James  Setouchi

2025.10.4~10.13

Nスペ「戦国サムライの城2」に関する私の記事(テーマ「歴史関係」)の後半部分を重複掲載+石破さん戦後80年所感などを加筆しました。

 

 Nスペ「戦国サムライの城2」では、家康の名古屋城築城時戦国大名たちが助け合っていた事実があきらかになった、大名たちは各地に城下町と天守をつくり産業経済が発展しその後数百年の日本の社会の基本の姿が出来た、などが語られた。

 それに私は、日本人は戦乱がイヤで平和な江戸時代を自ら作り出した、とコメントをつけた。

 さらに、八神純子の「Mr.ブルー 私の地球」という歌がある、国家同士で戦争をしている場合ではない、お互い地球に住む者として力を合わせようという歌のメッセージに共感する、思えば第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、ルワンダ内戦などなど、悲惨だったが、すべてやめた。戦争をやめることは出来る、と書いた。

 加えて、映画『沈黙の艦隊』について、私が感想を記した。独立国家「やまと」は食糧やエネルギーをどう補給するのか? 食糧もエネルギーもない日本は平和国家でやっていくしかない、これがリアリズムだ、などなど。

 それらへの付記が以下の文章である。長くなったのでここに重複掲載する。

 

*2025.10.4付記 高市さんと高市さんを応援した方へ

 念のため先に申し上げると、私は「支持政党なし」のいわゆる「無党派層」ですが、日本国民で有権者です。一応申し上げておくと、私は先祖代々の日本人です。(それで他国の人を貶(おとし)める気ももちろんありません。皆で仲良くやっていきたいというのが私の願いです。)

 高市さんが自民党総裁になりました。正直、心配で不安です。(ごめんなさい、私は林さんがよかった。官房長官や大臣を何度もされた実力者です。)

 もともと自民党内部の見苦しい派閥争いで石破さんを引きずり降ろした上での総裁選でした。私は昔の派閥争いを思い出してうんざりしていました。高市さんはタカ派と言われていますが、以下のことに気をつけないと、自民党は次の選挙で大敗します。(参政党や保守党の支持者の方もお読み下さい。)

 

①     憲法を変えてはいけません。折角先人たちが平和日本を築いて80年が経ったのに、それを壊してはいけません。戦後戦争をしていないのは日本、北欧諸国、スイス、ブータンなど。値打ちのある国です。そういう国を増やしていきましょう。憲法に軍を明記したら徴兵制になる危険性が増します。戦争に行って殺し合いに参加させられるのは、あなたとあなたの家族です。無責任に戦争を煽(あお)ってはいけません。戦争になるとミサイルやドローン攻撃機が東京や大阪に飛んできます。

 日本は食糧もエネルギーもありません。世界の人びとと仲良くするしか生き延びる道はありません。これ以上軍備にかけるカネはありませんこれがリアルです。上下水道や耕作放棄地や空家や河川(かせん)や山林や道路や電気・電線や鉄道や病院や学校や福祉施設や保育所などなど、種々のインフラに課題が山積みで、その対策に大変なコストがかかります。コメも高く、石油も高く、多くの人が暮らしに困っています。その解決が先です。

 言うまでもなく、核を持ち基地を持てばそこが危険になります。工作員とドローンが狙(ねら)ってきます。核と軍隊があれば安全だと言うのならご自宅にその基地を置かれるつもりがおありですか? そこが攻撃対象になりますよ。怖ろしいことです。戦後80年間平和でやってきた先人の努力を、壊してはいけません。いや、秀吉のときの刀狩り、明治の廃刀令(はいとうれい)、戦後の武装解除も、すべて、日本人自身が「もう戦争はイヤだ」「殺しあいは金輪際(こんりんざい)イヤだ」との強い思いから選び取り参加してきたはずでは? 

 国内に山積する問題(内憂)を、外国勢力が脅威だという問題(外患)にすりかえてはいけません。有権者(国民)は騙されてはいけません。今の憲法の保障する国民の人権や福祉を大事にし一つ一つ実現することをまずやって下さい。

 

②     靖国(やすくに)は恣意的(しいてき)に一部の人しか祭らないおかしな神社です。やや丁寧に言えば、長州を中心とした一部の人が味方と認定した一部の人、御所(ごしょ)に大砲を撃ち込んだ久坂玄瑞(くさかげんずい)を含んで祭っています。朝敵(朝廷の敵。天皇の敵)とみなした西郷隆盛(維新の功業者)や江藤新平(同左)や会津(御所を懸命に守った)の人を排除しています。日本を焼け野原にした責任者の典型とも言えるA級戦犯の軍人たちは祭られています。やはりおかしな神社です。大日本帝国が戦争遂行(すいこう)のため(国民を兵士として死なせるため)に拡充してきた神社です。「平和のための施設」だと誰かが言ったのは無理矢理の抗弁です。(「平和のため」と称して戦争を始めたあの時代を連想させます。)靖国神社は江戸時代まで存在していません。靖国神社は日本人の長い長い伝統には存在しません。縄文(じょうもん)人も弥生(やよい)人も古墳(こふん)時代の仁徳(にんとく)天皇も聖徳太子(しょうとくたいし)も中大兄(なかのおおえの)皇子も持統(じとう)天皇も光源氏(ひかるげんじ)も一遍(いっぺん)上人も北条泰時(やすとき)も後醍醐(ごだいご)天皇も足利義満(よしみつ)も豊臣秀吉も徳川家康も、靖国神社を拝んだことは一切ありません。当時靖国神社そのものが存在していませんでした。靖国神社はもともと幕末維新の大村益次郎(ますじろう)が作ったのです。靖国が「日本の伝統」だ、と言い張ることは出来ません

