James Setouchi
2025.11.27
ドストエフスキー『未成年』 新潮文庫
工藤精一郎・訳 上下二巻(昭和44年)
Фёдор Миха́йлович Достое́вский “Подросток”
1 作者ドストエフスキー 1821~1881
19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、’48年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。’61年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の預言書」とまで呼ばれた文学を創造した。 (新潮文庫の作者紹介から。)
2 ドストエフスキー年譜 (NHKブックス 亀山郁夫『ドストエフスキー父殺しの文学』の年表を参考にした。)
1821( 0歳)帝政ロシア時代の地主の家に次男として生まれる。
1834(13歳)モスクワのチェルマーク寄宿学校に学ぶ。
1837(16歳)母マリヤ、結核で死去。ペテルブルグの寄宿学校に学ぶ。
1838(17歳)中央工兵学校に入学。
1839(18歳)父ミハイルが農奴によって殺される。
1843(22歳)工兵学校を卒業、陸軍少尉となる。工兵局に就職。
1844(23歳)工兵局を退職。『貧しき人々』の執筆に専念。
1845(24歳)『貧しき人々』完成、べリンスキーの絶賛をうける。
1847(26歳)ペトラシェフスキーの会に接近。べリンスキーとは不和。
1848 (マルクス「共産党宣言」)
1849(28歳)ペトラシェフスキーの会のメンバーとともに逮捕。死刑宣告ののち恩赦でシベリア流刑。
1853~56 クリミア戦争
1854(33歳)刑期満了。シベリア守備大隊に配属。
1857(36歳)知人イサーエフの未亡人マリヤと結婚。
1859(38歳)ペテルブルグに帰還。
1860(39歳)『死の家の記録』の連載開始。
1861(40歳)農奴解放宣言。だが農奴は土地を離れ貧困化し大都市に流入した。
1864(43歳)『地下室の手記』。妻マリヤ、結核のため死去。
1866(45歳)『罪と罰』連載開始。
1867(46歳)速記者アンナと結婚。
1868(47歳)『白痴』連載 (明治維新)
1871(50歳)『悪霊』連載開始。
1875(54歳)『未成年』
1879(58歳)『カラマーゾフの兄弟』連載開始。
1881(60歳)1月死去。3月、皇帝アレクサンドル2世暗殺される。
1904~ 日露戦争
1917 ロシア革命
3 『未成年』
1875年に『祖国雑記』に連載。作者にとって、『悪霊』のあと、『カラマーゾフの兄弟』の前の作品だ。
『未成年』について、きわめて簡単に骨格を述べる。(ややネタバレ気味になる。)
語り手は「わたし」。未成年。登場人物が多く、多くのエピソードが複雑に錯綜し、しかも未熟な「わたし」の目には見えていないことがらも多い。ゆえに読者は人物関係のメモを取りながらも難渋しつつ読み進むことになるが、後半はどんどん加速してくる。おもしろい作品ではある。
「わたし」の名前はアルカージイ・マカーロヴィチ(マカールの子の意味)・ドルゴルーキー。但しドルゴルーキー公爵家ではなく、ただのドルゴルーキー。戸籍上の父は家僕。結婚したての母ソフィアに領主のアンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフが手をつけて生ませたいわゆる「私生児」が「わたし」だ。もし実父の名を受け継いでいたら、アルカージー・アンドレイヴィチ(アンドレイの子の意味)・ヴェルシーロフという名になったはずだ。だが「わたし」はヴェルシーロフの名は名乗らせて貰えない。この出生の秘密が「わたし」を苦しめ続けている。かつ「わたし」はまだ未成年であって、大人の恋愛や財産や社交界の片鱗を垣間見て憧れを持つが、詳しい事情は知らされていない。母を捨てた(と「わたし」には思える)父ヴェルシーロフのことが憎い。「わたし」は単純な正義感で反発し直情径行に振る舞いかえって事態を混乱させてしまう。やがて「わたし」の目にもすべての真相が明らかになっていくのだが・・という構成の作品。
舞台は19世紀後半のペテルブルグ。父ヴェルシーロフは若い頃パリ・コミューン(1871年)にも関わったことのある教養人。戸籍上の父マカールは家を捨てキリスト教の巡礼となり(どうやら分離派)で、ロシア民衆の最良の美質を体現したような人物。信仰心が篤く、人を許し愛する。周囲では名門貴族の公爵家が暴落する、貴族の弱みにつけ込み悪党たちが暗躍する、男や女が争い合う。
