優柔不断な僕とWebの多様な意見 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

私自身、Blogを書いていて思っていたことですが、自分自身の記事があるテーマに沿って書いてみてもどことなくどっちつかずな結果に結ぶ事が多く、結局何が言いたいのか解りづらい文章になっていると感じています。


これは自分の性格なのかもしれませんが、よく言えば人それぞれ多様な考え方を持っている生き物であるから、その人それぞれの考え方を全て否定するのではなく一つの意見として捉えているからといえ、悪く言えば単なる優柔不断な性格であると言えるわけです。


採用をやっている人に聞いた話ですが、子供の頃に転校を繰り返して育った人は営業のトップ集団に入ることはできないそうです。

なれない環境に放り込まれた場合、そこに柔軟に溶け込もうとするため、お客さんと交渉する場でも当たり障りのない意見交換しかできなくなるからといっていました。

(私は営業職ではありませんが)営業では、多少強引でもお客さんの懐に飛び込む事が重要らしく、子供の頃に転校を経験した人はそのような強引さをもっていない人が多いと言うその人なりの統計データがあるそうです。


自分自身、子供の頃に2度ほど転校をした経験があるため、場の雰囲気を重んじてそれを乱すような強引さと言うものは確かに持ち合わせていないなと感じています。

これが、どっちつかずの意見しかいえない要因になっているかもしれません。


しかし、私自身はこのような性格を余り後ろ向きには捉えていませんので、良い意味で様々な「可能性」を捨てないで、広い視点で考える事ができると捉えています。

(「99.9%は仮説 」と言う本を読んでその考えはなお更強くなりました)

そもそも人は何かを決定する時に、予め一つの考えに絞ってしか考えないと言う事はないかと思います。


AとB、2つの考え方があるとして、結論を導く際にはそれぞれの考え方の良し悪しを判断し、80対20でAの意見の方が自分の結論としては正しいと導いたり、その割合が99対1だったりと人それぞれの偏りよって決断力があるのか無いのかが決まるのかなと思っています。

私の場合、それが「55対45でAだ!」という微妙な判定結果の元に決断しているため「いや待てよ・・・Bの方も可能性が大きいな・・・」と決断を鈍らせているのではなかろうかと。


話を戻し、「Blogは書くよりも読むもの 」で書いた、Blogを読む行為というのは、そのような多様な考え方を持ち合わせているから楽しく感じるのかもしれません。

Webの世界は、リアルの世界と同じで多種多様な考え方が文字として行き来しています。

そして、Webの世界であるからこそ、その人の本心があらわになる場でもあります。

そのような本心が行き交う場の意見を、全て否定するのではなく一つの意見として捉えられるこの性格は、その世界に住まう事に向いている性格だと信じています。