6月14日(月)曇り一時雨  挑む

 『シェルパのポルパ エベレストにのぼる』 石川直樹・文、梨木羊・絵、

 (岩波書店2020.5)

 ヒマラヤの麓・クンブー地方は山岳民族のシェルパの村だ。そこで育った少年ポルパは、いつかエベレストに登りたいという夢をもって働いていた。それを後押ししてくれたのは、大先達テンジンおじさん。テンジン・ノルゲイは1953年、イギリス隊ヒラリーと共にエベレストの初登頂を果たしている。

 ロープの使い方、アイゼン、ピッケルの使い方、高山の注意、シェルパの役割……、あらゆることを教えられ、体験を積んでいよいよエベレストに挑む。

 高山の写真家石川直樹さんによって、自身の体験に基づきシュルパの役割がていねいに語られる。梨木羊氏の絵がいい。おおらかで、あたたか。スケールの大きい世界が描かれていく。それでいて隅々まで配慮がゆきわたっている。絵の世界からたくさんの発見ができる。それだけでも楽しい。初めての絵本画家としての作品だそうだ。

 中・高学年の子どもたちなら、いいなあ、より高い峰に挑む、夢に向かって歩くってと思うだろう。絵の世界に入って深呼吸しよう。コロナを吐き出して、新鮮な空気で胸を満たそう。君だって、誰かのシェルパになり、高い峰に登ろうとする人を支えるポルパになれるのだ。心が広くなるようだ。

  6月10日(木)晴れ 中学生と生きる 

 まはら三桃『日向丘中学校カウンセラー室』(アリス館2020.11)

 日向丘中学校カウンセラー室の設定がいい。日当たりの良い丘の上の中学校。別棟1階の奥にある部屋。カウンセラー:谷川綾、26才。この学校でスタートして3年目。150㎝、おかっぱ頭。窓辺には観葉植物とハーブのプランター。卒業式に園芸部の生徒からもらったもの。後ろの棚にはメダカと金魚の水槽。引っ越しの生徒から托されたもの。窓にはセージ・グリーンのカーテン。そして、テーブルをはさんで二人掛けのソファ。その横にはカーペットが敷いてある。そして、退職校長から寄贈されたロッキングチェア。

 谷川綾を支えるのが、用務員の横森清二さん63歳。実は元校長。退職にあたって希望して用務員となった。

 ここにさまざまな心の葛藤を抱えた生徒がやってくる。そして、短い5つの物語が展開される。その後ろに、綾の兄が影のように在る。中学校のいじめから不登校となり、今は農業に打ち込んでいる。その時の担任が横森先生だという背景も、奥行きの深さを感じさせる。この物語は、いつまでも続くように思う。続、その続……を期待したい。

  6月8日(火)晴れ 「ぼくの・ぼくたちの がっこう」を書き足していこう

  ~『ぼくとがっこう』谷川俊太郎・文、はたこうしろう・絵 

  アリス館 2021.5 1400円

 ちょっと学校と距離をおきつつ、そこで過ごす時間の中で成長していく「ぼく」を描く。

のめりこまない谷川さんの文が「学校っていいな」という共感をあおらないところがいいと思う。はたこうしろうさんのさっぱりした、明るいトーンの絵がすてきだ。絵本の良さを伝えてくれる。そして、読み終わると、やっぱり学校って」いいな……と思う。

 二人の呼吸がぴたりと合っている。はたさんの絵が谷川さんの文の行間を豊かに埋めてじわりと感動を満たしてくれる。編集者の力も大きいのだろう。作り手の喜び、誇りがつたわってくる。この図書館では、付録の「アリス館通信」も綴じこんでくれていて、そこに二人のミニ対談がある。「それぞれの学校体験」だ。それもぜひ目を通しておきたい。21.6.6

  

 そうそう、リズムのある詩(文)なので、このリズム(形式)を借りて、教室でもチームを組んで、二番、三番……と作ったらどうだろう。

「 うちにいるとぼくはこども

  ぼくはぼくでいられる

 

  がっこうにいくとぼくはせいと

  ぼくはおおぜいのなかのひとりになる

 

  がっこうはうちじゃない

  せんせいはおかあさんじゃない

 

  でもがっこうのうえにもそらがある

  がっこうからうみがみえる

 

  ……    」

と、2行のつぶやきが

続いていく。この「続き」、というか、「さしはさみ」でふくらませていこう、というのはどうだろう。

 「生きる」の詩が、書き足し書き足しされて、ネット上で今も膨らみ続けているように。

  *

 とても暑くなる予報の一日。マスクの子どもたちは大丈夫かな?

 先日、熱中症の出た中学校で、「体育の時間のマスクは自主判断に任せている」と話していたが、それでいいのかな?

