ジョーデン博士の論文の一節です。生徒のエラーに対する扱いに関して、ですが。

これは、初日から、ん年後の最後のクラスまで不正確なもの、不自然なものは全て直します。

 

先生の役割は、クラスルームディレクター、カンバセーションパートナー、そしてモデルの三つです。これらの使い分けです。

 

モデルは出来れば他の生徒から引き出すのですが、さもなくば先生自らモデルを見せます。そしてフィードバック。

 

生徒も気をつけるべく、予習でより工夫して来るようになります。モデルを見せフィードバック。これを嫌がる生徒がいるか、、、、。自分の不自然さを指摘され、自然なものを示される方が、放って置かれるより良いと捉えているようです。一貫性があれば問題ないです。

ジョーデンメソッドでの履修者のターゲット言語がかなり自然なのはその為です。

大リーガーのダルビッシュが打ち込まれた時、つい謝ったら、監督から謝るなと諭された。マー君が戦線離脱の時にやはり謝罪。現地でこれに違和感を持った人は多いはず。

 

日本人は英語圏でよく謝っています。apologeticでヘコヘコよく謝る人ということで、ネガティブに取られるケースが少なくないのです。

 

いつSorry.を使うのか、、、一般化は非常に難しいです。大雑把ですが、数分の一くらいな感じ。人とぶつかった、話の途中で席を離れる、咳やゲップをした、、、Sorry.も使いますがExcuse me.の方をよく使う。

 

Sorry.は「同情心」を表す場合も。

 

話し相手に何か不幸があったと聞いた時。Sorry to hear that.とかが使われます。

 

言葉は生きています。「いつ、どこで、どう」適切に謝るべきか、英語の習得と同時に習うべきことなんです。こういった言語の文化面は誤解のないスムーズなコミュニケーションには大変重要なんですが。

 

 

弁当で言えば大学入試は白米弁当。センター試験が梅干し弁当。これを食べ続ければ、英語の体調が非常におかしくなるわけです。学校や塾の英語教育も基本このラインで、残念ながらコミュ英語やライティングは表面的な扱いに終始してしまうケースが多いのが日本の英語教育です。どうしても、他の外国のように4スキル型に移行できない。ですので、高校三年生の英語力の平均が英検3級レベルであり続けているわけです。

 

その後は、英語の習得を試みても膨大な英語のやり直し、リハビリが待っています。コミュ英語などの習得は相当難しくなります。結局、中学や高校で英語を適切に学習しなかったら、その後の英語学習はいばらの道になります。

 

入試でカバーされるのはリーディングが殆どだけど、言葉のプライマリーは音なので、僕はスピーキング・リスニング8割くらいの感じで教えています。それをベースに読み書きの力をより効率よく伸ばすやり方。アメリカの有力な教育機関での日本語教育はだいたいこのやり方。

 

高校生やその親御さんたちは、本来言語を習得するときの自然な順序(音声がプライマリーで文字がセカンダリー)を踏まえたやり方には不安でしょう。そのやり方で本当に入試で上手くいくのか、と。僕の生徒さんの親御さんも、当然のことながら最初はそうですね。冬休み、春休み、夏休みが来れば他の生徒さんたちはこぞって予備校などの夏季講習などに通い出しますので。

 

しかし、「論より証拠」でスピーキングベースで、読みの力が伸びているという実感があればその不安は吹き飛びます。実際、高2の子は全国模試の偏差値が驚きの91でした。生徒さんも、ラテン語のように英語を勉強するより、生きた英語を読みも含めて使えるようになっていった方が良いわけです。

 

「論」も重要なので書きますが、読みの力を伸ばすためには音声言語の確立を試みながら読みをやらないとreadingにはなりにくいですね。どうしても読解、つまりdecodingになりやすくなると思います。スピーキングをベースにやるとdecodingに陥ることはなくなります。このやり方は今の読みに偏った入試にも有利です。単純にdecodingよりreadingのやり方の方がreading力が伸びるからでしょう。

 

大学入試的英語学習を続けても、読み能力は低いレベルで推移する厳しい現実を認識する必要があると思います。入試問題に多くの「ひねり技」が使われているので、難しそうな部分はありますが。

やはりポイントは日本語と英語のズレなんですよね。Englishで書かれた本だけでは非常に限界があることは下のPicture Dictionaryを見ても一目瞭然です。

 

日本語母語者のひっかかるのは体の部分だけでも少なからずありますが:

