ハエ

 

 寺田寅彦(1878ー1935)の最も有名なエッセイは、「科学者とあたま」であろう。それは1933年10月に世に出た。その次に有名な「とんびと油揚げ」が世に出たのは、1934年10月だ。この2作は、岩波文庫の随筆集の第4巻に収められている。

 

 同「随筆集」の第5巻も、初めの7作は1934年に世に出たものだ。本稿ではまずその中から、「破片」と「天災と国防」を紹介する。

 

 「破片」は(1)~(13)章から成る。面白かったのは、(1)(8)(12)(13)の4つの章だ。

 

 まずは(1)のこと。そのプロローグは以下である。ちなみに昭和9年は1934年だ。

 

 

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 昭和9年8月30日の朝、駒込3の349、甘納豆製造業渡辺忠吾氏(27)が巣鴨署衛生係に出頭し「10日ほど前から晴天の日は約2000、曇天でも約500匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記事が4日の夕刊に出ていた。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 このあと寅彦は「蜜蜂が花野の中で、つぼみと、咲いた花とを識別するのは、彼らにものの形状を弁別する能力があるため」と言い、「すなわち星形や十字形のものと、円形のものとを見分けることができる」…という(海外での)研究成果を紹介する。そして更に「しかし甘納豆の場合にはこの物の形が蜂を誘ったとは思われない」と言い、「何か嗅覚類似の感官にでもよるのか、それとも、偶然工場に舞い込んだ1匹が思いもかけぬ1匹が思いもかけぬ甘納豆の鉱山をなめ知っておおぜいの仲間に知らせたのか?」…と、論じている。

 

 例えば蠅の成虫ならば、嗅覚器官があるだろう。でも蜜蜂に其れがあるとは思えない。後者の可能性が、高いのではなかろうか?。

 

 仲間に情報を伝達する術のことは、その後の(海外での)研究で判明した。いわゆる"8の字ダンス"だ。発見者はドイツのカール・フォン・フリッシュで、1960年代のことである。だからやはり寅彦は、エソロジー(動物行動学)の先覚者なのだ。

 

 (8)には、エコロジー(生態学)の暁を示す記もある。以下がそれだ。

 

 

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劇場などで座席を選ぶ場合に、1列の椅子のどちらか一方の端がいいという人がある。自分も実はその一人である。それは、出たい時にいつでも楽に出られるという便宜があるためである。しかしその便宜を実際に利用することはむしろまれで、多くの場合には、ただその自由の意義を享楽するだけである。

 

だれであったか忘れたが昔のギリシャの哲学者の一人は集会場のベンチの片端に席を占める癖があった。人がその理由を尋ねたら「せめて片側だけでも自由がほしい」と答えたそうである。昔も今もこうしたわがままなエゴイストの心理は同様だと見える。

 

しかし、一方ではまた、反対に両側に人がいないとさびしく物足りないと思う人もなかにいるようである。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 然りである。ヒトという動物は斯様に"人それぞれ"だ。けれども多くのアニマルでは、群居棲かあるいはsolitaryかに峻別される。そして小鳥類の多くは、季節によって群居とsolitaryを使い分けている。以下の如くに。

 

 

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 群集を好むがあり一方にはまた孤独を楽しむ動物があるかと思うと、また一方ではある時代期には群集を選ぶがある時期、特に営巣生殖の時期には群れを離れて自分たちの領地を占有割拠し、それを結婚の予備行為とした上で歌を領域占拠のプロパガンタを叫び、そうして花嫁を呼び迎える鳥類もある。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 ちなみにニホンイタチMustela  itatsi とシベリアイタチMustela  sibirica の雄は、幼獣期を除けば基本的にsolitaryだ。雌成獣は育児期(晩春~夏)には幼獣と群居するが、それ以外の季節はやはりsolitaryである。そして雄は、育児に参加しない。

 

 ニホンテンMartes  melampus 等々、多くのイタチ科Mustelidaeのアニマルはそうである。 例外的にラッコEnhydra  lutris は年中群居棲だが、育児期の母とその子らを除けば"個体間の絆"は強くない。ヒトというアニマルも、本来はそうだったのかもしれないな。

 

 以上は動物生態学の話題だが、(8)の末には植物生態学のことも記されている。以下の如くに。

 

