James Setouchi
2025.10.15
10月の視角
10月10日 体育の日(2020年からスポーツの日)
昔は10月10日に固定だった。今は連休の関係で移動する。
10月10日は1964年の東京オリンピックの開会式の日。これを体育の日とした。1964年の東京オリンピックは秋実施。2021年の五輪は夏実施で、大変暑かった。選手も審判も運営係も観客も熱中症になりそうだった。なぜ8月に? アメリカで放送してもらう(放映権料が五輪委員会に入る)には、アメリカでのアメリカン・フットボールやバスケットボールなどなどのシーズンを避ける。そのためには8月しかないということだ。しかも日本時間で午前に決勝をするとアメリカのTV視聴者にとってゴールデンタイムだという。選手の健康のためには午前に過酷な競技をしないほうがいいのだがな・・と私は思う。アメリカのTV局、五輪委員会、お金の関係で日程や時間帯が決まる。「オリンピックも金次第」の一例だ。1964年のときはどうだったのかな?
「体育の日」を「スポーツの日」と名称変更した。「スポーツにしたしみ、健康な心身を培う」から、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」に変わった、とPrecious.Jpの「今日は何の日?」のサイトに書いてある。「体育」と言うとどうしても学校の「知育、徳育、体育」とか体育の授業の印象がある。体育の先生といえば(いい先生もおられるが)体が大きく顔が怖く声も大きく何かと全体主義的にどやしつけたりする印象で、あまりうれしくない。角刈りで人間最終兵器(凶器?)のような感じで竹刀を持って歩き回っているとか? 最近はそうでもないかな? 善良でいい体育の先生もおられるのだが・・!
やはり「体育の日」では印象が悪い。「スポーツの日」だと、生涯スポーツで、老若男女が出来る範囲でスポーツを楽しみ、相手を尊重し(勝ったときに相手を馬鹿にしたりしない! 相手してくれるチームがないとゲームは成り立たない。相手してくれただけでも感謝だ)、高齢化社会・医療費増大の時代にあって、少しでも健康に活力を持って暮らしたいよね、という印象にはなる。いや、スポーツと言えば五輪に大リーグ、「勝ってナンボ、やる以上は勝たねばならぬ」と言い始めると、また、例の、勝利至上主義がムクムクと顔をもたげて、弊害が大きくなる。そんなの、参加したくない! スポーツをやりさえすればみんなが付いてくると思ったら大間違いだよ。私のような、生来鈍(どん)でスポーツ嫌いのインドア派も世の中には一定以上いる。かけっこをしてはつねにしんがり(最後尾)を務めさせていただき、あるいはゴボウ抜かれによって他のチームの選手に快感と生きがいを与え、球技をしてはそこにいて右往左往するだけ、「何やってるんだ!」とか言われても、何をやっているかなんて、わかるもんか。出ろと言われて出ているだけなんだから。棒奪いや騎馬戦は絶対出たくない、何しろ平和主義者ですから。自分より弱い奴を見つけて襲いかかるなんて、卑怯者のすることだ。男らしくない。武士道に反する。(武士道って何だ?)またある時は、いやな駅伝に出さされてへとへとになってうんざりなのに閉会式で「ジャージで走るとはけしからん(ユニフォームで走るべきだ)」と陸連の大会長が言ったが、二度と出てやるものか。陸上なんか大嫌いだ。参加費を出していやいや走らされた上にまだお金を出してユニフォームも作ってこいと? そんなお金と時間があれば家で本を読んで勉強したいですよ。そう言えば陸上の先生が「正座は日本人の伝統だ!!」と怒鳴っていた。本当はそうじゃない。光源氏は正座なんかしていない。正座がいつからの風習か、ご存じないのだろう。知らない間に彼は大日本帝国の戦時体制の思想に組み込まれ、それをこの平和ニッポンで再生産していたのだ。憲法違反・教育基本法違反ではないか!? 彼はむしろ日本の本来の伝統を踏みにじる輩(やから)だ。私はそう感じたがあえて申し上げなかった。言ったらますます怒り狂って、被害を受けるのはこちらだからだ。やれやれ・・・(陸上の先生でいい人も少しはおられたが。)私のような原体験を持つ人間には、「スポーツだから善だ、みんなが楽しめる、みんなで参加しよう」という意見には、何のリアリティもないのだ。聞くところによれば、神戸の大震災の後、がれきの中で、絶望しがちな日常の中、子供たちが与えられたサッカーボールで遊んで気晴らしをしたと言う。それならいい。それが本来のスポーツ(気晴らし)だ。南アフリカのストリート・チルドレンのストリート・サッカーもそう。私のそばには心あるいいスポーツマンもおられる。だが、「スポーツ」以外でスポーツ嫌いの人も含めて楽しめることって、何がありますか? カラオケ大会はどうですか? 大江健三郎は谷間の村でみんなで芝居(劇)をやる話を書いていますね。みんなで掃除っていうのもアリかな? 考えてみましょう。 →私のブログ テーマ「スポーツ」も参照。
