自分が望んでいるお客様だけを引き寄せるコツを教えます!! 顧客開拓請負人 大阪の弁理士 福永正也のブログ -37ページ目

肩書きとやら

先日、10年前の会社設立パーティーでお会いした社長さんに久しぶりにお会いしました。元気そうで何よりだったのですが、話の中で思い出したのが「肩書き」のお話。

 

そのパーティーの来賓の中にいたんですよ。やたら、長いカタカナの肩書き。それも1つや2つでなく、いくつか覚えていないほど長々とした肩書きの山だった方が。

 

ハッキリ言って、司会者も全部言う時間はないし、かといってどれがメインなのかも不明。まあ、意味内容も不明なんだから仕方もないことなんですが、まさに司会者泣かせでしたww

 

で、何が言いたいかというと、肩書きってそこまで重要ではないんですか、ってこと。私は重要だと考えています。だって、「私はこういうことをする人」って看板だから。

 

そうすると、まずわかりやすいこと、これが第一。次が短いこと。端的な表現がベストですよね。そして、もう1つ大事なこと、それが・・・

 

変わらないこと!不変性とでも言いましょうか。

 

いるんですよ、ころころころころ変わる人。SNSでもいるでしょ?ページのタイトルや、肩書きが、まあころころ変わる人。

 

なぜ、変えなきゃいけないのか。簡単です。肩書きなんて所詮は人寄せ用の道具としてしか考えていないから。要は集客ツールだと。こういう方々は、当然ですがあなたのことも、単に集められた中の一人としてしか考えていません。大切に、なんて考え、これっぽっちもありませんから(笑)。

 

自分の仕事にも執着もないでしょうね。「見せ方」という言い訳する方も多いですが、要は仕事の核がないんですよ。核心をついた肩書き一つで商売ができない。だからこそ、毎回ころころ変わるんです。

 

これって、いわゆる薄っぺらなビジネス書の著者に多く見られる傾向でもあるんですが、「既に著書何冊」って言ってる方ほど、今と最初に出版したときとで肩書やキャッチが別物になっていることが多いです。要は、その時々で変えなきゃ売れないレベルってこと。

 

肩書きの変遷って、その方の歴史です。私も弁理士以外のコンサルタントとしての活動の肩書はころころ変わっていました。やっぱり副業という意識があったんでしょうね。だから、今は本業のおまけと位置付けてますから特に肩書きがありません。

 

つまり、例えば特許や商標の相談をしたら、マーケティングのヒントも得られるとか、ネーミング手法が学べるとか、そんな感じ。付加価値として悪くはないでしょ?ww

もっともらしいことには裏が・・・

まあ、世の中にはもっともらしいことばかり発信する方も多いです。考えてみたら、もっともらしいことなら何もわざわざ発信しなくても、と思いますよね。つまり、そこにはきっちり意図が、それも「裏」の意図があることが多いです。

 

例えば、私たち専門家が何らかのノウハウで課題を解決できることを発信する場合、必ず再現性が求められます。ここでいう再現性とは、発信者以外の方でも同じやり方で同等の効果が得られるということです。

 

ただ、情報発信の教科書(みたいなものww)には必ず書いています。

 

事例を組み込んで、再現性があるように「思わせること」が必要です。

 

え、思わせる?そう、再現性の有無ではないんですよ。再現性があるように思わせるために、という意味。実際、効果が出た事例しか書けませんけど、いくつの会社に適用していくつ成功したのか、公開している(あるいは客観的な証拠を示している)ものは皆無でしょ?

 

私たちや弁護士さんには厳しい守秘義務があります。また、クライアントが公開したいと言っても、係争には終わりがないので(相手は逆転の機会を虎視眈々と狙ってますから・・・)控えるように進言することがほとんどです。

 

となると、事例って簡単に出せないんですよ。せいぜい仮想事例。再現性の根拠にはなりませんよね。

 

まあ、セミナーのコンテンツでも、同一コンテンツでも事例が違えばオリジナルだ、なんて指導をするところも多いと聞いたことがありますが、おそらく同じ考え方なんでしょう。実に浅はかです。というか、士業などの法律を扱う専門家、それも係争に近い専門家には適用できませんよね。

 

ノウハウをもっともらしく発信する方々って、それを使う方のことは考えず、自分の利益のために発信しています。もっともらしいからって鵜呑みにすることなく、自分で考えることが大切でしょうね。「どんな業種にでも」なんて書いてあったら即座に黄色信号ですねww

あだ名

皆さんは、小学生や中学生の頃って、何かあだ名で呼ばれていました?最近、何やら、強制的に「さん付け」で呼ばせることがどうのとネット上をにぎわせていますが、どうも本質の議論は誰もしていないように感じます。

 

いまでこそ名字と名前を役所へ登録していますが、こんな制度のない頃って、互いに勝手に呼び合ってますよね。つまり、呼ぶ方と呼ばれる方との合意に基づくものが呼び名。一種の約束事です。

 

もちろん、子供同士が互いに呼びやすい名前で呼び合う。これも一種の約束事。これを第三者である大人が制限すること自体が、権利的にどうなのよという議論、全く出てこないのが不思議です。

 

この話聞いたときに、高野連のおじいさま方が、「高校生は高校生らしく丸坊主」と言っていたのを思い出しました。私も野球少年でしたから、カチンときてましたね。だから、長髪で甲子園に出て、インタビューで「刑務所の囚人は全員高校生らしいんですね?みな丸坊主ですし」と問いただすのが小学生の頃の夢でした(残念ながら夢かなわず・・・ww)。

 

大切なことは互いの合意。ここがポイントでしょ?

 

私のあだ名?残念ながら、ずっと、「福永」と呼び捨てでした。大人びて生意気だったのかもしれませんねww