自分をさらけ出さないという選択 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

ブログに「自分」をさらけ出す割合 @ ブログヘラルド


自分の考えは以前に「自分をさらけ出すところ、さらけださないところ 」というエントリで書いたとおりです。

ただ、どこまで自分を出しているかといわれるとなんとも答えにくい。


書いたエントリに対する自分の「さらけ出し度合」で言えばほぼ100%ですかね。

もちろん本音と建前なんてもんはありますので、そこをオブラートに包んだりしますからそれが本音だ(100%の自分)とはいえませんが。


逆にそんなに自分をさらけ出しているといえるのも、さらけ出せない部分はエントリに書かないからという理由です。

議論をよびそうなことはあえてスルーしたりもしますし、何か思ってることがあっても世間一般で言われているような意見であれば、わざわざ「みんなと思っていることは一緒だよ」なんてエントリを書いたりもしません。

なので、さらけ出すのをセーブしている部分ももちろんあります。


たぶん本当の自分を包み隠さずにブログで表現することはかなり危ういことではないかと思います。

何せ、100%自分をさらけ出せる友達なんて1人か2人ぐらいなもんです。

顔見知りの間でもその程度なのに、それをネット上でやってしまうと「何だコイツ」という状態になるかと。


「私はあなたと違う」という強い意志と、読み手がその多様性を享受してくれれば何も起きないかもしれませんが、その意志を持てる人や、その考えに対する論拠をきちんと持っている人というのはかなり少ないと思います。

それは明確に判断を読み手にゆだねる事になります。

私はこう思っている、あなたは違う考えを持つかもしれないが、私はこう思っている。

反対するなら反対すればいい、でも私はこう思っている。


はてブのホッテントリに入っているエントリでも、その全てが賛成だからブックマークしているわけじゃないですからね。

コメント欄を見ればよくわかったりしますけど、それをネガコメと呼ぶのは簡単ですが、それ自体が自分の本音を語ることの難しさを物語っているような気がします。

ネガコメがいけないわけではなく、人それぞれ意見は違うんだよって言うところで。


多くに受け入れられないことだろうなとは思いつつも、そうできる人を私は尊敬しますが。