「わたし」は実父ヴェルシーロフを理解し和解できるのか? それとも自分を排斥した父と社交界に復讐を遂げるのか? 戸籍上の父・巡礼マカールのように美しい魂に立ち戻るのか? 「わたし」の生き方(ことに父との関係)がひとつ大きなテーマとしてある。また、名門ソコーリスキー老公爵の娘にして美しい将軍未亡人のカテリーナ・ニコラエーヴナ・アフマーコワは社交界の花形だが、これに「わたし」は恋をしてしまう。実は父のヴェルシーロフも彼女とはかねてから深い関係にあった。ソコーリスキー老公爵の莫大な遺産は誰が継承するのか? このテーマも重要だ。ほかに多くの人物が登場し、複数の男女関係の物語がからむ。登場人物は多い。
すべてが終わった後、「わたし」は大混乱の当時を回顧してこの物語を語り始める・・・
4 『未成年』主な登場人物(かなりネタバレ)
(「わたし」の家族)
わたし(アルカージイ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキー):語り手。この回想手記を書いている。戸籍上の父は巡礼マカール。実父はヴェルシーロフ。モスクワの寄宿舎で育てられ「私生児」として差別された。実父を含む貴族社会に復讐したい。一方、純粋で善良な気質を持つ。カテリーナに恋をしてしまう。
マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキー:「わたし」の戸籍上の父。家僕の家柄。妻ソフィアを領主のヴェルシーロフに取られる。
ソフィア(ソーニャ):「わたし」の母。
リザベータ(リーザ):「わたし」の妹。ヴェルシーロフとソーフィアの子。
タチヤーナ・パーヴロヴナ:「伯母さん」。ヴェルシーロフの隣の領地の主。何かと「わたし」の世話をする。
(ヴェルシーロフの家族)
アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ:「わたし」の実父。大地主階級ではある。マカールの妻ソフィアを奪った。当時ロシアは離婚が許されていない。マカールの死後ソフィアと結婚するとマカールとの間に約束がなあれたらしい。ヨーロッパ的な教養を持つ。パリ・コミューン(1871年)にも関わった。ロシア貴族の一人としてロシアとヨーロッパの未来を憂えている。かつてカテリーナを愛した。今もその関係に苦しんでいる。
ファナリオートワ:ヴェルシーロフの妻。故人。その母はファナリオートワ夫人。
アンナ・アンドレーエヴナ・ヴェルシーロワ:ヴェルシーロフとファナリオートワの間の子。「わたし」の異母姉にあたる。読書家。
アンドレイ・ベルシーロフ:ヴェルシーロフとファナリオートワの間の子。侍従補。「わたし」の異母兄に当たる。「わたし」を差別した。
ファナリオートワ夫人:アンナとアンドレイの祖母。ファナリオートフ家は名門の伯爵家。
(セルゲイ・ソコーリスキー若公爵の家族)
セルゲイ・ペトローヴィチ・ソコーリスキー公爵(セリョージャ):青年公爵。ソコーリスキー家は名門だが今や貧しくなっている。ヴェルシーロフと訴訟で争っている。賭博にうつつを抜かす。「わたし」の妹リーザを愛するが他方その異母姉アンナに求婚する。過去に犯罪の片棒を担がされ悪党に脅されている。
アンナ・フョードロブナ・ストルべーエワ:セルゲイの祖母。
(ソコーリスキー老公爵の家族)
ニコライ・イワーノヴィチ・ソコーリスキー老公爵:名門の老公爵。大金持ちで老齢。ヴェルシーロフと古い友人。「わたし」をかわいがる。多くの女子の世話をした。その中でアンナを気に入り結婚しようとするが・・なおソコーリスキー若公爵とは別の家柄。若公爵の方が本来は本家。
カテリーナ・ニコラエーヴナ・アフマーコワ(将軍未亡人):ソコーリスキー老公爵の娘。ヴェルシーロフと愛し合ったことがある。大変美しい、社交界の花。
アフマーコフ将軍:カテリーナのかつての夫。故人。
リーディア:アフマーコフ将軍の先妻の娘(連れ子)。カテリーナが育てる。病弱。セルゲイはかつてリーディアと結婚し赤ん坊をもうけたが別れた。その後ヴェルシーロフが赤ん坊の世話をした。リーディアは産後二週間で死去。
(そのほかの人びと)
ニコライ・セミョーノヴィチ:モスクワで「わたし」の中学時代世話をしてくれた。作品最後に手紙をくれる。
マーリヤ・イワーノヴナ:ニコライの妻。「わたし」をかわいがる。
アンドロニコフ:マーリヤの伯父。ヴェルシーロフ家の財産を管理。役所の課長。故人。
トゥシャール:「わたし」のモスクワ時代の中学前の塾長。「わたし」を差別した。妻はアントニーナ。
ダーリヤ・オニーシモヴナ:オーリャの母。ストルベーエワ夫人(セルゲイ若公爵の関係者)の家にいる。
オーリャ:若く貧しい女性。貧しく、仕事を求めてペテルブルクに出てきて辱めを受け自死。
ピョートル・イッポリトヴィチ:家主。
ラムベルト:悪人。「わたし」を子ども時代にいじめた。今また・・
アルフォンシーヌ:ラムベルトの恋人。フランス人。
ニコライ・セミョーノヴィチ・アンドレーエフ:のっぽ。ラムベルトの友人。士官候補生。
トリシャートフ(ペーチャ):美しい青年。ラムベルトの友人。将軍の子。
