James Setouchi

2025.10.18土曜に実施   読書会記録

 

ウィリアム・フォークナー『孫むすめ』(新潮文庫『フォークナー短編集』所収。龍口直太郎 訳)

  William Faulkner“Wash”(原題は“Wash”)

 

1   ウィリアム・フォークナー (1897~1962)

 ノーベル文学賞作家。代表作『響きと怒り』『サンクチュアリ』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』など多数。

 出身はアメリカ南部ミシシッピ州の名家。ミシシッピ州の田舎町オクスフォードで暮らす。17才で高校中退、第一次大戦に空軍で参加、戦後ミシシッピ大学で聴講生や大学内郵便局員をしながら絵や詩を創作。当初は注目されなかった。ニューオーリンズやパリ滞在を経て南部オクスフォードに戻り、1926年からそこをモデルとして架空のヨクナパトーファ郡ジェファソンという田舎町を創作、そこを舞台とした悲劇的作品を次々と書いていくことになる。「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる。『響きと怒り』(1929年)は内容はもちろん構成と語りの手法で注目される最高傑作と言われる。『サンクチュアリ』(1931年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)も同様の傑作。1940年代からは、「南部的悲劇の実現から、生きのびる人物たちの現実的、道徳的強靭さを描き出す方向へしだいに比重を移していった」「それは…<誇り>と<忍耐>を求める方向」であった。(平石貴樹)。1950年ノーベル文学賞受賞。その後もヨクナパトーファの物語を書き継ぎ、また講演なども行う。1955年来日。1962年死去。(集英社世界文学事典、坂内徳内の記述を参考に記述。)

 フォークナー自身は20世紀前半の活躍。『孫むすめ』を書いたのも1930年代。当時は世界恐慌下で、アメリカはニューディール政策など。ヨーロッパはナチスが台頭して第2次大戦へ、ソ連はスターリン時代、東洋では大日本帝国が日中戦争を始めていた。しかしここで扱われている時代は、南北戦争(1861~1865年)後。フォークナーにとって何代か前の父祖の時代と言える。舞台は南部ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡(架空の地名)。フォークナーはここを舞台に「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる一連の作品群を生みだした。

 

2 『孫むすめ』“Wash”  1934年、37歳頃の作品か。

あらすじ:南北戦争(1861~1865)のころ。サトペン大佐は白人で貧しい層の出身だが一代で巨大な領地を築いた、暴君的な人物。が南北戦争(南軍が負けた)後没落しつつある。ワッシ・ジョーンズはその領地の片隅に住む貧しい白人(プア・ホワイト)。黒人たちにも馬鹿にされる存在だが、サトペンのことを英雄視している。しかし、ワッシの孫むすめミリーがサトペン(六十歳過ぎ)の子を生んだとき、サトペンがミリーたちを大切にしないのをワッシは見て怒りに燃え、サトペンを殺害する。長編『アブサロム、アブサロム!』のワンシーンでもある。

 

(1)   南北戦争の時代。ヨーロッパで黒人奴隷解放がまずなされ、それと連動してカリブ海の英仏植民地でも黒人奴隷解放がなされた。アメリカ北部(合衆国、リンカーン)はそれらを味方にするべく黒人奴隷解放を宣言した。南部(連合国)サイドは黒人奴隷を使っていた。サトペンはカリブ海で働き、次いで南部に現われて一代で財を築いた、と『アブサロム、アブサロム!』ではなっている。その頃日本は明治維新前夜。

 

(2)   作家のフォークナー自身は20世紀に活躍した人。他に高名なアメリカの作家をざっと見た。読書会ではNYの作家が多かったが、フォークナーは南部ミシシッピ州を舞台に「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる作品群を書いた。

 

(3)   事前資料にいくつかの誤りがあったので訂正した。たとえば、キング牧師は1868年没ではなく1968年没。暗殺されたロシア皇帝はアレクサンダー3世でなく2世。失礼しました。

 

(4)   今回は短篇なので本文(訳)を皆で音読した。50分くらいかかった。

 

(5)   最初の感想:

改めて読んでみると、やはりすごい迫力だ。特にラストの描写は圧巻だ。ほかに、あらすじがすごい、物語群全体がすごい、コンテンツとして示している問題意識がすごいなど、アメリカを代表する作家ではある。ヘミングウェイ以上と言う人も。