運動会
昔は学校の運動会は10月10日(体育の日。晴れの特異日)にやるものだった。受験や就職の準備があるのでだんだん早くなり、9月上旬になった。夏が暑いのでそれもやめて今では5月にするところが多くなった(統計をとったわけではない。あくまでも印象)。大阪あたりでは三十年以上前から(今年は2025年)5月に運動会をしていたと聞いている。
運動会は運動競技だけすればいいのではなく、やり方にもよるが、グループをつくってクラス・学年を越えた交流をする(クラスや部活動以外に居場所が出来る)、高3や中3がリーダーになって自主的に活動する(責任も取る)練習をする、巨大な絵を描いたり踊りを踊ったりする(芸術の要素がある)、家の人や近所の人を招いて交流する(最近は不審者対策で外部の人を入れないが)(運動会当日は家族で弁当を囲んで幸せ、と言う人がいるが、家族が来られない人や弁当を比べられたくない人もいるんだよ)、もちろん厳しい入場行進「オイチ、ニ、オイチ、ニ、かしらーッ、右ッ!」などで軍国主義の練習をする(そうでないとは言わせないぞ)、団体競技で昔上半身裸の「エッサッサ」(日体大のアレ)をやらされたが他にも組体操(実は戦場でフェンスを越える練習。人民解放軍が練習しているよ)の類いや対抗戦で勝ちに行くのも軍国主義・競争主義に耐えうる「人材」を養成するためだ、などなどの要素がある。ものすごく盛大にやる学校(知らない人が見るとびっくり! 「青春の無駄づかいだ」と批判されたこともある)もあれば、ゆる~くミニマムで終える学校もある。(最近は半日開催も)。
4グループ対抗リレーに出てゴボウ抜かれをした経験は上にも書いた。グループ長が他の3チームをゴボウ抜きしたらそのグループの子が狂喜乱舞して喜ぶがそれは全校の4分の1の生徒に過ぎない。対して私が他の3チームの選手にゴボウ抜かれしたら、全校の4分の3の生徒が狂喜乱舞して喜ぶ。全校の75%の子を楽しませたのだから、運動会を盛り上げた立役者の一人として表彰して貰ってもいいくらいだが、表彰して貰ったことは小学校以来一度もない。いや、あのときは見ているみんなが私のことを気の毒がってシーンとしていたかも。それくらいの思いやりはある「できた」級友たちではあった。いや、本当は、私は走るだけで必死で、周りがどうだったかなんて、それどころではなかったかも。私はもう年を取ったからどうでもいいが、子ども心に自分はダメ人間だと思い込み何かと消極的になるきっかけの一つだったかも。・・・「スポーツ・運動会を通じて活力を」!?
運動会は日本独自のイベントだ。ホグワーツにはない。明治以降に政府の方針で広がった。軍国主義のためだ。だが自由民権派が「政権争奪棒奪い」「民権仮装行列」などを行った。盆踊りのような近郷近在の庶民の楽しみの面もある。(玉木正之『スポーツとは何か』参照。)最近カンボジアで九州産業大の関係者が学校と地域をつなぐイベントとして試行してみたという記事を読んだ(R7.10.13月、朝日)。
公民館主催の地域の運動会は当地では6月にやる。ケガのないように祈るばかりだ。「住民たちが協働するなかで顔見知りになり孤立・孤独を防ぎ災害時にも助け合えるようになるための一つのきっかけとして、運動会や秋祭りは有効だ」という意見もある。だが、運動会や秋祭りの嫌いな人はどうしたらいい? 運動会って好きな人だけじゃないんだよね。大切なのは、そういうところへ顔を出しにくい人のケアとサポート。そもそも町内会に帰属していないアパートの住民も沢山いる。(しかも障がい者・高齢者で生活保護を受けていたりする。)どうすればいいですか? 民生委員におしつけて終わり、でいいのでしょうか? 高市さんや玉木さんならどうしますか? 石破さんや公明党にはいつもそういう人へのあたたかいまなざしがありましたよ(私見)。
あとひとつ。運動会のかけっこの時や集合の時にアメリカの海軍(ネイビー)の行進曲が大音量で流れたりしていたが、あれは何でだったのだろう? 今はどうなっているのだろう?
