”【発達障害】「才能ある」発達障害になりたかった症候群” | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私は自分の生きづらさの理由が知りたくて、
精神科を受診して発達障害の検査を受け、

「ASD(自閉症スペクトラム)の可能性が高い」

との診断を得ました。

アスペルガー症候群は、
アメリカ精神医学会が発行している、
DSMという、
精神障害の分類と診断基準を示している書籍において、
第4版までは、
広汎性発達障害に分類されていましたが、
第5版において、
ASD(自閉症スペクトラム)に一本化されました。
(詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください)

私が以前、
自分は発達障害ではないかと、
あるセラピストに相談した時に、

「発達障害の症状は誰にでもあるものなのに、
そんなに障害者になりたいの?」

という、
とても頓珍漢な返答を受けて、

「人を救おうとしているセラピストでさえこのレベルの考えか」

と、絶望したことがあったのですが、
私がこの言葉の次に、
自分が発達障害ではないかと相談した相手から、
言われて絶望した言葉が、

「じゃあ何か、スゴイ才能があるんでしょう?」

というものでした。

前者は発達障害者というものを、

「誰にでもある症状で障害だと言う甘えた人」

と捉えていて、
後者は、

「発達障害者は人と違う何か凄い才能を持った人」

という、
どちらもネガティヴかポジティブかという差はあるものの、
発達障害者に対して、
非常に偏見を持った人達でした。

けれど、これが、
発達障害者に対する偏見の、
代表的なものではないか、
と思います。

だから、このブログ記事に出会って、
とても共感してしまいました。

ヘプバーンさんのこのブログ記事のように、

「自分も才能ある発達障害者になりたかった」

と思い、
そうでない自分に更に落ち込んでしまう、
という悪循環を起こしている、
発達障害者は多いように思います。

確かに才能を活かして活躍している方が、
努力していることは、
もちろんだと思います。

けれど発達障害者は、
まず自分に合った環境でなければ、
厄介な人間という評価を受けてしまい、
自分を活かすことは出来ないし、
今のように、
発達障害という言葉が浸透しておらず、
自分が発達障害とは知らずに、
大人になってしまった私のような世代は、
よほど周囲の協力か、
強運がない限り、
自分の特性に合った環境で生育し、
その才能を伸ばす努力をすることは、
困難だったと思います。

私は40歳を過ぎた今、
自分の特性を活かした生活をしようと、
試行錯誤しているところですが、
それも今まで、
自分自身の努力と強運で、
何とか2次障害を発症することなく、
自分の力で生活出来る経済的基盤を、
手に入れられたからこそ、
なのです。

自分の人生が辛くて辛くて、
20歳の時に自殺未遂をして、
その後就職してからも、
必ず周囲の人間から虐めを受けてきた私は、
同じようにアスペルガー症候群を抱えて、
人とのコミュニケーションに躓いてしまい、
2次障害を発症して、
働けなくなってしまった人達の気持ちが、
とてもよく分かります。

私も特別な才能が欲しかった。

周囲の人間と上手くいかなくても、
生きていける才能が欲しかった。

そんな特別な才能が無かった私は、
自分を生きやすくするために、
社会と折り合いをつけて生きる術を、
現在、身につけているところです。

"「才能ある」発達障害者になりたかった症候群"は、
生きづらさを抱えたアスペルガー(現在はASDに統一されています)が、
一度は感じるものではないか、と思うのです。