まずは、原題(にして日本語副題)の第1章「外来種は本当に悪者か?」のこと。此処では、イースター島の巨石文明崩壊の理由についての(テリー・ハントによる)新説が紹介される。ナンヨウネズミRattus  exualansがヤシの種子を食い尽くしたのが原因という説だ。それが真なら、このケースでは「外来種は悪者」と言いうるだろう。ちなみにジャレド・ダイアモンドは、人間による環境破壊が原因であるという説を(名著「文明崩壊」にて)展開している。

 

   この章では、グァム島におけるミナミオオガシラの"罪状"のことも紹介される。「大きな頭と目を持ち、毒液を出す」この蛇の侵入により、「固有種の鳥10種と、コウモリとトカゲが姿を消した」という。だが著者ピアスは、「外来種の上陸前に絶滅したものまで犯人扱いされてはかなわない」と指摘する。そして、「もしアメリカ軍の駐留による自然破壊がなければ、ミナミオオガシラはこれだけ増えなかったはず」と考察する。日本列島(西部)におけるシベリアイタチの事例が示すように、外来種の定着と分布拡大は"環境破壊との関連が大"なのだ。

 

   そしてピアスは、「島の生態系は外来種の絶好のカモだという思いこみが生まれたのは、グァム島やゴフ島の例があったからだろう。そこからさらに、島で起きたことは世界全体で起こるという思い込みも出てくる。だがどちらも誤りだ。孤島の生態系は独特なので、ほかの地域にそのまま当てはめることはできない」と指摘する。そして植物学者クリストファー・キューファーの研究成果を引用し、「ほとんどの外来種は、多様性を高め、生態系を豊かにしているだけだった。すなわちゴフ島やグァム島よりも、アセンション島やハワイ島のほうが多数派なのである 」と言う。

 

  アセンション島は南大西洋に真ん中に浮かぶ亜熱帯の島で、イギリス領の火山島だ。セントヘレナ諸島に属するこの島に、チャールズ・ダーウィンが(1836年に)訪れている。ナポレオンの死から15年後のことだ。その時は、「丸裸の醜悪な姿」をさらしていたという。だが現在は、うっそうとした雲霧林になっている。その構成植物種は(僅かなシダを除けば)、全てこの200年間に持ち込まれたものだという。動物も多く移入された。ハリネズミ、ミヤマガラス、フェレット、フクロウ、ホロホロチョウ等で…大半は定着したとのことだ。

 

  アセンション島から4000km南のゴフ島では、事情が異なる。この島は海鳥の一大繁殖地だったが、19世紀に(イギリスの捕鯨船に紛れて)侵入したハツカネズミにより様相が一変した。面積90万ha(つまり東京都三宅島の約1.6倍)のこの島にハツカネズミがひしめき合い、毎日10t以上の肉が消費されているというがなされている。いや、しかし…この密度は2.2頭/haだから、案外たいしたことないな。「分布の集中」がおきたことの結果だろう。

 

  要は、ケース・バイ・ケースなのである。そして三宅島の場合は、ニホンイタチの移入によって"生物多様性が増した"例と言いうる。宮古島でもおそらくそうだろう。

 

   この章の締めとしてピアスは、「生態系とはいったい何なのか」を自問する。そして、「生態系はどのように形成され、どう働くのか。外来種は"悪"、在来種は"善"という色わけは、科学的な根拠のない誤った区別ではないのか」と言う。更には、「人間がここまで地球環境を破壊してしまった現在、アセンション島(のグリーン山)のように在来種と外来種が奇妙に同居する生態系こそ、自然がこれから生きのこるチャンスがあるのではなかろうか」と呟く。ケース・バイ・ケースを前提に、私はこの論には"一理あり"と思う。

 

   著者のこの論は新しいものであり、現代保全生物学は(殊に日本では)"外来種はすべからく災厄"と見なす。ただその考えは、"実はそう古くない"とピアスは言う。第7章の「よそ者神話」において、「ヴィクトリア朝時代の人々にはそんな発想はなかった。異質な環境に動植物を持ち込み、なじませることに熱心だったからである」と言う。つまり、帝国主義ですね。そしてやがて、ecosystem(生態系)の概念が生まれる。発案者はイギリスのタンズリーで、1935年にだ。当時の時代状況はドイツにおけるナチスの勃興期に相当するから、何やら意味ありげである。だが其のことは、此処では考察しない。

