James Setouchi

2025.10.6

 

ティム・オブライエン『カチアートを追跡して』 ヴェトナム戦争の現場で

Tim O’brien 〝GOING AFTER CACCIATO〟

 

1        ティム・オブライエン(1946~)

 ミネソタ州生まれ。マカレスタ大学卒業後ハーヴァード大で政治学を学ぶが徴兵でベトナム戦争に歩兵として従軍。復員後政治記者を経て作家に。ヴェトナム体験に基づく作品が多い。著書『ぼくが戦場で死んだら』『カチアートを追跡して』『本当の戦争の話をしよう』『世界のすべての七月』『失踪』『ニュークリア・エイジ』など。(集英社世界文学辞典の解説から)

 

2 『カチアートを追跡して』生井英考・訳 国書刊行会 1992年

 「この本が面白いから是非読んでみて下さい」と何年も前に尊敬する知人に言われ、探していたがずっと入手できなかった。最近友人がどこからか探してきてくれ、初めて読めた。面白かった。ヴェトナム戦争の前線から離脱する米兵の話だ。1970年代にアメリカで発表されたときはヴェトナム戦争終結直後で、生々しい感覚で読まれたに違いない。

 訳者の生井氏によれば、もともとは1976年、1977年など数年間にわたり独立した短編小説として発表されていた。あるとき作者が全体を取りまとめ、大いに加筆・削除・改定などを行い、1978年に長編『カチアートを追跡して』として刊行した

 

 (以下、ネタバレ)カチアートという若いアメリカ兵が戦線を離脱し陸路パリに行こうとする。戦友たちは彼を逃亡兵として追跡することになった。だがいつの間にか、カチアートを追跡するはずの小隊の面々が実は戦線からの離脱者・逃亡者の様相を呈してくる。彼ら自身が、カチアートに手引きされパリへパリへと行くことを夢想するようになっている。その中に現実の前線での戦友の悲惨な死やアメリカでの家族や恋人との思い出が織り込まれる。彼らは果たして無事パリに着くのか、着いた先に何が待っているのか・・・? を読者の興味としつつ、この戦争とは一体何であるのか? 軍隊や兵士の実体とは何か? 等々を問いかける作品になっている。

 

 読んでいて、時間と空間が錯綜し、一体どこまでが現実でどこからが妄想なのか、一見分かりにくい。もしかしたらすべてが妄想だったのかもしれない。そうだとしても、ヴェトナムの前線にいる兵士たちの現実から出発した妄想だ。そこにはヴェトナムの前線という、アメリカの若者にとって異質な世界での悪戦苦闘があるから、その対極にある平和な日常生活のありがたさが身にしみる、という構造になっている。

 

 主人公はカチアートかと思ったら、必ずしもそうではない。カチアートは少ししか出てこず(然し重要な役回りだが)、カチアートを追跡する小隊の面々、特にポール・バーリンが主要な登場人物だ。ポール・バーリンは故郷の父とのことを回想したり、ヴェトナム人女性と恋に落ちたりする、極めて人間的な人物だ。人間的な感情を持つ自分と過酷な戦場における軍隊組織の歯車としての自分との間で苦しんでいる。

 

(登場人物)