 敵味方の区別なく鎮魂慰霊する日本人の精神の伝統(敢えてそう言いましょう)、戦争がイヤで刀狩りや廃刀令や戦後の武装解除に進んで応じてきた日本人の平和を愛する精神の伝統について、もう一度学び直してほしいと思います。ヒロシマで「安らかに眠って下さい、過ちは二度と繰り返しませんから」と祈り、オキナワの平和の礎(いしじ)でアメリカ人も日本人もない、戦争で死んだ人は全員悼(いた)む、二度と戦争はしない、と祈るのが、まっとうな祈りです。これが戦後80年の平和を支えてきたのです。(戦前は1868年の明治維新からわずか77年、1945年に大日本帝国は焼け野原になって亡びました。国民が多く死に、家を焼かれ、都市も破壊されました。世界からの信頼も失いました。指導者がミスリードし、国民も間違えたのです。)

 かつ靖国は民間の神社であって、政教分離の原則からも首相が公式参拝すべきではありません。(真言宗の首相が高野山に公式参拝したり、カトリックの首相がカトリック教会に公式参拝したり、神道禊教の首相が神道禊教の神社に公式参拝したりなどしたら、おかしいでしょう?)

 

③     これは長年の課題であって、高市さんだけの問題ではありませんが、一部の人が利権を握り多くの人を踏みにじるのはやめてほしいです。もちろん、一部の弱い人貧しい人困っている人を多数で踏みにじるのもやめてほしいです。誰かの言い方をあえて借りれば、「同じ日本人」なのに(あるいは、同じ日本列島に住む仲間なのに)よく平気でそんなことが出来ますね・・・? それに、あなたの会社は、お客あっての会社です。日本人全体が貧しくなれば、あなたの会社ももうからなくなります。今国籍がなくても現にこの列島に住んでいる人についても同様です。一緒に暮らし働く仲間でしょう? 思えば縄文(じょうもん)人、弥生(やよい)人、古墳(こふん)人と、アジア全体から(東や南の海からも)様々な人が集まってきて今の日本人になったのですから・・・私たちは長所を生かしあい助け合って生きるしか道がないのですよ・・戦前は国内に貧富の差、貧困があり、分断があって、暴力に頼って国内でもテロが続発し対外的にも戦争を繰り返した挙げ句、帝国は滅亡しました。あれを繰り返してはいけません。

 

④     ウソのニュースを流すのもそれを誤魔化すのもやめて欲しいです。新聞報道によれば、「外国人を逮捕しても通訳が間に合わず不起訴にせざるを得ないと聞きます」と高市さんは発言しました。新聞が警察庁に問い合わせたら、通訳を確保できないという理由で「起訴すべき事案を不起訴にした事例は、聞いたことがない」との回答でした。高市氏の事務所に問い合わせたところ、「そういう話が出回るくらい国民に不安が広がっているという意味だ」と答えたとか。これは最初の発言についての言い逃れの誤魔化しに見えます。事実でないことを発言し外国人に対する敵対感情をあおり、誤りを指摘されると謝罪せず誤魔化して言い逃れする、というのは、いけません。(内憂(ないゆう)を外患(がいかん)にすり替えるのは不可!)A政権のときあそこやそこでウソが蔓延(まんえん=よくないものがひろがること)して、真面目な官僚が自死に追い込まれたこともありましたよね!? (ウラ金もT一教会もその現れでしょう。自民党はウラ金やT一教会から離れクリーンな政党に生まれ変わろうとしていたはずですが!?)かつては政治家秘書がよく亡くなりました。怖ろしいことです。ああいうことはやってはいけません。誠実正直である(特に、自己の欲望や偏狭な信念に忠実であるのではなく、真理や他者に対して誠実正直である)とはどういうことか、今一度考えてほしいものです。孔子は「政は正なり」と言いました。為政者がまず自らを正せ、と権力者に迫った言葉です。

 また高市さんは、あやしい人は何でも逮捕してしまえと煽(あお)っているようにも見えます。日本を全体主義の不寛容な国家・社会にしてはいけません。怖ろしいことです。戦前は何でもかんでも非国民だスパイだと人を逮捕・監禁する社会でした。幸徳秋水(こうとくしゅうすい)は冤罪(えんざい=無実の罪)で死刑になり、小林多喜二(こばやしたきじ)は警察に暴行され殺されました。牧口常三郎も獄中で死去しました。今どこかの全体主義国家でそれをやっていますよね。おや、今の日本もSNSでやっていますか? 怖ろしいことです。くわばらくわばら。日本は全体主義国家ではなく自由な国のはずですよね? 思想・信条・言論・信教も自由。移動の自由、居住の自由、職業選択の自由などなど。真理の火と自由の火を絶やしてはいけません。

 

 いかがですか?

