日本語の固有名詞で、母音が重なると、英語母語者は子音を付け加えますね。

Aoki が Awoki

 

野茂英雄の場合は女の子の名前に変わる。

 

つまり、Hideo が Hideyo へ。ドジャースのチームメートにHideyoと呼ばれるのも変なので、、、なんて呼ばれてたんだろう。

 

僕はKodaiで母音が2つ重なっているけど、大丈夫だった。iはかなり弱いが。

ラ行が名前に入っている日本人は苦労してるはず。/r/が難関です。日本語のラ行の子音は英語母語者の耳にはなんと聞こえるか?

 

/r/でも/l/でもありません。

 

英語母語者には、Naokoさんはネヨーコ、Naomiさんになるとネヨーミーと発音されますね。ここまで変えられてしまうと、呼ばれる方はお気の毒。

 

Naは「ナ」にならないですね。aの後ろにyが入ってyoになる。で、後ろから2番目のシラブルにストレスが来るというルールがあるので、yoが長く、強く、高く発音され、その前のnaのaの発音が逆に弱音 /ə/に。後ろのストレスのあるシラブルを目立たせるためです。で/nə/がネに聞こえる。

 

という事は、英語母語者が日本語を学習する時、日本語の発音・イントネーションに一貫してこだわりを持って練習しないと、彼らの日本語がネヨーミーやナヨーミの類になってしまうという事です。abominable Japaneseと呼ばれてる。

 

日本語母語者が英語学習をする場合も同様です。

 

英語の発音は最初が肝心ですね。中学1年時。一旦、日本語に引っ張られた英語発音になったらその矯正が並大抵ではなくなってしまいます。

 

発音が悪いと喋る方もですが、リスニングにもかなり支障をきたしますからね。そうするとコミュ英語の扱いがどんどん難しくなる、という悪循環。

「安倍首相と話をすると総理は微笑んでいる」(トランプ大統領)

 

英会話における“日本人的スマイル”の不自然さがよく指摘されますが、多くの日本の英語学習者同様安倍首相にもこの問題がありそうですね。

 

日本的な“愛想笑い”(まじめな話しの内容であっても、話し相手に対して友好性をアピールするために笑みを浮かべ続けたり笑ったりしながら会話する場合も含む)や“付き合い笑い”、返事に困ったり何か失敗したりした時の“照れ隠し笑い”は、英会話では相手に悪く誤解されることがあるので注意が必要です。

 

英会話では、笑う時は声を押し殺して笑うことは比較的少なく、顔を背けて笑うことも、手で口を覆って笑うこともあまりありません。

 

日本語社会では、感情をあらわにすることがよくないとされているため、こういった“まぎらわす”タイプの笑いが一般に受け入れられやすくなっていると考えられますが、英会話における“日本人的スマイル”は、「どうしてこんな状況で日本人は笑っているのか」と外国人がいぶかるケースも少なからず出てきますので、気を付けます。

When you give your children wisdom, you do not tell them what to know, or what is true, but, rather, how to get to their own truth. CWG 2

 

知識と知恵は違いますね。CWGはWisdom is knowledge applied.と言っています。

 

英語は知識として習う面がある。それは、前提としてありますが、それをクリエイティブに使える方向へ持っていけるかどうか、、、(週1の僕のプログラムでは難しいです。僕自身が英語教育でできているかと言うと、、、現時点ではなかなか)。

 

で、言語は言語本来の性質があるので、そのターゲット言語を本来の言語をトータルに扱って、クリエイティブに使えるように導いてあげる。

 

critical thinkingも言語をトータルに習得する過程で身につけていく。上級になればディーベードも入る。problem solvingも言語を社会言語として扱えば、その言語世界の機能の仕方も習得できていく。言語を適切に習得すると言うことで、ミスコミュニケーションを避けるスキルを習得していくことでもあります。

 

ターゲット言語をトータルに習得レベルを上げると母語への気づきも相応に広くて深くなる一石二鳥。

 

言語プログラムを終えても、未来の学習につながる自立する言語学習者にしてあげる。

これ、北米の日本語教育ではかなり出来ていた感じ。日本語を3年ほど履修したプリンストンの学生たちは村上春樹の日本文学のクラスディスカッションは流暢な日本語で出来た、と村上春樹はエッセイに書いています。