カチアート:アメリカ兵。ヴェトナム戦線から離脱・逃亡し陸路西へ西へと移動しパリを目指す。追跡する小隊の面々を戦線離脱する方向に誘っているように見えるが・・

ポール・バーリン:カチアートの戦友。カチアートを追跡する過程でヴェトナムの若い女性サーキン・オゥン・ワンと知り合い愛し合うようになる。

サーキン・オゥン・ワン:ヴェトコンに家族を奪われたベトナム人女性。アメリカ兵と行動を共にする。

リ・ヴァン・ゴク:ヴェトコンの少佐。なぜか地下空間に暮らしている。その理由は・・

シドニー・マーティン中尉:カチアートたちの隊長。兵学理論に詳しいが杓子定規な命令を下すので実戦に向かず、部下を複数失った。そして・・

コーソン中尉:シドニー・マーティン中尉の後任の隊長。カチアートを追跡する一行の隊長だが赤痢になるなど病に苦しむ。

ジム・ペダーソン:アメリカ兵。戦地に送られてすぐ味方のヘリに撃たれる。

ビリー・ボーイ・ワトキンズ:戦場で恐怖心から心臓麻痺を起こし死亡。

ヴォート:感染症で戦線から離脱、日本で療養。腕を切断。

ベン・ナイストロム:自分の足を撃ち戦線離脱。

フレンチー・タッカー、バーニー・リン:ヴェトコンの掘った穴蔵で死亡。

オスカー・ジョンソン:アメリカ兵。軍曹。カチアートを捕らえようとする急先鋒。

ドク・ペレット:小隊の衛生兵。

ハロルド・マーフイ、エディ・ラツッティ、バフ(死亡)、ルディ・チャスラー(地雷で死亡)、レディ・ミックス(死亡):アメリカ兵。

イラン兵の若者:処刑される。

ファウィ・ラロン:イラン王室銃歩兵連隊の大尉。アメリカ兵たちに親切に当たる。

SAVAK(パーレヴィ王朝の情報機関)の大佐:イランの将校。アメリカ兵たちに厳しくあたる。

スティンク・ハリス:アメリカ兵。ギリシアまでやってきて小隊から離脱。

カリフォルニア出身のアメリカ人女性:自称革命家。アメリカ兵たちを逃亡させる手伝いをしようとする。

ジョリー・チャン:デリーで出会った料理店の女性。中尉は彼女に恋をする。夫はハーキュアズ。

ルイーズ・ウィアツマ:ポール・バーリンのハイスクール時代のガールフレンド。

ニクソン:当時のアメリカ大統領(在職1969~74)。

アイゼンハワー(アイク):第2次大戦時連合国遠征軍最高司令官。のちアメリカ大統領(在職1953~61)。

 

 指揮官たるシドニー・マーティン中尉は考える。「この戦争にどこか間違っている点がある」「要するに共通の目的が欠けているのだ」けれども「はっきり言ってしまえば死こそがその目的、戦争はとはつまるところその手段なのだ」「死という結末に直面するための手段、そしていくたびとなく繰り返されるその結末」「あらゆる男たちが自分自身にとっていちばん大切なことを学ぶための使命、それが軍務なのだ」任務とは「ひとりの男が自分の勇気と忍耐と意志の力を試すための、いわば個人的な責務の証しとしてあるような使命なのだ」Ⅰの267~268頁)・・・シドニー・マーティンはこのようなハードボイルドでマッチョな思想の持ち主だ。戦場で死と直面することで男は鍛えられる。それゆえ中尉は軍律通りの厳しい命令を部下に下す。・・だがそれは兵隊に無駄死にをもたらし、兵たちの反発を買った。兵たちは事故に見せかけて中尉を爆殺する。・・このエピソードで作家は何を示そうとしているのか? 軍隊の規律を前提として構築した中尉のマッチョな思想は、非人間的で、部下たちにとって受け入れられるものではない。その思想ゆえに中尉は殺害されてしまう。その思想を体得してしまった中尉自身が軍隊の犠牲者と言える、ということでないか? そして、「軍隊」のところに「会社」なり「国家」なり「宗教団体」なり「党」なり封建時代であれば「お家」なりを代入すれば、この問いは軍隊以外の場面にも通用するものとなる。「甲子園」「五輪」を入れてもいい。人間社会は人間のためのものでなければならないのに、いつの間にか目的と手段は転倒し、軍隊や会社や国家などなどが人間の上位に立ち、与えられた絶対的な使命のために人間は鍛えられ使い捨てられるべきだ、と思い込んでしまう。非常に非人間的な事態だ、と作家は感じているのではないか? しかも主語は「男たちは」である。女は排除されている。

 