 

⑤     高市さんは「働いて働いて・・・」と言われたが過労死した家族を抱える人びとにとっては納得できない言葉です。私もオーバーワークの人生でしたが今はよくなかったと思っています。首相が(高市さんはまだ首相ではありませんが)「働いて働いて・・」と言うと、各大臣・副大臣も猛烈に働くことになります。二宮尊徳は2時間睡眠で頑張ったとされています。本当に2時間睡眠を継続したら身心に不調が生じ政策判断に狂いが生じます。やめてください。大臣や副大臣が猛烈に働くのは(実際石破さんや林さんは猛烈に働いていた)エリートだし俸給も多いのだから仕方がないかも知れませんが、大臣・副大臣が猛烈に働くということは、必然的に、彼らに言われて情報を集めて提供する官僚たちが猛烈に働くことになるということです。官僚が全国にデータ提供を求めると、全国の県庁や市役所の人も多忙化します。公務員だから当然だと言えば言えますが、今現在公務員はすでに多忙でパンクしかけだ、と私は感じています。たとえば災害の時に誰が駆り出されていますか? しかも給料は仕事量の割に高くありません。全国の官僚・公務員の人たちは、高市さんの発言に、「え~、これ以上まだ働けと言うのか?」と感じたのではないでしょうか? 某大学名誉教授(労働法)も「古い日本の価値観を引きずったような発言で、非常に残念だ」「海外ではトランプ大統領でさえ休暇を取っている。時代に逆行した振る舞いにならないよう、政治家として正しいメッセージを発信するべきだ」と指摘しておられます。この点「ライフワークバランスが」と直ちに指摘した石破さんはやはり偉かったと思います。みなさん、おわかりですか?

 それに高市さんが「働いて働いて・・」と言うとき、何のために何をもって「働く」と考えておられるのでしょうか? 

 GDPを稼ぎ出す働き方だけだとしたら、視野が狭いと言わざるを得ません。そもそも人間をGDPや国策のための手段にしてはいけません。人間はそれ自体尊厳ある存在であって、それ自体が目的であるべきで、何か他のもの(GDPや国家など)の手段にしてはならないのです。(最悪の例が特攻です。国民を戦争に勝つための手段として使い捨てました。)この視点は人権・福祉の基本です。カント哲学の入門書を復習なさって下さい。

  「好きで働いているのだからいいじゃないか、これは天職だし」という人もいていいと思いますが、しかし、「私は長時間好きで働いてきた」と豪語するあなた(わたし)に申し上げますが、あなた(わたし)には世話をするべき老親と病弱な配偶者と弟と小さい子がいます。あなた(わたし)が好きな仕事に好きなように打ち込んでいる間、その人たちは放って置かれます。あなた(わたし)は、ケアすべき家族をほったらかして自分の好きな自己実現や金儲けにうつつを抜かしている、エゴイストなのです! そうじゃありませんか?  

 ケアすべき相手との共生は、「ライフワークバランス」というときの「ライフ」に入るのでしょうか、それとも「ワーク」に入るのでしょうか。賃収入0円だから「ワーク」ではないとすると、「ライフ」ですかね。・・この視点を忘れてはいけません。

 それで言うと、現代社会においては、所得0円(報酬0円)で働いている人が沢山います。早い話が家庭内の高齢者(しかも認知症だったり骨が折れていたり)や障がい者の世話は(子育ても)タダで(無報酬で)やっていますよね? 町内会(祭りだけじゃないよ)の世話、民生委員(高齢者が沢山いてお世話が大変。ボランティアです)、PTA役員(大変なのでなり手がいないほどです)、放置竹林(これを世話するのは大変です)や耕作放棄地や空家周辺のケア、山間部の土手や田畑の水路の管理・補修や神社の清掃などなど、地域の住民がタダで(無報酬で)やっています。高市さんは(玉木さんも)(吉村さんや前原さんも)そこまでいつも視野に入っていますか? 

 更に言えば、お坊さんがひたすら坐禅する、広大な寺院の敷地を隅々まで掃除する(作務(さむ)=修行だとされる)、詩人(宮沢賢治のような)や絵描き(ゴッホのような)や音楽家(教会で奉仕しているオルガニストなど)が商業ベースでなくいい作品を創作しても所得は低く世間的にも報われないまま、学者(研究者)が安直で簡単な論文を量産するのではなくコツコツと数十年の努力を経て人類の知的遺産と呼べるような大作をものす(丸山真男『「である」ことと「する」こと』参照)、親鸞聖人が関東から京都への長い長い旅を経てついに『教行信証』を書き上げる、キリストがつねに人びとを癒しつつそれは金銭(対価・成功報酬)を目指したものでは全くなかった、お釈迦様がただひたすら5年間の猛烈な苦行に打ち込み耐え続けた、などなどの場合を想定していますか? 