秋祭り
神社によって日程が違うが、秋祭り(秋季例大祭)というのが全国で行われる。
秋のお米の収穫を祝い神に感謝する、というのはよくわかる。だが最近は農民(お百姓)はほとんどいない。都市在住の、第2、3次産業従事者が秋祭りをやっている。都会型のイベントになってきている? ジャス・フェスティバルとの違いは?
なお、宮中の新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)=五穀の収穫を祝う=は11月23日(勤労感謝の日)。(天皇即位初年には大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり)。折口信夫『大嘗祭の本義』が参考になるかも。
地域の善男善女がニコニコしながら集い、心温まるお祭りをする、大変いいことじゃないか、と言えば言える。だが、ちょっと待って下さい。
地域の人がつながれるいい機会だ、と安直に言う人があるが、祭りの嫌いな人もある。キリスト教徒やイスラム教徒や熱心な仏教徒もある。神社神道には死の穢れを忌み嫌う風習があり、葬式を出した家の人は参加してはならないとか言う。(すべての神社でそう言っているかどうかは知らない。)神社神道はしばしば血筋で貴賤を言う。本来の仏教やキリスト教ではそんなことは言わない。神社神道の秋祭り=絶対善、でもない。秋祭りに参加しない・したくない人も含めて皆が楽しく参加できるイベントとは? (運動会の項の問題意識と同じ。)
それに! (運動会の場合もそうだが)しばしば事後に酒宴が始まる。私やイスラム教徒は酒を飲まない。インドネシアの若者と交流するには、酒宴があってはならない。「飲みニュケーション」が絶対、ではない。むしろ弊害だ。豚肉も不可。
どこかの祭りでは、神輿のぶつけ合いで集団暴行事件が起きた(翌年は参加禁止)。神輿の練り合わせで集団のケンカになった。昔の暴走族じゃあるまいし。女子高校生が一升瓶を抱いて田んぼで寝ていた。祭りの後に産婦人科が繁盛する(何でですか?)。頭をはさまれて死亡した例がある(これは最悪だ)。(愛媛県新居浜では巨大な太鼓台に頭や体をはさまれて2024年、2025年と死亡事故が起きている。大変つらいことだ。3トンの太鼓台の上に6人くらいですか、人が乗って大変重いのを、人間が担ぎ上げている。それが53台もあるとか。人口減なのに、無理をしてはいませんか?)(新居浜ではまた、A地区の静止している太鼓台に、B地区の太鼓台が1時間にわたり何十回もぶつけ続け、A地区の太鼓台が損傷したとか。平和運行のルールを破って危険行為をしたので、器物損壊はじめ刑法上の罪に問われ、また民法上の損害賠償にもなるのではないか? なんでそんなことをしたのだろう? 妙な話だ。)みこしのかざりが赤ちゃんの頭部に落下して重傷(怖ろしい!)。あちこちで、巨大な山車や神輿が倒壊して下敷きになって大けが。・・全国で起きているが、決してあってはならないことだ。祭りが終わってみれば(チームとしてはちゃんと片付け・清掃もしているが)やっぱりタバコの吸い殻や焼き鳥の串や場合によってはゲロが散乱していたりする・・誰が片付けるのか? 神様がそんなことを喜ばれるとでも? おかしな話だ。
どこかの高校では祭り明けの朝会で酒臭くないかチェックするとか。みなさん、未成年は禁酒してはいけません。(実は酒は百薬の長ではありません。体に悪いものです。まして依存症・中毒になると悲惨です。若い頃から飲酒した人ほどあとで脳にダメージが来るとか。)
かき夫は白系統の清浄な衣を着て欲しいが、ヤクザ屋さん顔負けの派手派手しい法被(ハッピ)の類いを着て頭は金髪のツーブロックで参加している。まじめな小中学生にあれの真似をさせたいのか? ヤンキー主体の祭りをするのなら、真面目で大人しい人はどこへ行けばよいのか? もしかしたら騒ぎたいから騒いでいるだけなのか? 年間ずっと禁欲的な生活をし秋祭りの時だけはじけているのか? いやいや、年中お祭り騒ぎをしているだろう? 万博に五輪に甲子園に大リーグにサッカーにライブにダンパですか?・・・・年中騒いでいる。アドレナリンが出過ぎているのでは? パーティーがしたいだけでは? 本当に神様を敬虔(けいけん)な心で信じているのか? 酒食を禁じ物忌み(ものいみ)・精進潔斎(しょうじんけっさい)をした上で、神に敬虔(けいけん)に頭を垂れて感謝の心で参加しているのか? そもそも、神様はそんな、事故や乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)でもって地元住民が死傷するのを喜びたまうのか? そんはなずはないだろう・・
「昔からケンカはしておったものじゃ」と町のお爺さんが言ったとしよう。だが、待て、お爺さん。「昔」から本当にやっていたかな? お爺さんが小さいころに見たそれが例外であって、本当の「昔」にはそんなものはなかったのでは? 柳田国男『日本の祭』に何と書いてあるかな? そもそも、この祭りは、いつからあるのか? 神社神道はいつからあるのか? 神輿や山車の類いはいつから? 山車(だんじり)のある地域(京都、飛騨髙山、岸和田、西条=秋川雅文さんの=など)と、ない地域があるのはなぜ?