 ヴェトコンの脱走兵であるリ・ヴァン・ゴクは、10年間の地下幽閉生活を命じられる。(実際にヴェトコンがそのような命令を下したかどうかは知らない。)28才だが50才に見える。ハノイ育ちで家族に恵まれ出来のいい学生だった。徴兵され南への浸透命令を受けた。「未来がすべて破壊されたんだ」「戦争で全部駄目にされたんだ」「だから」「脱走したんだ」「最後には捕まったよ。裁判はたった八分間だったけ。・・全員一致で有罪」「地下トンネルに一〇年間幽閉」「畜生! 一〇年だよ。一〇年、一体なんのために? ねえ、なんで?」ヴェトコンの脱走兵たる若者は米兵たちの前で泣く。(Ⅰの156~159頁)・・戦争と軍隊が人間の平穏な生活を理不尽に踏みにじる様がここにも描かれている。

 

 夢に見たパリ。遂に一行はパリを目前にし、ドイツの都市を通過する。「文明の洗練、清潔、高い知性と抑制された死の気配、暖かな学び舎(や)では学問が修められ、科学と芸術と高い煙突を通して実りをもたらす産業の文明がそこにある。これこそが目的ではなかったか。ゴールはこれではなかったか。徳目のしからしむるところ、価値ある事物とはこれではなかったか。そう、これこそが追及すべき自由というものではないのか。もしも文明に意味があるとすれば、それがこれでなくてなんであろう」(Ⅰの162頁)・・・ここで、戦場(絶えず死がついてくる)と対照された平和なヨーロッパが語られている。文明に意味はないかも知れない(高度な殺傷能力を持った技術を開発するのが文明だとすれば)。だが文明に意味があるとすれば、この西欧の文明がそれだ。「暖かな学び舎」の「学問」がある、「科学と芸術と高い煙突を通して実りをもたらす産業の文明」がある。私は、作家(ここの語り手は恐らくポール・バーリン)が「学問」を先に置き「産業の文明」を後に置いたことにも注目する。「学問」「産業の文明」ともに大事だが、前者の方がより大事だという作家の価値観が投影されてはいないだろうか? 後者は軍事技術や貧富の差を生むこともあるから、とまで作家はここでは記していないが。

 

 ヴェトナム戦争の意義は? 「それは圧制を匡(ただ)し、暴虐と抑圧に立ち向かうことだったのではないか。」「だが、そう―何かが誤ったのだ。事実が、状況が、そして叡智がそう告げている。」(Ⅱ162頁)

 

 遂にパリに到着。一行は思わず笑みがこぼれる。教会があり学校がありカフェがあり公園のベンチがあり渋滞があり勤め人がいて娘たちがいる。釣り人がいて絵描きがいる。美術館がある。読んでいて、これらが本当にありがたいと思える。「平和って一体何だろう。それは控えめなものだ。それが学んだことのひとつだった。平和はことさら見せつけるようなもんじゃない。あると信じて探さなければ見つかりはしないものなのだ」(Ⅱ187~188頁)

 

 ポール・バーリンはヴェトナム人の若い女性サーキン・オゥン・ワンと逃亡し平和なパリで二人の生活をすることを夢見る。だが一方には軍務があり決断できない。サーキン・オゥン・ワンはポール・バーリンに、軍務を捨てる勇気を持てと促す。

 

 サーキン・オゥン・ワンは言う、「わたくしはあなたに暴力と訣別するよう望みます」「実りのないカチアートの追跡などお止めなさい」「パリを見て、愉しんで、幸せにおなりなさい」「あなたは・・素晴らしい家づくりに励むでしょう。・・苦難に耐え、成長し、さまざまなものを産み育ててゆくでしょう」「行動しなさい。あなたの夢は素晴らしいのだから、思い切って一歩を踏み出してそのなかに入り、そしてそれを生きなさい。偽りの義務に惑わされてはいけません」「本当に果たすべき義務とは何なのでしょう? 人生そのものの中にある平和と生き方を追究することではないのでしょうか?」「いまこそ、最後の勇気を振り切るときなのです」(Ⅱ226~228頁)・・こうして、カチアート追跡という軍務から離脱し、家庭の平和を築くべきだ、それが真の勇気だ、軍務を遂行するのが勇気ではない、とサーキン・オゥン・ワンは主張する。

