James Setouchi
2025.9.18
島崎藤村『桜の実の熟する時』 岩波文庫・新潮文庫で読める。
1 島崎藤村
1871(明治5)年長野県木曽郡馬籠(まごめ)に生まれる。14才で東京に遊学(銀座の泰明小学校で北村透谷の後輩)、高輪台町教会で受洗、明治女学校の英語教師となるが、明治26年教え子との恋愛事件で学校を退く。教会も退会。関西旅行。『文学会』創刊に参加。明治29年東北学院の作文教師として仙台へ。明治30年帰京。詩集『若菜集』。日本近代詩を確立した画期的な詩集と言われている。明治32年信濃の小諸(こもろ)義塾の教師になる。秦フユと結婚。明治34年詩集『落梅集』。明治38年上京。明治39年小説『破戒』(自費出版)(日本の自然主義文学運動のスタートとなった)。明治41年『春』(青春時代を題材にした自伝的作品)を朝日新聞に連載開始。明治43年『家』(これも自伝的作品)連載開始。妻フユ死亡。明治44年『千曲川のスケッチ』発表。大正2年姪との不倫事件でフランスへ。大正5年ロンドン経由で帰国。大正7年『新生』(姪との関係を題材に描く)。大正8年『桜の実の熟する時』(『春』の姉妹編)刊行(大正2年から書いていたが中断していた。)。昭和3年加藤秀子と結婚。昭和4年~5年『夜明け前』(父をモデルとし、日本の近代を問い直す)を発表。昭和18年『東方の門』執筆中に脳溢血で倒れて死去。(東京書籍の国語便覧、明治書院の『日本現代文学大事典』などをベースにして作成した。)
2 『桜の実の熟する時』
島崎藤村本人によれば、前半はフランスで書き、後半は帰国後に書いた。
新潮文庫解説の三好行雄によれば、大正2年に『桜の実』を発表したがフランス行きで中絶。大正3年から7年まで『桜の実の熟する時』を断続連載した。大正8年に修正して刊行。
岩波文庫解説の片岡良一によれば大正2(1913)年起稿、難渋して大正6(1917)年完成。
『春』と同様作家自身の青春時代をモデルにして描いた、自伝的小説。『春』の直前の時期を扱う。
(1)先にモデルを記しておこう。岩波文庫の注釈ほかによる。
岸本捨吉=島崎藤村。
浅見先生=木村熊二。明治女学校設立、小諸義塾塾長。
田辺の主人=藤村の兄の知人、吉村忠道。藤村はこの家に寄寓していた。
民助=藤村の長兄。
大勝=日本橋の針問屋新七商店。
捨吉の父=藤村の父、島崎正樹。悲劇的な生涯を送る。『夜明け前』の主人公。
同窓の菅(すが)=戸川秋骨。『文学界』派。のち英文学者。
足立=馬場孤蝶。『文学界』派。のち翻訳家、随筆家。
一致教会の牧師=植村正久。明治のキリスト教牧師で、同時代に影響を与えた。
吉本さん=巌本善治。明治女学校教頭、キリスト者。『女学雑誌』を主宰。ここから『文学界』が生まれる。
嘉代=若松賤子。巌本善治の妻。
麹町の学校=明治女学校。キリスト教系。
青木=北村透谷。『文学界』派。数寄屋橋、麻布、芝公園などに住む。藤村に強い影響を与える。
操=北村美那。透谷の妻。娘もある。実在の北村美那は透谷の死後渡米するが、『桜の実』『春』にはこれは書いていない。
岡見=星野天知。『文学界』創刊。
磯子=松井まん。明治女学校生徒。のち星野天知と結婚。
勝子=佐藤輔子。明治女学校生徒。『春』では捨吉の恋愛の対象で、のち他の男と結婚し早世。
市川=平田禿木。『文学界』派。のち英語・英文学者。
西京の峰子=広瀬つね。明治女学校のOG。京都に住んでいた。『春』では捨吉より年上で姉のような存在として出てくる。
(2)簡単なあらすじ
明治20年代、まだ若い捨吉は浅見先生の周辺でキリスト教会に出入りし、知的な男女の交わりに喜びを覚えるが、年上の女性との関係を噂され、居場所をなくす。
同郷で世話をしてくれる田辺家(商家)に学び一時商人の修行をしようとする。横浜の店にも出てみたが、全く向いていなかった。
やがて菅、足立といった若者を介して文学の世界が広がっていく。麹町の女学校に教師として勤務するが、教え子・勝子への恋に苦しみ、芭蕉の漂泊に触発されて、自身も関西への旅に旅立つ。
(この先は『春』の世界に続く。『春』では関西から東京に帰ってきてからの岸本捨吉が描かれる。)
(3)感想など
『春』が明治41年、『桜の実の熟する時』が大正年間前半に苦労して書いて大正8年刊行とは、随分時間がかかっている。片岡良一によれば、『新生』問題を抱えフランスに旅立ち生き方に苦悩していた時期であり、『家』から『新生』へと展開する過渡期に位置する作品である。「大作『新生』の生まれ出て来る契機を、おぼろげならず示し得ている作品になっている」のだそうだ。なるほど。
