05秋 北海道旅行記④ 阿寒湖のホテルにて
今回はあまり旅日記的ではないのですが、どうしても書きたかったので。
誤解のないように初めに言っておきますが、決して差別や民族否定をしているわけではありません。
阿寒湖温泉は、中国人観光客の誘致に力を入れているのか、泊まった「ニュー阿寒ホテル」にもたくさんの
中国人観光客がいました。
別にそのこと自体ははどうでもいいことで、むしろ京都や六本木ヒルズだけでなく、こんな日本人でも
めったに行かないような場所に外国の方に来ていただいて、自然環境のすばらしさや、アイヌの文化に
触れてもらうことは素晴らしいことだと思います。
まあ、何で阿寒湖なの?といった疑問は残りますが。。。
だってねえ。。。中国の方が大自然たくさんあるでしょ?少数民族だって、うじゃうじゃいるんだし。
少数がうじゃうじゃって、ちょっと文章変だけど。
なんで阿寒湖なんですかね?遠いですよね。高いだろうし。マリモが見たいの?
いえ、そのこともどうでも良いのです。
これは、たまたまそこにいたのが中国人だったというだけで、おそらく僕も、外国に言ったときに無意識に
その国の人に同じようなキモチを抱かせてしまっているのかもしれません。なので、初めに言ったとおり、
差別的なことを言いたいわけではないです。
中国人観光客を積極的に誘致するのであれば、日本人客にも迷惑を掛けないよう、マナーや文化に
ついて、多少なりとも啓蒙をする必要があるのではないかと思います。
そうでないと、日本人観光客が離れてしまう。
フロントの列に並ばない。
食事中にぎゃあぎゃあ、遠くのテーブルの人と大声で話す。
湯船にタオルを浸ける。
どれも、かの国ではマナー違反でもなんでもないのでしょう。それは、文化の問題だから、母国にいる間は尊重されるべきです。けど、ここはあの人たちにしてみれば外国ですし、外国人の国ですから。
それは、アイヌコタンに足を踏み入れるときの、和人である僕が意識しなくてはいけないことでもあります。
まあ、中華民族というくらいだから、外国の文化などどうでも良いと無意識下で思っているのでしょう。
いつも浅草寺に行くと思うのです。
境内に入ると、右側に、龍のオブジェから水が流れている手洗い所がありますが、よく日本以外の
東アジアからの観光客と思われる人たちが、流れる水を手で触ったり、龍の頭をなでたりしながら、
写真を撮っています。
あれは、日本人なら手洗い所の意味がわかっているから、あんなにはしゃいだりしないし、流れる水で
直接手を洗ったりしないけれども、おそらく彼らにしてみれば、龍のオブジェから水が流れていたら、
それはそれをいじりながら、写真を撮るべきものなのだろう。と。
要するに僕がいいたいのは2点。
・靖国神社とは、そういうものである。
・外国に行ったら、関西弁で大声で話すのはやめましょう。
明日からは又、旅行記書きます。
05秋 北海道旅行記③ 屈斜路湖・摩周湖・阿寒
23日
朝起きて気づいたが、ホテルからの網走湖の見晴らしは最高。
朝食を済ませ、早めにチェックアウトし、屈斜路湖へ向かう。
天気は相変わらずの降ったり止んだり。寒い。
途中美幌峠から、屈斜路湖を眺める。晴れた日はオホーツク海まで見えるらしい。
屈斜路湖では、湖畔の屈斜路コタンアイヌ民族資料館へ。
アイヌの人々の宗教観の一端に触れることが出来、興味深かった。
狩猟民族であるアイヌは、「神は動物の毛皮を着て現れ、人に貴重な肉と毛皮をもたらた後、その魂は
神の国へ帰る。」という考えをもっているらしい。
そう言えば以前読んだことのあるアイヌの民話なんかでも、平気で鮭や熊と、人間が結婚したりする。
狩猟の対象は、すなわち神なのである。
ちなみにアイヌの民俗学的なポジションについてだが、いわゆる「えぞ・えみし・えびす」と呼ばれ、
本州から弥生人によって北に追われた現縄文人であると言う説以外にも、樺太やシベリヤ、
エスキモー(あえて)までを含んだ、壮大な北方民族の文化圏に属すると言う説もあるそうだ。
資料館を出たあと、近くの「コタン温泉」へ。
屈斜路湖に隣接している入浴自由の露天風呂で、ガイドブックのうたい文句では、
