ネットでの人間関係と付き合うスタイルの変化 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

ネットでもリアルでも人間関係が気まずくなることは良くあることです。

そして、壊れた人間関係を元に戻すややこしさとめんどくささもまた同様。

しかし、ネットではそのシステムの仕組み上、付き合いを開始するのも簡単であれば、その逆の人間関係を切ることさえも、あまりに簡単に出来たりします。



ネットで付き合う仕組み、分かれる仕組み


リアルでの人間関係の始まりは、まさにその人と会うところから始まります。

会社ではメールや電話だけでやり取りしていて、名前は知ってるけど会った事が無い、ってケースもあったりはしますが、付き合いが深くなるには実際にあって名刺交換などをするところから深くなっていくことが多いでしょう。


一方でリアルで人間関係が悪くなると、かなり面倒なことにもなったりします。

自分とその人だけの関係であり、他に誰も巻き込まないのであれば、互いに連絡を取らないということだけで済むかもしれません。

が、多くは関係者がいてその板ばさみになったり、どっちの味方だ的に1人の人間関係を切るために、他の人とも合わせて疎遠になるケースもあります。


ネットでの付き合いは逆に非常に単純なもので、何らかの簡単な信号を送るだけで済みます。

Twitterの場合はフォローしたり、mixiの場合はマイミクの申請をしたり、あるいはそんな手続きも要らずにいきなりメッセージを送ると言うことでも開始されるでしょう。

それは人間関係の開始とはいわないかもしれませんが、ネット上では非常に簡単な方法でコミュニケーションを始めることが出来ることは確かです。

リアルでは、いきなり知らない人から声かけられるとかなり警戒されたりもしますが、ネットではその敷居がかなり低くなっています。


では、ネットで付き合いを止める場合はどうするかというと、これもまた非常に簡単な方法で分かれることができます。

Twitterではリムーブやブロックと言う形でシステムに実装されていますし、あるいは全ての人間関係を止めたければそのアカウントを削除したり、サービスから退会することで可能になります。

そして、多くは他の誰かに迷惑をかけると言うことも無かったりします。

当人同士のいざこざはあまり周りに響きませんし、リアルほどその面倒で無意味ないざこざに巻き込まれると言うことも少ないでしょう。


ネットでの付き合いの終焉は、その単純なシステムにより突然訪れるわけです。



ネットでの人間関係の修復は可能なのか


ネット上の付き合いと別れが非常にシンプルなのは、リアルでの付き合いのようなわずらわしさがないと言う面では優れている面もある一方、非常に残酷なシステムでもあると思うわけです。

何か気まずい関係になれば一方的にその関係を終らせることが出来ます。

リアルであれば、迷惑をかけつつも周りの取り持ちによってその修復を図ることも出来るかもしれませんが、ネットではそれがかなり難しいように思えます。


その理由は、ネット上の関係自体はリアルほど重く結びついていないと言うのがあると思います。

それは、システムの構造上、開始と終わりがシンプルになっているところがそういった印象を与えるのかもしません。

もちろん、ネット上の関係がリアルに結びつくこともよくあります。

この場合は、リアルの関係と同様に考えればいいわけですが、ネット上だけの関係の場合はそうもうまくいかなかったりします。


ネットではその簡単に関係に終止符を終らせる仕組みゆえに、その後の修復を行うことはかなり難儀します。

そもそも連絡さえ取ることが出来なくなったりするわけですから。

そして、リアルであるような修復にいたる過程は、その関係を壊すことで自分や周りにもたらす不利益や、同じ職場や友人など普段から付き合いがある故に印象が強く、それを修復しようと頭をよぎるかもしれませんが、ネットの場合はそのめんどくささを超えてまで修復しようと言うメリットがあまり浮かばないかもしれません。


ネットでの人間関係の崩壊は、そのシンプルな所作によって永遠のものとなることが多いと思うわけです。



新しい人間関係


ネット上で行われるような単純な付き合いと単純な永遠の別れと言うのは、新しい人間関係なのかもしれません。

人付き合いなんて、一生のうちでそう多くの人と出来るものではありませんし、そのシーンごとに必要な人と強くかかわっていくことの方が多くのメリットを受けられるでしょう。

そして、その付き合いと終わりはきわめてシンプルに行えます。


何も付き合いの終わりの全てが喧嘩別れになるわけではないでしょう。

ただ、単に自分の人間関係として許容できる範囲のキャパシティに他の人が入ってきたから追い出されてしまった、と言うことかもしれません。

されるのは悲しいものですが、する側に立つとそのシステムは非常に楽なものだったりもします。


ネットでの人間関係に比重が置かれないと言うわけではないでしょうけど、ネットの中では多くの出会いと別れがあります。

その向こう側に誰かが存在すると言うことは確かなんでしょうけど、それがどこの誰かは多くの場合わかりません。

例えそれが著名人であったとしても、ネットでの付き合いはそのシンプルさで始まり、そのシンプルさで終るのでしょう。


ネットでの人間関係ってそんなに希薄なものなんだっけ?と思う一方で、こういう人間関係が今後の主流になっていくのかな、とも思うわけです。

もちろん、人と人は何時どこでまた再開するかわからないものです。

立つ鳥跡を濁さない方が賢明なんでしょうけど。