寺田寅彦のイラスト

 

 

 物理学者寺田寅彦(1878ー1935)は、科学史上のひとではない。だが日本文学史上のひとだ。科学エッセイという(最近停滞気味の)ジャンルは、彼によって創始されたのである。

 

 そしてその伝統は直弟子の中谷宇吉郎(1900ー62)に伝わり、更に朝永振一郎(1906ー79)や日高敏隆(1930ー2009)   に継承された。そして日高門下の私に…と言いたいが、この際は言わない。本稿のタイトルからすれば、言ってるのと同じですけど(笑)。

 

 その寅彦の優れたエッセイは、大半が晩年3年間…つまり1933ー35年に集中している。それ以前で私にとってインパクト大のものは、「夏目漱石先生の追憶」(1932)だ。

 

 漱石こと夏目金之助(1867ー1916)が逝って16年後に世に出たこの作品は、ネット検索で全文を読むことが出来る。その中では、以下のセンテンスがとりわけ印象的だ。

 

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 先生からはいろいろなものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけでなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。

 

 しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、先生にとって俳句がうまかろうが、まずかろうが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんな事は問題にも何にもならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であったくれたほうがよかったのではないかという気がするくらいである。先生が大文豪にならなかったら少なくとももっと長生きをなされたであろうという気がするのである。

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【寺田寅彦随筆集 第三巻 岩波文庫より引用】

 

 私は、我が師:日高敏隆先生に対して似た感情を有する。でも私には、このような美しい文章は書けない。私は不肖の弟子だ(涙)。

 

 夏目漱石の享年は49際で、寺田寅彦は57歳と短命である。死因はいずれも胃の病だ。日高先生は79歳で(肺癌にて)鬼籍に入ったので、寅彦に比べても12年長命した。でも20世紀初の今では短命と思う。もしいま生きておられたら94歳で…おそらく認知症とは無縁だったと、思うのだ。

 

 前段は私事である。而して漱石の俳論は、以下の如きだ。

 

 

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「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」。「扇のかなめのような集注店を指摘し描写して、それから発散する連想の世界を暗示するものである」「花が散って雪のようだといったような常套な描写を凡庸という」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳い句である」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある」。

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【寺田寅彦随筆集 第三巻 岩波文庫より引用】

 

 

 なるほど。さすが漱石だな。寅彦が使わなかった語も用いるならば、異能…ないしは鬼才の持主だ。そして底流は合理的…ないしは、科学的精神で貫かれている。その権化と言いうる寅彦とウマが合ったのは、必然のことだ。

 

 

夏目漱石のイラスト

 

 漱石が作家として名を成したのち、花に集まる蜜蜂のように多くの弟子志願者が集まって来た。その多くは凡庸で、かつ単なる目立ちたがりでしかなかった。その中で…熊本の第五高等学校以来の旧知たる寅彦は、異色の存在だった。あまたある弟子の中で、漱石が"能力を評価していた"者は彼だけだった私は思う。評価するのみならず尊敬もしていた…というのは、福田定一こと司馬遼太郎(1924ー1996)が「街道をゆく:本郷界隈」(1992)で述べていたことである。

 

 私は短歌こと和歌は詠むが、俳句はやらない。私もまた論理思考の信奉者だが、俳句の575文は短か過ぎてそれを語りにくいのだ。対して和歌の57577文は、論理思考に必要な条件を満たしてくれる。それは起承転結だ。むろん起承が575で、77が転結である。

 

 この論理は、ある日ある時ふと気づいたことだ。だが私の父親で職業歌人の清水房雄(1916ー2017)は、既に述べている。そのことを、彼が鬼籍に入る少し前に知った。なお父のことを追悼した和歌5首は、本ブログの第96話「短歌びと清水房雄の生涯」に収められている。

 

ま、それはさておき…寅彦が1933ー35年に書いたエッセイは、岩波文庫の小宮豊隆(1884ー1966)編の「寺田寅彦随筆集」では第4ー5巻に収められている。ただ此れは全集ではないので、その時期に書かれたものが全て収録されている訳ではない。以下には、小宮が注目しなかった2作品を(全集から拾って)紹介する。

 

 それは「鉛をかじる蟲」(1933)と、「猫の穴掘り」(1934)だ。実はこの2作品は、本ブログの第49話「動物行動の"意味"と寺田寅彦」に引用紹介している。本稿では、其の要点のみを記す。

 

 猫の穴掘り行動について私は、「行動の化石」という仮説を述べた。存命の動物生態学者川那部浩哉(1932ー)が、アユのなわばり行動の解釈として述べた仮説の転用だ。更に…「寅彦ははっきりと記してないが、"科学とは、猫のこの穴掘り行動のようなもの"と言いたかったのではないか?」とも、論じた。

 

 動物の行動は2つが連続する場合でも、一つ一つが完結している。そしてその各々は、別のリリサーによって解発される。猫の穴掘りと脱糞の関係は、そうであるとも解釈し得よう。

 

 蟲の鉛かじりも、其の仮説で解釈出来る。更に…「   なお、リリサーの概念を考案したのはノーベル賞生理医学賞受賞者のコンラート・ローレンツで、寅彦はそれが出るより前に死んでいる」にて、私は第49話を締めた。ローレンツの「ソロモンの指輪」が出たのは1949年で、寅彦の死から14年も後である。

 