・龍口訳ではない訳本を使ったが、「ニガー」など、今なら使わない用語がどんどん出て来るので驚いた。1971年の訳だ。

・後半からラストについて、気持ちの流れが気になった。孫の殺害を決めていたのなら、食事を与えて優しくすることはないのでは?・・いや、ワッシはまずはやさしくしていて、考えていた。212頁で「生まれてこない方がよかった」のところで無理心中を決意した。もちろんその時今までの屈辱的な人生を思い返している。

・ワッシも孫娘も死んだら、白人たちに真相が知られないまま終わるのでは?・・そこは、理路整然と考えることは出来ず、すっかり自暴自棄になっているのでは? 「生まれてこない方がよかった」と言っているから。

・「もう一人のワッシ」とは?・・孫娘や赤ん坊のことだけを指すのではなく、自分と同じような人間、という意味では?

サトペンを含む白人たちをよしとする価値観がガラガラと崩れた。幕府が滅んだとき、大日本帝国が滅んだときも、同様の経験をした人は多かったかも。

188頁の「ウソ」の解釈がわからない。・・確かにここはわかりにくい。孫が子を産んだことではなく、ワッシがサトペンの屋敷や黒人の管理を任されている、と言うのがウソ、と読むべき。周囲の人はそれはウソだとみなした。一部の人は、意図的についたウソではなく、ワッシは自分で信じている、と考えた。あるいは、ワッシはそこまでの知恵も才覚もない情けない奴だと周囲の人は考えた? ここがややわかりにくい。訳本2冊を見たがわかりにくかった。

 

(6)   登場人物を確認した。

 

(7)   資料を順番に読んでいった。

 

(8)   分からない語句

キング牧師とは? 1960年代の公民権運動のリーダー。非暴力(ガンジーと同様ですごく偉い人)。暗殺された。マルコムXはブラック・ムスリムで急進派。晩年は穏健になり、暗殺された。

シャルリ・エヴド事件とは? イスラム教徒がフランスに多く住み始め、フランスは本当は移民OKの共和国だが、実際には貧しい人のエリアができてしまった。そこで心の拠り所はイスラム教だった。『シャルリ・エヴド』誌という雑誌が挿絵でムハンマドを愚弄する絵を掲載した。怒った人が乗り込んで何人も射殺した。表現の自由が大事だ、という意見と、人が大事にしているものを馬鹿にしてはいけない(日本なら天皇陛下を馬鹿にするような話だ、それは怒るだろう?)という意見とがあり、おりしもシリア辺りでISが暴れて難民が大量にヨーロッパに押し寄せる時期でもあり、世界的な大論争になった。もちろんテロは不可だ、だが移民労働者を劣悪な条件下に置いて放置した(低賃金の労働力としてのみ利用し使い捨て、人間として尊重しなかった)のがいけない。背後にはこの問題がある。おや、現代の日本ではどうかな? となる。

 

(9)   感想

現代に同じことが起きていると考えたとき、ではどうしたらいいかなど、考えることが沢山ある。

 

・黒人と貧しい白人とを「分裂支配」していたのか? 

 

・ワッシがサトペンを殺害するのは、孫娘を無視されたという点だけではなく、英雄視していた人の偶像が壊れたからだとわかった。もしサトペンがよいおじいちゃんとして孫を受け入れていたら? ・・ワッシにとってサトペンは英雄ではなかった、とわかった。・・英雄とは? 孫を受け入れる人間性のことか?・・むしろ、ワッシはサトペンから相手にされていなかった、白人純血主義に利用されていただけとわかったのがきつかったのでは。ワッシは黒人から馬鹿にされても自分は白人の端くれだという誇りにしがみついて生活していただけに、相手にされていなかったと知ったとき、あいつらも自分も生まれてくるんじゃなかった、と自暴自棄になった。

 

・ミリーはなぜ泣いていたのか? 祖父が自分を利用しただけと祖父に裏切られたと感じたのか?・・そこまでは書いていない。そう感じる余地はある。

 

・サトペンを神として崇めていた。それが壊れた。白人ども全員のことをいやになっている。そこで自暴自棄になり絶望した。・・偶像は破壊された。幕末に江戸幕府が瓦解して、白虎隊のように自決した人たちもいたが、八重は生き延びて新しい時代に参加した。敗戦のとき帝国の崩壊で自決した人もいたが、生き延びて戦後の平和日本の建設に尽力した人もいた。古代イスラエルのユダヤ教の枠組みでは差別された人も、イエスの登場によって、古い枠組みが壊され、新しい自由な世界観へと出て行くことが出来た。パウロはローマ市民権を持っていたが「私の国籍は天にある」と言った。こういうことはある。・・フォークナーが提案しているのは、古い枠組み、価値観(白人至上主義、南部の英雄崇拝)を壊し人間を解放することではなかったか?