 ぜひお考え頂きたいものです。

 

 いかがですか?(この項R7.10.6追記)

 

⑥     その後の報道を見ていると、自民党の党役職は、麻生派優遇、総裁選での論功行賞(ろんこうこうしょう)重視で、「第2次麻生内閣」と揶揄(やゆ)されているとか。(厳密にはまだ党要職人事であって内閣人事ではない。高市さんは党総裁であっても日本国総理大臣ではない。)麻生さんは、石破さんが総裁になったときあからさまに不機嫌な顔をしてしばらくひっこんでいました。今回は満顔の笑顔ですね。政治家というのは、国民のために尽力すべきなのに、自分のプライドやメンツや敵愾心(てきがいしん)を優先して動いているとしたら、つまらないことです。(R7.10.7追記)

 

⑦  教育勅語についても一言。

(1)儒学の概念を多用しており、神道・国学の「漢意(からごころ)批判」(=中国人の、不自然な、わざわざことさらに人為的(じんいてきに)に道徳をあげつらう態度を、人間社会の本然に反したものとして批判する)の立場から見れば、「漢意」そのものだ。「日本の伝統」とは言えない

(2)西洋近代の国家主義を真似(まね)て中央集権的な大日本帝国を作る過程で政治的意図で慌(あわ)てて作ったものであって、「日本の伝統」とは言えない。紀貫之(きのつらゆき)や藤原定家(ふじわらていか)や本居宣長(もとおりのりなが)が聞いたら驚くだろう。

(3)天皇中心の勅語(ちょくご)であって、民主社会(国民主権)の教育方針に背(そむ)いている。

(4)日本の国会において日本人自身が排除・失効を決定したものである。

(5)立派な文言を国民に押しつけた割合には、政治家・財閥はじめ明治~昭和のはじめのリーダーたちは自分たちだけで利権を独占し勝手なことをしていた。真に「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵(したが)ヒ」を実行していたリーダーたちがどれほどいたのか? 坂口安吾が「嘘をつけ!嘘をつけ!」と叫んだのは当然だ。今の政治家たちで「憲法を重んじ国法に遵(したが)って」いる人がどれだけいるのか? そういう立派な政治家は本当はいるよ。でもアベさんは憲法(と戦後長年やってきた解釈)を踏みにじった。高市さんはアベ派でしたっけ?

(6)「忠」の意味は? 孔子においては本来「真心を尽くす」というヨコ関係のものだ。教育勅語が「忠孝」と併称するとき、「忠」は主君(ここでは天皇陛下)に忠義を尽す、という意味の、タテ関係の意味ではないか? 孔子が見たら「おかしい、私はそんなことは教えていない」という類いのものだろう。本来の儒学から見てもおかしいのだ。教育勅語を書いた元田永孚(ながざね)は水戸学(みとがく)だ。水戸学(特に後期)が儒学の正統を歪(ゆが)めたのだ。日本の伝統などではない。朱子学が既に儒学の正統から逸脱(いつだつ)している、という立場も有力なのだ。(孔子が朱子学を見たら「私は窮理居敬(きゅうりきょけい)など教えていない」と言う。漢代の儒学から見ても朱子学は「何、それ?」というものだ。唐代でもまだまだ。南宋の新思想であって、朱子生誕の1130年からまだ900年も経っていない。(今は2025年。)つい最近の思潮なのだ。伊藤仁斎の古義学を見よ。朱子学は仏教・老荘思想の影響下にある、と言っている。)高市さんはそれをご存じないか、わざとウソを言っているか、どちらかだ。

 子どもの頃から教育勅語をしこまれてきたそうで、このような指摘を受けると、長年の認識を変えないといけなくなるので、今は辛いかもしれませんが、学問的に正しいことは正しいと受け入れる謙虚さを持たないといけません。上に立つ人ほどそうです。教育勅語にも「学ヲ修メ」とありますよね。真理に対して謙虚に学ぶことがまずは一番大事です。多分この方面の勉強が足りないのでしょう。それとも、少しは知っていてあえてウソを言っているのでしょうか? 政治的意図でもってごり押しするのはアベさんだけでやめてほしいものですね。(10.10追記)孔子曰く、「過(あやま)ちては則(すなは)ち改むるに憚(はばか)る勿(な)かれ」と。(10.12追記)

 

⑧     2025.10.10夕方付記。

 そうこうしていると、公明党が自公連立政権から離脱する、というニュースが飛び込んできた。中継で公明党の斉藤鉄夫代表と西田実仁幹事長の記者会見を今さっき見た。

 公明党は26年間続いた自公連立政権から離脱する、理由は自民党の高市新総裁と協議して「政治と金」の問題に明快な回答が得られなかったからだ、ということだった。

(私は「支持政党なし」の「無党派層」の一人で日本国民の有権者の一人だが、)

 「政治と金」の問題では、恐らく公明党と共産党がもっともクリーンだろう。(もしかしたられいわ新選組も? 企業から貰っている感じがしない。)

