寺田寅彦

 

 寺田寅彦(1878ー1935)の"遺作"は何だろうか?。岩波文庫の【随筆集】の最終第5巻の大トリは「俳句の精神」で、その刊行は1935年10月だ。だがブービー格の「三斜晶系」と、更にそれ前にある「小爆発二件」の刊はいずれも同年の11月だ。更にその前にある日本人の自然観が世に出たのは(同年の)10月である。

 

 刊行の遅早は、脱稿の順序と一致しないかもしれない。でもとりあえず、この4作中のいずれかが彼の遺作なのだと思う。

 

 ちなみに寺田寅彦がCancerで逝ったのは、1935年12月31日だ。それより約2ヶ月後にあの2・26事件があり、其れを契機に此の国は奈落に転がり落ち始めるのである。

 

 ま、それはさておき…初めにまず岩波文庫での大トリ「俳句の精神」のこと。このエッセイで寅彦は俳句と短歌の比較を試みている。以下の如くに。

 

 

 短歌もやはり日本人の短詩である以上その中には俳句におけるごとき自然と人間の有機的結合から生じた象徴的な諷詠の要素を多分に含んだものもはなはだ多いのであるが、しかし俳句と比較すると、和歌のほうにはどうしても象徴的であるよりもより多く直接的な主観的情緒の表現が鮮明に濃厚に露出しているものが多いことは否定し難い事実である。そうした短歌の中の主観の主はすなわち作者自身であって、作者はその作の中にその全人格を没入した観があるのが普通である。しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、上にも述べたように花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。「山路来て何やらゆかしすみれ草」でも、すみれと人とが互いにゆかしがっているのを傍らからもう一人の自分が静かに眺めているような趣が自分には感ぜられる。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 寅彦らしからぬことを言うなあ!。彼は科学者ゆえ、自然を(私のように)「論理で捉える」ひとだと思うのだけれど。でも一方で非科学の俳句ワールドを有しているが故に、その"反動"として科学的思考を易々行いうるのかもしれない。逆説的だが有り得ること。

 

 以下は、"ほんまかいな?"のことだ。

 

私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。俳人のほうを聞いてみると自殺者はきわめてまれだという。もちろんこれは僅少な材料についての統計であるから、一般に通用される事かどうかはわからないが、上述のごとき和歌と俳句との自己に対する関係の相違を考え合わしてみるとおもしろい事実であろうかと思われる。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 統計値には有意差というものがあるのですがね。むろん科学者である寅彦がそれを知らぬ訳はなく、そのことは「これは僅少な…」に示されてはいる。

 

 而して私は「歌詠みの方が俳人よりも理屈ぽい人間が多い」とは思うのであり、そのタイプの方が自殺に走り易いかもだ。だがおそらく…どのように統計を取っても、有意差は出ないだろう。

 

 寅彦は更に、以下のようにも言う。自殺云々は御愛嬌だか、此処までくると暴論と言わざるを得ない。

 

 

 歌人と俳人とではあるいは先天的に体質、従ってそれによって支配される精神的素質がちがっているののではないかという想像さえ起こし得られる。近ごろ流行の言葉を使えば、体内各種のホルモンの分泌のバランスいかんが俳人と歌人を決定するのではないかという気がする。これはしかるべき生理学者の研究題目になりうるのじゃないかと思われる。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 全然ならなかったですね(笑)。有意差云々のこともあるけれど、この件では最初の大前提が間違っているのじゃないかと思う。寅彦程の人でもこういうチョンボを犯すことがあるのかと、可笑しい(笑)。

 

 ところで俳句も短歌も5と7の字語から成る。それは何故なのか?。このことについても寅彦は考察しているが、納得しうるものではない。

 

 私にも良くは分からない。ただ5も7も奇数であることに、keyがあるのじゃないかと思う。同じ奇数でも9は長過ぎて、3は短か過ぎるのだ。

 

 それと…以下のことは本ブログの前話にも書いたが、和歌の57577は起承転結を構成するのだ。むろん575が起承で、77が転結だ。そして起承転結は"論理の展開"に有効であるのみならず、強弱のリズムがある。リズムの無い韻文は芸術とは成り得ない。

 

 むろん俳句の575にもリズムはある。ただ字数が少な過ぎて、そのインパクトが弱いのだ。だから私は和歌は詠むが、俳句の詠みはやらない。

 

 私の和歌実作は、本ブログのあちこちに散りばめた。先日は自作33選を羅列して、友人達にばらまいた。そしたらその中のひとりが、更に5首に"精選"してくれた。以下がそれである。

 

 

*司馬遼が  此の世に在りせば  何語る  今壊れゆく  我らが祖国

 

*投石と  催涙ガスに  バリケード  時の仇花  されど懐かし

 

*此の街の  何処かに君が  住む限り  東京いまも  光の都

 

*我がこころ  今日の朝に  道を聞く  故に  夕に  死すまた可なり

 