6月6日(日)曇り&雨 『本のエンドロール』

 「エンドロール」というのは、映画の終わりに流される出演者やスタッフ、協力者などを紹介する字幕のことである。つい、立ち上がって出たくなってしまうほど延々と続くこともある(笑)

 本の場合は奥付ということになろうか。一冊の本ができあがるまでには、著者と編集者(出版社)とのやりとりだけではないたくさんの人が関わっている。その人々の苦労、葛藤、喜びを丁寧な取材によって描きあげた物語だ。

 ここでは特に、印刷会社で働く人々を主人公にしている。出版社(担当編集者など)が依頼主という絶対的な存在。それを営業が請け負ってくる。それが限られた日程と予算の中で印刷され、製本会社に出され、取次会社に出され、書店に回されていく……と、こういえば簡単な過程だが、そこにはそれぞれを担当する人たちがいる。その後ろには家族がいる。

 その反対側を見上げれば、著者がいる。かつて「青い鳥文庫」に『本のできるまで』(?)という高学年にはぜひ読んでもらいたい「キャリア学習」の本である。それは出版社の編集部の女性を主人公に描いた物語だ。こちらはそれを受けて仕上げていく印刷会社の人間を主人公(複数)にしている。 

 この本では、最後の2ページをこの本の作成にかかわった人の分野と名前が書かれている。まさに「本のエンドロール」である。

最後には、「一冊の本ができるまでには、これだけの人々がつながっていくのだ」と痛感する。とてもおもしろかった、感動も深かった。

 安藤祐介『本のエンドロール』講談社2018.3 杉並区図書館の本

  6月3日(水)晴れ 岩波ジュニスタ『俳句部、はじめました』

 岩波書店の新しいシリーズ:「ジュニスタ」が始まった。そのわりには並べておいてある書店は少ない。『俳句部、はじめました』はその先発組の1冊だ。神野紗希さんは若い俳人。俳句王国、愛媛県松山市の出身。高校時代、俳句甲子園の取材をしたのがきっかけで俳句にのめりこんだという。

「さくら咲く一度っきりの今を詠む」が、この本のサブタイトルだが、読者として中学生を想定している、その気持ちをしっかり掬い取っている句だと思う。学校を回っての俳句講座も旺盛に行っているということで、俳句がジュニア世代の「いま」にぴったりしたものであることを語りつくしている。明るく、さらりとしていて、さっと読めるところがいい。岩波ジュニア新書が本来そういう読者を「考えること」の楽しさ、豊かさに導こうとしたが、いまとなってはもっと入門期のジュニアに手渡そうとしているのだろう。ぜひ、彼ら見やすいところに並べてほしいものだ。

 5月27日(木)雨 エリック・カール氏逝去

 夕刊にエリック・カールさんの逝去の報があった。91才。

『はらぺこあおむし』など、教室の持ちこんだ絵本はたくさん。

「少年時代を第二次大戦下のドイツで過ごした経験から、作品ではグレーなど地味な色を避け、明るい色を選ぶようになったと米紙に述懐していた」と、『東京新聞』。合掌。

 先日は河合雅雄先生の訃報があった。そういう報道にとても敏感になった。

5月25日(火)晴れ 大先輩の逝去

 東京で教職に就いたその1年ほど後から都教組教育研究会議「人権と民族の教育部会」の勉強会に通ってきた。それからずっと教研活動の畑を歩くことになった。その頃からの先輩、中村博さんが3月にお亡くなりになっていたことのお知らせが奥さんからのハガキとして届いた。92歳、私より15歳ほど上だった。中村さんは「民話の会」で、各地を回って聞き取り、記録する活動を続けてこられた。紙芝居や絵本も出しているし、演じることも大好きだった。アニマシオンを始めて苦闘している頃に、ご自分の仲間たちの勉強会に招いて紹介してくださった。世田谷のお宅まで伺った。苦しいときに応援してくださったことにとても感謝している。その頃の共同研究者は故・矢川徳光先生だ。矢川先生は八鹿高校事件に象徴されるような民主主義と民主教育の危機の中で東京都同和教育研究会の会長を引き受けてくださったし、八鹿まで出かけてデモの先頭にも立たれた。その後を大槻健先生が引き受けてくださった。中村先生はいつもおおらかで、周りを引き込む明るい笑いがすてきだった。いまごろ、昔話をしてみんなで笑いあっていることだろう。ご冥福を祈りたい。

 さて、今日はワクチンの1回目接種だった。75歳以上の対象者だから、ほんとうに様々な高齢者がやってきていた。今日は晴れていたからいいけれど、雨の日には会場の外で待機する人たちは苦労したのではなないだろうか。これから暑くもなるし、テントなどを待機場所を設ける必要があるのではないか。なにしろ後期高齢者対象なのだ。付き添いの必要な人が多い。全国で先行事例がたくさんあるのだから、もっと情報を公開・交流して改善すべきではないだろうか。とても不思議だ。

 5月23日(日)曇りのち晴れ 孫と読む絵本が最高!