 お話しの中で、連立政権では公明党員が自民党候補を応援しないといけないわけだが、自分の公明党ではなく自民党が起こした「政治と金」の問題で公明党の人が一生懸命説明して「自民党に入れて下さい」と言うのに、地方の人たちが「疲れてしまった」と言っておられた。そうだろうなと思う。今まで公明党の人は一生懸命自民党の人を応援してきて、公明党は報われているのかな? とよそながら心配してきたところだ。公明が離脱すれば、今まで公明党の献身的な努力で辛うじて当選してきた自民党、は次の選挙では厳しいだろう。

 思えば公明党が自民党と連立を組む中で、平和や福祉など、自民党の中のいい部分を引き出し、自民党が一般の国民をお留守にして暴走することがないように歯止めになってきた、という面もあるだろう。

 NHKの日曜討論(2025年5月25日)の年金改革の会で、他党は言わない中で公明党(里見隆司氏)だけが「今回は働く方がテーマだったが、障がいや病気で仕事が出来ない方のこともしっかり考える必要がある。3号被保険者についても、やはり最後まで働けない、所得がないという方々の制度は、何らかの形で残す必要が出てくる。そうした論点はしっかり認識する必要がある。また、制度改正とともに運用が非常に重要だ。最近、障がい年金について不支給決定が一昨年から昨年にかけて倍以上、3万人を越えている。どう適正化するか、運用面をしっかり取り組んでいく必要がある」と言われた。このことは強く印象に残っている。全くその通りなのだ。色んな理由で働けない人や、無報酬(タダ)で働いている人(家庭内や地域内で)へのいたわりの思いがそこにはあった。公明党が付いていれば自民党の良質の部分を引き出してくれるし悪い方(極右全体主義の方向)への暴走を止めてくれるという印象もあった。 

 公明党は自公連立でできたこともあったが、できないこと、我慢してきたことも沢山あった、とのことだった。もう我慢の限界だ、ということだろうか? 記者の質問に(西田幹事長だったと思うが)答えて、「これからは立党の精神に立ち返って改革中道の政党としてやる」という一幕もあった。

 「政治の空白をこれ以上長引かせるべきではなく、補正予算の成立など国民のために早くしないといけない」とも斉藤さんは言った。その通りだ。国民の生活を放り出して派閥争いをしている人たちは猛省すべきだ。 

 拝見しながら(念のために言うが私は公明党員でも創価学会員でもないが)、斉藤さんの穏やかなお顔と落ち着いた話しぶりに、大変尊敬と親愛の気持ちを抱いた。記者からの各方面からの質問にも、誠実に傾聴し落ち着いて丁寧にかつ的確に答えておられた。恐らく大変頭のいい方なのだろうが、それを振り回すのでもなく大変謙虚にしておられる。何だか感動してしまった。こういう父親や祖父や先生がいればいいと思った。斉藤さんが首相になってくれればいいと思った。野党のみなさんと自民党の心ある皆さん、斉藤さんに首相になっていただくというのはどうですか? 大臣などスタッフは皆で支えればいい。斉藤さんは国土交通大臣経験者で鉄道にも強い。全国で課題山積である国土交通(特に地方は大変)関係にも力を発揮してくれるだろう。広島が出身・選挙区だから核や平和についても当然しっかりしたお考えを持っておられるはず。信頼できるのではないか? これは私は公明党から頼まれて書いているのではない、記者会見を見ていて素朴にそういう感想を持ったのを、(私は素人ですが)あくまでも私見として書いてみただけです。みなさんはどうお考えになりますか?

 斉藤さんはそうは言われなかったが、高市新総裁のもとでの党人事を見たとき、A生さん中心で、昔のT一教会やウラ金や派閥体質のままの自民党執行部になっているよね、という印象があったので、これではだめだ、という判断がより強くなったのではないか? という気がする。高市さんは公明と石破さんがわるいかのような他責的(たせきてき)な言い方をしておられたが、それは違うのでは? みなさんはどうお考えになりますか?

 

⑨ 同じ日(2025.10.10)石破首相が「戦後80年所感」を発表した。日経新聞のサイト10.10の夕方18:09に全文載っているので御一読下さい。近代日本の歴史を振り返り、石橋湛山(たんざん)、吉野作造(よしのさくぞう)、清沢洌(きよし)、斎藤隆夫といった優れた先達(せんだつ)にも言及しながら、戦前のように軍が暴走しないためには、政府、議会、実力組織(自衛隊のことだろう)、メディアすべてがしっかりとし、戦争を起こさないようにしないといけない、若い世代も含め国民一人ひとりが先の大戦や平和のありようについて能動的に考え将来に生かすことで、平和国家の礎(いしずえ)が一層強化される、などと言っておられた。さすがである。石破さんは(官僚や学者が助力したかどうかは知らないが)やはり勉強してしっかりとしたお考えをお持ちである。とりあえずみなさん、全文を入手してお読みになって下さい。朝日には要旨(ようし)が載っていた。