セミョーン・シドールヴィチ(あばた面):悪党。
ビオリング男爵:ドイツ系。侍従武官。カテリーナに結婚を申し込む。
R男爵:ビオリング男爵の友人。
ゼルシチコフ:賭博場を経営。
ダルザン:セルゲイ若公爵の友人。「わたし」と賭博場で知り合う。無頼漢。
ナシチョールキン:セルゲイ若公爵の友人。「わたし」と賭博場で知り合う。名門貴族。
アフェルドフ:賭博場にいる泥棒。
マトヴェイ:馭者。
ルケーリヤ:女中。
マーリヤ:女中。
ステベリコフ:ワーシンの義父。セルゲイ若公爵の知人。セルゲイ若公爵を犯罪に巻き込む。
デルガチョフ:革命党のメンバー。技師。25才。逮捕される(第三部第四章2)。その後は不明。
ワーシン:革命党のメンバー。リーザに思いを寄せる(第二部第八章1)。デルガチョフと共に逮捕されるがのち釈放(第三部第十三章2)。
クラフト:リトアニアから帰国。気品のある男。26才。ロシア民族は二流だとし自死する(第一部第八章3)。
エフィム・ズヴェレフ:「わたし」の中学時代の友人。19才。
チホミーロフ:デルガチョフの家の会合に出ていた教師。未来の人類のために働くべきと主張。
5 『未成年』 コメント(私見)
(1) セルゲイ・ソコーリスキー若公爵について。若公爵は悲劇的だ。大変な名門の出身だが、すでに貧窮している。ヴェルシーロフと財産問題で裁判で争っている。若い頃カテリーナに恋をしたこともある。カテリーナの連れ子に結婚の申し込みをしたがすぐに別れた。(二人の間の子はヴェルシーロフが育てた。)階層の低いリーザを愛し大地に根ざした生活に回帰することを夢見つつも、上流階級のカテリーナを思い、またリーザの異母姉アンナ・ヴェルシーロワと結婚しようとした。賭博に耽り悪友がいる。悪者につけこまれ犯罪に片棒を担ぐ羽目になり悪党に脅される。だが貴族の誇りがあるので自首して刑に服したが、精神に変調を来し、病院で死亡。愛したリーズとの間の子は流産、リーザも病に。セルゲイ・ソコーリスキー若公爵は、当時のロシアで最も古い名門の出身だが時代の変化の中で引き裂かれ自分の生き方を見失い焦燥しもがきながら破滅・没落していく貴族の典型であるのかもしれない・・
(2) ニコライ・イワーノヴィチ・ソコーリスキー老公爵について。セルゲイ若公爵とは別のソコーリスキー家で、こちらは大富豪。若い女の子を多く養女にして世話を嫁入りさせたりした。やがて年老い、皆が彼の遺産を狙ってくる。娘も彼の遺産が欲しい。娘の夫のビオリング男爵は露骨にカネが欲しい。老伯爵は晩年に、孫のような年のアンナ・アンドレーエヴナ・ヴェルシーロワ(「わたし」の異母姉)と結婚しようとする。アンナはまた幼いころから老伯爵が世話をしてきた女性でもあった。この結婚話に社交界は激怒する。アンナとカテリーナは対立する。老伯爵にとっては愛する新妻アンナと愛娘カテリーナが対立するのはつらく、何とか和解して欲しい。老伯爵は悪意のない善良な人物だが周囲は彼に財産に対して思惑を持って接してくる。老伯爵は孤独だ。孤独だから気の置けない未成年の「わたし」をそばに置いて話し相手にしようとする。ロシアの古いタイプの大貴族の代表として描かれていると思うが、高級貴族で財産家でも、人間関係の欲得や愛憎の中で孤独に陥り、周囲に引きずり回されて死んでいくしかない。
(3) カテリーナ・ニコラエーヴナ・アフマーコワ(将軍未亡人)について。大変美しい、社交界の花形。
夫の将軍は故人。一時期ヴェルシーロフと愛し合い(本気かどうか?)、セルゲイ若公爵にももて、若い「わたし」にも惚れられ、ビオリング男爵と結婚しようとするが拒む。若い「わたし」には最初大変な陰謀家の女に見えたが、実は違った。ヴェルシーロフはカテリーナへの恋情ゆえ心を乱す。カテリーナ本人がわかってやっているかどうかわからないが、男たちにもてる女であり、いわゆる「コケット」というやつだろう。だが、関わる男たちは死んだり破滅したりしているので、結果的に「悪女」と呼ぶべきか。いや、彼女と関わる男たちは、それぞれに地金を出す。ヴェルシーロフは本人が隠し持っている狂気のようなものを引きずり出される。ビオリング男爵の場合は浅薄な俗物性を。そう考えれば男たちを写し出す鏡の役割をも果たしているのかもしれない。いや本当は、カテリーナに問題があるのではなく、カテリーナの前に出たときにそれぞれの地金を引き出されてしまう、愚かな男たちに問題があるのだ。いや、彼らが出会い関係するその関係の仕方に問題があるのだ。社交界で恋愛と財産と名誉がからまりあった男女関係を繰り広げているから悲劇になるのだ。結局カテリーナは独身を守る。その後さらにどうなるかは本作ではほのめかすだけで書いていないからわからないが・・ドストエフスキーは女に振り回される男たちをしばしば描く。自作の『カラマーゾフの兄弟』では女をめぐって父と子で取り合う話が展開される。本作でもヴェルシーロフと「わたし」は同じカテリーナを好きになる。伯母のタチヤーナから見れば本当に呆れた話だ。