すると、明治20年代に明治女学校で教え子・勝子への恋心に苦しんで関西へ旅だった岸本捨吉の姿には、本当は、姪のこま子との関係を清算するためにフランスに旅だった大正2年の藤村の姿が、投影されている可能性がある。そのまま明治26年に教え子・佐藤輔子への恋心に苦しんで関西に旅だった島崎藤村の実像だとは、理解しない方がいいのだろう。
わかりやすく図示すると、島崎藤村は、
明治26年 佐藤輔子への恋情に苦しみ、関西へ。
大正 2年 姪のこま子との関係を清算するために、フランスへ。
大正3~7年 『桜の実の熟する時』を執筆。フランスでは第1次世界大戦もあり、執筆に時間がかかった。内容は明治20年代明治女学校時代の、勝子との関係(『春』で扱った時代に先立つ日々)を回想して扱っているが、そのまま明治20年代当時の実像とは考えない方がいい。なお『新生』発表は大正7~8年。
となる。
三好行雄によれば、『春』は<早く生まれすぎた>世代の悲劇としてとらえて描いているが、『桜の・・』は岸本捨吉固有の悲劇としてのみ描かれる。捨吉は青春の魔術に酔えない。「<木曽の自然>につながれ、家霊の業(ごう)を負うた宿命」に捨吉は辿り着く。他方「関西への旅をいそぐ捨吉の・・わかわかしい足どりは、・・藤村の高ぶった心情のほてり」を伝える。「<『新生』の序曲>と呼ばれるにふさわしい小説」だ。(以上三好行雄、新潮文庫解説)
なるほど。姪との関係でフランスに逃げ出すのであればもっと暗いタッチになるだろう(実際『新生』第一部でフランスに逃げ出すところはかなり暗い)が、本作『桜の実・・』の関西行きの部分は案外明るい。フランスの生活で何かを得たと作家は確信し帰国した、それが明るいタッチになって本作末尾に投影されているということか?
それにしても、実人生でも作品中でも、すいぶん女性に手を出す人だ。いかがなものか、とまずは感じたが、少し違うかも知れない。本作でも、少なくとも冒頭の繁子との関係では、疑われるべきものではなかった(あくまでも本文による。自己深刻だからな・・)のに、その教会や人間関係から離脱しているし、勝子との関係でも、手を出さないで自分が辞職して旅に出るという選択をしている。(『春』の方では女学生の涼子が気を利かして(?)捨吉と勝子を会わせてしまうが、そこでも恋愛は成就しない。)
それでも捨吉は勝子に恋愛感情を抱いたのは確かだ。捨吉の(島崎藤村の)周囲には、明治になって流入した西洋の恋愛を讃美する文芸や、また特に北村透谷の恋愛讃美の文章(本作に本文が挙げてある)が多く存在した。これらに、島崎藤村は大いに触発されてはいただろう。冒頭にも繁子という年上の女性といい気になって交遊していた、というくだりがある。
北村透谷(作中では青木)は、よく読めば、恋愛を手放しで絶賛しているわけではないのだが、本作の捨吉は、周囲の男女に影響を受けたためでもあろう、まるであおられるようにして教え子への恋情を抱くことになる。姪に手を出した事情については知らない。(その前に妻が死去している。)(もしかしたら、幼くして母と別れて暮らしてきたことが女性を求める心を育てたのだろうか? よく言われる「母恋い」文学というわけだ。)
もちろん、江戸時代も含めて妾制度や遊女の制度があって、日本人男性は女性に対して潔癖であったわけでは決してない。島崎藤村だけを「軽い」「惚れっぽい」「しまりのない」男と批判することはできない。古来『伊勢』『源氏』を出すまでもなく、「軽い」「惚れっぽい」「しまりのない」男は沢山いたのだ。(それを肯定するわけではない。私は女たらしと軍国主義者が嫌いだ。)それらに比べれば捨吉は(島崎藤村も)男女関係には潔癖かも知れない。(姪に手を出したのは批判されるが。)