 「抑止論(よくしろん)を否定する立場には立ち得ません」と言っておられる。「理想を言えば世界中から核兵器はもちろんすべての武器が無くなるのがよい」と私なら言うが、そこまでは言っておられなかった。しかしそれでもなお現状から出発して日本は平和国家・民主主義国家で行くんだ、二度とあんな惨禍(さんか)は繰り返さない、と国民と世界に呼びかけられた、と私は感じた。敬意を表します。(10.11朝付記)10.13の朝日の社説に「日本の加害に直接触れていない、平和国家としての未来像が明確に示されていない」と批判してあった。(一定の肯定的評価もしてあった)。なるほど・・第1点は自民党内部のタカ派の圧力に負けたのでは? 負けなくていいのに。過去は加害だったが、今は明白に平和志向、でいいではないか? 第2点は、平和国家で行くというメッセージを私は受け取ったが? 朝日社説氏は、もっと明確で具体的なビジョンを示して欲しかったのだろうか・・(10.13朝付記)R7.10.15(水)朝日の11面の長谷部恭男、杉田敦、加藤陽子の鼎談(ていだん=三人の対談)が実によかった。さすがだ。(10.16付記)石破首相は、軍産複合体については言及しておられなかった。そこは不足だ。(10.20付記)

 

⑩ 戦後80年間直接的な戦争をしていない国は、北欧(ほくおう)の国々、日本、スイス、ブータン。他にも永世中立国がある。いろんな形で平和主義を国是としている国がある。そういう国を増やしていくことはできる。(10.12朝付記)

 

⑪ NHK日曜討論(R7.10.12)を聞いていてあらためて確認できたことがある。石破首相はアメリカ・韓国・中国の首脳と会談し、アジア・アフリカ諸国(いわゆるグローバル・サウス)とも交わった。わずか1年の間に大事なことをかなりやっておられる。少なくともその土台(布石)は打たれた。あと2~3年任せて貰えたらもっときちんといろんなことが出来ただろう。残念ながら自民党内部の足の引っ張り合いで中途で挫折してしまったが。これからどなたが首相になるか分からないが、うまく戦争を回避し平和な暮らしが続くように外交をやっていきたいものだ。

 

⑫ 石破首相の戦後80年所感を掲載する。首相官邸HPからで著作権は大丈夫とわかった。 https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/1010kaiken.html

 全文原文のままだが、改行・段落一字下げ・一行空きなどがうまくいっていない。見やすくするため小見出しと人名の固有名詞を太字にした。一部読み方や意味を( )で示した。分からない語句は辞書等でお調べ下さい。

 

(内閣総理大臣所感)

(はじめに)

 戦後80年に寄せて

 先の大戦の終結から、80年が経(た)ちました。

 この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

 私は、3月の硫黄島(いおうとう)訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島(ひとう=フィリピン)戦没者の碑(ひ)訪問、6月の沖縄全戦没者追悼(ついとう)式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8 月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻(きざ)むことを誓いました。

 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。

 過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

 国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行(すいこう)の困難さを感じていました。

 政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜(むこ=罪のない)の命を犠牲とする結果となってしまったのか。

 米内光政(よないみつまさ)元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。

 戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います。

(大日本帝国憲法の問題点) 

 まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。

 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権(とうすいけん)は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制(ぶんみんとうせい)」の原則が、制度上存在しなかったのです。

 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班(しゅはん)とされつつも、内閣を統率(とうそつ)するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。

 それでも、日露戦争の頃までは、元老(げんろう)が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介(ばいかい)」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。

 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。

 第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原(しではら)外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制(よくせい)されていました。

 1920 年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身(かたみ)の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています。

 従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼(ほひつ)事項として解釈運用されていました。文民統制(ぶんみんとうせい)の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます。

(政府の問題) 

 しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。

 政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930 年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准(ひじゅん)を巡って、統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。

 しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉(みのべたつきち)の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委(ゆだ)ねるより外(ほか)仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴(こくたいめいちょう)声明(せいめい)を二度にわたって発出(はっしゅつ)し、美濃部の著作は発禁処分となりました。

 このようにして、政府は軍部に対する統制を失っていきます。

(議会の問題) 

 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。

 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱(ぶじょく)するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有(けう=非常に珍しい)な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除(さくじょ)されたままとなっています。

 議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議(しんぎ)においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難(がた)い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が設置され、1942 年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値(あたい)するものではありませんでした。

 戦況(せんきょう)が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益と面子(めんつ)をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。

 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋(こくすい)主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。

 五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害(そがい)したことは言うまでもありません。

(メディアの問題)

 もう一つ、軽視してはならないのはメディアの問題です。

 1920 年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山(いしばしたんざん)は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。

 1929 年の米国の大恐慌を契機(けいき)として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。

 深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚(こうよう)し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭(たいとう)しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。

 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑(げんわく)され、ナショナリズムは更(さら)に高まりました。

 日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌(きよし)は松岡洋右(ようすけ)による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から、言論統制の強化により政策への批判は封(ふう)じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

(情報収集・分析の問題)

 当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月、独ソ不可侵(ふかしん)条約が締結(ていけつ)され、ときの平沼騏一郎(きいちろう)内閣は「欧州(おうしゅう=ヨーロッパ)の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

(今日への教訓)

 戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。

 内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。

 さらに、国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。

 政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦(にが)い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。

 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識(けんしき)を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持(きょうじ)と責任感を持たなければなりません。自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。

