~ 水を通す夢をかなえた
石橋文化の白眉 “通潤橋 ” ~
当時、白糸台地 (8 カ 村) は
周囲を深い渓谷に囲まれていて水に乏しく
田んぼの水どころか飲み水も足りないような慢性的水不足の状態だった。
「どうにかして白糸の台地に水をおくりたい!」
その思いを実現させたのが
矢部地方の一人の惣庄屋(そうじょうや)と石工(いしく)たち。
※惣庄屋というのは今でいう村長さん的役割の人
そして多くの村人の結集した石橋が
安政元年(1854)7月29日に完成した。
★惣庄屋布田保之助銅像
今から180年ほど前
矢部郷に布田保之助という惣庄屋がいた。
布田家は代々矢部惣庄屋を務めた家柄である。
早くに父を失い苦労を重ねたが、人々の人望も厚く32歳で惣庄屋になった。
保之助は、矢部郷の村々のために道路を開き、橋を架け水路をつくり
地域の発展のためにつくしたが
同じ矢部郷にある白糸台地に水を引くということだけはどうすることもできず
心を痛めていたという。
そんなある日
保之助は6キロメートル離れた笹原川から水を引き
白糸台地を取り囲む谷に橋を架け
その上に水路を通して送水することを思い付く。
とはいっても、30メートルもある高い橋を架ける技術はなく
橋をできるだけ低くし
送水可能な受益面積を広げるために吹上式(サイフォンのような連通管の原理)を応用して
轟川(五老ヶ滝川)左岸の高い所から右岸の低い所に水を落として
それをもう一回吹き上げる方式で白糸台地へ水を送ることにした。
この原理は
保之助が壊れた軒の雨樋から水が吹き上がるのを見て思い付いたといわれている。
その後いろいろ試行錯誤を繰り返し、実験を重ね
やっと建設に取りかかることができるまでにこぎ着けたのである。
こうして惣庄屋布田保之助が事業主となって企画実現した土木工事の集大成!
白糸台地の田畑をうるおす橋。外観も力強く美しい石橋の最高傑作が
種山石工宇市(ういち)・丈八(じょうはち:橋本勘五郎)・甚平ら
各地の石工衆41名が集まり1年8か月の長期に渡り完成した。
今では豪快な放水で知られる熊本県山都町(旧矢部町)の
『通潤橋 (つうじゅんきょう)』 だ。
(国指定重要文化財)
長原地区轟川(五老ヶ滝川)に架かる通潤橋
人が小さく見えます!
この日も、多くの小学生の子供さん方が社会科見学に
訪れていて賑やかであった。o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪
橋長77.5m 幅員6.3m アーチの直径28.2m
雄大なスケールを誇る!
日本最大の水路石橋 !通潤橋
放水している状態がこちら
橋の上には3本の石管が通り
150年以上たった今も118haの水田を潤している。
手すりも何もないから、ふざけて落っこちる者がいるのでは
ないかと心配するが、まだ聞いたことはない。
でも高所恐怖症の人は覚悟がいるかも・・・(*^▽^*)
年に1回、石管内に溜まる土砂を清掃するための放水が豪快で観光客には好評だ。
現在は観光用でも放水している。
運がよければ見れるかも・・・(^_-)☆
通潤橋資料館では白糸台地全景のジオラマや通潤橋の構造模型を展示するほか
その仕組み、布田保之助の生涯などが紹介されている。
また、そのすぐ近くには布田神社が鎮座している。
通潤橋生みの親・布田保之助翁を御祭神としている。
矢部郷の発展のために働き続けた功績が記録されており
矢部76ヶ村で翁の恩恵を受けない村はなかったといわれている。
さらに、白糸台地の稲穂が黄金色に染まった風景の中を
通潤橋から下流へ10分ほど歩いて行くと・・・
大きな吊り橋があり、その奧には・・・
見事な玄武岩が囲む、高さ約50mの
『五老ヶ滝』 がある。
ということで今回はこれまで・・・・。(^-^)/
そして駐車場に戻り、やっぱり最後は!
ここにも “くまモン ” 。v(^-^)v
さらに、通潤橋について詳しくは
熊本国府高等学校パソコン同好会制作の
次回は、最近 “恋人の聖地” として話題の、あの石橋が登場!
と、その前に農家レストランへ行って腹ごしらえを・・・。(*^.^*)
本日は以上です。
熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら
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小さいから楽しいホテルの経営