 だが、ポール・バーリンは、軍務離脱に踏ん切ることが出来ない。彼は言う、自分には義務感がある、カチアート追跡の任務の背後には、故郷・国家・仲間の兵士たちに対しての誠実という名の約束がある、両親の眼に、故郷の人びとの眼に、友人たちの眼に映る自分を考えると、逃げ出して卑怯者と言われることが怖い、・・・と。(Ⅱ229~232頁)(同じ動機は『本当の戦争の話をしよう』の「レイニー河で」でも語られる。「体面」ゆえに兵役離脱の勇気が出なかった。と。)こうして、ポールは、彼女との生活を選ばず、軍務を継続することを選ぶ。

 

 この話には二つのオチがある。

 

 一つは、サーキン・オゥン・ワンは、ポールではなく、コーソン中尉と去ってしまう、軍務の命令者自身が軍務から離脱してしまうというオチだ。中尉自身がすでに嫌気が差していたのだが、オスカー軍曹はじめ兵士たちが中尉を担いでここまで連れてきていたのだ。

 

 もう一つはもっと強烈なオチだ。パリの路地裏に潜伏しているカチアートを兵士たちは包囲し追い詰める。突入したその瞬間、爆発でポールは吹き飛ばされる。ポールは泣く。力が抜ける。その瞬間、ポールは夢想から目覚め、現実に帰る。そこはパリではなく、ヴェトナムだった。今までの長い物語は、ポールが一瞬に見た夢だったポールは本当はヴェトナムでカチアート逃亡兵を捕獲する場面で恐慌(きょうこう)に駆られ銃を乱射し失禁してしまっていたのだ。パリへの長い長い道のりはすべてが白日夢だった。現実には失禁した惨めな自分がいるだけだった。両親や故郷の人びとや仲間の兵士たちに誠実たらんとし軍務をこなそうと(夢で)立派に主張した自分だったが、現実は恐慌と乱射と失禁、これだった。いかにご立派な大義を掲げても、また、国家という抽象的なものでなく、家族や故郷の人びとという顔の見える存在に対する責任を(ポールのように)考えたとしても、身心の必然として、できないものはできない。前線にあっては恐慌に駆られ銃乱射し失禁しがちである。これが普通の人間の反応だ。ポールに限らず「よくあることさ」と中尉は言う。(Ⅱ248頁)

 抽象的な「愛国心」は地に足が着いていないが具体的な顔の見える「愛郷心」は地に足がついたものだ、という言い方があるが、具体的な顔の見える「愛郷心」から発したものであっても、戦場では身心が言うことを聞かず恐慌に駆られ失禁する、ということだ。殺しあい自体を人間は本能的に嫌うのだ、と私は考える。ヒトはホモ・サピエンス発祥以来何十万年も助け合って生きてきた。愚かな殺し合いを始めたのはつい最近なのだよ。私はそう認識している。

 

(補足1:言うまでもないが、国家のために戦って死ぬことが家族のためになるとは限らない。国家の大義を掲げて兵士として死ぬことが家族を窮地に陥れる場合も多い。独裁軍事政権の場合などを考えれば、戦場で他国軍(民主国家の)と戦うよりも、独裁軍事政権が退場して平和政権になってくれる方が、家族を生かすことにつながる、ということは世界史上いくらでもあっただろう。第1次大戦時のドイツやロシアでは、長い戦争状態に対して兵士たちが怒って革命を起こし政権を転覆した。松元雅和『平和主義とは何か』中公新書2013年 をお読み下さい。)

 

(補足2:軍産複合体の存在とその解析までは本作は筆が及んでいない。)

 

(補足3:「国のために死んだ人は尊い」という言い方は要注意だ。国家のためといいながら当時の支配層のためでしかなかったかもしれない。上層部に言われて仕方なく前線に向かうが、積年の軍国主義教育によるマインドコントロールのため致し方なく「志願シマス」と自分に言い聞かせ他にも表明しただけかもしれない(そうだと思う)。具体的な人びと(家族や友人や家郷の人びと、特に自分がケアしなければならない子どもや高齢者や障がい者)のためには、自分が死ぬのではなく生き延びてケアし続けることが絶対に必要だ。国家のためと信じ込まされて死んだ人は純粋正直ゆえの悲劇であって、これに対し、国家のウソを慧眼(けいがん)にも見抜いて、歯を食いしばって生き延びて平和で自由で豊かな社会を建設した人の方が賢明で洞察力があり尊かったかもしれない、いや、比較の問題ではなく、そういう人は本当に尊い。(鴻上尚史『最後の特攻兵』を見よ。)もちろん兵士を死なせて自分は卑怯にも生き延びた将軍や支配者層はケシカラン。坂口安吾(あんご)が「嘘をつけ! 嘘をつけ!」と怒った通りだ。これは厳密に考えると将軍が生き延びたのがケシカランのではなく嘘をついて兵士たちを殺していったことが実にケシカランのだ。「国のために死んだ人が尊かった」という言い方は「だからお前らも国のため死ね、死んだら祭ってやるから」という論理を生み出す。大変危険な思想なのだ・・・おわかりですかな?