(4) アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフについて。大きな土地と多数の農奴を持つ領主。新婚のアンドレイの妻ソフィアを奪い「わたし」とリーザともう一人男子(早世)をなすが、いわゆる「私生児」とする。当時離婚は許されていなかった。マカールの死後ソフィアと結婚するとマカールと約束をしていたらしいことが後半で明かされる。ヴェルシーロフの正妻は名門出身のファナリオートワだったがすでに故人。ここにも一男一女がある。ヴェルシーロフはソフィアの子供たちを置いてどこかに行ってしまう。ヨーロッパではカテリーナを愛し、その娘リーディアに求婚する。ソフィアには安らぎを求めるが他方でいつもカテリーナを求めている。ヴェルシーロフには深刻な分裂がある。物語のラスト辺りでそれは狂気となって爆発する。ヴェルシーロフは巡礼マカールを象徴する聖像を真っ二つに破壊し、リーザを置いてカテリーナのもとに走る。ピストルでカテリーナを殺し自身も死のうとする。世界的教養人ヴェルシーロフは、他方でおのれの愛欲に勝てなかった。(「わたし」が辛うじて危機を救うが。)ヴェルシーロフは一方ではロシア貴族の上質のものを受け継ぐ優れた教養人でもあり、ナショナリズムを越えたヨーロッパとロシアの運命を見わたし憂うる人物である。他方で自分の狂熱の恋を抑えられず愚行に走る。「わたし」は最初ヴェルシーロフを憎んでいたが、接するうちヴェルシーロフを尊敬し愛情を交わすようになる。ヴェルシーロフはソフィアと「わたし」とリーザを愛している。ところがそれもつかの間、ヴェルシーロフの狂気が暴走し「わたし」を驚愕させる。ヴェルシーロフは19世紀ロシアの貴族社会が生んだ、深刻な分裂を抱えた悲劇的な人物と言えるかも知れない。
事件の後、ヴェルシーロフはカテリーナへの凶熱の恋から冷め、「待つ女」ソフィアのもとへ戻って大人しく暮らす。巡礼者マカールの生き方に感化されたかのように・・
(5) マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキーについて。「わたし」とリーザの戸籍上の父。家僕の階層。百姓ではなく貴族の精神生活や知的生活に対しても関心がある。新妻のソフィアをヴェリシーロフに奪われてしまう。マカールは忍耐し、ソフィアおよび子供たちをヴェルシーロフに託し、巡礼の旅に出る。各地で聞いてきた、ロシア民衆に伝わるキリスト教的な話が好きで、それらを集めては人びとに語る。分離派(ニコンの改革以前からある、ロシア民衆に根付いたキリスト教)の信者のようだ。分離派の聖像を持っている。巡礼マカールは、ドストエフスキー作品にしばしば出てくる、ロシアの敬虔なキリスト教信仰を持つ民衆の典型だ。ロシア民衆の最も純良な姿がここに描かれている。マカールは人を許し、愛する。だがマカールは死に、残された聖像もヴェルシーロフが狂気にかられてたたき割ってしまう。ロシア伝来の敬虔な民衆の信仰は現代の狂気の前にこうして断ち切られてしまった、との含意であろうか? だが、ヴェルシーロフは最後にソフィアのもとに戻り平穏な暮らしを得る。それは巡礼者マカールが広い愛の心でヴェルシーロフに与えた家庭の安らぎであった。巡礼者マカールは物語中途で亡くなるが、そのの信仰と愛は本作の最後まで生きている、と私は感じた。
(6) 「わたし」について。「私生児」であることに劣等感を抱き、上流階級と父親に復讐するためペテルブルグに出てきた。(モスクワの子ども時代のいじめっ子と先生がいけない。)いつかロスチャイルドになって金の力で孤独な自由を得たいという「理想」を持っている。「中2病」を引きずっているような、孤独な夢想家。ケンカは弱くすぐたたき出され強い者にへつらう。ペテルブルグではソコーリスキー老公爵(ヴェルシーロフの旧友)の話し相手になり社交界を覗いてみるとたちまち美しいカテリーナに魅了され、貴族社会に交わりたいと願う。だが身分上も年齢上も相手にされない。経験も知識もなく、直情径行で行動しては事態をますます混乱させる、まさに未熟な「未成年」。しかも悪癖に染まり飲酒や賭博を行う。悪党が接近してくる。「わたし」もまた混乱するロシア社会を生きる分裂した若者だ。それでも根本は悪意がなく善良純情だから周囲(父や伯母、老伯爵など)から愛される。女性嫌悪の科白を時々吐くが、女性を知らず持てない男だからだ。だが本当は伯母タチヤナや妹リーザに愛されている。姉アンナや憧れのカテリーナにも・・人と関わり自分の過ちを知り、憧れていた人にもダメなところがあり、軽蔑していた人にも実は優れた美点があったことを発見していく中で、「わたし」は未成年から脱却していく。父ヴェルシーロフに対しては強い愛情と尊敬を抱くに至る。(もっともいわゆるビルドゥングス・ロマン(教養小説)ではない。