 

lip(複数あるのでlips)で、lipは「唇」と違って範囲が広く使われる場合があります。ですので、「鼻の下の汗をかく」は「上唇の表面上に汗をかく」で、beads of sweat are formed on one's upper lipですね。lipsは、reddishな部分だけでなく喋るときに動く部分なんですね。

 

顎も「顎」と「顎先」があるし。前者はjawsで上下あり、歯の部分も含みます。Jawsといったらスピルバーグの映画ですね。直訳して邦題にしてしまえば「顎」なわけですが、「ジョーズ」の邦題よりはヒットしないこと間違いなしです(笑)。

 

この絵では「手を腰にあてて立っています」が、この場合の「腰」はhips(横に突き出た部分で、これも左右にあり複数形)で、He is standing with his hands on his hips.ですね。

 

http://kid-picture-dictionary.blogspot.com/2010/06/human-body-body-head-eye-hand-foot.html?fbclid=IwAR2cd7g5EsxoNb1cb11_tmG7hKS4EFfGksG6wB3LswNi99_rz5033-INWng

 

文科省の目的はもちろん底にある生徒の英語力を上げることですが、それには先生の英語力を上げないことには日本の英語教育は動かないことはよく知っていますね。韓国のトップレベルにある学生の方が、日本の英語の先生より多分英語は出来るでしょう。日本のような非常に偏った英語教育は通っていませんので。

残念ながら、英語の先生の多くがコミュ英語が出来ない。先生方もコミュ英語の実効的勉強をしないとどうしようもないないわけです。少しづつ実力派の先生方は増えてますが、わずか英検準1級レベルでさえ、中学の英語の先生で2割くらいでしたか。実効的に教えようとしないと、ご自身の英語がこうなってしまうわけです。

今は、新入試はかなりいびつなものになってしまっていますが、入試の実効的な英語の四技能化をしないことには現状を動かすことは難しいわけですね。四技能化入試に動きそうになった時、塾の英語の先生方は本格的なコミュ英語学習に動き始めてた実感が僕にはあります。コミュ英語が教えれないと、失業になりかねないわけです。塾や予備校の動きは実にシンプルで分かりやすいです。

東大が英検準二級の成績で良いと決めた辺りから、塾の先生方の「コミュ英語の勉強も実効的にやらなければ」と言う動きが止まってしまった感じがします。多くの大学側、、、というより大学側の英語の先生方ですが、、、は外部試験の無力化をすればそうなります。

で「英語教育、英語の入試の四技能化は反対しない、しかし」と言う英語の先生が増えてきました。その「方針」を出している大学もT大以下少なからずだと思いますが、その「方針」の大学の英語教育が非常に偏ったものであれば、単に世間の批判をかわすために言っているだけな訳ですね。言っている事とやっている事が違うわけですから。

「海外大学日本校が40も50もあった時代もあったわけで、なぜ根付かなかったのか、あらためて検証する必要もありそうです」(テンプル大学広報の中川氏)

 

この問題は英語だと思います。「英語は習うより慣れよ」ではなかなか上手くいかないわけですね。英語で授業を受けても生徒はあまり分からないので、思ったほど英語力が伸びなかったし、相応に肝心の教科の理解も浅いものになった、という感じではないでしょうか。それと90年代の留学ブーム(特に語学習得目的が中心のケース)も似たような結果だったと記憶しています。

 

しっかり検証して、どこにどういった問題があったのか。で、その失敗をどう克服していったらいいのか、本当に真剣に考えていただきたいです。いまグローバル云々のブームで、「習うより慣れよ」タイプの英語プログラムがまた急増しているようです。

 

「セルハイ」もそうですが、今度は「グローバル云々」と看板だけ変えて似たようなプログラムが出てきてますね。語学留学や米大学日本校での英語でのクラス履修は、然るべく英語力を上げてからでないと効果は望み薄です。英検2級レベルで1年間の語学留学しても準1級レベルを超える方がマイナーなケースです。

 

なので、英語力を上げるために英語でクラス履修、では話があべこべです。

 

HOW LANGUAGES ARE LEANEDのキンドル版を読んでいる。こういった本を読んでいて正直辛いことがある。

 

英米人の著者によって書かれた第二言語習得の本は、背景には自らの外国語習得経験が大なり小なり反映されていると思う。例えば、英語と方言のように近いフランス語の習得経験から外国語教育一般を語られたら、超異言語である英語習得で苦労をしている僕らにとって当てはまらないことも多いと思う。