「湖と一体となったような感覚」とのこと。確かにその通りだと思ったが、何しろ雨が降っていたし、
5人くらいの若いグループが先客でいたので、入浴はしなかった。
さらに少し行った「砂湯」に向かう。
屈斜路湖の砂浜を掘ると、温泉が湧き出すところ。足湯なんかはきちんと整備されているが、観光バスが
たくさん止まっているし、実際にここを掘って温泉を湧き出させて入浴すると言うのは、かなり勇気がいる
と思う。お湯に触っただけで、車に戻る。
摩周湖への途中、黄色い煙を随所から噴出させている禿山が目に入ってきた。
「硫黄山」と言い、黄色い煙は硫黄であるそうだ。ごろごろと岩が転がっていて、草も生えておらず、まるで
地獄を見ているようだった。(見たことないけど)
観光地化されて駐車場やレストハウスもあるし、こういうところのご多分に漏れず「ゆで卵」も
売っていたが、何もなかったら怖くて立ち入れないのではないかと思う。
が、卵はおいしかった。車内を硫黄臭くさせつつ、摩周湖へ。
まず目指したのは、摩周第三展望台。が、標高が上がるにつれ、霧が濃くなっていく。というか、雲海?
霧の摩周湖とはよく言ったものだが、展望台に着いたときは20メートル先も見えないような濃霧。
展望台から下を見てみても、なにやらさっぱりわからない、ただの霧。
ひょっとすると、せっかくの摩周湖を見ることが出来ないのではないかと思いつつ、第一展望台へ。
少し標高が下がったせいか、道中霧が晴れていく。
駐車場のおじさんに、「見えますか?」と聞いたところ、少しだが見えるという。
車を降りて、レストハウスに隣接している展望台へ。
見えた!少し霞がかっていたが、キレイな青。曰く、「マシュウ・ブルー」。
世界屈指の透明度と言われる摩周湖である。
摩周湖は湖畔に下りることが出来ないので、実際どの程度の透明度があるのかを身近に確かめることは、
一般の人には出来ないそうだ。まあ、そんな風だから、いつまでも透明でいられるのかも。
ただ、後述するが、翌日行った摩周湖からの伏流水が溜まって出来ていると言う「神の子池」の、神秘的な
頭がくらくらしそうな透明度から思うに、摩周湖も相当の透明度なのだろうと予測できる。
翌日も、もし晴れたら「裏摩周」へ行こうと決め、摩周湖を後にする。一路、阿寒へ。
阿寒湖といえばマリモである。別にマリモにそれほど関心があるわけではないが、でもマリモのおかげで、
阿寒湖畔の「阿寒湖温泉」は、良くも悪くも非常に観光地化されている印象を受けた。
まずはホテルにはチェックインせず、阿寒湖アイヌコタンへ。
36戸、200人あまりのアイヌが今も住む集落である。
観光客が訪れることの出来る一角は、普通に観光地になっており、伝統的な木彫りを売るお土産物屋さんが軒を連ね、資料館などもある。実際にアイヌが生活している場所は、後で調べて知ったのだが、少し
奥まったところに、観光客の目に触れないようにあるらしい。
詳しくはわからないが、予測するに、現代日本で本格的に狩猟生活をすることは困難だと思うから、
伝統的なアイヌの生活様式で暮らしている人は、たぶんいないのではないかと思う。おそらくは和人に
同化し、普通に会社勤めをしたりしているのだろう。
夜はアイヌ舞踊や、有名なイオマンテ(この日は、雨のため中止)も見ることが出来るらしかったが、
行かなかった。見れば見たでそれなりに楽しかったのだろうが、グアムに行ったときも思ったが、土地の
伝統的な踊りが観光資源化され、本来の踊りの持つ文化的な裏付けが排除されている(おそらく)ことに、
不健全なモノを感じざるを得なかったから。
そもそもイオマンテなんて、毎日出来るような行事ではないのだ。
イオマンテ(またはイヨマンテ)
熊祭り、とか、熊送り、とか言われる。
熊狩りの際に親熊を獲り、孤児になった小熊を、一定期間人間の子供と同じように大切に育てた後、
その小熊を「親元(神の国)へ送る」儀式。
ドライに言えば、要は畜産物の屠殺なのだろうが、アイヌの儀式の中では最も格式高いとされている。
前述したような宗教観を持つアイヌならではの儀式と言えると思う。