 政治には、組織の縦割(たてわ)りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠(かっきょ)、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携(れんけい)を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。

 政治は常に国民全体の利益と福祉(ふくし)を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身(おさみ)軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒(いや)すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿(このえふみまろ)首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路(しんろ)を誤った歴史を繰り返してはなりません。

 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。

国会には、憲法によって与えられた権能(けんのう)を行使(こうし)することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合(げいごう)し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。

 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽(あお)り、国民を無謀(むぼう)な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥(おちい)ってはならず、偏狭(へんきょう)なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。

 安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙(じゅうりん)、自由な言論を脅(おびや)かす差別的言辞(げんじ)は決して容認できません。

 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容(かんよう)さを持った本来のリベラリズム、健全で強靭(きょうじん)な民主主義が何よりも大切です。

 ウィンストン・チャーチルが喝破(かっぱ)したとおり、民主主義は決して完璧(かんぺき)な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過(あやま)ちを犯すものです。

 だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。

 自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行(すいこう)する上での現実です。

 同時に、その国において比類(ひるい)ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得(う)る脆弱(ぜいじゃく)なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディアすべてがこれを常に認識しなければならないのです。

 斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名(びめい)に隠れて国家百年の大計(たいけい)を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。

 翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲(くうしゅう)の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻(はたん)になると述べ、これを否定しました。

 どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務(せきむ)の放棄、精神主義の横行(おうこう)や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は拓(ひら)けません。歴史に学ぶ重要性は、我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。

 戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的(のうどうてき)に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎(いしずえ)が一層強化されていくものと信じます。

 私は、国民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍(さんか)を繰り返すことのないよう、能(あた)う限りの努力をしてまいります。

 

令和7年10月10日

内閣総理大臣

石破 茂

 

*(以下JS)以上です。どうですか? 石破さんを軽々(けいけい)に批判する前に、これを全文読んでみて下さい。私たちがこれほど見識のある素晴らしい首相を戴(いただ)いていたのに、愚かな権力闘争で引きずり降ろしてしまったのがよく分かります。また、これはアジアのみなさんにも読んで頂きたいものですね。私たちが過去の軍国主義と訣別(けつべつ)して平和主義で行こうとしているのがわかってもらえるはずだと思います。                       R7.10.12

 

⑬ そうこうしているうちに、公明党が離脱した高市自民党に、維新の会が急接近という報道が出ている。私はよく分からないのだが、「公明は親中だからダメ」と言っていた「嫌中」派の人は、「親中」と言われる維新についても、「維新は親中だからダメ」と言うのだろうか?                                                                                                           R7.10.16

 

⑭ (維新への疑問)(私は「支持政党なし」ですが)維新のいわゆる「社会保障改革」とは、要するに、みんなで担う社会保障費の積み立てを減らし、高齢者や病気の人が倒れても放っておきます、今の若者の将来も保証しません、金持ちだけが伸び伸び暮らす社会にしよう、公立高校も潰れていい、公立病院も含めて「公立」と名の付くものはどんどんなくそう、ということでしょう? 維新は、年収5億円以上の超富裕層や年収1億円以上の富裕層にガッツリと税金や社会保険料を負担して貰う(累進課税を強化して)、それによって社会正義、社会的公正を実現する、という政策をとれますか? あなたも明日は最弱者ですよね?・・・ところが富裕層は温存というわけですか。・・国民の負担を減らすというのなら、軍事費(防衛費)を減らしたらどうですか? ところがそこは税金を投入して武器を買いたいのですね。自衛隊装備や核基地を吉村さんや前原さんはご自宅に置く覚悟がおありですか? 自分は逃げて一般国民に無理(基地や戦闘)を強いるのは卑怯ですよ。税金を投入して大阪万博なんてやらなくていいお祭り騒ぎ(国民の目をそらす)をやりました。カジノも誘致するのですか・・愚民化政策ですな。残念です。(関連企業はもうけます)。れいわの大石さんが怒るはずです。  

 自助努力至上主義・自己責任主義は誤りです。福沢は「独立自尊」と言ったが、真に自分だけ独立自尊して生活している人なんていない。誰もが互いに依存し関係しあって生きている。社長や資本家は前線で働く人やお客のお蔭で生活できている。外国なら金持ちはすぐ誘拐されたりするが日本ではそうでないのは、穏やかに暮らすことを決意している多くの人のお蔭だ。

 大阪副首都構想は、大阪都構想(住民票で何度も否決されている)の焼き直しでは? 大阪は災害に弱い(海抜以下の土地がかなりある、埋め立て地面や水路が多い、狭いところにごちゃごちゃ人やビルが雑居しすぎている、もう一つ決定的に防衛上深刻な課題があるがここでは言わない→自助努力でなく金持ちや大企業からとった税金を投入してインフラのサポート等をすべきでは?)、大阪で水を使いすぎると上流が枯渇する(逆もある)、副首都と称して官公庁などを移転・建設しようとするとまた税金コストがかかる(関連業者はもうける)、大阪市をなくして特別区にすると何が起きるのか? ・・・私は政治経済の専門家ではないが、もしかして経済特区にして労働者の雇用条件などを緩和して外国人労働者と外国資本を大量に入れようとしているのだとすると、人権侵害などなど色んな問題が起きる恐れがある、などなど・・・?