 

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 本郷大学正門前の並み木の銀杏の黄葉し落葉するに著しい遅速がある。先年友人M君が詳しく各種の遅速を調べて記録したことがあって、その結果を見せてもらったことがある。それが、日照とか夜間放熱とか気温とかそういう単なる気象的条件の差異によってこれらの遅速を説明しようと思っても、なかなか簡単には説明されそうもない結果であった。また根の周囲の土壌の質や水分供給の差異によるものとも思われなかった。それからまた、関東震災のときに焼けたと焼けなかったがとの区別によるのではないかとの説もあったが、なかなかそれだけのことでは決定されそうにない。そういう外部的化学的条件だけではなくて、もっと大切な各樹個体に内在する条件があるのではないかと素人考えにも想像されるのであった。もちろん生物学をよく知らない自分にはほんとうのことはわからない。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 寅彦がこのエッセイを記した1934年には、東京帝大には生態学者はいなかった。私の姻戚(母の妹の夫の父)である中野治房(1883ー1973)が同大学で植物学を担当していたが、生態学者ではない。

 

 日本の生態学は(本格的には)京都帝大で興る。その最初の担い手は、動物学者の可児藤吉(1908ー1944)だ。優秀なひとだっが、そのリベラルな思想が国家権力に憎まれる。そして30代半ばで懲罰徴兵され、サイパンにて落命した。

 

 植物生態学の始まりは戦後で、その興りも(帝国の名が外れた)京都大学だ。担い手は吉良竜夫(1919ー2011)である。だが吉良なら寅彦のこの問いに答えうるかというと、やや怪しい。個性の生態学は、動物でも十分には究められていない。まして、植物においておやである。

 

 話が前後する。「破片」(1934)は、(12)も印象に残る。寅彦は、このエッセイが世に出た翌年にCancerで逝く。それを予感させる内容が、(12)における以下の述である。

 

 

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 いつか自分の手指の爪の発育が目立って悪くなり不整になって、たとえば左の無名指の爪が矢筈形に延びたりするので、どうもおかしいと思っていたら、そのころから胃潰瘍にかかって絶えず軽微な内出血があるのを少しも知らずにいたのであった。

 

 有機体の中にその有機系と全然無関係な細胞組織が何らかの間違いでできることがある。やっかいな癌腫はそういう反逆者の群れでできるものらしい。有機系とはなんの交渉もないものが繁殖しはじめるとその有機系の調和が破壊され、その活力が阻害され結局死滅する。それと同時にその死滅を促成した反逆者の一群も死滅することは当然である。

 

 国家という有機体にも時々癌腫が発生する。ひどくなると国家を殺すが、多くの場合に、その癌細胞自身も結局共倒れになって死んでしまうようである。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 当時(1934)にしては極めて先進的な医学知識を有していた寺田寅彦だが、翌年末の癌死からのがれることは出来なかった。その2ヶ月後に勃発した226事件を契機に、陸軍が癌化する。その癌はやがて海軍にも転移し、この国は(いったんは)滅びるのである。

 

 次は「天災と国防」(1934)だ。地球物理学の関連事だから、寅彦の本来の専門に近い。そのクライマックスは、以下の述である。

 

 

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 人類がまだ草昧の時代を脱してなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊されるべきなんらの造営物も持ち合わせていなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものがであって見れば、地震にはかえって安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。ともかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。

 

 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろな造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の猛威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊させしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくしているものはたれあろう文明人そのものなのである。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 阪神大震災(1995)のとき、私は寅彦のこの一文を真っ先に思い浮かべた。でも彼の此のことばを引用したマスコミは、私の知る限り一つも無かった。

 

 つまり此のことは、「近代の呪い」なのだ。渡辺京二(1930ー2022)が、その著書のタイトルにて啓発したところの…。

 

 以降は、寅彦が最晩年に出したものである。

 

 「災難雑考」(1935)では、「大津波が来るとひと息に洗い去られて生命財産ともに泥水の底に埋められるにきまっている場所でも繁華な市街が発達して何十万人の集団が利権の争闘に夢中になる」…という、シニカルな論を述べている。でもその通りだと思う。

 