歴史の専門家は史料を重視する。秋川さん(有名なクラシック歌手。同時にお祭り男)も参加する愛媛県西条の祭りだが、江戸時代のだんじりの絵馬があるという。江戸くらいになると社会が安定してだんじりを作って運行する、ということができたかもしれない。南北朝や戦国時代には、無理だろう、と直感的には感じる。大和朝廷の時期や平安時代にあったか? 平安期は荘園ごとに分断されていたからどうかな? 卑弥呼の時代には? 縄文時代や弥生時代には? ・・すると、「この(ような)祭りは昔からあった」というのは極めて怪しい、ということになる。
神社神道はいつから? 「仏教が外来で神道が土着」というのは、明治初年の廃仏毀釈と国家神道が作ったウソだ、というのは今日明らかになっている。(あれは古来の神仏習合を含む伝統文化に対する破壊だった。)古代に仏教という高度な外来宗教(大寺院や僧の官職制度がある)が入ってきて、それに触発されて、大神宮や神職のヒエラルヒーができた。神道は仏教と共にあった。仏教「公伝」は6世紀ということになっているが、仏教が北九州に「私伝」したのはそれより数世紀前だろう。神社を作った神社神道はそれよりはあと、と私は理解している。『古事記』『日本書紀』(当時の支配者の支配を正統化・正当化するために作った)に書いてあることが正しいわけでもない。
では、それ以前は? 神社神道ではない何か、があったのだろうか。
私は多少以上の関心があるが、よく知らない。鳥居はいつからか。神様に固有名詞がつくようになったのはいつからか。高山や巨岩や暴風雨や雷、また太陽や月光、大海原など大自然そのものに対して畏怖、脅威、恩恵を感じ憧憬し神的存在として尊崇する、あるいはその背後にある神威を崇敬する気持ち、というのはよくわかる。だがそれは日本だけでなく世界中であるだろう。神霊と交信するのも世界中である。これらを「日本独自の自然神道」ということはできない。
タマフリとは何か? お賽銭や鈴はなぜあるのか? 天武天皇の時の招魂(ミタマフリ)とは? 御幣(ごへい)とは? 神様の乗っておられる神輿を揺らしてはいけないのでは? などなど。気になることばかりだ。 →私のブログ テーマ「日本思想」「歴史関係」も参照。
10月13日 日蓮忌
本当は旧暦10月13日だが、今は新暦で行う。池上本門寺でも盛ん。
御命講や 油のやうな 酒五升 松尾芭蕉 元禄頃には盛大な行事だった。
菊鶏頭 切り尽しけり 御命講 松尾芭蕉
なんといふ暗さ 万燈顧る 橋本多佳子 橋本は山口誓子に学んだ。
日本には偉大なお坊さんが沢山おられるが、日蓮聖人もそのひとりだ。『立正安国論』ほか。内村鑑三は『代表的日本人』の5人目に日蓮を挙げている。
なお日蓮大聖人は激しい布教のイメージがあるので一見過激な印象があるが、非常に優しい方だったと言う。元寇を予言したが、その際も仏教徒だから武器は取らない(当たり前だ)。
10月14日 鉄道の日
明治5年10月14日に新橋~横浜間で最初の路線が開通した。当時は東京駅はなかった。明治時代の小説を読んでいると「新橋駅から鉄道に乗って云々」とよく出てくる。鉄道は西洋からきて、都会の文物を地方に運んだ。漱石が『草枕』に書いている。西洋の文明が地方に入るとその土地の伝来の社会や価値観が破壊される。明治の文明開化・殖産興業は貧富の差も生んだ。漱石は鉄道が嫌いだったかも。ロンドンの地下鉄が苦手。鉄道線路で自殺する人もある。(『三四郎』に書き込んでいる。)だが坊っちゃんは東京で街鉄の技手になる。江戸以来の価値観が破壊され近代化・西洋化した東京の文明に不満を持ちつつ、致し方なく街鉄に勤めたのか。(漱石が一時致し方なく東京帝国大学の教師をしたように。)