「わたし」の場合事件は短期間に圧倒的な形で襲ってくる、その中で「わたし」は右往左往するのであって、だんだんと目が開けて人格形成していく、といった形ではない。)一連の事件の後一切を振り返ってこの手記を書く。書く中ではじめて物事を整理できたというべきか。訳者の工藤精一郎は未成年アルカージーはマカール老人に「善美の泉」を発見した、と結論する。マカールの残した穏やかな生活態度、心優しい母ソフィア、大人しくなった父ヴェルシーロフとの平穏な家庭生活の中に、「わたし」は安らぎを見出す。だが、本作のラスト当たりを読むと、「わたし」は大学に行くことになりそうだ。そして、何らかの形で世の中に打って出ることが予感される。ヴェルシーロフから「わたし」へと世代交代したのだ。(そこにカテリーナ、ワーシン、リーザらがどうかかわるか? は興味のあるところだが、書いていない。)かつてモスクワで養育してくれたニコライ・セミョーノヴィチが巻末の手紙で励ましてくれる、「未成年たちによって時代が建設されていく」と。
(7) 母ソフィアについて。家僕の階層。マカールと新婚生活をしているときにヴェルシーロフに奪われる。善良で清純なソフィアがどうして不倫に走ったのか? ヴェルシーロフは美男子でフランス語を話しピアノを弾いてロマンスを歌う。パリ風の髪、粋な服装。田舎者のソフィアはこれらに幻惑されたのかもしれない、と第一章5節に「わたし」が書いている。若い女性はそういうものに憧れ(騙され)ることがある。その後マカールが巡礼に出て、ヴェルシーロフもヨーロッパに旅に出るが、ソフィアは夫を待ち続ける。マカールの良さを分かった上で、傷ついたヴェルシーロフの安らぎの場所となろうとする。息子の「わたし」にとって母ソフィアは限りなく優しい母だが、心優しいソフィアはヴェルシーロフにとっても暖かい居場所、そこに帰ってくる居場所のような女だ。男から見て都合のいい女だとフェミニストの立場からは言えるが、ドストエフスキーは、男を振り回す女(例えばカテリーナ)ではない理想の女性のタイプとしてソフィアを書いている。漱石は「待つ女」のタイプを描く。『虞美人草』の小夜子がその代表だ。『夢十夜』にも出てくる。(『坊っちゃん』の清も坊っちゃんを東京で(お墓の下で)「待つ」。)「待つ女」は積極的に男を引きずり回すことはせず、男を待ち続けることで男に安心を与える。「待つ」ことで男を縛っている、と言うことも出来る。ソフィアはヴェルシーロフを待ち、受け入れ、傷ついたヴェルシーロフの最後の居場所となる。本作の疾風怒濤の悲劇の最終着地点はそこだった。
家の外で派手やかに活躍する女と家で「待つ男」の組み合わせだと、どうなるだろうか? 現代(2025年)には存在する。
(8) 教養人としてのヴェルシーロフについて。ヴェルシーロフは一方ではカテリーナへの愛欲に焦がれて身を滅ぼすが、他方では非常に優れた教養人でもある。彼は1871年のパリ・コミューンにも関わった。
プロシア・フランス戦争およびパリのテュリルリー宮殿を焼き払った(1871年)ことを含め、「ヨーロッパの空に葬送の鐘の音が特にはげしくひびきわたっていた」「ヨーロッパの古い世界の栄光が・・消え失せてしまう」「わしは、ロシアのヨーロッパ人として、それを許すことができなかった」「そのころはヨーロッパ中に一人のヨーロッパ人もいなかった」「わし一人だけが、放火犯人どものあいだにあって、テュイルリーは・・まちがいだと、面とむかって言うことができた」「わし一人だけが、ロシア人として、そのころヨーロッパにあってただ一人のヨーロッパ人だった」(第三部第7章2)「わしは自分の貴族たることを尊重せずにはいられない」このロシアの貴族とは、「いわば万人の苦悩を背おう世界苦のタイプだ」「これは・・ロシア民族の高い文化層の中から生まれたものだ」「ヨーロッパはフランス人、イギリス人、ドイツ人の高潔なタイプは創り出したが、その未来の人間についてはまだほとんどなにもわかっていない」「そのころヨーロッパでわし一人だけが、ロシアの憂愁(トスカ)を胸にいだいて、自由な人間だったのだよ」「ロシア人だけが、・・もっともヨーロッパ人になりきるときにのみ、もっともロシア人になりきるという能力を取得したのだよ」「わしはわしのロシアの憂愁(トスカ)をヨーロッパへもちこんだのだ」「わしは、ヴェニスや、ローマや、パリが、彼らの科学と芸術の宝、彼らの全歴史が、・・わしにはロシアよりも愛しいからといって、わしは決して自分を責めたことはなかった」「彼らは古い石を尊重することをやめてしまった」「ひとりロシアのみが自分のためにではなく、思想のために生きている」「ロシアは、もうほとんど百年というもの、まったく自分のためにではなく、ただヨーロッパのためにのみ生きてきたのだ!」「だが、彼らは? おお、彼らには、神の王国を達成するまえに、怖ろしい苦悩が運命づけられているのだよ」(第三部第7章3)