本当のイオマンテや、本当のアイヌ舞踊が、今も観光客の目の触れないところできちんと継承され、
これからも継承され続けて行くことを願う。
イオマンテは、動物愛護の観点から、かなりヒステリックに言う人もいるらしいが。。。馬鹿な話である。
夕方になっていたが、もう一回りしようと、「オンネトー」へ向かう。
阿寒から車で20分くらいのところにある湖である。目的は、「オンネトー湯の滝」。
オンネトーからさらに奥へ行ったところに車をとめ、山を20分くらい歩くと、お湯が流れる滝がある。
そこに露天風呂があると言うのだ。
駐車場に車をとめ、山道の入り口にマジックで
「風呂ない」
と落書きがしてあった。観光客もまったくいない。いやな予感がした。
が、どうしても行きたい。天気も悪いし、日も暮れてきたが、知床のカムイワッカ湯の滝が通行止めに
なっている今、どうしても行きたい。
不審がるニョーボを無視し、山道を進んだ。
道はぬかるみ、うっそうと茂る樹木がいっそう天気を悪く感じさせる。
ニョーボはテンションが低いため、歩くのが遅くなっている。が、構わず進む。
20分の予定が30分くらいかかり、少し視界が開けたところに、湯気を上げながら流れ落ちる滝が見えた。
なかなかの景観。
が、風呂がない。滝の脇にある湯船と思しき石組みには、まったくお湯が張っておらず、代わりに枯葉が
積もっている。いやな予感的中である。
あれは、なんだったんだろう。ガイドブックには、天然の温泉だし、特に営業時間とかは書いていなかった。
ひどい話である。ここまで歩かせて、ニョーボのテンションを下げさせて。
仕方なく駐車場へ、また30分掛けて戻った。寒い。暗くなってきた。大失敗だ。
もう少し戻るのが遅かったら、真っ暗になっていたかもしれない。
だから、もし温泉に入ることが出来たら、暗くなって戻れなかったかもしれない。入れなくて良かった。。
と、自分を慰めた。
続く。
05秋 北海道旅行記② 猿払~網走
引き続き22日
北海道の東の沿岸を、左手にオホーツク海を見ながら網走に向かいドライブ。
途中、猿払の道の駅にて休憩。
猿払はホタテ漁が盛んな村で、道の駅のレストランで、新鮮なホタテを食べることが出来る。
ホタテ好きのニョーボにつられ、お刺身と塩焼きを注文。
間違いなく、うまい。この後も道内各所でホタテを食べたが(注文しなくても、お刺身の盛り合わせなどに
ついてくるので。。)まったく別物のようにおいしかった。ましてや、東京で食べるホタテとは比べ物に
ならない。
何と言うか、筋肉の繊維がわかるというか、ねっとりしていながらサクサクしている。そして、甘味が強い。
新鮮なホタテとは、こういったものかと感動した。
その後、浜頓別町のクッチャロ湖へ。白鳥が飛来しているのを観察。
売店に「白鳥のえさあります。100円」の看板を見つけ購入したが、「白鳥のえさ」とは名ばかりの、
ただの食パン。しかも、2枚。
1枚50円の食パンとは。。。高級である。
が、楽しめたからいいか。
再び海岸沿いへ戻り、南下。このあたりへ来ると、左が海、右が牧場と言った風景が多くなってくる。
春の北海道旅行ではあまり体験できなかったが、道は広くて、どこまでもまっすぐだ。
しかも交通量が少なく、信号もないから、平均速度80キロ位でびゅんびゅん飛ばせる。
明らかに交通違反だが、逆に標識どおり50キロなんかで走っていたら、迷惑なのだ。
実際、カーナビでは予測所要時間6時間の目的地に、4時間くらいで平気で着いた。
紋別を過ぎ、サロマ湖、能取湖を左に見つつ網走へ。
網走では、有名な「博物館網走監獄」を見学。30キロくらい手前から、道路沿いに看板が出ており、
隷書体の文字が監獄気分を盛り上げる。ちょっと、怖い。
何しろ本当に使われていた構造物を移築しているのである。しかも、昭和59年まで使われていたそうな。
最近じゃねーか。
囚人の「気」が、そこかしこに残っているような気がして、しかも、ご丁寧に蝋人形が動いたりして、
まじで怖かった。が、資料としてすばらしい。
宿泊は網走観光ホテルへ。
窓から網走湖が見え、(チェックインが夜だったため、そのことに気づいたのは翌朝だったが)快適な
