「Wikinomics」著者が語る、ウェブで起こっている変化とその要因 @ CNET Japan
私が大学に入る頃に起こった大きな変化と言うのは、パーソナルコンピュータが一般家庭にも浸透しだしたというものでした。
大学受験の頃、Windows95が発売され家電量販店で徹夜組みがでたなんてニュースが流れていた事を覚えています。
それから、10余年がたちPCの浸透なんてものは当たり前になり、今度はそれを活かすためのブロードバンドの普及、そしてその中での個人が表現する世界の実現と言う変化が起こっています。
この記事の中にある、
一方、Web 2.0のベースはXMLで、「コンピューティングするためのプラットフォームになっている」とTapscott氏。 同氏は、Flikrに愛犬の写真をアップロードし、タグとして犬種を入力しただけで、世界中にいる同じ犬種の写真に簡単にアクセスできるようになった例を話し、「誰もが無意識にプログラミングしている。これこそWeb 2.0だ」と述べた。
というところも今起きている大きな変化の一つだとうなずけます。
一昔前では、インターネットの世界はコンピュータと一部の人間により統制された世界でした。
一部の特権を持つ人間が表現し、それを可能とする企業がインターネットを支配してきました。
多くの人はそれを見るだけの世界。
個人が表現するには難しい知識が必要で、例え表現できたとしてもそれを伝達する手段が無い状態。
今ではそれは逆転し、インターネットはそれに触れることのできる多くの人間により育成される成長型のインフラになっています。(これがよいか悪いかは判断が分かれていますが)
これがプログラミングだという表現は、エンジニアにとっては否定的なものになりそうですが、少なくともコンピュータを制御するという動きを多くの人間は無意識にしています。
ある意味これは、やっぱりコンピュータより人間の能力の方が優れていると言う事を表しています。
一部の優れた人間がどんなに凄いプログラムを書いたところで人間の能力以上のものを作る事はできていません。
少なくともインターネットに接続されているコンピュータは、人間によって息吹を与えられており、一昔前のように単に人に求めている機能を提供するだけと言う役割だけではなくなっています。
使う人ももそれだけを求めおり、人はコンピュータにそれ以上の期待を寄せていませんでした。
今では無意識にコンピュータを育てているという行為から、人間はその統制を積極的に行おうとしています。
主権がようやくコンピュータから人へ移ったという変化が今起きているのだと思います。
次に、この変化
次の要因は、ネット世代の子供たちだ。今の子供たちは、ネットがあるのが当たり前の世界で育っているため、「ネットは彼らにとって空気のようなもの。技術に対する恐れもない」とTapscott氏は指摘する。
先に書いたように、私が大学に入る頃にPCは一般家庭に浸透し、その時に起きた変化はPCが身近にある環境と言う変化でしたが、今ではインターネットが身近にある環境と言うところに移っています。
PCがもたらした変化は、よりよい人間生活の向上というものだったかもしれませんが、インターネットがもたらす変化はそれの何十倍に匹敵するものです。
PCはそこにあっても主権はコンピュータ側にありました。
インターネットはその特権を人間側に移してくれたのです。
その統制を物心ついたところから体験している子供たちにとってのメリットはどれくらいのものになるでしょうか。
200年ほど前に蒸気機関車が作られ、その後人々にとって重要な移動のための手段となりました。
馬車が移動の中心だった時代から、それよりも高速で快適な乗り物の誕生により、人々の移動手段という考え方は変化していき、今では遠方に出かける際には電車と言う選択肢が無いということは考えられません。
そんな当たり前の考えの中にインターネットと言うものがあるわけです。
子供たちにとって表現すると言う事が、単にその子の身の回りにある小さな世界の中ではなく、インターネットと言う大きな大きな世界の中でできるわけです。
また、吸収が早い子供時代からPCに触れる事で表現する事の難しさという障壁はないはずです。
子供たちにとってインターネット上で表現する行為は、お箸を使うことと同等レベルで当たり前になっていることを考えると、これからその子供たちが生み出していく世界というものには、それが当たり前と言うレベルに立って行われるため、それ以上のものが生み出される事は必然といえます。
これらの大きな変化は、また次の変化の礎になり、次の世代がまた大きな変化をもたらす事になるのでしょうね。
その変化の中心にいる子供たちが起こす変化と言うものが、今からとても楽しみではあります。