 寺田寅彦といえば、「災害は忘れた頃にやって来る」という警句が有名だ。でも、そのものズバリが記されたエッセイは実は無い。敢えて言えば、本エッセイの前出の言が最も其れに近いだろう。

 

 このエッセイは、途中から論点が変わる。そして以下の薬学的内容にて、締めている。

 

 

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 雑草といえば、野山にじせする草で何かの薬にならないものはまれである。いつか朝日グラフにいろいろな草の写真とその草の薬効とが満載されているのを見て実に不思議な気がした。大概の草は何かの薬であり、薬でもない草を捜すほうが骨が折れるように見えるのである。しかしよく考えてみるとこれは何も神様が人間の役に立つためにこんないろいろの薬草をこしらえてくれたのではなくて、これらの天然の植物にはぐくまれ、ちょうどそういうものの成分になっているアルカロイドなどが薬になるように適応した動物からだんだん進化してきたのが人間と思えばたいした不思議ではなくなるわけである。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 締めの仮説は面白いが、信憑性は怪しいな(笑)。されども植物が有するアルカロイドの利用は、漢方医学の中核を為して来た。最近では西洋医学でも、抗癌剤として利用されている。例えば常緑針葉樹の一種イチイTaxus  baccta の樹皮成分であるタキソールは、細胞分裂の際に形成される微小管の形成を阻害する。癌細胞は正常細胞より分裂速度が大なので、選択的にダメージを与えるのである。ただむろん、副作用もありだ。

 

 「災害雑考」が出たのは1935年7月だが、「自由画稿」の刊行はそれに2ヶ月先行する。(1)~(18)の全18章から成るこのエッセイは、以下の(10)がとりわけインパクト大だ。

 

 

 

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 うじがきたないのではなくて人間や自然の作ったきたないものを浄化するためにうじがその全力を尽くすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。

 

 うじが成虫になってはえと改名すると急にたちが悪くなるように見える。昔は五月蠅と書いてうるさいと読み昼寝の顔をせせるいたずらものないしは臭いものへの道しるべと考えられていた。近代になってこれが各種の伝染病菌の運搬者播布者としてその悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「はえ取りデー」の出現を見るに至ったわけである。著名の学者の筆になる「はえを憎むの辞」が現代的科学修辞に飾られてしばしばジャーナリズムをにぎわした。

 

 しかしはえを取り尽くすことはほとんど不可能に近いばかりでなく、これを絶滅するとうじもこの世から姿を消す。するとそこらの物陰にいろいろな蛋白質が腐敗していろいろな黴菌を繁殖させその黴菌は回り回ってやはりどこかで人間に仇をなすかもしれない。

 

(中略)

 

 はえが黴菌をまき散らす、そうしてわれわれは知らずに年じゅう少しずつそれらの黴菌を吸い込み飲み込んでいるために、自然にそれらに対する抵抗力をわれわれのからだじゅうに養成しているのかもしれない。そのおかげで、何らかの機会にはえ以外の媒介によって多量の黴菌を取り込んだときでもそれに堪えられるだけの資格が備わっているのかもしれない。換言すればはえはわれわれの五体をワクチン製造所として奉職する技術技手の亜類であるのかもしれないのである。

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【寺田寅彦随筆集 第五巻 岩波文庫より引用】

 

 だからマスクの常用や手指消毒の過多は逆効果なのである。ケースバイケースでは、あるけれども。

 

 それと、"黴菌"という名称のこと。現代科学ではこの語は死語である。それは人体に有害な微生物の総称であり、多様な生きものが含まれるからだ。本ブログの第201話で述べたように、"黒人"という語法は科学的でない。 そのことと事情は似る。

 

 多様な分類群は、菌と細菌に大別出来る。菌はカビであり、細菌はバクテリアである。前者は多細胞の真核生物で、後者は単細胞の原核生物である。そしてウイルスは黴菌ではない。遺伝物質(DNAまたはRNA)は有するが、細菌構造を持たないからである。     

 

 このことを知らない現代人が、今の世には余りに多いな。抗菌処理なるものをウイルス対策に用いるのは、全くナンセンスなのだ。

 

 最後にひとこと。最近蠅類が、絶滅はせぬまでも激減している。このことは実は由々しきことではあるまいか?。寅彦が案じた理由によりだ。

 

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