宿だった。毛蟹一杯サービス付き。
続く。
05秋 北海道旅行記① 稚内
昨日、東京に帰ってきました。
忘れないうちに、何度かに分けて、覚書をしておきます。
北海道ご旅行の際は、ご参考に。
21日 曇り
空路、稚内空港へ。
レンタカーの手続きをし終わったのが、2時頃。
そのままホテルには寄らず、宗谷岬までドライブ。
天気があまりよくない。雨こそ降っていないものの風は非常に強く、気温も低い。
フードつきのウインドブレーカーを着て、首にタオルを巻いてしのぐ。
宗谷岬は駐車場にモニュメントがあるだけ。観光バスとレンタカーが数台止まっているのみで、
シーズンオフのせいか人は少ない。
隣接している数件のお土産物屋さんも、あまりやる気がない感じ。半分以上は閉まっている。
それがまた、北国独特の陰気な雰囲気をかもし出していていい。
なんでなんだろう。北は陰気で南は陽気、みたいな図式は先入観として僕の中に強い。
波照間の高那崎も、ただざばんざばんと岩場に強い波が打ち付けるだけで、それのどこが陽気なのかと
聞かれたら説明のしようがないが、お日様照ってて明るいからとか、そういう単純なものではないような
気がする。
強い風に飛ばされそうになりつつ、日本最北端の堤防に腰掛け、念願の、「泡波」を、ラッパで飲む。
世の中にこんなにうまい酒があるものかと思った。(ちょっとだけ飲酒運転。。。)
その後、「稚内グランドホテル」にチェックイン。
南稚内駅近郊の繁華街にあり、天然温泉つき。
お風呂に入った後、ホテルのレストランで夕食。ズワイガニが一杯ついたが、内容はまあ、そこそこ。
外で食べた方が良かったかも。
8時前くらいに、旅の疲れからか本格的に寝てしまい。起きたのが1時。
遅い時間からすし屋にでも繰り出すつもりだったので、田舎のこと、すでにお店は閉まっているかと
思ったが、繁華街は思いのほか開いているお店が多かった。
が、お店のチョイスを失敗してしまい、北海道色皆無の、単なる居酒屋に入ってしまった。
一度店に入ってしまえば梯子するだけのお腹の余裕も時間の余裕もなく、念願の、利尻のうにを
食べることは出来ず。残念。
22日 雨
翌日は、朝、宗谷岬と宗谷湾を挟んで対岸の、ノシャップ岬へ。
宗谷岬よりも集落が近く、人の匂いがする分、逆にサイハテ感が強い。
関係ないが、ノシャップと言うのはアイヌの言葉で、「あごのように突き出た場所」のことらしい。
根室にも納沙布と言う場所があるが、おそらく語源は一緒だろう。
今回行った「クッチャロ湖」と、「屈斜路湖」と、行っていないが「釧路」も、語源はわからないけど
一緒かなと思う。
言語学的なことはわからないが、アイヌの言葉は日本語との関連性がとても薄いのだと思う。
今回はアイヌ関連の博物施設に2つ立ち寄ったが、単語レベルではわかりやすいところの
「神」=「カムイ」とか、「お酒を飲むための食器」=「盃」=「ツキ」くらいしか、素人にわかる
言葉がなかった。
ノシャップ岬の後は、稚内駅へ。駅の北側で線路が途切れている。
線路の端っこなんて、日本中いたるところにあるのだろうけど、(うちの近くでは、三軒茶屋の世田谷線の
駅にあるが)北の端かと思うとありがたみも倍増である。
立ち食いそばのおばちゃんが、散歩中の犬にかまぼこをあげていて、微笑ましかった。
(ほら、陽気じゃん。北のおばちゃんも。)
駅から、フェリー乗り場に繋がる「北防波堤ドーム」まで、500メートルくらいを歩いてみた。
今でも利尻や礼文に行く人は、このルートを通ってフェリーに乗るが、昔の人はこの道を通って、
樺太に向かったはずである。最北の駅で電車を降りた後、吹雪の中思い荷物を背負って、さらに北を
目指す必要があった人たちに想いをめぐらせてみた。
樺太にはいったい、何があったというのだろう。
男はつらいよ
別に愚痴を書くつもりではありません。
現在、土曜日の夜9時からBS2にて、「男はつらいよ」1作ずつ全作放送中です。
どうせおいらはやくざな兄貴
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかお前が喜ぶような えらい兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の
