アク禁にはならなかった。でも何かありそうな気配。渋谷以外は入れ替わるんだよ。ふらふらサーバはどこに行った。
取り敢えず、お気に入りに3つ入れてみるよ、乞う御期待。
取り敢えず、お気に入りに3つ入れてみるよ、乞う御期待。
ミトコンドリアXという名のラーメンを食べた。以前から気になるラーメン屋があり、入ってみたくてしかたがなかったのだ。屋号は元祖世界のガンジーラーメンだが、会社名が中華料理みちのく飯店だったから、東北地方にごろごろあるチェーン店だとばかり思っていた。
ところがさっきググったら、この街にしかないらしい。
店内はPOP広告がべたべたと張られまくった落ち着かない雰囲気。注文を聞かれ、インド人風の店員さんにおそるおそる「ミトコンドリア」と言ったら、後ろを振り向き「Xラーメン一丁!」と叫んだ。店の蘊蓄によれば、ミトコンドリアは生 命の基本、Xは無限の広がりということだ。
ところがさっきググったら、この街にしかないらしい。
店内はPOP広告がべたべたと張られまくった落ち着かない雰囲気。注文を聞かれ、インド人風の店員さんにおそるおそる「ミトコンドリア」と言ったら、後ろを振り向き「Xラーメン一丁!」と叫んだ。店の蘊蓄によれば、ミトコンドリアは生 命の基本、Xは無限の広がりということだ。
と言っても、PC-UNIXですけれどね。FreeBSDは、ほんと快適です。Linuxのときに生じていた悩みが解消されています。ただし、streaming系にはまだ手を出していません。
ボクは、独立系の風呂蛾なので、このサイトはリンク置場程度の関わりで済ませたい、というのが本音です。でも、ひきこもってばかりだと体と心に毒だと思うので、もっと瀕回に顔を出すことにしました。
ボクは、独立系の風呂蛾なので、このサイトはリンク置場程度の関わりで済ませたい、というのが本音です。でも、ひきこもってばかりだと体と心に毒だと思うので、もっと瀕回に顔を出すことにしました。
休みの前日には目覚し時計をセットしない。でも、いつもと同じかその前の時間に目が覚めてしまう。再び眠りに就こうと思うのだが、できない。前日は決まって夜更かしをしているから、睡眠時間は普段より短くなってしまう、こんなことがここ2ヶ月ばかり続いていた。
体の回復にも心の回復にも支障がある、と思う。すっきりしない気分で休日が終わる。酒をカンガン飲むとか、温泉にでも行って気分転換でもと思うのだが、それすら億劫だ。年のせいかね、病気かね。
体の回復にも心の回復にも支障がある、と思う。すっきりしない気分で休日が終わる。酒をカンガン飲むとか、温泉にでも行って気分転換でもと思うのだが、それすら億劫だ。年のせいかね、病気かね。
たいへん御無沙汰しております。皆様いかがお過ごしですか? 紀子さまの前置胎盤が気がかりな今日この頃でありますが、いきなり帝王切開とは、どうなんでしょう? 各界の皆様のお考えを仰ぎたく思う出来事です。
さて、本題です。
人が死ぬとき、いきなり心停止というのは稀だと思います。死亡理由に心不全はない、というのも良く言われることです(故甲斐智恵美さんの場合も、翌日にはいつ首と訂正されています)。必ずその背景となるものがある。でも、それが一つに限定できない場合のほうが多いのではないかと思います。
人がお亡くなりになるときは(この項続く)。
さて、本題です。
人が死ぬとき、いきなり心停止というのは稀だと思います。死亡理由に心不全はない、というのも良く言われることです(故甲斐智恵美さんの場合も、翌日にはいつ首と訂正されています)。必ずその背景となるものがある。でも、それが一つに限定できない場合のほうが多いのではないかと思います。
人がお亡くなりになるときは(この項続く)。
昔は、前を向くと果てしない道が続いているような気がしていた。いつまで経っても何処にも辿り着けない不安も同居していたけどね。それが暗闇になった。果てしない道にはいくつもの見えない落し穴のあることを知ってからかな。
昔は、後ろをあまり振り返らなかったような気がする。だから、自分のいる場所が移動するごとにがらがらと崩れ去っていくことに気がつかなかったのだ。
で、現在のボクはどうしているかというと、ちょうど、マリオがブロックに乗ったような状態なのさ。次に飛び移るブロックを探している。じっとしていると、タイムオーバーだ。
Linux離れしつつある。FreeBSDをインストールしたらこれが、もう快適。Xの上でgnomeが動いているから、まるでマックみたいに使えるんだよ。使っているパソコンは、リサイクルショップで買った日立のフローラらしい。windows95時代の遺物だが、OSをFreeBSDにしたらサクサク動く。Linuxでもフラフラしていたマシンがだよ。もちろんそれでここに書き込みをしている。
夕食のメインディッシュはさんまの開きだった。その残骸がいま目元にある。見ていると気持ちが悪い。目はまるでワニのアリゲータの目だ。尖った頭は突き刺さる場所を求めているかのようだ。鮮やかに背開きされた切口は外科手術を思わせる。
シシャモや、めざしなどは頭から尻尾まで残さず食べられし、丸のまんまのさんまでこんな気持ちが生じたことはない。
たぶん開きがグリルのトレイからはみだしていたためだろう。頭と尻尾は生焼けという思いがあり食べられないのだ。頭のないホッケや、頭があってもアジの開きの時には感じないのにね。
この、生き物を殺めてしまったという感覚は、どこから生じたものなのでしょう?
シシャモや、めざしなどは頭から尻尾まで残さず食べられし、丸のまんまのさんまでこんな気持ちが生じたことはない。
たぶん開きがグリルのトレイからはみだしていたためだろう。頭と尻尾は生焼けという思いがあり食べられないのだ。頭のないホッケや、頭があってもアジの開きの時には感じないのにね。
この、生き物を殺めてしまったという感覚は、どこから生じたものなのでしょう?

