こまめな掃除とか整理整頓とかコツコツしたことが大事だと思う理由 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

よく成功本にはこまめに掃除をしろだとか、身だしなみには気を使えだとか、細かいところへの気遣いというものの大事さというものを説くことが多かったりします。

夢をかなえるゾウ 」では靴を磨けとありますし、セカイノキタノは師匠から毎日トイレ掃除をしろと言われたというのはテレビで結構紹介されたりしています。


こういうことへの気配りって性格の問題でしょ?なんて思われたりしますが、自分も結構ずぼらな性格ながらこういうことに気を使っていると得られるものがあって、それが大事なんだなと思うことがよくあります。

自分で得られた、と思ったこと。


1. めんどくさがらずにやれる忍耐力


2. 細かいところへの気配り


3. 他者への意識


こういう当たり前に誰でもできることを、繰り返しやっていることで身につくことって結構大きいんだな、と改めて感じたりしました。



めんどくさがらずにやる忍耐力


掃除することって結構面倒なことです。

疲れていれば動きたくも無いですし、掃除しないからといってこれといって困るということも無かったりするので、ついつい後回しにしたりします。


私はB型で絵に描いたようなマイペースなんで、あまり身の回りに気を払わず部屋は散らかしっぱなしということがよくありました。

読んだ本とか元に戻さずその辺に転がっていて、「これはまた読むからここにあるのがベストの位置なんだ」と、わけのわからない理論を振りかざしたりもしていました。


掃除や整理整頓など細かなことを繰り返し行うことで、最初は面倒だなぁと思うものの徐々に慣れていき、あまり苦痛を感じずにできるようになります

そういう耐性をつけておくことで、例えば仕事においてもめんどくさがらずにできるようになったりもしますし、仕事のみならず、こういう忍耐力が必要なときって、日常生活であったりもしますので、掃除などを通して鍛えることで役立つことが多いのではないかと感じます。


もちろん、極めてしまえば面倒だと思うことさえもなくなるので、我慢しながらやるということさえなくなるでしょうけど。

めんどくさいと思うのは、普段そういうことに慣れていないというのが原因だったりもします。

日常の中で繰り返しやっていることでも面倒だと思ってないことは結構沢山あったりするものです。

そんな慣れを掃除とかこまごまとしたことに気を使いながら身に着けていけるのではないかと思ったりします。



細かいところへの気配り


掃除って単に物を片付けるというだけでなく、何がどこにあれば快適かということも含めてやったりするものです。

ちらかった部屋を元に戻したり、または改良を加えたりする際には、より快適に、より便利になる方へ考えをめぐらせたりします。

そんな細かいところの気配りが身につけられるのではないかなと。


掃除に限定した話でなくても、例えば身だしなみに気を使うことでさえ、周りに与える清潔感であったり、印象に気を払えば結構面倒なものだったりもします。

本当に細々としたもので、「別に気にしていないでしょ」と思ったりもしますが、周りは自分に無い視点で物事をみてたりしますから、自分の気になる点と他人が気になる点には相違が多かったりもします。


後述もしますが、他人の視点を得ることはなかなか難しかったりもしますので、まずは自分の身の回りからその意識を働かせてみるのが良いのではないかと思います。

それが、徐々に他者への意識へと昇華していくのではないかなと。

そんな細部への配慮というものが、日常の事から身につけられていくのではないかなと思ったりします。



他者への意識


整理整頓をしだすと何がどこにあれば効率的とか、見栄えなどの他人の視線とか、どう整理すれば相手にとっても便利になるか、ということも考えたりもします。

自分ひとりの部屋なら多少のことでも我慢できたりもしますけど、職場においては他人も使うものであったりもしますから、他者への意識というものが重要になってくることもよくあるでしょう。


良くあるのがデスクが散らかっていて、資料を出して欲しいのになかなか見つけてくれなかったり、「待ってくれるだろう」とか「遅れても良いだろう」という勝手な思い込みから準備ができてなくてやけに待たされたり、ちょっとした気遣いをもしてくれなくてイライラ、何てことあると思います。


自分にとっても便利になることは他人にとっても便利になることも多いでしょうし、一方で自分だけが困るからいいやという視点は、いざとなれば他者をも困らせたりします。

なので、自分で困ることは他人も困るだろうと、片付けてしまうという視点を持つことが大事かなと。


そんな他者への意識というものも、日常の細々としたルーチンを繰り返すことで鍛えられたりもするのではないかな、と思ったりします。



一つの方法として掃除するってことを取り上げてみましたけど、日常のルーチンの中で面倒だな、って感じることって結構あると思います。

でもそれを繰り返し耐性をつけることで、身につくことって結構大きいのではないかなと感じたり。


あの人はよく気が利くよね、というのは単にその人の性格なんかではなく、毎日の繰り返しから生まれた行動原理なのではないかなと、思ったりします。