今日も涙の日が落ちる 日が落ちる
どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中は 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら こんな苦労も
こんな苦労もさせまいに させまいに
いやあ、泣かせるじゃありませんか。
おそらくこの辺のメンタリティは、男にしかわからんのです。いえ、なんと言おうと、そうなのです。
だから、男はつらいよ。なのですな。
まあ、女も女なりに、つらいんでしょうが。
もともと好きで、テレビで放送するたびに見ていたのですが、土曜日放送の影響でますます
惚れ込んでいます。
何がいいかって、妹さくら役の倍賞千恵子。犯罪ではないかと思えるくらいかわいい。
割烹着を着てみたり、三角巾を頭に巻いてみたり、子持ちの主婦のくせに短いスカートをはいて、
白い足に白いハイソックスを履いてみたり、ジーンズを履いた小さなお尻で、「おにいちゃん」と
言ってみたり、もともとリカちゃん人形みたいな顔立ちだし、細くてはかなげで、そのくせ気丈で
働き者。何より兄思い。守ってあげたいなあ。
あーーーもう。きゃわいーーーー!!!たまらねーーー!嫁にしてーーー!!!
・・・・失礼。
今のところ私の一番のお気に入りは、「寅次郎恋やつれ」ですね。
マドンナは吉永小百合。役名は歌子。2回目の登場です。
おすすめ泣かせるシーンは2箇所。
口下手な歌子の父親(宮口精二)が、とらやに歌子を訪ね、泣きながら歌子に想いを告げるシーン。
多摩川の花火大会で、寅次郎が浴衣姿の歌子に「浴衣、きれいだねえ」とポツリつぶやくが、
歌子には聞こえず、「なあに?」と振り向きざまに言われてしまうシーン。
今日は渋谷に出て、DVDを2枚買ってしまいました。
第一作と、「寅次郎忘れな草」です。
後者は特に、最も人気のあるヒロインである浅丘ルリ子扮するリリーの初登場作です。
もちろん、2枚ともぶっ続けで鑑賞しました。
ちなみに先日、ニョーボと柴又へ遊びに行ったところ、山本晋也監督が帝釈天の参道でおばちゃんたちに
もみくちゃにされていました。
後をついて行くと、帝釈天の境内でロケが始まりました。
土曜9時からの放送が終わった後、毎回山本晋也監督が解説をしてくれるのですが、
その屋外ロケでした。さりげなく映ってきましたので、「寅次郎夕焼け小焼け」の回はぜひご覧下さい。
そんなわけで、落語に続いて大人の趣味。見つけました。
すこし、困った。
以前書いたとおり、私の愛用の手帳はクオバディス。
今年は、訳あって、ちょっぴり浮気をし、システム手帳を使用していた。
が、来年はクオバディスに戻そうと考え、すでに2006年版を購入済みであるし、何より手帳カバーを
ばっちり作成し、大満足している。早く使いたくて使いたくて、そのためだけに年が明けないかとさえ
思っているくらいだ。
が、一昨日。
誕生日(24日)のプレゼントですと言って、大切な友人が、「ほぼ日手帳2006」をくれた。
http://www.1101.com/store/techo/index.html
なんでも、2002年の発売以来大反響の手帳らしく、昨年度はロフトでの手帳部門売上トップ。
10万人の愛用者がいるらしい。
友人は実は、僕が以前に手帳カバーを探していたことを知っており、僕自身もいいものがあったら
プレゼントしてくれとおねだりをしていて、自分で作ったことを伝えていなかった。
で、友人は僕に手帳カバーをプレゼントするつもりでお店に行き、クオバディスビジネスのサイズに
合うカバーを探していたところ、なかなか使い勝手のよさそうな「ほぼ日手帳」を見つけ、
(「ほぼ日手帳」のことは知らずに、)
「中身は使わなくていいですよ。クオバディスがばっちり入りますから。私、何度も試しました。」
と、あくまでカバーとして買ってくれたのである。
困ったこと(1
いただきモノだから大変ありがたいのだが、僕はもう、自分で作ったカバーを、すごく気に入っている
