いよいよ今回の 「石橋を歩く!」 シリーズもおおづめ。
ご覧頂いていた方々もいい加減飽きられているのではと思うが
(書いている本人も実は・・・(^_^;)) いやいや!
もう少し辛抱してお付き合いを・・・(*^▽^*)
先日の「馬門橋」から国道218号を山都町方面へ2km程進み
右折して50mほど先の津留川に石橋が優雅な姿を見せている。
四季折々に表情を変えて!
★大窪橋 (おおくぼばし) 【美里町】
周囲の田園風景に調和し
菜の花・新緑・彼岸花・コスモス・紅葉と四季折々の表情が変わる。
特に春の桜の時季には
「石橋と桜」の優雅な表情を見ることができる。
この石橋の特徴は中央部が高く盛り上がっており
両基礎からの円の中心角が157.4度と平地の架橋では限界のものといわれている。
残された記念碑から、建築年は嘉永2年(1849)
石工は新助(砥用岩尾野)と久左衛門(出身地不明)ということがわかっている。
マップコード:291402277
次はさらに国道218号を東進し
途中左手に大きな単一アーチ橋が見えてくるが(この橋は最後に・・・)
気にせず通り過ぎ、とりあえず緑川ダムを目指して進む!
★緑川ダム
緑川ダムを後にし、さらに山手に向かって「尾亀滝橋」を目指す!
崖崩れしそうな険しい山道を進んで行くとご覧のような風景が・・・。
車では行き止まりといったところにこの橋はある。
県指定重要文化財。
普通、読めないな!
この橋の名前「尾亀滝橋」
「おけだけばし」と読む。
右脇から入って歩いて行く。
道の横には水路「柏川井手」が流れている。
名工岩永三五郎作、県内最古の用水路!
★尾亀滝橋 (おけだけばし) 【美里町】
あの→ 『通潤橋』(国重文) の手本になった水路橋である。
緑川の支流である柏川から取水する柏川井手が
尾亀滝の深い谷を通る地点に造られたこの橋は
当時の砥用手永(ともちてなが)の惣庄屋(今でいう村長さん的役割の人)
三隅丈八が開田のため文化10年(1813)から文化15年(1818)にかけ建設、完成させたものである。
石工には交渉の末、八代郡種山の名工岩永三五郎が手掛けることとなった。
この水路が通ったことにより、延長11kmの井手が完成。
路面には石造りの水道が埋没されていて
現在でも現役の水路橋として、約230haの田畑に水を供給している。
マップコード:291438005
橋から落ちたら大変だ。こんな山の中、誰も助けになんか
来ないな。!(><;)
こんなところに来るのはよほどの・・・(;´▽`A``
橋の背後には尾亀滝が、誰に見られるわけでもなくひっそりと
そしてまた、国道218号に出て松橋(まつばせ)方面へ少し戻る。
今回最後に向かう石橋は
単一アーチ橋では日本最大!
★霊台橋 (れいだいきょう) 【美里町】
緑川の清流に豪快な弧を描いている。
単一アーチの石橋としては日本最大を誇り
造形的にも素晴らしく、熊本の石橋を代表する存在である。
国指定重要文化財。
一帯は船津峡と呼ばれ、江戸時代末期
この谷を行き来するのに初めは飛び石伝いで、その後、木の橋が架けられたが
25年間に雨による増水で5回も流され通行不能となる難所であった。
そこで、惣庄屋篠原善兵衛が中心となって
大雨の増水にも耐える石造りアーチの橋が架けられたのである。
石工の棟梁は種山の橋本5人兄弟の長男宇助。
種山から23人が参加し、近隣から集まった総勢72名の
石工衆の汗と技により造られたのである。
160年以上も前に造られ
長い間国道218号のルートとして利用され車輌の運行にもビクともしなかった。
昭和44年(1969)国重要文化財
に指定されたのを機に、上流側に国道の新橋を建造。
霊台橋は、造った当時の人道橋となっている。
マップコード:291466116
実は大正時代
霊台橋の手前基部に、内大臣森林鉄道のトンネルが開けられている。
緑川沿いに走っていた森林鉄道は
林業の衰退で昭和37年(1962)に廃線になり、軌道もない。
トンネルの上流側はふさがれているが
下流側はアーチの開口部をわずかに見ることができる。
橋の上流側が公園化されており
おじいさんが一人。
やれやれ
これで「石橋を歩く!」シリーズもおわり・・・!
と、思いきやっ!!!
亀吉@実はこのシリーズの〆を次回! しつこくてすみまっしぇ~ん (^▽^;)
本日は以上です。
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