自分が望んでいるお客様だけを引き寄せるコツを教えます!! 顧客開拓請負人 大阪の弁理士 福永正也のブログ -82ページ目

間違わない選び方

先日、あるクライアントから聞かれたこと

 

「士業の先生って、どうやってできる先生か見分けるんですか?」

 

まあ、いろいろありますから、一概には言えないんですけど。ただ、今回のコロナ騒動の中ではっきりしたことと言えば、この期に及んでたばこ1つやめることができない先生はつき合わない方がいいでしょうね。少なくとも自分本位で他人のことは考えない方だからww

 

まあ、こういう当たり前のことはさておき、私たちの業界では外国の代理人と共同で仕事する機会も多いです。日本人同士でも難しいのに、外国人の能力を見分けるって大変ですよね。

 

ですから、できるできないよりも、まずはこいつとだけは仕事しない、というのを見分ける方法を1つだけ。私は、必ずトピックはないか、あるならそれを講演してくれ、と頼みます。

 

ほとんどの先生は快諾してくれます。で、何を見るのか。

 

ポケットに手を突っ込みながら講演する先生は排除しています。多いんですよ、これが。特に米国の若い代理人。ほとんどがポケットに手を突っ込んだままお話を。

 

仕方ないので、最後に言ってあげてるんです。あなた程度の経験で、偉そうに話しするのはクライアントに失礼です。ここは日本。郷に入れば郷に従え。それもできない融通の利かない事務所は不要です、と。

 

これ、日本でもいますから。そういう先生にろくなのはいません。経験上、それだけは間違いありません。ここまで生きてきて、ただの一人もいないんですからww。

セミナー講師って何が命なのか誤解してるんでしょうか

コロナウイルスの影響で、知り合いの多くのセミナー講師の方々、仕事がなくなって本当に困っていらっしゃいます。それはそれで同情はするのですが、少しばかり方向を間違えて努力されている方が多すぎるので、今回少し書いておこうと思いました。

 

ライブがなくなったから動画にする。まあ、これは自然の流れです。動画に即したコンテンツに内容をすべて組み替えて行うならそれも「あり」でしょう。

 

ただ、動画の場合、特に気を付けなければならないのは、受講者が何から学ぶか、です。画像?違います。音声からです。これは、米国含めてかなりの研究成果が発表されています。(ずっと見てたら目が疲れちゃいますよねww)

 

つまり、ライトを変えたり、どうすればきれいに映るか、なんてことは、動画によるセミナーをするにあたっては、はっきり言って優先度は思い切り下位であるということ。むしろ、大切なのは、(1)わかりやすい日本語で、(2)はっきりと聞こえる、ということなんです。

 

(1)については小学生でもわかる言葉で話せばいいだけ。カタカナばかりの講師は、動画主体になれば自然と消えていくでしょうからいいかもしれません。

 

(2)について、どうもほとんどの方が無頓着。これは、講師を依頼したりする立場、商工会議所やエージェントも同じです。

 

今、もし私が講師なら、真っ先に購入するのは高い感度のマイクとミキサー。そして、依頼される側がzoomを指定してきたら、「音質が低いから受講者が疲れます、せめてskypeレベルのソフトを選定していただけませんか」とお願いするでしょう。

 

これ、講師も、開催する側も、受講者のことを考えていないから起きるんです。動画での学びの効果を高めるには、音声の質を高めること、という当たり前の情報を得ようとしない。流行っているからとzoomに飛びつく。講師と主催者、共倒れになる可能性が高いです。受講する人がいなくなるので。

 

先日、口の開け方や発声方法などのセミナーを展開される方がいました。おそらくその方が理にかなっています。音声から学ぶんですから、発音がしっかりしていないと何を言っているのか伝わらないので。それをカバーするのがマイクやミキサーです。

 

セミナー講師は、話が伝わることが命。自らそう言われている方々がzoomに走り、ライトを購入する姿を見ると、少しばかりあわれに思えてしまいます。大切なのは、何が大事で、そのために何をするか。その整理すらできない方が人に何を教えるんでしょうね。

日本人なのに・・・

最近、いろいろなところで日本語が乱れているように感じます。まあ、アナウンサーでさえ、「干物」を「ほしもの」と読む時代ですから、仕方がないという言い方もできるのかもしれませんが(苦笑)。

 

うちの娘たち、上の娘はともかく、下の娘は国語に関しては信じられないくらいの成績を残していました。小学校で塾を変わった最初の全国模試でも、国語だけはベスト10に入りましたから(理科は下からベスト10でしたがww)。

 

振り返ってみて、彼女が本が好きだ、というのはありましたが、それだけで国語力が高まるとは思えません。実際、下の娘、読解力は高いものの、漢字は苦手でしたし(普通、本を読むほど漢字力が高まると言われていますから)ww

 

では、なぜ彼女が・・・

 

私なりに考えてみると、仮説を立てて考える、という習慣のおかげじゃないかと思うんです。

 

下の娘は、例にもれず良くしゃべる娘でした。なので、街へ出たら、街の風景を見ながら、例えば

 

「信号って、なんで青、黄、赤なんやろな」

 

と問いかけたりして、彼女にいろんな説を考えさせたりしてました。確か、このとき彼女が真っ先に言ったのは「そもそも、青やなくて緑やん」だったかと。そこから、なぜ昔の人ほど、緑も青と言うのか、とまた仮説を。こんなのを順繰りにしていったんです。

 

これを小学生低学年のころからずっと行っていたからでしょうか、まあ理屈っぽい小生意気な娘の完成(爆)。ただ、論理立てて説明するには、実は国語力が相当必要なんです。

 

もちろん、文章として書くのもいいでしょうが、会話だと、その場で組み立て、その場で整理して、その場で発話する必要が。自然とハードワークになっていたんでしょう。彼女にとっては、その訓練よりも問題の方が簡単だったんでしょうね。国語の点数はいつも異常に高かったんです。

 

彼女も言ってますが、「その言葉を選ぶには必ず理由があるんやから、言葉から相手の考えってわかりやすいやん」と。そう、国語力というから小難しいだけで、彼女は言葉から書き手の意図を読んでいただけ。読解そのものですよね。

 

私は、国語ってあらゆるものの基本、大袈裟に言うならば生きる力だと思っています。だから、普段の生活の場において、学ぶ機会はそこかしこに転がっています。勉強、などという堅苦しい概念でなく、お子様と会話することでどんどん成長していくものだと思っています。(うちみたいに理屈っぽいと大変でしょうがww)