確かにブログで話題のエントリを見かけることはありますが、その話題の中心は「これはすごい」と言うような感嘆や共感の意味が強くて、あまりそれに関する議論というのはされないような気もします。
恐らく多少なりはされているのだとは思います。
ただ、ネットと言う広大な海の中でその議論というのはあまりにも見えにくく、容易にかき消されてしまうような存在が大多数になっているのだと感じます。
ブログの炎上も一つの議論の成れの果てだと思いますが、炎上したブログはとても議論をするような場ではありません。
というより議論の場が、その対象のブログとイコールになっていて、それをわざわざ自分のブログに持ち込んであれやこれや自分の意見を述べてみると言う議論はほとんど行われていないようにも思えます。
そのような事をすると飛び火する可能性もあるので、せいぜいコメント欄に自分の意見をぶつけてしまって終わり。
そんな感じではないかと。
また、議論の生まれ方はこのブログのような小さな存在をアルファブロガーが取り上げて、話題の中心に持ち上げられ、発展していくパターンがありますが、その議論もどちらかと言うと当のブログより、アルファブロガーのエントリを中心に行われているように思えます。
結局、求心力のあるブログが議論の場になっており、その人の賢明な考えかたの元ではそれ以上の議論はしようが無いというような印象を受けたりもします。
話題に上る → アルファブロガーが取り上げ論じる → それで終了(完結)
SNSのコミュニティだとよく議論しているところを見かけるのですが、やはり一つの目的を共有する集まりつと不特定多数がアクセスするブログの場とでは議論のしやすさが大きく異なる感じは受けます。
コミュニティというと私はどうしてもそこに壁で囲まれているイメージが付きまといます。
学生時代にあった仲のよい友人同士の集まり(輪)のようなイメージです。
仲のよい友人同士では議論も活発に行われます。
その議論の中心はどうしようもなくくだらない事だったりもするのですが、その時間を共有する事が何よりも変えがたいものの印象を受けた記憶は誰しもあると思います。
SNSのコミュニティに集まった人は、その話題を中心におくことを目的として集まってきています。
目的がその場で共有されているために、結びつきも強いのだと思います。
また、コミュニティと言う壁がその輪郭を際立たせてくれます。
ここから内側は議論をしても良いんだなと。
一方でブログは、そのブログの運営コンセプトがあったとしてもそれを共有するコミュニティという壁ははっきりしません。
著者がこのブログは○×というコミュニティを形成しているといったところで、それを読んだ人から見ればあまりに分かりにくいものだったりしますし、SNSのコミュニティほど気軽に入れるわけでもなかったりします。
ただ、SNSのコミュニティではそこからはみ出す事を禁じられているようなイメージを受けます。
その目的に沿った範囲でしか議論がされないため、飛躍した議論というのはされにくい環境です。
それをしたらコミュニティを追い出されるというような事態にもなりかねませんし、それをするためにA派コミュニティ、B派コミュニティのような派閥が生まれたりします。
日本は村社会ですので、ブログよりSNSのコミュニティの方が議論の場として活発に行われる理由も分かる気もします・・・。
ブログはそのコミュニティの輪郭がはっきりしないために、意見を言う事を億劫に思ってしまっているのではないでしょうか。
どこかに属する事の安心感を求めているために、何処にも属さない状況で意見を言いたくない。
ただ、何処にも属せずに客観的に物事を考えてみる事は悪いことではありませんし、それを表現する場としてブログは最適なものと私は思っていますので、それを通して活発に議論してみるということはプラスになることではないかと思います。
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