*古の  マドンナたちが  蘇る  人生の末  夢走馬灯

 

 

 以上は私事である。以下は「三斜晶系」について論じる。1935年の11月に世に出たものだ。

 

 三斜晶系は鉱物学用語であり、6つある結晶系の1つだ。「長さの異なる3本の結晶軸が互いに斜めに交わるというのが特色で、斜長石やトルコ石がそれに相当する。ただ本文の内容自体は、このタイトルとあまり関係ない。「夢」と「とんぼ」と「上戸」の3つの小話から成るが、本稿では「とんぼ」のみを紹介する。

 

 その内容はエソロジー(動物行動学)だ。プロローグは以下である。

 

 

とんぼ

 

 8月初旬のある日の夕方星野温泉のうしろの丘に散点する別荘地を散歩していた。とんぼが1匹飛んできて自分の帽子の上に止まったのを同伴の子供が注意した。こういう事はこの土地では毎日のように経験することである。

 

 ステッキの先端を空中に向けて直立させているとそれに来て止まる。そこでステッキをその長軸のまわりに静かに回転させると、とんぼはステッキの回るのとは逆の方向にからだを回して、周囲の空間に対して、常に一定の方向を保とうとする。そういう話を前日子供たちから聞いていたのではたして事実かどうか実験してみようと思った。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 そして寅彦は、科学者らしくデータを取って考察する。「俳句の精神」における粗雑なスタンスとは対照的にだ。そして以下の如くに結論する。

 

 

 それから、ずっと毎日電線のとんぼのからだの向きを注意してみたが、結局彼らの体向を支配する第一因子は風であるということになった。地上で人体に感じない程度の風でも巻き煙草に点火したのを頭上にかざしてみれば流向がわかる。その程度の風にとんぼは敏感に反応して常に頭を風に面するような態度を取るのである。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 そして更に、「時刻がだいたい同じなら太陽の方向は同じであると考えていいのであるから、太陽の影響は、もしあるにはあるとしても、それは第二次的以下のものであるという結論になるのである」…と付言する。なるほど。見事な考察だ。

 

 この小話のエピローグは、以下である。

 

 

 人間をとんぼに比較するのはあまりに無分別かもしれない。しかし、ある時代のある国民の思想の動向をある方向に引き寄せる第一第二の因子が何かしら存在している、それを観察し認識する能力が現在のわれわれには欠けているのではないかという気がする。そうしていっそう難儀なことはその根本的な無知を自覚しないでほんとうにわからないことをわかったつもりになったるあるいは第二次以下の末梢的因子を第一次の因子と誤認したりして途方もない間違った施設方策をもって世の中に横車を押そうとするもののあることである。

 

 人間を幸福に世界を平和に導く道は遼遠である。そこに到達する前にまずわれわれは手近なとんぼの習性から完了してかからなければならないのではないか。

 

 このとんぼの問題が片つくまでは、自分にはいわゆる唯物論的社会学経済学の所論をはっきりて理解することが困難なように思われる。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 このエッセイが出た1935年がどういう年かを慮れば、寅彦のこの呟きの意味は重い。それは戦前共産党が、国家権力の大弾圧に拠り壊滅した年だ。そして前述のように、年が明けて2ヶ月後に2・26事件が勃発する。其れ以降に、この国は地獄へまっしぐらなのであった。

 

 次は、「小爆発二件」。1935年のやはり11月に、世に出た作品である。主題は火山爆発で、そのプロローグは以下である。

 

 

火山

 

 

 毎回の爆発でも単にそのエネルギーに等差があるばかりでなく、その爆発の型にもかなりいろいろな差別があるらしい。しかしそれが新聞に限らず世人の言葉ではみんなただの爆発になってしまう。言葉というのは全く調法なものであるがまた一方から考えると実にたよりないものである。「人殺し」「心中」などでも同様である。

 

 しかし、火山の爆発だけは、今にもう火山に関する研究が進んだら爆発の型と等級の分類ができて、きょうのはA型第3級とかきのうのはB型第3級とかいう記載ができるようになる見込みがある。

 

 S型36号の心中やP型247号の人殺しが新聞で報ぜられる時代も来ないと限らぬが、その時代における「文学」がどんなものになるであろうかを想像することは困難である。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 而して火山爆発が真正面から文学に取り上げられるのには、以後54年の歳月を要した。漸く現れた火山文学作品は、池澤夏樹の「真昼のプリニウス」(1989)だ。女性火山学者をヒロインとするこの名作は、本ブログの第73ー74話で紹介している。

 

 本稿のオーラスは「日本人の自然観」(1935、10月)。月刊誌「東洋思潮」に掲載されたこの作品は、エッセイというより論文だな。そして寺田寅彦の、人生最後の学術論文となった。

 

 本文は5つの章から成る。「緒言」と「日本の自然」、「日本人の日常生活」と「日本人の精神生活」…… そして「結語」だ。

 