 

僕は平均的なレベルの学校でも教えましたが、そこの大学の普通の生徒さんだった2人に日本で会いましたが、日本語がペラペラであるのに嬉しい驚き。全部日本語で会話しました。教師としてこんなハッピーなことないでしょう。

 

膨大な年月英語と付き合う日本では、北米の然るべき日本語教育よりはるかにポテンシャルがあります。英語は国際語で、インセンティブも膨大です。

「入試で4技能をテストすることは必要か?」

 

『学習指導要領』のラインで実効的な4技能教育で4スキルを積み上げてきている先生、生徒には必要です。1スキル型の生徒と同じ扱いのテストは大変不公平。少なくとも、我々英語を教える側を英語の4技能を実効的に教えることに導くので必要だと思います。実効的に教える側の英語力も確実に上がると思います。教えることでその能力も上がる。それは海外がすでに経験していることだと思います。

 

センター試験の4技能化は理想ですが、何年も議論して無理だという結論になっているので、その方向に話が進んだら、単に議論の時計が数年戻るだけ。議論は、今までの積み上げの義論を前提にしないと時間の無駄に。

 

日本では実質1技能のテストのシステム維持派が多いので、下の統計の数値は当然です。日本は、実質1技能の英語教育なんですから。ですので、CEFRの一番下のレベルが小中高の8年間延々と続いています。新テストシステムはそこからの脱出が目的なわけです。

 

https://www.asahi.com/articles/ASM9B3G5RM9BUTIL00G.html

なぜ日本語母語者は英語でなかなかスムーズに話せるようにならないのか?それを克服するにはどうしたら良いか?

 

コミュには必ず状況があります。その状況をベースに舌と脳を使って英語をクリエイトするのが英会話です。その訓練をやらない限り、なかなか難しい。

 

なので、状況(日本で書かれたもの)をパッと見てスッと言える練習が重要。

 

シャドーイングは口慣らしに優れた方法だとは思っています。僕もかなりやっています。

 

しかし、1. 実際に英語をクリエイトする作業→2. スッと英語が作れなかったら暗記(音読)→3. 仕上げでシャドーイングのパターンで実は僕もやってますが、肝心な1.抜けたら、大きな限界が。

 

1〜3は宿題です。グラマーの複雑微妙なポイントの理解が前提です。グラマー理解度チェッククイズも宿題です。これ抜きでは忘れやすく応用が効きにくいからです。

 

で、レッスンはそれが前提でコミュニカティブに行うことが出来ます。で、生徒からクリエイティブに英語を引き出す。基本、ジョーデンメソッドでの日本語教育もこんな感じで、クラス外の宿題とレッスンが機能。

 

それと英語の世界は広くて深いので、英語表現が少なかったら狭くて浅い会話になってしまいます。

 

初級ー中級ー上級に大雑把に分けると、初級までが2千センテンスくらいでしょうか。最初の1千センテンスだと初級の初級くらいな感じです(readingも同様で、ペーパーバックの読書は語彙の量次第)。

ネズミらが

 

秋の週末

 

運動会

 

古い大きな家に一人で住んでます。天井裏も広いので、ネズミがよく運動にやってきます。

 

住みついてはいないと思います。

 

寒い冬はエアコンの真上で暖を取っています。エアコンを消すと僕の顔の真上に来ますね。

 

一度、外で猫がなきましたが、すごくパニックになった様子が手に取るようにわかりました。猫を飼うのは確かにネズミ対策には良いんですね。

 

ときどき録音してある猫の鳴き声で脅かそうとしますが、効果があるかどうか定かではないです。

僕は「生徒の英語の必要性は低い」と言っておられる英語の先生は全く信用していない。「必要性の低い英語を、一体全体どう教えておられのだろう?」と思います。

 

「必要性」では、北米の然るべき日本語教育がかなり良い線いっている理由が分からなくなりますね。生徒にとって、将来の日本語の必要性はかなりゼロに近いわけですから。日本語のクラスなので然るべき日本語を教える、それだけですね。

 

今の世の中、生徒も親御さんも文法ベースの読みを中心とする教育を望んでるわけありませんし。

 