 昨日、孫のゆあん(10歳)が来て泊まった。しばらくぶりだ。もう、じいじのところより友だちと過ごす方がいいと言い出す年齢だ。宿題をやって、百人一首をやって、絵本を読んで寝た。3冊がゆあんの選んだ本だ。

 長谷川集平『ホームランを打ったことのない君に』(理論社)は、スポーツが好きなゆあんにはますます共感できる物語だろう。『あくま』は谷川さんと和田誠さんのユーモア絵本だ。こういう〈おち〉のおもしろさもしっかり腹に落ちる年齢なので、選んだのだろう。

『パパはジョニーっていうんだ』ボー・R・ホルムべルイ(BL出版)は、私も大好きな絵本。ぐっときますよ。離婚した母と住む街にパパが息子と会うためだけにやってくる。駅のホームで一人パパを待つ。そしてパパと過ごす一日。

 絵本はけっして幼い子のためのものではないことになっとくする。ゆあんがいい本を選んでくれる。

 ゆあんには、待ち望んでいた『ニルスのふしぎな旅』新訳第2巻をプレゼントした。ゆあんはいま、英語版で『私はマララ』を読んでいる。これはなかなかの挑戦だ。少し高い峰に挑戦する年齢だ。

 先週は雨模様だったが、今週は晴れそう。散歩も楽しみだ。善福寺公園の鳥や花の主役が交代していく。古い樹々が倒木を避けるために切られていくのがさみしいが、若い木が植えられていく。世代は交代していくのだ。

5月21日(金)雨のち曇り

生き残った者は何を残すか…

十津川警部シリーズ最新作は、『SL銀河よ飛べ‼』

西村京太郎の人気十津川警部シリーズの最新作は『SL銀河飛べ‼』(講談社NOVELS 21.5)。非常に簡単にいうと、最後の特攻「梓特別攻撃隊」の生き残り3人が戦後アメリカ人として生きていくという流れと、銃後に残された妻と子どもたちが戦後を生き抜いていき孫の活躍する時代を迎え、その交差点で起きる物語と言える。

 「銀河」という言葉がその結びつきを表していく。それ以上は書けない。西村京太郎氏はカバー折り返しの中で、こう書いている。

「終戦の日、私は東京陸軍幼年学校の一年生だった。夜になると、士官学校の先輩たちがやって来て「俺たちは、やむにやまれず、これから、特攻する。あとの日本は頼んだぞ」といって帰って行った。あの時の先輩たちが特攻したかどうかはわからない。

 あの頃、死は重く、同時に軽かった。今の世の中、ひたすら軽いだけである。悲しい。」

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では、死に向かうカンパネルラと別れたジョバンニは「ほんとうのしあわせ」を求めて生きる決意のもと、母の待つ家に走っていく。「特攻」とは何だったのか。戦争とは若者にとって何なのか。そして生き残った者は何を残すのか。を問う作品だと思う。1930年生まれの作者の残すメッセージである。

 5月13日(木)雨 奪いつくすもの=『ウサギ』

 オーストラリアが舞台だということだが、今日の世界のどこでも遭遇している状況を描いている。

 昔、海からウサギたちがやってきた。ウサギは増えつづけた。彼らは別の言葉をしゃべり、見たこともないものを食べ、よその動物を持ちこんだ。彼らは土地を奪い、われらの草を食いつくし、木を切り倒し、仲間を追いはらった。さらに、わたしたちの子どもをさらった。

 ウサギから救ってくれるのはだれだろう……。

 ショーン・タンのシュールな絵がすごい迫力だ。被侵略者の原住民の側から見れば、侵略者の姿、道具(武器)、文明はこのように見えるのだ。「ウサギ」とは何者なのか、ウサギは何を目指すものなのか…。説明的な文章は一切ない。それだけにショーン・タンの絵が不気味でさえある。

 いま、斎藤幸平『人新世の「資本論」』がベストセラーになっている。彼は資本主義のあくなき欲望を告発している。SDGsのうわべの努力だけではごまかしに過ぎないとまで言っている。だまされはならない。その組み立てそのものを改革しなければ未来はないのだと言う。この本はそういう意味では、資本主義そのものを表しているともいえる。

 それなのに、表紙を開いた見開きの、おだやかな三日月湖で餌を求め、憩う水鳥たちのシーンが印象的だ。失われたものはなんであったのかを表している。

『ウサギ』ジョン・マーズデン文、ショーン・タン絵、岸本佐知子訳(河出書房新社2021.1)