今は自動車の時代になり、鉄道ファンの人で「ローカル線や昔のレトロな機関車や駅が好き」などという人もいる。ローカル線は維持が難しくなっている。が、生活している人のためには、何か交通手段がいる。代替でバスを走らせますか? 過疎地の票は実数が少ないから地方の生活者の苦しみは無視しますか? 高市さんと玉木さんに聞いてみたい。
世界に比べ、日本の鉄道は、時刻通りに運行し、非常に安全で清潔で快適だ、としばしば言われる。それを日夜支えている人たちが沢山いる。
池澤夏樹『キップをなくして』は子ども向けだが大人が読んでもいい、実にいい小説だ。池澤氏は鉄道・乗り物が好きで、瀬戸大橋開通直前の時代を舞台にこれを書いた。
慶応3年10月14日(新暦)(旧暦は9月17日)正岡子規の誕生日
子規については、当ブログ「9月の視角」の「9月19日 へちま忌」参照。正岡子規は①俳句革新②短歌革新もしたが③写生文の創出も数えたい、と誰かが言っていた。私見だが、観察眼に優れ、写生画もうまかった。もし長生きしていたら戦記文学を書いていただろう。桜井忠温『肉弾』や水野広徳『此一戦』のように。子規がその中で帝国主義を根底から批判するところまで行ったかは疑問だ。そこが漱石や内村鑑三と比べて子規の弱いところだ。俳句や短歌など短詩型文学の限界かも知れない。
10月20日 吉田茂の命日
吉田茂は戦後の大宰相。1967年(昭和42年)没。89才。ご意見もあろうが、多くの人が「吉田茂は偉かった」と言うのではないか、と私は考えている。戦後の平和で経済重視の新しい日本の建設、日本国憲法制定、国際社会復帰と日米安保の(よく言えば)立役者。日本国憲法の制定過程では、1946年11月3日新憲法公布時の首相は吉田茂。1947年5月3日新憲法施行時の首相も吉田茂。1951年9月8日サンフランシスコ講和条約調印(国際社会復帰)の時の首相で全権トップも吉田茂。同時に日米安保を調印した。これは国民に知らせず一人で署名したことは有名だ。
(一説によると、非武装の日本に本来は国連軍を置きたいが、そうはいかないので米軍を置いたとか。楠綾子「吉田茂と日米同盟の形成」(『安保改定50周年セミナー報告書 日米安保条約改定の歴史的意義と日米関係』平成22年6月22日(防衛省防衛研究所H22.12))には「冷戦下で国連が機能しない以上、日本の安全は米国に委ねるしかない。」と吉田は考えた、「米軍への基地提供案と合わせて、日本や朝鮮半島の非武装化をひとつの選択肢として検討していた」などと記してあり、興味深い。)
(1960年の安保改定の岸信介が有名だが、1951年の安保調印は吉田茂なのだ。それは10年間の言わば時限立法のようなものだったので1960年の岸内閣の時に旧条約を改定して新条約としたのだ。1960年の時は安保反対闘争が巻き起こり社会は騒然とした。)
「日米安保のお蔭で戦後日本は平和だった」という立場からすれば、「吉田茂は偉い」となるが、もし「この安保のせいで日本はまた戦争に引きずり込まれた」となるなら、「吉田茂のせいだ、吉田茂はやはり間違っていた」と言われるようになるだろう。吉田茂と南原繁(東大総長)の論争は有名だが、「やはり南原先生が正しかった」ということにもなるだろう。麻生さん(麻生さんは吉田茂の孫)、よろしいですか? 日本国民を不幸にしたら、お祖父さんが激怒しますよ。
10月27日 文字・活字文化の日
「文字・活字文化から国民が離れている、これは日本の危機だ」というわけで、2005年に政府が制定した。4月23日が子ども読書の日で春の読書週間に当たるが、文字・活字文化の日は秋の読書週間に当たる。
イギリスがドイツと戦争をしてロンドンが焼け野原になり、辛うじて勝ったイギリスは立て直しの第一歩として何をしたか? 大英図書館を復興した。ここがイギリスのすごいところだ、と聞いたことがある。なるほど。
「本を焼く者は、やがて人間を焼くようになる」とドイツのハイネは言った。ナチス政権を予言している。