塾の高1の生徒に英検2級のライティングを初めて書かせたことが。かなりスラスラ書けてビックリ。多分8、9割の出来。高校で先生に書かせられるから、と言っていました。その高校はコミュ英語もかなり充実している様子。勿論読みもキチンとやっている。

 

スーパーグローバル指定校でもないのですが、学校全体が実用英語教育に力を入れているんでしょうね。都立ですが、英語のクラスは半分に分け、レベル別にしてます。そういう教育環境の所が増えて欲しいですね。

 

少なくても英検の準1レベルはクリアーしている大学、大学院の英語の先生の卵をインターンでガンガン使えるようにしたり、いろいろやりようはあると思うんですけどね。柔軟性はアメリカではメチャクチャあります。

 

一方、入試がごく少数の例外を除いてコミュ英語、ライティングを求めていないんですよね。そういった素晴らしい高校の存在は嬉しいですが、入試にはコミュ英語もライティングもほぼ「無駄」なんですよね。ホント、複雑な気持ちになります。基本1技能の大学入試はなんとかして欲しいです。

 

なぜ日本人は英語が苦手? 欧州で英語ブームのなか、“必要性”が重要という意見も | ニュースフィア

 

https://newsphere.jp/national/20151019-1/?fbclid=IwAR3WBvE8PKQcjyBp3G1aQFNQkfmeJhPgfwUioIKnqHDTEdf2fyN6wjx8FCQ

 

グラマーには主に二つあります。文型的な正しさ、それとコミュニケーション上の自然さです。

 

文型的に正しいだけではダメで、ミスコミュニケーションを避けるためには自然さが必要です。これがコミュニカティブアプローチの肝ですね。大きなクラスサイズではここまで行なうのは非常に難しいとは思いますが。

 

その一例ですが、NHKの教育放送で英会話のプログラムを例に説明させてください。

六本木の外国人の多いバーに突撃的に行って、生きた英会話をトライ!(うら若き女性で、、、、一般の視聴者の「突撃」は危険(汗))

 

外国人へ投げかける英語の質問がワンパターン過ぎて、双方向のコミュニケーションになっていない。

 

一々のインターアクションの仕方もかなり不自然。状況の中で、どうインターアクションをし、適切にどう英語表現をするのか、視聴者、つまり学習者に「教育」して欲しかった。

Can you speak Japanese?と聞いていましたが、これは相手の「能力」を聞くことになり失礼。

『学習指導要領』のラインで、先生がコツコツ生徒の4技能の運用能力を積み上げた場合、1技能、1.25技能のテストの方が不公平。1技能に偏った英語学習でやり3技能が悲惨な生徒と同じ扱いな方が不公平でしょう?

 

「僕はこう教えている、学習している、よって英語のテストに関してはこう考える」

の「こう教えている」が完全に抜けて「テストはこうあるべきだ」ばっかりですね、日本の議論は。「船頭多くして船山に登る」

 

不思議な議論ですね。テストはカリキュラムを反映すべきで、カリキュラムと一体だということがどうしても分からない人が多いわけです。なので、延々と抽象論ばかりで、犠牲者はいつも未来ある生徒たちです。

 

英語民間試験 私立中高の団体「中断や延期 かえって混乱招く」

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190919/k10012089981000.html?fbclid=IwAR0WxofLwVaFkC7WypmwPx3m8TsJfMZW-3WYdLh4-RtfNQEdlJgnPc_Vwlo

 

動詞の後ろに、不定詞も動名詞も両方とれる例外があります。始める系(begin, commence, start, cease, continue)、感情系(hate, like, love, dislike, prefer)、その他(propose, write)。他にあるかな、、、。

 

in three hoursやas tall as his fatherの意味は「三時間以内に」「父親と同じ背の高さだ」ですが、三時間を少し超えても良い場合、背の高さも父親の背を少し超える場合もあります(父親より低い場合はない)。全く同じ背の高さというのは現実には存在しにくい。

 

Yes/No疑問文への答えは、必ずしもYesやNoを使うわけではないです。実際にはこのパターンは少なく、That's right.とかI doubt it.といったものや、何らかの動作・表情を使って全く答えの無いケースも少なからずあります。ジェスチャーは重要だと思います。日本語の場合も、英語母語者が英語のジェスチャーを使って日本語を使うのは変。