 

 コーソン中尉は、カチアート追跡を断念し、「あいつはうまくやるかもしれんぞ」「悲しいぐらいの勝ち目しかないとしても、それでも―」と言う。(Ⅱ254頁)戦場の倫理(りんり)から離脱し非戦の生き方を獲得することは、可能性は低くても、できるかもしれない。カチアートはその可能性を信じて一歩を踏み出した戦争をなくし平和な世界を築くことは、可能性は低くても、できるかもしれない。我々はその一歩を踏み出すことが出来る。実際、アメリカはヴェトナム戦争から撤退した。そしてそれは、恐らく正しい選択だった

 

(日本との関わり)

 日本はベトナム戦争には参加していない(当然だ)。但し沖縄の米軍基地から米軍の爆撃機が飛び立った。また戦争に際して特需があったろうが、詳しくは知らない。

 本作では「パリへの途上の残虐非道」の章で、第2次大戦のドイツと日本について、米兵のドク・ペレットが「奴らが敗けたのは目的のためじゃあない。物資のためなんだ。・・奴らの敗因は十分な軍需物資を生産できなかったってことに過ぎんのですよ」と言うと、イランの将校ラロン大尉が「彼らの大義名分ではよその国を賛同させられなかった」「彼らの言い草は大義なんてものじゃなかったからですよ」「純粋に道義的な戦争目的がなかったことが敗北を呼んだということになるわけですな」と反論する。(さらにドクは、「普通の兵隊はそんな目的だの大義だのなんてのはこれっぱかしも考えてやしない」「考えてることって言やぁ、どうやったら生き残れるかってことだけ」と発言するのだが・・)(Ⅱ41~42頁)

 この議論がアメリカ全土ではどうなされているかについては知らない。オブライエンは以上のように記した。大東亜戦争肯定論者や歴史修正主義者の方には言い分もあるかも知れないが、日本軍が物資がなく戦争を継続できる状態でなかったとは知られている。(同じ日本軍同士で盗難が横行した。大岡昇平『靴の話』、今日出海『山中放浪』などをお読み下さい。)日本軍が食糧が無いため食糧の現地調達をしてたとえばフィリピン戦線で現地人にひどく嫌われたことも知られている。朝鮮半島や中国大陸でも、(その後の現地政権の政治的意図を別にしても、)当時敗軍である日本軍に対して現地の人が大いに同情して「もっといてください」「この国にとどまって下さい」とこぞって懇願(こんがん)したわけでは無く、日本軍が出ていくことを自分たちの解放と把(とら)えて喜んだことを考えれば、大東亜解放戦争などという大義名分はどこかに消し飛んでしまっていたことは明々白々だ。大東亜解放戦争が本当に正しかったのだとすれば、朝鮮半島や中国大陸から「日本は正しかった、もっと日本にいてほしかった、日本、出て行かないで下さい、もっといてください、ああ、日本を追い出したのは誤りだった」という声が湧き上がるはずではないか? だが、現実はそうではない(、その後の政権の政治的意図によるコントロールがあるにせよ)。それにしても、アメリカ軍であれ日本軍であれヴェトコンであれ、戦争になると兵士たちは大義名分とは別に、幸福な家族から引き離されてしまった、今を生き延びられるか、今すぐ死ぬのか、というギリギリの状態に追い詰められ、自ら自身に思考停止を課す、とは本作に繰り返し書いていることだ。

 