「子供たちが本を読まない社会はいずれ暴力が支配するようになる」と聞いたことも。
ここで「本を読む」というのは、ただ単に自分の欲望や戦略にとって必要な情報を集めるというだけのことではない。自分の世界観を相対化し自分の立ち位置を客観視し自分のあり方を一度カッコにくくって問い直すことを含む。そういう視点を持っている人の方が、寛容で、古い枠組みから自由で、あるべき明日を柔軟に提案し、受け入れることが出来るのでは? 独善的正義に縋って滅んだ国家や民族の例を私たちは沢山知っている。
もちろん語彙力・認識力・思考力・他者とのコミュ力などなども(ざっと言えば)読書によって養われる。友人と関係を取り結ぶとき殴ることしか知らないのではなく、言葉で接することを知っている子どもの方が、他者とコミュニケーションを取りやすい。当たり前だ。但し本の虫と言うほど本の世界に浸りきり他者の心を想像し何かと共感してしまいがちで、自分の主張をごり押しできない、という場合もあるかも。黙っているやつほど色んなことを考えていたりするものなんだよ。この場合「コミュ力」って何だ? ということにもなる。ジャイアンのごり押しが「コミュ力」か? ちょっと違うよね。声の大きいやつがのさばる社会がいい社会、というわけでもないんだよ。高市さんと玉木さんにそれがわかるかな?
10月31日 ハローウィン
キリスト教圏のカトリック教会の万聖節(諸聖人の日)(11月1日)(オール・ハロウズ、ハロウマス)の前夜祭(ハロウ・イヴ)から来たが、本来のキリスト教から見れば異教の習慣だろう。古代ケルト教のサムハイン祭が起源だそうだ(平凡社『世界宗教大辞典』)。各サイトからで恐縮だが、カボチャのちょうちんは「ジャック・オ・ランタン」と言ってケルト系の文化ではないかと言われている。仮装も魔女や幽霊に仮装するのであって、冬の始まりにあたり死者の魂がさまようとするケルト系の民間信仰の名残では? つまりキリスト教がスコットランド、アイルランドに布教される以前からあった民間信仰を、キリスト教が採り入れていったのでは? 日本ではクリスマス、バレンタインデーに続いて商業主義が商売のために利用した。イエスやペテロやパウロがそういう行事をしたとはとても思えない。それでも、これをきっかけとして、聖書を読みキリスト教に触れる人が増えればいいな、と神は忍耐しておられるのだろうか。
アメリカではH君(名古屋出身、16才)という留学生が「トリック、オア、トリート」と言ってある家庭に行ったら不審者と間違われて射殺されるという怖ろしい事件(1992年)が起った。遺族や友人たちはアメリカの銃社会がいけないとして銃をなくそうとする運動を展開した。日本人だから差別されてこんな事件になったんじゃないかという見方もある。アメリカの銃社会は改まっていない。全米ライフル協会は共和党の有力な支持団体だと言う。私たち日本人は進んで刀狩りや廃刀令に応じて武装解除し丸腰の付き合い、国家としても平和主義を選択した(沖縄も武器を持たない平和な島だったと言う)が、アメリカ社会は、各自が武装し自衛するのがあたりまえ、と考えている人もかなりいる。(そうではない人も実はかなりいる。)
日本では仮装(コスプレ)して渋谷の町を歩くというのがあるとき流行しはじめた。変装してまったりと歩いて写真を撮るだけだからいいではないか、日本は世界一平和で安全だし、マナーも守って掃除もしているし、と私は思っていたが、そこで一部の人が暴力化し、またあちこちにゴミやゲロが散乱するなどが起き、規制が強化されてしまった。ブームはわずか数年で去った。一部の心無い人たちのために、残念なことだ。この点「秋祭り」の項も参照。私(こう見えてオイラも一応自称シブヤ系シチー・ボーイなんだぜ?)の愛する渋谷の町は、世界で最も安全で楽しい、誰でも集える町であってほしい。