幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part9 | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

昨年末からシリーズ化している史跡巡り201212京都編も、いよいよ大詰めに近づいてまいりました!!とは言え、もう少し続く予定ですw傍から見ると、ただのマニアックで自己満的なネタかもしれませんが、もう少し…いや!!末永く(幕末ネタ多いBlogなので…)御付き合いくださいw
今回で9回目。次回で記念すべき10回目に突入します(^_^)
さて、前回は新選組の京都での2番目の屯所であった西本願寺で締め括りましたが、今回も西本願寺から始まります。

以蔵のblog-太鼓楼
西本願寺の北東角にある太鼓楼(写真の右の建物)。新選組屯所のメインだった北集会所(写真奥)は現在参拝会館となっており、当時の建物はありません(当時の建物は姫路亀山本徳寺に移築されている)。ただ、もう一箇所屯所として使用していた太鼓楼のみ、当時のまま現存している。太鼓楼の中は非公開ですが、今も残っているという大太鼓は、江戸時代に周囲に時刻を告げるために使われていたそうです。ただ、新選組が太鼓楼を、何に利用していたのかはわかりません(^_^;)もしかしたら捉えた人間を閉じ込めておく牢屋だったりして…(・.・;)
西本願寺を堪能したら、西本願寺を出てすぐ北にある花屋町通を西へ歩き大宮通へ…

以蔵のblog-島田魁旧宅跡
大宮通の西側に平行する路地。この狭い通りが逆に臨場感を漂わせる。この辺りに新選組隊士で、明治に入ってから西本願寺の夜間警護をしていたという島田魁が住居があったそうです。ただ場所は特定できませんが、平安中学校の近辺だったということなので、この路地沿いに存在していたものと思われる。
そして路地を北に、花屋町通に戻り、さらに西へ歩く…

以蔵のblog-島原大門
花屋町通を西へ進むと島原大門(正門)に辿りつく。ここは祇園や上七軒と並ぶ京都の花街であった島原(嶋原)の入り口。東京吉原のように遊女が門から外へ出れないということは無く、わりと自由度は高かったらしいが、それでも外出するには手形が必要だったらしい。
そして、門をくぐり、花屋町通一本目の交差点を右に曲がる…

以蔵のblog-輪違屋
ここは輪違屋。浅田次郎さんの小説「輪違屋糸里」で有名な場所。輪違屋は置屋兼お茶屋で、太夫や芸妓を抱えていた。ちなみに現在も営業しているが、内部見学などはできない。新選組絡みでは、芹沢暗殺の時、平間重助と一緒に居た女性・糸里が有名(ちなみに平間も糸里も暗殺を逃れている)。ところが糸里が輪違屋に居たという記録は無いらしい…違った遊里の女性だったのだろうか?それとも変名だったのだろうか?真相はわかりません(^_^;)ただ建物は、かなり年季が入っていて見応えあります。
花屋町通へ戻り、さらに西へ…

以蔵のblog-角屋
交差点の角に、「久坂玄瑞密議の角屋」の石碑が建っている。その後ろに連なっている古い建物が角屋。角屋は揚屋で、置屋から遊女を呼んで遊ぶ場所。また、幕末志士達が酒宴や密議をする場所にも使われていたようだ。新選組もここで遊興を楽しんでいたようで、特に芹沢鴨との関わりは深く、酒乱だった芹沢はけっこう角屋で暴挙をはたらいたらしい。その時付けたとされる刀傷も残っているそうだ。
尚、島原で当時のまま現存するお店は、この角屋と上で紹介している輪違屋だけです。

以蔵のblog-島原町並み
最後に…島原メイン通りの花屋町通から島原大門方面を眺める。昔は華やかな花街だったんだろうけど、現在はご覧のとおり、ごく普通の町並みであり、当時の面影はほとんど無い。ただ、写真右側に映っておりますが、「誠の湯」なる銭湯があります。島原唯一の新選組愛好家が集う場所!?(※特に史跡ではありません)。

っということで、今回は島原特集って感じでした。ここまで来ると、次回は壬生ですねw
現在まで9回に渡って京都史跡を紹介してきたので、以下に過去分のリンクを貼っておきますので、振り返るべく…興味のある方はご覧くださいw
【幕末史跡巡り2012年12月-京都- Map】
幕末史跡巡り2012年12月 -京都-
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part2
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part3
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part4
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part5
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part6
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part7
幕末史跡巡り2012年12月 -京都- Part8