(本作に書いていないその後の話)

 以下は本作に書いていないその後の話だが、ヴェトナム戦争の難民が苦労したことは言うまでもないが、たとえばアメリカに移住してアメリカ国民となりアメリカ社会を支える一員として頑張っている人も多いと聞いたことがある。ヴェトナム本土は社会主義国になるが、その後ドイモイ政策で市場原理を導入、日本企業などもそこに参加している。今やヴェトナム出身の実習生や労働者が多く日本にやってきている。

 外務省によれば「(1)1986年、ドイモイ(刷新)政策により、資本主義的な経済運営の仕組みを導入。1989年ごろから次第にその成果が出始め、アジア経済危機(1997年)や金融危機(2008年)の影響で一時成長が鈍化した時期があったものの、1990年代及び2000年代におおむね高成長を遂げ、2010年に(低位)中所得国となった。

(2)2010年代は、マクロ経済安定化への取組に伴い、再び一時成長の鈍化がみられた時期もあったものの、後半はASEAN域内でもトップクラスの高い経済成長を達成(2015年6.68%、2016年6.21%、2017年6.81%、2018年7.08%、2019年7.02%)。数多くの自由貿易協定(FTA)への参加(2023年末時点で16のFTAが発効済)、ODAを活用したインフラ整備、比較的低賃金で良質かつ豊富な労働力を背景に、製造業を中心とした、外資・輸出主導型の経済成長を続けてきた。

(3)2020年代に入ると、新型コロナ感染症の影響により低水準の成長率となったが、それでもベトナムは、同期間中ASEAN主要国内で唯一年間でのプラス成長を維持した。その後、速やかにコロナ禍から立ち直り、2022年は8.02%という高成長を達成。人口が1億人に届く規模となり、それに伴って中間層が増加していることから、最近では内需志向型の外国投資も増え始めている。2023年は世界経済の影響で5.05%成長と政府目標を下回るも、足元では回復ペースが加速している。」(外務省ベトナム社会主義共和国基礎データの13経済概況。R6.11.20)

 なお1979年に中国がヴェトナムに侵攻するが敗退して撤退した(中越戦争)ことも覚えておきたい。

 

 

参考:

ノーマン・メイラー『裸者と死者』:太平洋戦争時、太平洋の孤島で日本兵と戦うアメリカ兵。アメリカ兵目線。高級将校の悪意あるたくらみ、仲間のぶつかりあい。我々は捨て石にされるのか?

今日出海『山中放浪』:第2次大戦でフィリピンの山中をさまよい歩く。激しい砲撃、爆撃。日本兵は武器も食糧もなくぼろぼろの姿で立っていた。

沖縄タイムス社『鉄の暴風』:太平洋戦争。沖縄に爆弾の嵐が降り注ぐ・・・

大岡昇平『レイテ戦記』:レイテ島で日本軍の無名戦士たちはどう戦ったか。戦史は有名な将軍の功業においてのみ語られるべきではない。「一将功成って万骨枯る」と言う。大岡は無名兵士たちに注目する。大岡はアメリカ側の資料も参照して書いている。

ヘミングウェイ『河を渡って木立の中へ』:第2次大戦でノルマンディー上陸の後ヒュルトゲンの森の戦いでアメリカ軍がドイツ軍に大敗した様子が書いてある。

 

レマルク『西部戦線異状なし』:第1次大戦時、フランス・ドイツ国境で悲惨な戦闘をするドイツ陸軍兵。ドイツ兵目線。最後は塹壕(ざんごう)でスコップを持っての肉弾戦だ。

ヘミングウェイ『武器よさらば』:第1次大戦、北イタリア戦線。ドイツ軍の猛攻に連合軍(イタリア軍)は悲惨な退却をする。主人公は恋人ととに戦線離脱するが・・

ショーロホフ『静かなるドン』:第1次大戦からロシア革命、内戦期。ドン・コサックたちは一体何のために戦っているのか? 何が正義なのか?

マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』:南北戦争。南部・南軍(アメリカ連合国)目線。北軍が南部に押し寄せる。アトランタは火の海。スカーレットの故郷にも北軍(ヤンキー)兵士がやってきて・・