さらにヴェルシーロフは言う、人びとは無神論に陥ったが、しかし孤独感に襲われる中で、以前よりも緊密に愛情を込めて体を寄せ合い愛し合う日が来るに違いない、「彼らは互いに互いのためにはたらきあい、そして万人が万人に自分のすべてをあたえて、それを幸福と思うようになるだろう」彼らは「わたしが死んでも、彼らがのこる。そして彼らのあとには彼らの子供たちがのこるんだ」と考えるに違いない、と。・・(JS)これは、無神論の下での人類共同体の一致を夢想して言っているのだろうか。大江健三郎の『晩年様式集』に近い発想がある。「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。」)
だがさらにヴェルシーロフは続ける、「わしは理神論者だ」「哲学的理神論者だよ」「ところが、・・わしはどうしてもキリストを避けることができない、最後に、孤独になった人びとのあいだに、キリストを想像しないではおられないのだよ」
これらの言葉から窺(うかが)えるヴェルシーロフの思想は、ヨーロッパの達成した(ルネサンスから19世紀までの)科学や芸術や都市文化を含む偉業は尊い、だがドイツ人やイギリス人やフランス人はナショナリズムに陥りヨーロッパの普遍的な理想を忘れている、かつ彼らは今や無神論(暴力的革命思想も含むか)に陥りヨーロッパの達成を破壊している、ヨーロッパの落日は近い、ただロシアの貴族社会で育った少数の者(ヴェルシーロフ自身を含む)だけが、ヨーロパの普遍的な理想を捧持し続けている、西欧の無神論者たちに自分は同調することは出来ない、最後にはかならずキリスト信仰が重要なものとして立ち現れてくる。以上がヴェルシーロフの思想のアウトラインだ。(彼の公的使命感は、日本で言えば江戸期の武家で儒者の使命感のようなものか。)
ロシアの貴族社会で育った彼は、イギリスやドイツやフランスの民族主義に対抗するロシア民族主義を主張しているわけではない。ヨーロッパの影響を受けて(実際ロシアの貴族はフランス語を話すなどヨーロッパの教養を身につけている)学んだロシアの貴族階級は、汎(はん)ヨーロッパ普遍的な理想を身につけ、現代も捨てずにいる、と言っている。(そもそもロシア文化は東ローマ帝国の後継としてヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教の伝統)とヘレニズム(ギリシア文化の伝統)を継承している。西ローマ帝国にはこれに加えてラテニズム(ローマの文化の伝統)がある(佐藤優がこういう言い方をしている)が、ヴェルシーロフの場合ヴェニスやローマやパリを尊んでいるから西ローマ帝国以来の西欧の理想も継承するということだ。つまりヴェルシーロフは汎ヨーロッパ的な教養の土台から出てきていると言える。)またそこではルネサンス以降の文化遺産(ヴェニス、とあるから)とキリスト教信仰が含意されるがごく最近の無神論・暴力革命は含意されない。本作ではフランス革命やナポレオンについては言及していないのでこれらの達成(自由、平等、人権など)が含意されるかどうか厳密にはわからないが、パリ・コミューンでの暴力を否定しているので、ジャコバン革命も否定するのではないか。非ヨーロッパ世界(アメリカ新大陸やアフリカ、アジア、オセアニアなど)についても言及がない。恐らく視野に入っていない。このあと台頭するロシア革命の推進勢力(ボルシェビキ、赤軍)の立場から見れば、封建貴族の反動思想のヴァリエーションの一つだ、となるかもしれないが、ヴェルシーロフは単純な帝政ツアーリズムの擁護者でもない。
「あとがき」の工藤精一郎によれば、本作が掲載された『祖国雑記』はネクラーソフの編集で、革新系の雑誌だ。ドストエフスキーとは思想的に敵対関係にあった。ゲルツェンは1840年代末から50年代はじめにかけて西欧ブルジョワ・デモクラシーに深く絶望し、人類の未来に果たすロシア民族の歴史的使命を認めたことがあった。ドストエフスキーもパリ・コミューンで同じ幻滅を経験し、ヴェルシーロフにこの思想を持たせた。ただしこの思想の真の体現者は巡礼マカール老人だ。これが工藤精一郎が述べることだ。(新潮文庫下「あとがき」510頁)
巡礼マカールは無学で敬虔な信仰に生きる人だ。マカールになくヴェルシーロフにあるものは、普遍的な教養だ。丸山真男は『「である」ことと「する」こと』の中で、普遍的な教養の大切さも説いている。ヴェルシーロフの立場を継承するならば、ヨーロッパの育んだ普遍的な理想を継承しつつ、アメリカ新大陸、アフリカ、アジア、オセアニアなどをも包含した、より広い視野での普遍的な理想を構築することが、後に続く私たちの使命だ、ということになろうか。もちろん私(たち)はロシアの世襲貴族ではない。だが幸運にも世界を見わたしうる立場にある者の一人として、世界を見わたし何らかの責任を少しでも果たすことを為してもいいのではなかろうか?
