世の中が変わるのではないかと言う期待と不安と裏切り | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

何か一つの事を突き詰めて考えBlogを書くとき、それはもう心が高揚するというか物凄く楽しみな気持ちでいっぱいになります。

そして、書き終わったときの充足感もまたしかりです。

それは、少し馬鹿げている事かもしれませんが、その発信しようとする情報が多くの人の目に留まり世界が一変するのではないかと言う期待を持ったりするからです。

それを発信する事で、多くの方が同調し賞賛してくれる。

そんな大げさな期待をわずかながら持つ人もいるかと思います。


しかしながらこうした期待はことごとく裏切られんですよね。

この考え方は自分のオリジナルかもしれない、こういった考えを持つ人は世の中になかなかいないだろうと、いざ発信してみてら世の中には凄い考え、知識を持った人がごまんといるわけで自分のちっぽけな自己主張など誰も気にしてくれない。そういった現実にぶち当たったり。


ただ、「Blogは書くよりも読むもの 」を書いたときに、その反応を頂いて


Blogは書くよりも読むもの - A Day In The Boy's Life(from まなめはうす)


それはWebの世界では、ミクロの反応かもしれないけれど自分の中では核爆発のように大きな大きな反応になりました。

Webの世界はその伝達力が大きな意味を占めていたりしますが、そのネットワークの隅から隅まで自分の情報を浸透させようとする事は不可能な話で、こうした小さな反応を楽しむために自分の世界を形成すると言う事が大事なのかなと思ったりします。


しかし、その自分だけの世界と言うのは不安も付きまといます。

自分に同調してくれる人がいるのかどうか、他から見て奇異な存在ではないのか、世の中の凡庸の一部としかなりえないのか。


『斬(ざん)』さんのBlogの「一般人の声は大衆まで届かない 」という記事を拝見させていただいて確かに権威の大きさというものは、人に与える影響と比例すると感じますが(自分はそういった権威は持ち合わせていないですが)、そういった人が発言した際に出来上がるつながりと、私の小さな小さなBlogで出来上がるつながりの重さを比べる事って差ほど意味がないことじゃないかなぁと。

(もちろん広く影響力のある立場になりたいと言う野望を持っている場合は別ですが)


これは一種の諦めや割り気になるのかもしれませんが、自分の世界とネットワークを形成する事の価値というのは、そういった権威によるつながりに比べてもっと重いものかと感じます。

そしてコレは、自分の適当な予想にはなりますがリアル世界の権威って、Webの世界ではイコールとなりえない日が来るのではないかなぁと。

何故なら、私自身が感じるように世の中には名も知らないけれど才能豊かな人があふれていると感じるからです。

そういった認識が広まれば、Webの世界においてそういった権威って凄く薄まってくるのではないかなぁと。


なので、世の中が変わると言う期待を持つ事より、自分とその世界が変わることに対して期待を持ちWebと付き合っていくことが大切ではないかなと感じます。


そんなわけで、今日も記事を書いてみる。

Webの世界のミクロの反応が起こることを、そして自分にとっての大きな喜びを感じることを楽しみにしながら。