こんにちは
今の日本においてはまだ、
学校に行くのが当たり前のこととなっていますので、
不登校の子どもが、大なり小なり、
劣等感や罪悪感を抱くのは、
仕方のないことかもしれません。
自分はみんなと同じようにできない。
その劣等感や罪悪感、
焦りや不安な気持ちから、
ネガティブな言葉が出てくるのは、
当然のことだと思います。
度々つく大きなため息。
将来どうなるんだろう。
何のために生きているのか。
生きている意味がない。
もう死にたい。
‥‥‥など。
親としては、
子どもの口からこういった言葉を聞くのは、
とてもつらいですよね。
でも、
こういうネガティブな気持ちを吐き出せるのは、
いいことだと思うんです。
苦しみを吐き出せずに、
自分の中だけにため込んでしまうより、
心を許せる人に吐き出すことで、
多少なりとも、気持ちがラクになるはずです。
思春期ですし、
自分の存在がゆらゆらする時期って、
不登校に限らずあるのではないでしょうか。
しかし、
私はこの息子のネガティブな言葉に、
必要以上に苦しさを感じていました。
でも、
よくよく考えてみると、
息子のネガティブな言葉に苦しさを感じる自分。
息子が不登校になってからのことだけじゃなかったんですよね。
ずっと小さな頃からだったんです。
息子が何か嫌なことがあって、
怒りや悲しみの感情を私にぶつけてきた時、
何とも言えない苦しい気持ちになりました。
胸がギューッとなるような。
なんというか、
責められているような、
私になんとかしろと言われているような。
その苦しさのあまり、
息子を怒ってしまったことも何度もあります。
その頃は、自分のその苦しい感情さえ、
はっきり自覚することはなく、
ただ、なんとなく、
でもすごく苦しくなって、
怒りが湧いてきて、
感情的に怒ってしまう。
自動反応していましたね。
では、なぜ、
私が、息子のネガティブな言動に対して、
そんなにも苦しさを感じたのか。
それは、
私の中に、
幼少期に作られた、
「役に立てない自分は価値がない。」
というブロックがあったからなのです。
少し、長くなりそうなので、
続きはまた明日書かせて頂きますね。
それでは、また明日