常生活の冒険』)というわけだ。伊丹十三は死んだが大江健三郎は生きて事跡を語り継ぐ。では、大江健三郎が死んだら? それを目撃した読者たちが語り継ぐ、それでいい、「さようなら、私の本よ、私は去るが、本と読者はこの世に残る」ということか。するとこの場合「おかしな二人組」とは作家・大江健三郎と読者、という解釈も可能になるのかしら・・

 

・本作には繁と古義人の出生の秘密も折り込まれている。小学校の時上海から帰国した繁がいきなり古義人に向かい、自分の父親がお前の母親にお前を生ませた、と言い放つ。繁の母親は谷間の村でも格の高い家だったから古義人の母親は熱心に奉仕した。だがあるとき、繁は、自分の母親が体が弱いので、古義人の母親が代理母となって繁を生んだ、と語る。ラスト、二人は古義人の母の墓に詣でた時、繁は「お母さん」と呼びかける。古義人は耳を疑った。大人になってからの繁の発言が正しければ、繁と古義人は同母異父兄弟だったことになる。繁はそれを知っていたから何かと古義人を助けようとしてきた。古義人は知らなかった、というわけだ。

 

・高層ビルに象徴される巨大資本・高度な技術と文明・利権を独占する人びとと、そこからはじかれた無力な何も持たない人びと、の二項対立は、大江は見抜いて書いている。それは資本主義対共産主義と図式ではなく、富を独占する一部の富裕層対そこからはじかれ使い捨てられる大多数の人びと、という形で21世紀の世界を覆っている。では、どうすればいいのか? いい答案が若い人から出て欲しい、とは大江は考えているだろう。

 

(念のため付言。大江を「書斎のコミュニスト」と評した人があるが、「書斎人」はその通りだが、「コミュニスト」とするのは違うと思う。コミュニストというのは(よく知らないが)ざっと言えば、①マルクスくらい読んでいて、②コミューン(共同体)に属し財産を共有し協働する人びとではないか? この点大江は①マルクスを読んでいないか、読んでいてもあまり賛同していないのではないか? ②コミューンに属し財産を共有し協働したりはしていない。彼は書斎人で、かつ私有財産を大事にしている。彼の書くものは値打ちがあるので人類の普遍的な共有財産になるべきもののはずだが、彼はしっかりと著作権を保持し印税収入を手に入れている(と思う。私の知らないところでトルストイのように著作権を手放そうとしたりしたかもしれないが、家族を養うべき立場の人にそんなことは要求できないだろう。)彼をコミュニストだと言ったら、コミュニストが怒るのでは? 彼はリベラリスト、ユマニストではある。

 

結局繁のもくろみはどうなったのか? 繁は、自分の爆破のやりかたはインターネットで流布しているから、後に続く人が出るはずだ、と期待している。

 だが、自爆テロの連鎖は(自爆テロは駄目ですよ、念のため)一時あちこちで起きたが、今や封じ込まれている感もある(町で普通に歩いている人を爆殺するのは絶対駄目ですよ、再度念のため)。

 そもそも、爆破テロで何か建設的なものが生まれるのだろうか? 折角作ったビルを破壊するのはもったいないのでは? かつ暴力の連鎖しか生まないのでは? 異議申し立ては、何か別の方法でなければならないのではなかろうか? だがさらに、その「別の方法」も、世界中で極右独裁的・全体主義的な政権が跋扈するなかで、封じ込まれているように感じる。テロではなく穏健な民主的な方法についても、封じ込まれている(封じ込まれつつある)感がある。

 軍隊や警察が力で押さえ込む以上に、IT技術とマスコミで監視し扇動し世論を左右している感がある。(「つくる会」の教科書をゴリ押しした例を思い出した。今はSNSで大量投稿をしたりする。一体誰がカネを出し誰が実働しているのか?)大変気持ちが悪い。大江健三郎はITに弱くTVも見ないだろうから、この現状までは予見できていないと見るべきか? だが、疎外され抑圧され苦しむ人が多く出ていることについては、さすがに察知している。皆(特に疎外された人)の不満(多くの場合声なき声。声が出せないほどつぶれている。おわかりですか? )をきちんと聞き取り、誰もが不満を持たず幸せに暮らせる社会に変えた方がいい。自爆テロを防止するには、監視カメラや機動隊員の配置(それらは対処療法)だけでは駄目で(しかもそれらをやると監視国家・全体主義国家になり抑圧が強化され却って危険が増大するかも)、誰もが不平不満を持たず安心して喜びを持って毎日自由にのびのびと楽しく暮らしていける社会にすること(根治療法、根本療法)が大切だ。

 

 繁のやり方ではないやり方で、人間を抑圧から解放し自由を獲得するには、どうすればよいのだろうか?

 

 取りあえずここまで。(まだ途中)