だが、本作において私にとって違和感があるのは、キリスト教会やキリスト教会の経営する女学校で、若い男女が出会い。そこが恋愛の(出会いの)場になってしまっていることだ。もちろん、現実にはそういうことはあるだろう。若い男女は出会ってしまえばどこででも(大学でも、スポーツクラブでも、合唱サークルでも、お寺でも、盆踊り大会でも、推し活の交流会でも、お稽古事の教室でも、職場でも、)恋愛に陥ってしまう危険性がある。だが、キリスト教会とは若い男女の恋愛する場所だ、と考えるとすれば、これは全く違うのではないか?(旧約雅歌に若い女性を讃美する詩句もあるが、自由恋愛を讃美しているわけではない。)老若男女が兄弟姉妹となって親愛しあいながら交わるのであればよいが、そこに恋愛対象を求めに行くというのは、どうなのだろうか? でも島崎藤村に限らず、明治はじめの若い男女は、そこに恋愛の出会いの場を求めてしまったかも知れない。当時の若者にとって、西洋から流入した進んだ明るい文化として、キリスト教、西洋の文芸、恋愛の思想、さらには高度な科学技術や西洋式生活スタイルなどなどが渾然一体となっており、あまり区別が付いていなかった可能性がある。その違いがはっきりするまでには、深い思索の積み重ねが必要だった。(内村鑑三はキリスト教=アメリカ文明への憧れが、アメリカ留学で打ち砕かれ、真のキリスト教信仰とは何か? という問いを深めていった。)島崎藤村の青春の苦悩も、大きく言えばこの思想的な格闘の中に位置づけられるだろう。本作では結局捨吉は教会から籍を抜く。彼が(藤村が、も含め)最後までキリスト教を気にしていたかどうかについては、別に研究が必要だろうが、今はそこまでできない。本作では教会から籍を抜くが神への祈りは最後まで続く。
ここで私の過去の発言を引用する。「キリストの愛はアガペ。アガパオー(愛する)という動詞で理解するとわかりやすい。エロスは求める愛。フィリアは友愛。アガペをラテン語でカリタスと言い、チャリティーの語源。仏教では愛は煩悩。キリシタンが来たときカリタスをキリストの御大切と訳した。中江藤樹が「愛」と「敬」を言った。「愛」が肯定されている。伊藤仁斎が「仁は愛なり」と言った。これはいい意味。西郷隆盛の「敬天愛人」は幕末なので基督教の影響か。漱石は『虞美人草』で「愛の女王」=「我(プライド)の女王」=藤尾を描き、『三四郎』で「愛」の言葉を周到に消し、『それから』で再定義して集中的に「愛」を問うた。『こころ』の先生も「愛」の人だ。漱石は「愛」を問うた作家だ。」(某読書会から)
愛媛の「愛」は「愛比売(えひめ)」からきており、この「愛」は「笑顔で愛らしい」というほどの意味。愛知は「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」の転じたもので、「愛」とは何の関係もないそうだ。「愛知」と書くとフィロ(愛する)ソフィア(知恵を)の意味になってすごい意味になる。
説経節『愛護の若』の主人公はなぜ「愛護の若」と言うのか? 「若君様にてましませば、すなはち御名を、愛護の若とぞ申し奉る・・父母の寵愛限りなし」とあり、①新潮古典集成の頭注では「『愛護』は大切に保護する意」とある(312頁)。親が若を寵愛し大切にいつくしみ守るのだろう。②「寵愛」は日本国語大辞典によれば、『続日本紀』764年の記事や『今昔』3-25にもある概念。仏教的にはすべて煩悩。ここでも煩悩ながらかわいがったというニュアンスだろう。③『愛護の若』とキリスト教の枠組み(罪なき者が死んで神になる)が似ていることはつとに指摘されているが、実際戦国期にキリスト教が入ってきていてその影響を受けたのか、それに「愛」という概念がどう関わるのかは、丁寧な論究が必要だろう。
外国から新しい概念が入ってきて、それを消化する中で、私たちの文化は広く深くなる。恋愛及びキリスト教の「愛」の思想が西洋から入ってきたことは、私たちの精神文化を豊かにした。
(参考)イエスがペテロに「あなたは私をアガパオーするか?」と問うたとき、ペテロは「はい、私があなたをフィレオー(フィリアの動詞形)していることはあなたがご存じです」と言った。しかもこの会話は3回繰返された。(ヨハネ伝21章15~17)(日基教団上大岡教会の2012年4月29日の記事から。)ペテロは、努力してアガパオーし続けます、と言う自信がなかったのだろうか・・
そこで、捨吉の勝子への思いは、果たして「愛」なのか? と問うことが出来る。
あえて言えば、これ以上迷惑をかけないために身をひく行為に、捨吉の彼女へのアガペーの「愛」があるかもしれない。『春』では涼子(岡見の妹)が気を利かせて、捨吉と勝子を会わせてしまうのだが。そういうことも一切要らない。どうせ成就できないとわかっているのだから、捨吉は黙って身をひけばよい。それがこの場合の「愛(アガペー)」であって、会いに行く・手紙を出すなどは、すべてエロス的欲求の表れでしかない、と言えば、厳しすぎるだろうか?
