やる人はやるがやらない人はやらないという現実 | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

確かに身も蓋も無い話ではあるが。

 

「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか @ ITpro

 

突き詰めれば「できる人」というのは「やる人(やる気のある人)」であったりもします。

 

ただ、「やる人」であったとしても「できる人」であるとは限りません。

まぁ、仕事においては論外という扱いなのかもしれませんが、「できる人」を育てるよりも「やる人」を育てるという方がずっと厄介だったりもします。

 

 

みんなできる人にしようという幻想

 

やる気があるのに空回りするとか失敗ばかりするという人は周りにもいることでしょう。

しかし、本人のやる気がある分、こちらも教える気にもなりますし、どこかしら失敗ばかり繰り返すその姿に(たまにイラっとしながらも)どこか愛嬌を感じたりもします。

一方でやらない人は、自分の領域を作り何を言ってもそれ以上のことはせず、それ以下であることがしばしば目立ちます。

 

この記事にあるできる人の長年のカンというやつも、実はできない人も持ち合わせているのかもしれないんですが、そもそもやる気が無いためそのカンを働かそうとしません。

何れにせよやらないわけですから、周りから見れば「できない人」というレッテルを貼られることは違いありませんが。

 

「できない人」に教えることである程度のルーチンをこなせるようにはなるかもしれませんが、「やらない人」を動かすのは一苦労です。

「これは僕の仕事ではありません」とばりに自ら仕事の幅を広げようとしなかったりもするので、その殻を破るのは方法論の論理だけではどうにもならなかったりもしますから。

 

まぁ、持論としていってしまえば「できない人」全員を「できる人」にしようというのは幻想で、せいぜいその組織としての役割の一部を担えればよいという感じで、その人はその人のポジションが組織の中にはごろごろと空いてたりもしますからうまく割り当てていけばよい、という考えだったりもします。

もちろん人には得て不得手があるわけですから、何でもかんでも特別なポジションとしてやる気があって優秀な人を割り当てればよいというわけでもなく、その戦力の中から誰がどの役割を一番うまくこなせるのかをみて、その適応能力が高いところにひたすら当てはめていけばよいという考えです。

 

できない人(または凡庸)をできる人に仕立てなくてはならない、という風潮があったりして、ビジネス本とかでもそういった組織を作るにはどう人を育てればいいのか、何てこと書いてたりしますけどそんなことができたら苦労をしませんし、理想を追い求めた果ての現実として組織が崩壊するというのは過去の経験でも目にしていたりもします。

ですから、ある意味開き直ってやる気が無い人がいるってことを認め、その人に最低限の役割をこなしてもらうためにはどうすればよいのか、またはそのポジションとは何なのかってことを考えた方が健全な気がしています。

自分が社長で簡単に人を異動したり切ったりするのができるのであれば楽なんでしょうけど、こういった悩みを抱えているのは中間管理職の人やチームリーダーだったりもするので、今ある戦力でどう戦うのかってことを考えていった方がよいと思うわけです。

 

 

働きアリが働かないアリになる現実

 

働きアリの法則(パレートの法則)というのがあります。

働きアリというのはみんなが働いているわけではなく、2割が熱心に働き、残り8割が怠けているというものです(実際にはよく働くアリが2割、普通に働くアリが6割、怠けているアリが2割といった具合になるそうです)。

そして面白いのが、2割の働きアリを別の場所に移動すると、残りの8割から熱心に働くアリが2割出てくる、または逆に2割の熱心に働いていたアリの中からも8割が怠けだすというところです。

 

実際の組織の中でもこういった現象は起きているのではないでしょうか。

アリの世界でこのような現象が起きる理由は知る由もありませんが、組織の中において「やらない人」が出てくるのは見ていて想像がついたりもします。


1つは、やる気がでるポジションがないということです。
大抵の組織は人が多すぎるように思えます。
業務を遂行する上で実際には人が足りてなかったりするのですが、大人数の中で自分に与えられる役割というのは細分化された作業の一部であり、そこにモチベーションを見出すのは難しくなってきます
「君はこのモジュールを作る責任者だ」と言われたところで、それは途方もなく大きな機械の一歯車を作る作業であったりして、そこの責任者なりリーダーなり良いような名前のポジションを貰ったところで単に責任を押し付けられているだけのようにも感じたりします。

 