のである。。。。
困ったこと(2
カバーも、手帳本体も、ものすごーく使い易そうなのだ、「ほぼ日手帳」。
あくまでカバーとしていただいたものだから、そこにクオバディスを挟んで使うことは可能で、友人も
そう想定している。が、おそらく、僕自身の今後のスケジュール管理を想定するに、クオバディスよりも
「ほぼ日手帳」の方が使い勝手がよさそうだ。
この際、ほぼ日手帳の中身を自作の手帳カバーに入れて使おうか、とも思ったが、それでは友人の
思いを100%無視したことになってしまう。
何しろこの「ほぼ日手帳」毎年利用者からアンケートを取り、前年よりも使いやすくなるように徹底的に
研究がされている。これは僕自身マーケターの端くれとして、本当に頭が下がる。
5年間、毎年バージョンアップしていたら、そりゃ、使いやすくなって当たり前だ。
また、当然、糸井重里氏が監修しているだけあり、遊び心も満載で、堅苦しくなく楽しく使えそうなのだ。
だから、僕は決めました。
来年も、クオバディスは使いません。
一年間、「ほぼ日手帳」を、中身もカバーも、使ってみます。で、よかったら再来年以降も、完全に
乗り換えます。
私がテンション高く作った手帳カバーは、
「ほぼ日手帳が思いのほか使い勝手が悪かった場合、再来年」まで、日の目を見ることはありません。
クオバディスの2006年度版ですが、ご入用の方はお知らせください。お譲りします。
はあ、踏ん切りが付きました。
なので、今日はかっちょいい多機能ボールペンでも探しに行きますかね。。。
あまりすきじゃないこと
当然第二幕、三幕はこれからでしょうが、ひとまず一段落の感があるので、書いてみます。
楽天による、TBS株の取得を巡る一連の騒動について。
僕は一昨日まで、計らずも楽天グループに籍を置いていました。
いろいろあったので、今はあんまり、イーグルスが好きじゃないのですが、今から書くことと
僕の感情的なこととに、連動はないと思います。
資本の論理とはそういうものだし、僕も小規模ながら株式に投資をしている人間として、
制度上問題があるとか、法に抵触するとか、そういったことが今回のぐにゅぐにゅにあるわけでは
ないことは、その通りでしょう。
インターネットと既存メディアの融合には、具体的にどんな可能性があるのかと言う議論がライブドアの
一件依頼されていますが、僕の知る限りではどれも画期的とはいえないと思うし、誰もが気づくような
モノばかりで、取り上げられ方の大きさにはまるで比例し得ないような印象です。
まあ、そんなことはどうでも良い。
僕自身、びっくりするようなアイデアがあるわけじゃないし。
手法として、責任ある大企業が、制度上問題がないからと言って、法に抵触しないからと言って、
自分たちの信じた道だからといって、世の中の半分以上の人に鼻をつままれるような、相手に
露骨に拒否をされるような、そんなことをしていいんでしょうか。
僕はこのブログにも以前書きましたが、三木谷社長は好きです。
が、彼が、「一文無しになってもやる」と言ったとき、僕のニョーボがテレビに向かって言いました。
「一文無しになるの、あんたとちゃうやん。」
連結3,500人の従業員を抱える大企業のトップの発言としては、ちょっと軽率だと、ニョーボに
教えられました。
最近気になったテレビでの日本語
コトバの乱れが言われて久しいですが、どうも報道機関(それも、アナウンサーが使うコトバ)においても、
それが当てはまることが多くなってきている実感です。
コトバと言うモノは、時代の流れで常に変化していく要素を内包していて、変化させまいと言う
意思とせめぎあいつつ進化していくのだと聞いたことがありますが、単純な無知や認識違いから
正しく使うべきを使えないのは、恥ずかしいだけです。
そうは言いつつ、別に僕自身、そんなに「正しい日本語を使っている」と、胸を張って言えるようなら、
こんなブログ書いていないですけど、最近「これってどうなの?」と思った事例を、
2点挙げようと思います。
1、「長男の嫁を殺害しました」
正しくは、「長男の妻」だと思います。