(9) 敬虔なるロシア民衆の典型、巡礼マカールの生き方について。
トルストイは晩年にロシアの民話に材を取り敬虔なキリスト教信仰者の姿を描いた。トルストイ自身がすべてを捨てて言わば巡礼のように家を出た。彼はロマノフ王朝の名門の伯爵家の貴族だったが、全てを捨てたのだ。ドストエフスキー『悪霊』のステパン先生もラストで巡礼になり聖書を売って暮らすのだと言っている。『カラマーゾフの兄弟』の書かれざる続編は、もし書かれていたら、巡礼にして隠遁者である神の人アレクセイ伝説を下敷きにしたものになったのではないかとの推測がある。日本には「捨て聖(ひじり)」一遍上人を典型として、遊行(ゆぎょう)の聖(ひじり)が多い。親鸞聖人も越後・信州善光寺・関東と回ったのは、遊行の聖(この場合善光寺の勧進聖)だったのではないかと推測する人もある。丹羽文雄の『親鸞』には一遍の時宗(時衆)以外にも多数の旅をする念仏者があったと書いている。各地に空也(市の聖=いちのひじり)が居たとする寺や会堂があるのは、念仏聖たちがそこを拠点に活動し、そこに空也上人の名を冠したのかもしれない。そこには念仏者共同体という共同体の紐帯(ちゅうたい)があっただろうか? 宗教団体が組織化すればそうなるだろう。だが、組織に帰属しそこに中世を誓うという生き方をマカールはしているわけではない。日本中世の念仏者たちも、人間の組織から自由に離脱して(仏と結びついて)暮らしていたのではないか? 加古の教信阿闍梨がそうだし、法然も比叡山を下り、親鸞もあちこち放浪している。親鸞は法然と訣別して自分の教団を創ったわけではない。(教団組織を強化したのは蓮如たちだろう。)
・・人間の真に生きるべき生き方はどこにあるのか? もしかしたら神(仏教なら仏)の信仰を堅く持ち、土地・係累を離れて巡礼に生きる生き方にあるのかもしれない。釈尊自身が故郷を離れ遊行した。イエスも遊行しながら人びとの病を癒し神の国を説いた。アスクレピオスも遊行しながら人びとを癒した。山形孝夫に論考がある(『治癒神イエスの誕生』小学館創造選書 1981年)。現代社会においては、地縁・血縁に加えて校縁(学校時代の縁)・社縁(企業の共同体の縁)の全てが希薄化し人間が孤立化・孤独化していると言われ、「絆」の回復が叫ばれたりもしているが、そのような係累、「絆」を離れて神(あるいは仏)と堅く結びついて生きる生き方は古来存在したのだ。人間は様々な関係の中にある、とは倫理学や社会学の言うところだが、これは直ちに「だから『絆』に立ち返れ、『絆』を強化せよ」という当為になるわけではもちろんない。パウロも「私の国籍は天にある」と言った。地上の共同体が消滅しあるいは共同体から排斥されてもなお神(仏)との繋がりがあるという生き方は、もしかしたら現代社会においてこそ大事なものになるかも知れない。(そこでカルト宗教にからめとられる問題が出てきて、まさにこれも現代社会における重要な課題であるが、これについては別の所で語ったことがあるのでここでは省略しよう。)
マカールの場合は、新妻をヴェルシーロフに奪われた。ヴェルシーロフを憎み復讐しようとしてもおかしくない。だがマカールは許し、妻ソフィアをも許し、巡礼の旅に生きた。その間の内面の葛藤はあったに違いないが、書いていない。彼はいわゆる分離派(ラスコール)で、もしかしたら「逃亡派」的な存在だったのかも知れない(よく知らない)。彼は最後にソフィアたちの家に帰還して言う。
「人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、何もかも知るのはむずかしいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだよ」「秘密とはなにか・・・すべてが秘密だよ。すべてに神の秘密が宿っているのだよ。・・いちばん大きな秘密は―人間をあの世で待ち受けているものにあるのだよ」「勉強することだな。知識をひろめるがいい、神を信じぬ者やふとどきなことを言うやからに出会っても、もっと太刀打ちできるようにな」「人間は自分で自分を罰するものだよ。だからおまえも・・腹を立てたりしないで、寝るまえに神に祈ってあげることだよ。だってそういう人たちも神も求めているのだからな」「わしは、墓の下からでもおまえたちを愛してあげるよ」(第三部第一章3)
マカールは「エジプトのマリヤ(マリア)の生涯」について語るが本文では省略されている(第三部第三章2)。ここで補うと、5世紀か6世紀頃の聖女で、正教会、カトリック教会、聖公会などでは知られている。聖母マリアに次ぐ第二の聖女とされ、様々な芸術で描かれてきた。エジプトに生まれ、淫蕩な生活を送っていたが、あるとき悔い改め、ヨルダン川の向こう岸の荒野で47年間の修行生活を送った。パレスチナの聖ゾシマと出会いやがて永眠した。(wikiによる。)
マカールは語る、「主よ、誰も祈ってくれる者のない罪人たちの魂に憐れみを垂れたまえ」「主よ、まだ悔い改めぬすべての罪人たちのために運命を哀れみ、救いを垂れたまえ」と祈ってやるとよい、「行きて、汝の富をわかちあたえよ。そして万人の僕となれ」とキリストは教えている、「人間というものは、食物や、高価な衣裳や、誇りや、羨望で幸福になるのではない、限りなくひろがる愛によって幸福になる」(第三章第三部2)
マカールは印象に残る話をした。「屠殺者(とさつしゃ)」というあだ名の商人で大金持ちがいた。ライバルの商人を追い落としその若い後家と五人の幼い子に対しても過酷な仕打ちをした。子どもは四人死んだ。キリストの名の日に最後の一人を思い出して親切にしようとしたが結局追い詰めて不幸な死に方をさせてしまった。その子が夢に出てくる。「小さい子を躓(つまづ)かせてはならない」とキリストも教えている。「屠殺者」は今までの罪を悔い若い後家に結婚を申し込み寺院にお参りをし寡婦(かふ)や孤児に恵みを与えた。赤ん坊が生まれたが「あの子」が1年ぶりに夢に出てきて赤ん坊は死んだ。「屠殺者」は全財産を妻(後家)に譲り巡礼となって旅立ち、二度と戻らなかった・・・(第三部第三章4)