課長なり部長なりその組織の大きな責任を担うポジションであれば、その責任を全うするために否応なくやる気を出さざるを得ないという場合がありますけど、そんなポジションがごろごろあるわけではありません。
ですから、毎年毎年余計な組織が増えてはそこに割り当てるポジションを捻出するというようなことがされたりして、それを貰った人は良いにしても、その下で働く人はその人を割り当てるためだけの組織で働いているわけですから仕事の楽しさを見出せるはずもなかったりします。
もしかしたら、アリ自体も他の一生懸命働くアリを見たら「俺がやらなくても良いんじゃね?」って感づいてしまうのかもしれません。

 

もう1つは、効率化された環境になればなるほど、その人が担う役割が単純化されてしまうということです。
「みんな仕事大変だよね。だからもっと効率化してみんなの仕事を楽にしよう!」って意義で始まったPJも、その過程はみなで考え、やることも多いので充実するかもしれません。
しかし、出来上がった完璧な環境(絶対そうはなりませんけど)は、作業をひどく効率化した一方でそこでやる仕事は単純になりつまらくなってしまいます。

 

CASEツールを使って完全なプログラムが作れたとしたら、極論言えばシステム部門でなくてもプログラムを書けるわけで、そうなってくるとプログラマとしての面白みは失われていくでしょうし、変わりに与えられるのは上流工程だったりして、こういうことって昔から言われているんですが「今の仕事を効率化して空いた時間でより上のレベルの仕事をしてもらいたい」という言葉の「上のレベルの仕事」というのはたいていの場合、会社から見れば単価が高い仕事って意味だったりもするので、レベルが高いかどうか関係なかったりするわけです。

 

 

「やる人」を作る組織

 

これも身も蓋もない話ですが、みんなが「できる人」になるのは幻想と書いたようにみんなが「やる人」になるのもまた幻想だと思います。


先ほど書いたアリの世界と逆のことをすればうまくいくかもしれませんが、誰もがモチベーションを持てるポジションを作るというのは縦割りの世界をなくした完全フラットで誰もが重要なポジションにいる組織を作るということになり、その中で誰かに押し付けたいような仕事を自分でがんばるみたいなことを皆が思っているか、割り切って無駄ややりたくないことをアウトソースしてしまうというような割りきりが必要なんでしょうけど、コスト面で見合うかという問題も出てきたりします。

そして、効率化しない組織を作るというのは組織の成長としてあり得ないので、ひたすら成長し変改し続ける状態を保つにしてもそれってきつい状況でもあるわけですから、その人が忙殺される毎日に耐えれなくなったり、ふとした合間で燃え尽きてしまう可能性もあります。

 

小さな組織であればこれは少し見込みがあるわけですが、規模が大きくなり人が多くなればなるほど絶望的な状況になりかねません。
極論言えば「やる人はやるけどやらない人は幾ら言ってもやらない」ってことになるわけですけど、できない人をできるようにするよりも前に、やらない人をやる人に変えていくことをしないと成長もしないよ、と思ったりします。


で、やる人に少しでもやる気を持ってもらう方法としてですが、以前に読んだ「小さなチーム、大きな仕事 」の中に書かれているような組織作りのイメージを持っているのですが、これは組織としての常識を覆すものが多いので、なかなか今の組織の中に取り入れるというのは難しい場合が多いかもしれません。
組織としての急速な成長というものを捨て去る必要がありますし、そもそもができる人を育てるということすら考えていません。

 

組織がコンパクトであればあるほど、担う役割というのは大きくなります
そしてやることも当然多い分、その人にとっての充実感が増すことにはなるでしょう(一歩間違えればブラックですけど)。

 

結局のところ、会社という枠組みの中で、その企業のトップダウンとしてそういった文化を創れるのであればよいでしょうけど、大抵はそんなことはなく小さな組織として成り立たせても、会社の言い分と組織の言い分でのギャップができて板ばさみにあう組織長は心が折れてしまう気がします。


言ってしまえば、やる人を作るというのはその企業命題の中にどれだけ本気で従業員のやる気にさせる組み込めるかってことになり、それって売上犠牲にしてまでやるってことでいいんですよね?という質問にきちんと「はい」って答えられる人が運営しないと作れないと思うわけです。

ですので、アリと同じく8割が仕事をしていないという状況でも、2割で組織が持っているなら良いじゃんという究極的な答えが出てくるのだろうと思います。


ここで、「やる人」が育ったとしても「できる人」にするためには更なる変化が必要なわけで原点回帰して最初の問題に戻るわけですが、「やらない人」が多くいる環境では幾ら「できる人になれ」と言ったところで成長は見込めないと思うわけです。