 本稿では第2章の「日本の自然」のみを取り上げる。以下は、そのプロローグだ。

 

 

日本の自然

 

 

 第一に気候である。現在の日本はカラフト国境から台湾まで連なる島嶼の上にあって亜熱帯から亜寒帯に近いあらゆる気候風土を包含している。しかしそれは近代のことであって、日清戦争以前の本来の日本人を生育してきた気候はだいたいにおいて温帯のそれであった。そうしていわゆる温帯の中での最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階に分化された諸相がこの狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いことである。たとえばあの膨大なアフリカ大陸のどの部分にこれだけの気候の多様な分化が認められるであろうかを想像してみるといいと思う。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 そしてこのあと季節の年周期の意味と、雨の降り方の多様性を指摘する。更に「大陸の周縁であると同時にまた環海の島嶼であるという事実」について述べ、「大陸の西側と東側とでは大気ならびに海流の循環の影響でいろいろな相違がある」ことを指摘する。

 

 これらはいずれも現代の高校地理教科書に書いてあることだ。だがそのルーツは、寅彦の此の論文にあるのかも

しれない。そして教科書にあるにも関わらず、おそらく現代人の多くは此の知識を有していない。

 

 次は地形のこと。「日本の土地が言わば大陸の辺縁のもみ砕かれた破片であることは疑いないようである」と言い、そして地震と火山の多さを指摘する。其れは日本列島が4枚のプレートが接する上に在る故だ。だがこの時代は未だプレートテクトニクスが存在していなかった。

 

 その礎になるマントル対流説は1930年代に、英国の地質学者:アーサー・ホームズ(1890ー1965)により提唱されている。ドイツ人気象学者:アルフレッド・ウェゲナー(1880ー1930)の、大陸移動説を説明するためにだ。だがそれがプレート理論に高められたのは、寅彦の死から30年後の1960年代である。

 

 次は生物のこと。植物については、寅彦は以下の如く記している。

 

 

 地形の複雑なための二次的影響としては、距離から見ればいくらも離れていない各地方の間に微気候学的な差別の多様性が生じる。ちょっとした山つづきの裏表では日照雨量従ってあらゆる気候要素にかなり著しい相違があるということはだれも知るとおりである。たとえば信州へんでもある東西に走る渓流の南側の斜面には北海道へんで見られるように闊葉樹林がこんもり茂っていれるのに、対岸の日表の斜面には南国らしい針葉樹交じりの樹林が見られることがある。

【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 

 はて、北海道へんの闊葉樹林の樹種は何だろう?。あのアイランドの低地の植生は、所謂針広混交林の筈だが…。

 

 南国らしい針葉樹というのは、おそらくスギCryptomeria  japonica だろう。でも其れは植林で、自然植生ではないのではあるまいか?。

 

 最後の最後に、動物のこと。寅彦は「植物界は動物界を支配する」と言い、「日本における植物界の多様性はまたその包蔵する動物界の豊富の多様性を指示するかと思われる」と述べている。また鳥を例として、「日本はその地理的の位置から自然にいろいろな渡り鳥の通路になっているので…」とも指摘する。

 

 それはそうだと思う。ただ「野獣の種類はそれほど豊富でないような気がする」という論は、どうだろう?。大型のワイルドマンマルは、そうかもしれない。でも小型の野生獣…ネズミ類やコウモリ類の種子島多様性は、面積あたりの数値においてかなり大だと思うのだ。ネオニコチノイド系農薬の環境害により、各speciesの個体数が減っているように思われることが気になるけれども。

 

 中型マンマルでは、イタチ科Mustelidaeはとりわけ種多様性大だ。私の(片想いの)友であるニホンイタチとシベリアイタチのほか…オコジョMustela  erminea 、イイズナMustela  nivalis 、ニホンテンMartes  melampus、クロテンMartes  zibellina 、ニホンアナグマMeles  anakuma 、アメリカミンクNeovison  vison 、そして海獣のラッコEnhydra  lutrisがそれで、計9種だ。面積あたりの(イタチ科の)種数としては、世界屈指と思う。

 

 この9種のなかで、シベリアイタチとアメリカミンクは外来種だ。他は(扱いが微妙なラッコを除くと)全て在来種であり、ニホンイタチとニホンテンとニホンアナグマは日本固有種である。この他にやはり日本固有種のニホンカワウソが古には居たが、残念ながら絶滅した。

 

 日本の野生動物の(斯様な)特徴は、此の国が"島嶼である"ことに大いに関係がある(筈だ)。 寅彦には其の視点は無いが、それは仕方あるまい。ロバート・マッカーサー(1930ー1972)の「島の生物地理学」が出たのは1967年で、寅彦の死の32年後である。

 

 ちなみに鬼才マッカーサーの享年は42歳で、寅彦よりも15年短命だ。この2人と比較して、私は"無駄に長生きしている"と思えなくもない。

 

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