 寅彦が(世界レベルでも)"エソロジー(動物行動学)の先駆者"たりうるのはこの2作品と、そして「とんびと油揚」(1934)に拠るところが大だ。以下は、後者のプロローグである。

 

 

※※※※※※※※※※※※※

 とんびに油揚げをさらわれるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上のねずみの死骸などを発見してまっしぐらに飛びおりるというのは事実らしい。

 

 とんびの滑翔する高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視覚と、鳥のおおよその身長から判断して100~200mの高さではないかと思われる。そんな高さからでもこの鳥の目は地上のねずみをねずみとして判別するのだという在来の説はどうもはなはだしく疑わしく思われる。かりにねずみの身長を15cmとし、それを100mの距離から見るとんびの目の焦点距離を、少し大きく見積って5mmとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さはμmとなる。それが死んだねずみであるか石塊であるかを弁別する事には少なくともその長さの10分の1すなわち0.5μm程度の尺度で測られるような形態の異同を判別することが必要であると思われる。しかるに0.5μmはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度いかんを問わずともはなはだ困難であることが推定される。

 

 視覚によらないとすると嗅覚が問題になるのであるが、従来の研究では鳥の嗅覚ははなはだ鈍いものとされている。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編、岩波文庫より引用】

 

 

トンビの写真

 

 

 このあと寅彦はチャールズ・ダーウィンが行った鳥の嗅覚実験を"心細い"と批判し、更に以下の論を述べている。

 

 

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 上述のごとく、視覚による説が疑わしく、しかも嗅覚否定説の根拠が存外薄弱であるとして、そうして嗅覚説をもういっぺん考え直してみるという場合に、一番に問題となることは、いかにして地上の腐肉から発散するガスを含んだ空気がはなはだしく希薄されることなしに100mの上空に達しうるかということである。ところが、これは物理学的に容易に説明せられる実験事実から推してきわめてなんでもないことである。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編 岩波文庫より引用】

 

 

 つまり寅彦は、上昇気流の発生がkeyであろうという仮説を述べたのだ。「インドの禿鷹が上空を滑翔するのは、晴天の日地面がようやく熱せられて上昇気流が始まる時刻から、午後その気流がやむ頃までだ」…という、海外での研究結果に拠りだ。いやでもさ、その思考が日本の鳶(トビ)に通用するだろうか?。いささか疑わしい。

 

 ちなみに禿鷹という生物名は実は存在しない。それはスカベンジャーの"Birds  or  Prey"(猛禽)の総称であり、ハゲワシ類とコンドル類によって構成される。日本のトビMilvus  migrans も"Birds  of  Prey"でスカベンジャーではあるけれど、これらとはやや系統が異なる。

 

 そもそも、ですね。トビが(100m余の高さから)「まっしぐらに降下する」というのは本当だろうか?。私は(己のフィールドで)このアニマルを頻繁に目撃しているが、そのようなbehaviourを見たことが無い。その高さで滑翔しているのは"休息"のためであり、探餌の時には低空に降りて来ているのではないか?。寅彦も、"高空からの急降下"を実見した訳ではないのだ。

 

 斯様に、このエッセイにおける寅彦の仮説は疑わしい。だが1934年というこの時代に、このような思考を行った科学者は(世界広しと言えども)彼だけだったと思う。それゆえ寅彦は、エソロジーの創始者なのだ。

 

 「とんびと油揚」は、寅彦のエッセイの中ではかなり有名なものだろう。だが「科学者とあたま」(1933)は、それより更に有名だ。岩波の「随筆集」が出たのは私の生年の1948年だが、それより約10年後にこれを読んで"感激した"ことを記憶する。「とんびと油揚」も同時に読んだが、こちらは(前述の如く)"ちょっと変だ"と思ったのみだった。

 

 「科学者とあたま」のプロローグは、以下にて始まる。ちなみに以下の"老科学者"は、寅彦自身のことであろう。

 

 

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 私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。

 

 「科学者になるのは"あたま"がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。 しかし、一方ではまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味やはりほんとうである。そしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的少数である。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編 岩波文庫より引用】

 

 

 このやや難解な命題を、寅彦は以下の如く(比喩的に)解説する。

 

 

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 いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くことができる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人があとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。

 

 頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京に引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。

 

 頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡せる。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難解に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けていく。どうにも抜けられない難解というねはきわめてまれだからである。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編 岩波文庫より引用】

 

 

  更に寅彦は以下の如く言う。

 

 

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 頭のいい人には恋がで

きない。恋は盲目である。科学者になるためには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものなのである。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編 岩波文庫より引用】

 

 

 なるほど。私はそう思い、「科学者たらん」と志して京都北白川の大学に入学した。寅彦を失った後の東大が凋落したことを知っていたので、本郷志向は全く無かった。だが大学院に進学してまもなく、壁にぶち当たる。私は所謂意味での頭のいい人間ではないが、恋が出来ないタイプだったのである。そして、以下のことへの覚悟が足らなかった。

 

 

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 科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。

 

 頭のいい人は批評家には適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴うからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。

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【寺田寅彦随筆集 第四巻 小宮豊隆編 岩波文庫より引用】

 

 

 日高先生の享年の79歳にあと少しに迫り…最近漸く、寅彦のこの剣呑な警句の意味が分かるようになった。私の此の世に残された時間は、たぶん僅かだ。私はまもなく死骸になる。そのボディが、殿堂の片隅に(ささやかにでも)埋められるよう努めたい。

 

 

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