父のこと | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

父が再入院したと聞いてから、何度も頭に浮かぶ光景があります。

それは私が小学生に上がるか上がらないかのころ、
仕事から帰ってきた父が、突然私にひし形の、白地にピンクのラインが入ったフリルのついた、
とても可愛い宝物入れをくれたことがありました。

普段の父がくれるものからは有り得ない、とても女の子心にぴったりのプレゼントで、
私はそれがとても嬉しくて、それに自分の宝物を入れて、
枕元に置いていつも寝ていました。

今はその宝物入れがどこにいってしまったかは分からないけれど、
そのことを思い出すたびに、
私が喜ぶことが嬉しくてたまらない、そんな父の気持ちが私の心に流れ込んできます。

してやったり!!我が意を得たり!!な、得意気な誇らしい気持ちです。

そんなことを思い出すと、やっぱり私は、父にされた酷いことよりも、嬉しかったことばかりが浮かんできて、
とても幸せで穏やかな気持ちになれるのです。

私はなんて、心豊かで幸せな子ども時代を過ごすことが出来たのだろうと、自分の生い立ちに感謝の心がわいてきます。

私を放っておく父だから、私はいつも見えない不思議な存在たちと心を通わすことが出来ていました。

近所に年の近い子がいなくて、唯一の遊び相手は兄だけだったから、
私は自分の周りに、何かの存在がいてくれることを感じて、小学校に上がるまで、孤独など感じたことはありませんでした。

全て、このお家に生まれたからこそ、体験出来た出来事でした。
 
そんな風に思うと、子どもは親を選んで生まれてくるって本当だなぁ、って思います。

一般的な常識的な家庭では、きっと私は今よりもっと息苦しくて、
普通が出来ないことでもっと親を泣かせて、もっと自分をダメだと思っていたかもしれません。

破天荒な父をもったおかげで、私は人からはみ出しやすい自分が、社会で生きていく術を学ぶことが出来ました。

昔、出会った霊能者さんに、私が父のことをそんな風に言うと、

「お前はたった1つ良いことがあっただけで、そいつを善人だというのか?!
人殺しをするテロリストがお前にパンをくれたら、それはいいヤツか?!」

ともの凄く怒られたことがありました。

その時は自分の考え方がおかしいのかなぁ、と思ったのですが、
今ではこんな考え方をする自分で良かったなぁ、と思います。

その霊能者さんから言われた、イメージの中で両親を残虐に殺すというワークは本当に辛くて、
私は一回やっただけで涙がボロボロでて眠れなくて、ご飯も食べられなくなりました。

私は誰かを憎み続けるには、多分、性質的に向いていないのです。
酷いことをされた時に、私は怒りではなく悲しくなってしまうのです。
怒りでやり返すのではなく、悲しみで泣いてしまうのです。

小学校ではよく泣いて暴れて、家に帰ってましたf^_^;)
(だから泣くからといって、大人しくしているワケではない)

過去に置き去りにしてしまった感情を昇華する方法は色々あるとおもうのですが、
私はただ浮かんでくるがままに、その時の自分の感情を思い出して、
自分と相手の感情を感じるのが一番自分の中でしっくりきます。

そうしていると、時間は10年20年といっぱいかかるのだけれど、
とても穏やかに、ゆっくりと、心が安心していくのです。

これがきっと、まさよさんの言っていた、
「み魂の拾い上げ」なのかなぁ、って思います。

今の私は、父が色んなことを制限されてストレスを溜めて少し長く生きるより、
自分のしたいようにして、満足して死んだ方が幸せなんだろうなぁ、って思います。

そして私も、そっちの方がいいなぁって思います。

だから、今の私の願いは。

「ほんっと、うちのお父さんって最後まで自分勝手だったよねぇ」

って、母と笑いながら話すことです。

そしてその時期が、父や母が苦しまないくらいだけ、
少し先のことだったらいいな、と思います。