西日本では(詳細な境界線は良く分かりませんが)配偶者のことを単純に「嫁」と言うことが
あるようですが、「嫁」とは本来、配偶者を指す言葉ではなく、家の中でのポジションを
あらわす言葉だと思います。「家長」とかと一緒で。
だから、「長男の嫁」は、殺害した親にとっても、同一家族内であれば「嫁」なわけです。
2、「恋愛が叶う」
神戸にあるデートスポット「ヴィーナスビレッジ」の手すりに、二人の名前等を書いた南京錠を
取り付けると、「恋愛が叶う」のだそうです。。。
正しくは、あえて言うなら、「二人が素敵な恋愛をしたいと言う夢が叶う」かと。
「叶う」なる動詞は、そんなにいろいろな名詞にくっつけられるコトバじゃないですよね。
この使い方を当てはめると、お腹が減った人の「ご飯を叶える」とか、おしっこがどうしても
我慢できない人が、「トイレを叶えた」とかも使え、大変便利になってしまいます。
便利になるから、いいのかな。いや、良くないだろ。
二つとも、ニュース番組での使用でした。まあ、バラエティだったとしても、問題ですが。
クラゲ・カッター
日本海でのエチゼンクラゲの異常発生が、周辺の漁業に深刻な被害を与えている。
と、久々にアカデミックな出だしで。。。
連日報道されているように、かさの直径が1.5メートルにもなるような巨大なクラゲが
網にかかってしまい、肝心の魚が触手にやられて傷んでしまったり、あまりの重さに
網が破けてしまったり、なにより、魚そのものの量が激減しているそうだ。
昨日の報道では、漁にならずに解雇されてしまう漁師さんも出てきているらしい。
思えばクラゲって、結構脅威だ。
以前新潟の海(母の実家)で、僕はクラゲに刺されたことがある。
中学生だったと思うが、海水浴中、腕に急に激痛が走り、陸に上がってみると透明な
触手が、ピローンと付いていた。
とたんにミミズ腫れになってしまい、やけどのような痛みは長いこと続き、しばらく
痕も残ってしまった。
沖縄の海水浴場では、たいてい「ハブクラゲに注意」の看板があるし、
新潟ではお盆を過ぎるとクラゲが出るからと言って、おばあちゃんはあまり海水浴を
薦めなかった。
今でも僕は、海水浴中は仕事の憂さを忘れはしても、頭の片隅に、クラゲの脅威を
忘れることが出来ない。
そして今度は、漁業被害だ。
こんなに人間を悩ますなんて、生意気である。
脳みそもないくせにここまで人間を悩ますと言うことは、完全に無自覚だと言うことで、
なおたちが悪い。
世の中で最も警戒しなくてはならないのは、力のある馬鹿である。
漁業についてはここ数年の被害から、クラゲだけが入れないような仕組みの新型の網を
開発したりしているようだが、効果のほどは今ひとつだそうだ。
そんな中、報道中妙に私の琴線に触れたのが、「クラゲ・カッター」である。
目の粗い、金属製の網。ただそれだけ。
が、クラゲは馬鹿だから、波に揺られるままにその網を避けることが出来ず、ところてんの
ようにばらばらになってしまうのだと言う。
映像を見たが、面白いようにクラゲがすぱすぱ切られていた。
あいつらほんと、馬鹿だ。
お魚は賢いから、うまく網目を通ったり、網そのものに近づかないから、大丈夫。
だだっ広い日本海に、どんなにクラゲ・カッターを設置したところで、それほどたくさんの
クラゲをカットすることは出来ないのだろうから、根本的な解決にはならないのかも
知れないが、でも、せめて漁場くらいの範囲だったら、あの気持ちの悪い単細胞から
お魚を守ることが出来るのではないかと思う。
なにしろ、名前がいい!「クラゲ・カッター」。
「アイスラッガー」みたいだし、強そう。切れ味よさそう。
地球温暖化による海水温の上昇や、目ざましい経済発展を続ける中国からの生活廃水による
海の富栄養化が大発生の根本的な原因らしいから、これからもおそらく毎年、クラゲは
増え続けるだろう。
が、抜けば玉散る「クラゲ・カッター」を手に入れた日本海の漁師さんたちが、数年の不漁を
取り戻してくれることを祈ってやまない。
そして、この武器に対し、動物愛護団体がどう言ってくるかも楽しみである。
「かわいいクラゲを、殺さないで!」
そう言わなきゃ、奴らのやっていることは嘘だ。