 大阪関係の有名人は多く、大塩平八郎、緒方洪庵、幣原喜重郎、折口信夫、松下幸之助、高橋和巳、丸山真男(全員読めますか?)のようなエライ方もおられるが、源義家、福沢諭吉、梶井基次郎、川端康成などはちょっと困った面のある人ではあった(その意味はここでは書きません。各自お勉強の上お考えになってみて下さい)。

 どうですか?                       R7.10.17付記

 

⑮ 維新の会の「国会議員定数削減」は一見いい話に見えるが、気をつけないといけない。チームみらいの安野貴博氏があるTV番組で発言しておられた(断片的にしか聞いていない)が、比例区を削減すれば少数政党が不利(消滅する危険も)、既成政党が有利になる、と。その通りだ。その時吉村さんは話を誤魔化した。鋭い指摘だったから逃げた、と感じた。他のコメンテーターもそこを受けて鋭く切り込むことをせず、他の話題に逃がしてしまった。これが民放の(某社だけかもしれないが)ダメなところだ。はじめから高市ポチを決め込んで世論誘導をしようとしているのか? (ストレートに言ってもいいですか? )ああいやだいやだ。例のあの人の時代を思い出す。あの人は言った「悪夢のような・・時代」と。いや、あの人の時代こそ「悪夢のような・・時代」だった。

 

 全国に少しずつ支持者がいるマイノリティのための政党もあるべきだが、それらが皆落選し少数政党が消滅することは、よくない。少数者への差別が加速する。削減するなら、小選挙区を減らすべきだ。小選挙区を統合して県ごとの選挙区(複数当選の中選挙区)にして一県あたりの定数を削減してもよい。比例はブロックをやめて全国区にしてもよい。(無所属の人に不利、政党有利になるだろうか?)

 

 そもそも小選挙区は「歪んだ鏡」で、民意を正確に反映しない。例のあの人の時代は、投票に行かない人・行けなかった人が50%、行った人で与党に入れた人がその半分だから全有権者の25%。それなのに、小選挙区で僅差で当選し続け、当選者の75%が与党議員、死に票(野党に入れたのに議員数に反映されない)が多すぎるということが、安倍政権時代の選挙だった。 民意(投票者の各党別%)と各党当選者が比較的正比例したのは、比例代表制だ。これらはデータではっきり出ている。

 小選挙区で民意を反映せず安定多数になった与党が、慢心して何でも閣議決定で(国会審議を経ずに)横暴をした挙げ句に、裏金やT一教会や森友問題もみ消しやら集団的自衛権やら米国製の武器を向こうの言い値で高く買わされるやら気に入らない官僚のトップをどんどん更迭するやら学術会議の警醒の士を排除するやらの大問題が横行したはずだ。それで国民の多数の不満がたまって爆発しつつあるのが最近の選挙だ。(石破さんのせいにしたがる人がいるが、誤りだ。真犯人は上記のごとしだ。)比例代表のところで定数削減するのはダメだ。小選挙区のところで定数削減するのなら可。だが、議員にとっては死活問題なので、大騒ぎになるだろうね。で、結局比例を減らそう、とごり押ししてしまう危険性がある。有権者はだまされてはいけない県別の中選挙区にして、1県1人区かける4で4人を、1県3人区かける1で3人、にしてはどうですか? でもそれもやらないだろうね。野田さん(立憲)曰く、「維新はだまされます」と・・・! 私のようなシニアから見ると維新でTVに出てくる人は皆若く男前で、しかしもしかしたら老獪(ろうかいな)連中に手玉に取られるのではないか? と。ううむ・・

 

 維新としては、維新を批判するれいわ(大阪市役所の事情に詳しい大石さんら)を落としたいから比例を削減する、と持っていきたいのだろうか。高市自民も社民や共産を落としたいからそうしたいのだろうか。実にケシカラン。首相の座を党利党略で政争の具にしている。(石破おろしの時からそうだが。)

 

 そうしておいて憲法改正に持っていきたいのか。実に短慮で、目先のことしか見えていない政治家のやることだ。平和日本の看板を降ろしてまた戦争をして日本を焼け野原にしたいのか。政治家はもっと長期を見通す眼(大局観)が必要だ。国民もマスコミもものを見通す力が必要だ。日本は食糧もエネルギーも自給率が極めて低く、戦争になるとたちまち日本国民は飢えてエネルギーもなく夏は冷房もなく(熱中症死)冬は暖房もなく(凍死)物資も窮乏し物価高に苦しみコンビニやスーパーからモノが消えていやコンビニやスーパー自体が消滅し会社も潰れ給料は支払われず・・となることをお忘れなく。 

 

 公明党は自民党に対し政治資金問題(企業・団体からの献金)を突きつけたが、維新はその要求を降ろしたのだろうか? それも気になる。

 斉藤さんも指摘しておられる。政治資金問題をうやむやにしてはいけない。

                               R7.10.20追記

(とりあえずここまで。)