 今の日本では、大卒でないといけないとか、純血日本人、薩摩や長州、男らしく女らしく、正社員至上主義などなど、いろんなこだわり(価値観)があり、そこから解放された方が風通しがよくなり、互いに自由で楽になる、ということでは?・・だが、本人のこだわりだけの問題だろうか?

 

・ワッシは白人にも黒人にも仲間がいず孤独だった。

 

・似たようなプライドのせいで苦しむ例は現代でも多い。

 

秋葉原事件のK被告(地方公立高校出身)は、家庭・地域・学校・会社・行政(福祉)のすべてから疎外され、最後に自分自身からも疎外された。どこかで何かのたすけがあれば・・と言われた。東大農学部前事件(都会の私立宗教高校)はどうか? 宗教の学校なのに競争主義・結果主義に歪められた(本人が、家庭が、学校が? つまり社会が歪んでいる)。悲劇だ。真面目な人間が追い詰められている。競争主義・勝者総取り主義はやはり不可。どんな人も安心して暮らせる社会にすべきだ。上下水道・道路・河川をはじめ学校・病院・警察・消防などのインフラは公共で整備すべきは当たり前で、何でも民営化したら大事なものが壊れていく

 

では、どうすればよいのか?・・似た人でコミュニティを作れば? いやそれでは閉鎖集団になって集団自決したり暴走したりするかも。・・分裂支配のうまいやり方だとも言えるのか?・・いや、それは支配、統治サイドから見た残念な話で、人間を生かす話ではない。・・「リア充はみんな死ね」は分かるところもある。・・いやそれは困る。そんな感じ方をする人が一人も出ないようにすべきだ。・・では、どうすれば?

・・みなの生活の基礎を安心できるものにするべきだ。北欧を見よ。分裂支配などを使うべきではない。共生、平等、公正が(政治学や社会学での厳密な定義は知らないが)キーワードになりそう。・・実態的差別をなくすために教育支援・就労支援・生活保障(経済的ケア)が必須。人権・同和教育が参考になる。明治初年は解放令もあってよかったが具体的な政策を欠いていたから明治以降競争主義に囚われかえって差別が深刻化した面がある。戦後憲法に基本的人権を書き込んだがそれだけでは足りないから種々の法・制度を具体的に制定して差別を解消していった。

 加えて、心理的な問題。心理的差別をなくする啓発教育を人権教育では言うが、ここでは奇妙な差別的固定観念からの解放が大事。この視点・方法は、黒人差別(白人優位主義がダメ)、女性差別(男性優位主義がダメ)、外国人労働者差別(日本人優位主義がダメ)、貧しい人への差別(富裕層がエライとする固定観念がダメ)などなど、様々な問題で応用できる。神様や仏様の目から見れば自分がどれほどのものか? 誰も大したことではない。

 今話題の移民・外国人労働者の問題で言えば、インドネシア、ベトナム、ネパール、シリア、イランなど多様な国から人びとがやってきたとき(来ている)、たとえば日本語教育など、具体的にどこまでやれるか、やるか。要は人権の問題だ。労働力だけ使い捨て、というのは不可。共に生きる同じ仲間として大事にすべきだ。

 

・フォークナーの文体は独自なのか・・『響きと怒り』など、語り手の意識の流れに沿って描出する手法自体は他にもあるが、だがやはりフォークナーの文体は独特だと言われている。フォークナーの作風を意識して他の作家も作品に挑戦している。

 

・全体として、やはり有益だった。一カ所読めていないところが残った。訳者によって解釈が違うようだ。原文を見てみないとわからない。

 

3 参考

(1)ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(1936年)

・アブサロムは、旧約聖書に出てくる、ダビデ王の第三子。紀元前11世紀の人。サムエル記下13~19章に出てくる。妹タマルが長兄アムノン(同父異母の兄)に辱められた時アブサロムは長兄を憎み遂に殺し逃亡。後召喚されたが王位継承を望み反旗を挙げた。年老いたダビデ王は驚き歎くが、ダビデ王のもとに祭司、精兵が集まり、アブサロムは敗退、殺害された。ダビデ王はその知らせを聞き「わが子アブサロムよ。わが子、アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ。」と泣き叫んだ。(日本基督教団出版局『聖書事典』他による。)なおダビデが家来を死なせその妻に手を出して産ませた子がソロモン。ソロモンが後継の王になるが、ダビデの罪ゆえにその後イスラエルは神の罰を受ける。

