公人に「個人的見解」などあるのか | 世のため人のため~“メガホン侍” 伊藤央

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代議士秘書10年、山口県防府市議6年。現在は東京都小平市議(2期目)。地方から日本を改新し、世界を救うことを目的に活動中。日々街頭に立ち、思いと政策を訴える“メガホン侍”。

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藤村修官房長官が北朝鮮の金正日総書記死去にあたり「哀悼の意を表したい」と発言したことが物議を醸しています。





政治家の舌禍は、今に始まったことではありませんが、民主党が政権を取って以降は特に言葉の軽さが目立つように感じます。


重箱の隅を突いたり、揚げ足を取るようなマスコミの報道に踊らされるつもりはありません。

少しくらい乱暴と思われる発言であっても、政治家としての信念から「言わなくてはならない」と判断したものなら、賛同は出来なくても、その姿勢は評価します。

しかし、ちょっと騒がれると謝罪、撤回では、「軽い」としか評価できません。


そして、この度の藤村官房長官のような「個人的見解」とか、「個人的な意見」というような言葉を聞くと、公人としての意識があるのかを疑ってしまいます。

ある意味、謝罪や撤回より卑怯だと感じます。



かつて菅元総理も「脱原発依存」をぶち上げた後、「個人的な考え」などと発言したことがありました。

公人、ましてや一国の総理に「個人的な発言」などあるのか。

茶飲み話ならまだしも、公の場で喋ってるの訳ですから。


私も議員時代、市長が議会答弁の中で「個人的には」とか「私個人としては」などと発言される度に、「個人的な意見なんか聞いてないよ」と憤慨したものです。

自らが自分の発言を軽くする意味は一体何なのでしょう。



公人が公の場で発言することには責任を持たなくてはならない。

要職を務める方は尚更です。

市長であれば市を代表して、総理であれば国を代表して発言しているものと心得なくてはなりません。


政治家が言葉を信用されなくなったら、どうやって政治を行うというのか。





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