James Setouchi
2025.9.17
NHK『知恵泉』「村上海賊 信長に勝つ」R7.9.16火曜 午後10時から10時44分
(内容のポイント)(是非御覧下さい)
・戦国時代、芸予諸島(広島と愛媛の間)に村上海賊がいた。因島(いんのしま)村上、能島(のしま)村上、来島(くるしま)村上の三氏がいた。(「水軍」は明治以降の言い方。)
・海賊であって、通行料金を取って水先案内をする。払わない相手は「ボコボコにする」
・が、海運、漁業、製塩なども行う言わば総合商社のような存在だった。(出演の清水克行氏談)
・毛利と大内、大友と毛利の対立時、能島村上の村上武吉は巧みにどっちつかず・独立の態度を取った。強国同士が対立していた方が自分たちの利権を守れると考えていたようだ。
・足利義輝(13代将軍)が尼子と毛利の戦いを止めさせよと村上に直接手紙を出したほど、その実力は知られていた。
・信長対本能寺・毛利グループの戦いの時は、毛利について、木津川口(淀川の河口)の戦いで信長軍を破った。
・強さの秘訣は、海流を熟知して操船に巧みだったことに加え、射手(いて)船、焙烙(ほうらく)船(焙烙とは球状の手投げ弾のようなもの。映像では小玉のメロンくらいにしてあった)、武者船という三種類の船を機能的に繰り出して相手を攻撃した。
・戦闘の前には「人の和」を大事にすべく宴会(酒盛り)や連歌の会(神に奉納する)を行った。連歌は人間がヨコにつながるしかけで、中世的な営み。近世にはタテの命令系統を重視した。トップ同士が茶室で密談した。(清水克行氏談)
・秀吉の刀狩りと海賊禁止令で打撃を受けた。秀吉は暴力が普通に存在している中世社会と決別しようとした。
・江戸時代も朝鮮通信使の先乗り(水先案内か)に村上氏が貢献していたと絵図で分かる。
(感想)
・超大国がせめぎ合う状況下で、つかず離れず独立の立場を保つといいかもしれない、というヒントを示唆してもいたが、それも難しいということでもある。・・・幕末維新で長岡は中立しようとしたが結局戦争になった。会津は戦って破壊された。江戸城は戦わず開城して江戸の民を守った(彰義隊は戦った)。パリはナチスに対して降伏してパリの町を守った。ハワイはアメリカの50番目の州になった。日本は沖縄で悲惨だったが本州などでは決戦を避けた。秦を攻めるとき項羽は力攻めで時間がかかったが劉邦は巧みに相手に開城させたと言う。・・・むむむ・・・でも、現代にも中立を宣言している国ってあるよね・・
・「人の和」はいいのだが、私見では、調和と同調とは違う。異質なものを異質なまま共存させ調和させるのならよいが同調圧力をかけ同質化させるのはよくない。「大和」の名で同調圧力をかけたときもあったよね。孔子は言った「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と。リーダー論として読めば、いいリーダーは異質な存在同士を異質なまま(各自の独自性・個性を大事にしたまま)、共存・調和させる、同調圧力をかけたりしない、の意味になる。
・戦争のための「和」とは? 味方だけの「和」だ。敵を想定してオキシトシンをどんどん出して「オレタチ・ヤツラ」で味方だけで熱狂して敵を攻撃するのだ。ああ、あの辺で今やっていることだ・・今すぐやめればいいのに。
・国内に暴力が蔓延した中世~戦国時代は、本当に危険でつまらない時代だった。それがいやで人びとは進んで刀狩り(武装解除)に協力したとか。その後徳川の平和が200年以上続くことに。秀吉や徳川に滅ぼされた側から見れば「いやだ!」となるのだろうが、戦乱を終わらせたのはよかった。但し平和的な手段で終わらせていればもっとよかった。では、現代ではどうのように?
・今の日本では文京区と台東区が戦争をしたりしない。東京都と千葉県も戦争をしたりしない。日々仲良く交流して生活しているからだ。問題があれば話し合いで解決する仕組みもある。シニカルに考える人は(昔そういう政治学者がいた)警察や軍隊など上位の権力(これを政治学者の用語で「暴力装置」と言うらしい。かつて自衛隊を「暴力装置」とは何事か、ともめた人がいたが、だからダメという話ではなく、これは純粋に政治学上の用語だったはずだ。)があるから揉め事が抑止されているだけだ、と考えるかも知れない。それも一理あるが、いかに上位の権力があっても、それが相対化される(公家に対する武家政権や、南北朝など)、下克上でひっくり返る(まさに戦国時代など)ということはある。ゆえに、日頃から交流して仲良くするのが一番、もめごとがあれば話し合いで解決できるように仕組みを作っておくのが二番、と私は考える。宮沢賢治は「北にケンカや訴訟があればつまらないからやめろと言い」(原文は漢字とカタカナ)と言った。ケンカをやめるのはよくわかるが訴訟をやめるとは? 子どもの頃から疑問だった。訴訟にする必要もないほどに仲良くしていこうよという意味だろうか。
(参考)
和田竜『村上海賊の娘』(小説)は売れたが、エンタメ。怪力の敵の投げた巨大な銛で村上水軍の兵士が一度に5人串刺しで死ぬなどと書いてあり、私はうれしくなかった。
城山三郎『秀吉と武吉』(小説)は木津川の合戦で終わらず、村上武吉が秀吉に敗れ憂き目を見たがやがて関ヶ原で活躍する、というところまで書いていて、面白かった。しかし戦乱ではある・・
今村翔吾『海を破る者』(小説)は元寇時の河野水軍を扱う。河野水軍は室町時代の守護大名となった。小説には高麗人男性やウクライナ女性も出てくる。一遍上人や竹崎季長も出てくる。有名な「河野の後ろ陣地」は戦いのためではなく和平を語りかけるためだった、というアイデアが面白い。
栗原康『サボる哲学』にはカリブ海の海賊の話が出てくる。面白い。