結婚すれば、長い時間をかけて忍耐強く相手を「アガパオー」していく。思いつきで誰かれと浮気や不倫をするわけにはいかない。相手が病気でも年を取っても一緒に暮らして大切にするのだ。エロス的欲求のままに他の男女に「のりかえる」のではない。始めから離婚を当て込んで結婚する最近の(アメリカの)風潮は、どうなのだろうか。不動産の有期契約のような結婚を「結婚」と言うのだろうか? 神が結び合わせた者を人間の手で引き離してはならない、と聞いたことがあるが、T大統領は(キリスト教を標榜しているわりには)何度も離婚再婚を繰返している。
『春』でも『桜の・・』でも、捨吉は(藤村は)、青木と操(北村透谷と美那)の先行例で、恋愛から結婚して幸福になれるかどうかはわからない、むしろ難しい、という実例を目の前で見せられている。捨吉は勝子をアガパオーし続けることができないと分かっていたから結局恋愛感情を封印し放浪の旅に出た、と言ってみたいが、果たして作者・藤村はそこまで考えていたかどうか。封建的な世間体にこだわっただけだろうか? (『新生』第1巻125では彼女に親の決めた許婚がいたので岸本捨吉が失恋したことになっている。「経済上の安心」がないとだめだとも。)
他方、藤村の詩「初恋」はエロス的欲求を讃えた詩だ。サタンの誘惑でリンゴの木の下で男女がエロス的関係を結ぶ。仏教で言えば、煩悩である。それでも藤村は美しく叙情的に「初恋」を歌い、また実生活でも女生徒への恋情を持ってしまう。ここが、エロス的情熱を肯定しようとする藤村なりの「近代」の現われだった、ということになるのだろうか。しかしそれは同時に封印しなければならない。制度の制約下にある者はそうせざるをえない。アガペを知る者もそうする。制度の制約でするのか、アガペのためにするのか、では現れ方が違う。
情熱と制度の対立はかねてから語られてきた。江戸期なら追い詰められて心中するところだ(近松『曽根崎心中』ほか)。ここではそうではなく、エロス的情熱とアガペ的愛の対立を持ち込んでみた。作品のまっとうな解釈からは逸脱している。横殴りの批評と言うべきか。
エロス的情熱を肯定するのか、それをアガペーの愛により制限・封印するのか。どうですか?
念のため重ねて言うが、男女の恋愛感情など卒業して兄弟姉妹として親和すればよい、と私は思うのだが。
補足だが、捨吉は冒頭の「失敗」で、級友からひどい仕打ちを受ける。「白ばっくれるない」と級友は捨吉に声を浴びせかける。これはつらい。キリスト教は愛と許しの宗教ではなかったのか? 瑕疵(かし)のある者を断罪し排除し白眼視することを、キリストは諫めたはず。(「汝らのうち罪なき者、まずこの女を石撃て。」ヨハネ伝8-3~11)ホーソン『緋文字』やフォークナー作品に描かれた不寛容を思い出す。そんなキリスト教徒だけじゃないよ、もちろん。
(まだ途中)