 

   思いつき程度のものだったタンズリーの発想を深化させたのは、オックスフォード大学のチャールズ・エルトン(1900ー1991)だろう。生態学的地位(niche)概念の発想者であり、個体群生態学にも貢献したエルトンは偉大だ。だが、第二次世界大戦後には奇妙なことを言い出す。「いまの世界は一触即発である。…だがその脅威は原子爆弾や核戦争だけではない。…この本で取り上げるのは生態学的爆発だ」…1958年に出版された"The  Ecology  of  Invasions  by  Animals  and  Plants"の一節である。日本語版は原著出版からかなり遅れ、1971年に川那部浩哉(当時京都大学教授)などの訳で刊行された。そのタイトルは「侵略の生態学」である。

 

   エルトンが原著を出した1958年は冷戦の時代であり、戦後も帝国主義が継続していた。USA西部では大気中核実験が数多く行われ、アトミック・ソルジャーを多数生み出していた。リベラリストであり…そして今西錦司に始まる"すみわけ理論"の継承者である川那部からすれば、エルトンの戦後のファシズム傾斜が"許せない"気分であったに違いない。だから、訳出することを10年余躊躇った。漸く訳出を決意した時には、「これを反面教師にする」つもりだったに違いない。けれども彼の弟子ならびに同僚は、川那部のその真意に気づかなかったようだ。唯ひとり、日高敏隆を除いては。

 

   第7章の「偏見と詭弁がはびこる侵入生物学」においてピアスは、舌鋒鋭くエルトン(ならびにその後継者)を批判する。ジャーナリストであるピアスは「素人が何をほざく」という偏見に晒されている筈だか、プロの生物学者の援護が無い訳ではない。順序からすれば本書が出るより少し前に、スティーヴン・J・グールド(故人)が行った言論は注目に値する。グールドは…沿道に在来種のみを植えることを提案したアウトバーン設計者を、「明らかに国民のアーリア化を意識していた」と批判したのだ。ちなみにグールドは、母親がユダヤ系(ユダヤは人種ではなくて宗教)である。

 

   第6章「生態学浄化」における「ワニも食べつくすオオヒキガエルが市民権を得るまで」も、面白い。ちなみにこの「食べつくす」は比喩的表現だ。オーストラリアでは1935年に、サトウキビ畑の害虫駆除目的でオオヒキガエルを導入した。だがクィーズランド州で放たれた6万匹はサトウキビ畑に定着せず、駆除目的ではない昆虫を貪った。ちなみにオオヒキガエルは耳腺から猛毒を分泌する。それを知らない在来種のワニやヘビがこのカエルを食べ、次々に死んだ。やがて在来の捕食者は"学習"する。毒腺を避けて食べるようになるのである。毒に耐性を持つ個体も出現し、"絶滅した在来種は一つも無かった"とのことだ。

 

   第11章「都市の荒廃地で自然保護を再起動する」も興味深い。"都市の荒廃地にあらわれた楽園"や、"驚くほど都会暮らしを楽しむ野生生物たち"が紹介されるのだが…そもそも、「都市=荒廃」とする発想を改める必要があるだろう。例として北米大陸のハヤブサやアライグマの事例が紹介されているが、私は"西日本のシベリアイタチ"のことを教えてあげたい。"頑として都会暮らしを拒むニホンイタチ"のこともである。

 

   同じ章の"野生生物の天国、チェルノブイリ"について。チェルノブイリと日本の福島は、事情が違うように思う。日本の野生動物(とりわけ哺乳類)は、"里山"を好む。人間が消えた環境は、好ましいものではない。対してチェルノブイリとその周辺の野生動物は、人間にさほど依存せずに生活して来たのではないか。ただ、「住民がいなくなった集落は、野生にはない便利な隠れ場所がたくさんあるので、野生生物はことにお気に入り」とのことである。

 

  "放射線被曝"について。「もともと野生生物は、長生きしたあげくに死ぬことはほとんどない」故、「事故前より数も種類も豊富」と、ピアスは言う。いやしかし、長い時間のspanで考えればどうだろうか?。それと、"人間は長命"である。そしてたぶん、脆弱だ。本書におけるピアスの論に概ね納得する私だが、この部分のみは首肯しかねる。

 

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