 

つまり最易外国語としての英語教育と最難外国語としての英語教育とでは自ずから扱いはかなり異ってしかるべきではないだろうか(僕がヨーロッパ共通参照枠に違和感があるのはこの辺かな)。

 

各言語の習得時間の目安、CAN-DOリストを出している米国務省のFSIはやはり偉いと思います。いろいろな外国語の教育を実用的に機能させなければならないという必要性の中にいつもいるからですかね。

英語教育の本は仕事柄けっこう読んでいますが、日本の場合は「学校での英語教育は基礎をつけるところ」「習得は生徒自身の判断で自分で」と述べておられる英語の先生が非常に多いです。学術会議の言語関連部会の緊急提言なんかもその典型ですね。こう言った抽象的な目標を云々するのは、日本だけの現象でしょうね。他の国で、英語の先生、他の言語の先生でそう言ったことを言っている人は聞いたことないです。

 

とすると「学校での英語教育は基礎をつけるところ」は:


小学校:英語の基礎をつけるのが目的
中学校:英語の基礎をつけるのが目的
高校:英語の基礎をつけるのが目的
大学:英語の基礎をつけるのが目的

 

24学期から30学期間延々と「英語の基礎をつけるのが目的」

 

生徒からしたら、「英語の基礎をつけるのが目的」の高校の英語の受験を終わって、「やれやれ」と思って高校に入ったら、高校も「英語の基礎をつけるのが目的」。

 

日本の場合は、そこで終わらないです。「英語の基礎をつけるのが目的」の大学受験をやっと終えて大学に入ったら、「英語の基礎をつけるのが目的」の英語のクラスがまた始まる、、、。

 

シラバスに書けないことは目的になり得ないと思うんですが。延々と「英語の基礎」に付き合わされる生徒の身になって議論して頂きたいです。

 

このサイトでは、大学生にbe動詞の記事が。これは極端な例だと思われるでしょうが、「be動詞をwritten, spokenで使いこなせる」と言うレベルからすれば、実際日本の大学生にはかなり難しいと思います。

 

https://www.j-cast.com/2015/02/23228595.html?fbclid=IwAR1hrRCXB5Mqbsgd05kFySvulOB9WjA_XXjmJUKiwUZ7R2Z9AdTAX36eRmI

 

 

上級リスニング: 


1。英語のドラマをDVDからisofarなどのソフトでPCに取り込む。


2。取り込むのは日本語字幕のもの。 


3。使うPCはマックのノート(0.1秒でも微妙に戻せる)。Windowsでもこれが出来れば可。


4。ドラマを視聴。 


5。日本語字幕は完全無視。 


6。わからなところを戻しもう一度聞く。

 
7。それで分からなければスクリプト参照(スクリプトはダウンロードして直ぐに見れる様に画面に出しておく)。 


8。英語が分からなければ日本語字幕参照。それでも分からなければyahoo.comのanswersでネイティブに聞く。


9.聞くのを繰り返す。聞くたびにシャドーイング出来る箇所を増やす。

 

なぜドラマが良いのかですが、容赦ないリアル・イングリッシュです。状況が画面で分かります。言葉は必ず状況があり、言葉の意味はその状況が確定します。

"I will come back tomorrow."

 

"-I'd rather you didn't."

 

willが意思未来、didn'tが過去形をあらわすというのはミスリーディングだと思う。

 

willなど、法助動詞は時制はとらない(話し手の心的ドラマ)。tomorrowが未来をあらわしている。

 

例えば、誰かが今朝自分を訪ねて来たらしい、という状況。

 

That will have been my brother.と言える。willは可能性がshould「〜に違いない」より上。willがあるけど、過去の話し。

 

willは現在の習慣・習性で使われることもある。I will drink tea early in the morning.ということも可能。これもwillは「未来」ではない。

 

didがdoの過去というわけでは必ずしもない。doとdidの違いは、「遠さ」の違い。「遠」回し表現であればソフトな表現になる、ということ。時間的に過去の方向に「遠」ければ過去時制。この会話の場合は過去の話ではない。

 

会話は状況が非常に重要、ということ。

 

コミュニカティブアプローチの再評価が必要ではないだろうか、、、。CEFRとこのアプローチは切っても切れない関係。CAN-DOのレベルの評価基準を見ると分かります。

 

リスニングも当然そう。ですので会話でのリスニングは映像があったものの方が良いと思う。