マカールは「わたし」に対し二つの遺言を残す。「アルカージイ、おまえは寺院に心を捧げなさい、そして時が来たら―寺院のために死ぬがよい・・そのうちに、思いあたるときが来よう」「なにかよいことをしようと思ったら、神のためにすることだ、人によく見られようと思ってしてはいけない」さらにマカールは、ヴェルシーロフに対し、過去の約束(マカール死後にヴェルシーロフがソフィアと結婚する約束だろう)を確認し、ソフィアに許しを与える。(第三部第三章1)これらの言葉を残し、やがてマカール老人は死んでいく(第三部第六章2)。
マカールはヴェルシーロフのような普遍的教養を学んできたわけではない。帝政ロシアの貴族階級の生き方とは全く違う。新しい時代に出現した商人や革命家とも違う。古来ロシアの民衆の中に息づいてきた、敬虔で善良なキリスト教徒の姿がここにある。それはロシアのナショナリズム(英仏独などのナショナリズムに対抗する)の表れというものでもない。キリスト教世界で古来語られてきた信仰者の当たり前の生き方であるに違いない。
マカールの、生まれ育った土地を離れて放浪する生き方を、しばしば言われるドストエフスキーの「土壌主義」「大地主義」が内包しているかどうか、厳密には知らない。ドストエフスキーの「土壌主義」「大地主義」は、生まれ故郷に固着した「土着主義」(荻生徂徠=おぎゅうそらい=など)とは同じではなく、ロシア民衆が古来の信仰を守り巡礼し放浪する生き方をも重要な要素として包含しているように私には思われるのだが、どうか? (萩原俊治「ドストエフスキーの土壌主義と汎スラブ主義」(大阪公立大学学術情報リポジトリ、2010年8月9日公開、file:///C:/Users/owner/Downloads/CV_20251127_2009202103.pdf)に論考があって、参考になるかも知れない。)
ニーチェはキリスト教道徳は奴隷道徳だと断定した。その立場からはマカールのような思想や生き方は是認できないことになる。だがニーチェは自分の周囲にあったキリスト教会の牧師や信者のあり方を嫌悪したのであって、果たしてキリスト教の信仰や倫理に対してニーチェが有効な批判をなしているかどうかは、疑問だ。
知識・教養については、マカールは、無神論に対抗するために勉強せよ、と「わたし」に言っている。知識や教養を全否定してはいない。ヴェルシーロフは貴族として普遍的な教養の持ち主だ。ヴェルシーロフは無神論・暴力的思想が西欧に跋扈する現状を見据え、しかしそれでも最後にはキリストが現われると言っている。ドストエフスキーの世界ではどうしても最後はキリスト教が出てこないといけないようだ。もちろん彼の世界は「ポリフォニー」であって、無神論者にもそれなりの立場を与えて語らせるのではあるが。トルストイは晩年の民話などでは、知識や悪知恵は敬虔な信仰生活には不要、という世界を描いている。法然上人も「智者のふるまいをするな」と教えた。
(9) 最後に
長い長い語りが実は読ませる。面白い。疾風怒濤の未成年の内面生活はこのようであるだろうと思わせる。誰しも中2病的な時期があり、大人の世界に憧れ、また裏切られたと感じ、傷つき、しかし信頼できる大人を見出して、世界及び自分と折り合いをつけながら生きていく。「わたし」はやっと大人の入口に立った。これから本当の「わたし」の大人としての人生が始まる。そこにカテリーナ、リーザ、ワーシンらがどう関わるかは書いていないが、興味深い。
(付言)
1 ここで初学者のために案内すると、ドストエフスキー作品は、『貧しき人びと』から入り、ペテルブルグの雰囲気を感じてから長編に入るとよい。『罪と罰』を読み、『カラマーゾフの兄弟』に進む。ここまで行けばあとは「はまって」しまいどれでも読めると思う。例えば『悪霊』が超問題作なのでこれに取り組み、あとは『白痴』『未成年』となる。『未成年』は登場人物が多く未熟な「わたし」の語りで物語が進むので読みにくいと感じる人が多いようだ。それで最後に回す。もちろん作家が書いた順番に読むのも良い。その間で短篇・中編も読んでいくとよい。『死の家の記録』(シベリア流刑地の話)もある程度長いがどこかで読むとよい。(『貧しき人びと』を飛ばして『罪と罰』から入ってもよい。どれか一冊しか読む時間がない人は『罪と罰』でどうでしょうか。)訳は多くの人が出していてその善し悪しは私にはわからない。私は原卓也、工藤精一郎、江川卓らにまずはお世話になった。江川卓の『謎解き』シリーズは非常に有益だ。最近では亀山郁夫が色々本を出している。
2 若い頃読んだドストエフスキーは折に触れ再読していたが、今回長編をまとめて再読する機会を得た。どれも面白く、毎日ドストエフスキーを開くのが楽しみだった。ドストエフスキーを読んで(まだまだ読み込めていると言うには遠いが)あれこれ考察するのは毎日の楽しみだった。このような愉楽(そう、まことに愉楽である)を提供してくれるドストエフスキーおよび翻訳者や先学の方々に感謝したい。
3 ロシアはウクライナに侵攻(2022年2月)してはや3年半以上経つ(今は2025年11月)。ロシア人は暴力で他に侵攻すればいいと思っている人だけではなく、マカールのような平和的な人もたくさんいるはずだ。今の戦争を巡礼マカールが見たら何と言うだろうか。ロシア兵は聖書に手を置き、武器を捨て帰郷することをお勧めする。指導者たちも今やっていることの愚かさに気づいて、兵を引く命令を出すべきだ。
(とりあえずこれで掲示する。加筆するかも知れない。)
(ロシア文学)プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、ショーロホフ、ソルジェニーツィンら多数の作家がいる。日本でも二葉亭四迷、芥川龍之介、小林秀雄、椎名麟三、埴谷雄高、加賀乙彦、大江健三郎、平野啓一郎、金原ひとみ、などなど多くの人がロシア文学から学んでい
る。