・サトペンには(ネタバレだが)白人の子と、混血の子とがいる。サトペンの白人純潔主義が悲劇を生む。                        

(2)『響きと怒り』(1929年)

 これは読みにくい。これから取りかからない方がいい。

(3)『サンクチュアリ』(1931年)

 これも結構怖い。

(4)フォークナー『八月の光』(1932年)

 これから読むのがいいかもしれない。これも暴力や性の過激なシーンがあるので若い人には薦めにくい。

 

(別件)

 あとで高校の文化祭って何やるの? という話題が出た。文化部の発表会とは別に、クラス単位で文化祭をやるとすれば? 食べ物屋をしたいクラスが多いが、安全の問題を考えると安易に考えるべきではない、結局ゲーム的なものになる、という意見が出た。だが、それで本当にいいのだろうか? 衣食住も文化だしスポーツも運動会も文化だ。

 だが、学校でわざわざ運動会でも文化部発表会でもない文化祭を構えるとしたとき、何を為すべきか? 食べ物屋やゲームが果たして高校という学びの場でやるべきことだろうか? 商業高校なら商業を、農業高校なら農業を、やってもいいと思うが、そうではなく普通科進学校で高度な学びを標榜しているのなら、学校の教育の目標にのっとって、環境、国際、人権、平和などなど大切な諸問題について、クラスで研究し合いその内容を展示・発表した方がいいのではないか? どうして食べ物屋やゲームをやるべきことと思い込んでしまっているのか? TVドラマか少女漫画の影響ではないか? と考えてみることは有益な一歩になるのでは?

 

(補足 アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエンなどなどがある。

 

やってきたもの(アメリカ文学特集)

6月7日(土~フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』担当N 新潮文庫に野崎訳がある。中央公論社に村上訳、角川文庫に大貫訳がある。

7月27日(日)サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』担当S 白水社に単行本がある。

8月30日(土)ヘミングウェイ『武器よさらば』担当N  新潮文庫に高見訳がある。

9月20日(土)ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』担当I 文春文庫に村上訳がある。

10月18日(土)フォークナー短編集から『孫むすめ(ワッシ)』担当Y 新潮文庫に滝口訳がある。

 

次の予定(11月と2月を入れ替えて下記のようにしました。)

11月15日(土)ジャック・ロンドン『荒野の呼び声』担当K 新潮文庫にある。どの文庫を使うか決めたら早めにお知らせ下さい。

12月20日(土)カポーティ『ティファニーで朝食を』担当O 新潮文庫に村上春樹訳あり。

1月24日(土)オー・ヘンリー『オー・ヘンリー短篇集』から「最後の一葉」ほか。担当I これもどの文庫のどの短篇を使うか決めたら早めにお知らせ下さい。

2月11日(水)(祝)スタインベック『怒りのぶどう』担当N 上下2巻。いくつか訳が出ているがハヤカワepi文庫の黒原訳が読みやすいそうだ。

3月29日(日曜)でどうですか ドストエフスキー『罪と罰』担当Y 新潮文庫工藤訳上下2巻。

 

 2月と3月の間がかなり空くので、希望者があれば3月上旬に1回日本近代文学を入れてもいい。

 

 いつの日かマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』をやりたいものだ。

アメリカでやりのこしているものは ホーソーン『緋文字』、メルヴィル『白鯨』などなど

フランス文学なら  バルザック『ゴリオ爺さん』から

イギリスなら?   シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』から?

アイルランドなら? ジョイス『ダブリンの市民』から?

ドイツなら?    ヘッセ『デミアン』から?

中南米なら?    

メキシコのフェンテス『アルテミオ・クルスの死』、ペルーのバルガス=リョサ『緑の家』(アマゾンの話)、チリのイサベル・アジェンデ『聖霊たちの家』、アルゼンチンのボルヘス『伝奇集』(岩波文庫)に載っている『工匠集』から「ユダについての三つの解釈」(10ページの短篇だが勉強し考えることが沢山ある)、コロンビアのガルシア=マルケス『族長の秋』(独裁者の話)、ブラジルのコエーリョ『第五の山』(旧約聖書に材を取っている)などなど多数あるのだが・・?

中国なら?     魯迅『藤野先生』『故郷』が教科書に載る。

韓国なら?     チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』は女性差別をえぐり取る。

日本なら?     短篇をその場で読むなら?