日々つれづれ -21ページ目

日々つれづれ

はづきのアタマの中。


「女に学はいらん。早く働け」

と言われ続けてきた私。

なので、商業高校へ行って就職するものだと、まったく疑わなかった自分の進路。

でも、中3のある日、
担任の先生から、

「こんなに成績いいのに大学行かないの?」

と言われ、
(一応成績はよかった(笑))

………だ、大学?

それまで、私の人生の辞書に存在しなかったその単語が、
一気に目の前に大きな姿を現した。


それからと言うもの、
父親と大バトル。

「大学にやる金など一円もない!
行きたきゃ全部自分で金用意して行け!」
(本当にお金なかったのね。
子供のために貯金するとかしない父親だったから)

と言われたので、
希望進路を変更して普通科志望にした時も、まったく理解してもらえず、
滑り止めの私立校も一校も受けさせてもらえず、
ゆえに公立高校一本(愛知県は2校受験できるから厳密には2校受けた)で頑張って、

私以外の生徒は2月中にどこかに行き先が決まっていたのに、
私は公立高校の合格発表までどこも進路が決まっていなかったので、
先生たちにものすごい心配され(苦笑)、
まあ、頑張った甲斐あって、第一希望の高校に受かったので、とりあえず一安心。


でもそこからがさらに大変。

相変わらず親の応援も理解もないので、
学費以外のお金はまったく払ってもらえず、
模試とか、学校の夏期講習、特別な参考書代、果ては部活のお金まで、
ほぼ全て、自分でバイトして賄った。

バイトNGの学校だったけど(笑)

そんなんだから、県外の大学なんて行けるわけもなく、
私立大も絶対無理で、
選択肢は、地元国立大のみ。
しかも、落ちるわけにいかないから、
自分の実力的に、超安全圏のレベルのところを選ぶしかなかった。

絶対落ちたくないので、
受験勉強はものすごく頑張った。

奨学金もらわないと大学に通えないので、
当時の日本育英会の第一種奨学金をもらうために、
高校での内申点を常に高く保つよう頑張った。

まわりはどんどん私立大に決まっていく中、
センター試験を頑張り、
二次試験を頑張り、

中3の時と同様に、
3月になっても進路が決まらない私を、
担任の先生がものすごく応援してくれて、
無事受かった時は我が事のように喜んでくれた。


なんとか、大学生になれた。

うちの親戚で、当時大学に進んだのが私が初めてだったので、
父は鼻高々になり、
(しかも受かったのが国立大だったから)
なぜか、どこから用意したのか、
初年度納付金だけは払ってくれた。


でも、それ以降は一円も出してくれず。
交通費も教科書代も、もちろん学費も、
全部自分で賄った。
国立大かつ自宅生だったから、
学費は、育英会の奨学金で足りたのでよかった。
交通費などはバイト代で賄った。

バイトが楽しすぎて、大学サボりすぎて単位落としそうになったこともあったな(笑)


就活の時も、親にはまったく相談しなかった。
勝手にいろいろ調べて、
勝手に説明会行って、
ありがたいことに、それなりの大企業から内定もらえた。


就職して、自分でしっかり稼げる立場になって、
ようやく、親から自由になれた気がした。


お金がないからダメ、と言われ続けて、
中3よりももっと前から、自分のやりたいことは全部否定されてきた私。

でも、自分で生活出来るだけの力がなかったから、
親元にいるしかなかった。
お金がないとは言っても、とりあえず衣食住に困ってるわけではなかったから、
親元を飛び出す勇気はなかった。


でもでも、
やっと自由になれる、
自分の力で、自分の稼いだお金で、
好きなように生きていいんだ、
そう思った。

なので、働いたお金を貯めて、
入社3年目の時、
これまた勝手に物件探して、家を出た。

もともと実家が名古屋駅近くで超便利な場所だったので、
その便利さは捨てがたく、
ゆえに、物件は自ずと実家近くで決めてしまった(笑)

だから親も、家を出るのを許してくれた(笑)

でも、ものすごく自由を感じた!

門限もないし、好きな時間に好きなように過ごせるし、
友達呼べるし、彼氏も呼べるし(笑)、


勝ち取ったーーーーー!!!って思った。

頑張れば、自分のやりたいことを手に入れることができるんだ、って思った。



なんであんなに頑張れたんだろう?
とにかく、親元から自由になりたい一心だったんだろうな。


ちなみに、なんでそんなに大学に行きたかったかというと、
選択の幅をひろげたかったから。

高卒と大卒では、やはり選択肢の数が違う。
それに、18歳で将来を決めてしまうのが怖かった。
4年の猶予を得て、
いろいろな世界を見てみたかった。
結果的にそれは正解だったと思ってる。



*********


ここ一年くらい、
私はものすごく悶々としていて、
自分の人生自分で決めてないような気がして、
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、としてたのだけど、

いやいや、これも勝ち取った人生なんだって、今日気づいた。

あの会社に入ったおかげで、夫と知り合って結婚できた。
付き合ってる時に私が東京転勤を願い出て、
(遠恋になる寂しさよりも、東京行きを選んだ私(笑))
でもやっぱり寂しかったから、
上司にうまく話して、彼も東京に呼んじゃって、
おかげで、彼も東京生活を経験することができて、見識が広がって、

付き合ってるときを含めると、足掛け6年くらいの関東生活を経て、
2013年に愛知県に帰還。


そして今、
ありがたいことに、
お金の心配は将来的にもまったくない環境で、
私は好きなことを好きなようにできる自由がある。


ずっと私が望んでた環境ではないか!!!


そりゃね、育児もあるし、
長男の嫁としての務めもたくさんある。
完全なる自由ではないけど、
誰も私のやりたいことを否定する人はいないし、
とりあえず、母として嫁としての務めを果たしてれば、何も文句は言われない。


やっぱり、自分で選んで勝ち取った人生なんじゃん!!!


そりゃ、今でも、
都会に住みたいなあ、とか思うよ。

でも、トータルで考えると、
今の環境はベストに近いベターだと思う。

今はまだ子どもが小さいから不自由だけど、
もう少し大きくなったら、いくらでも自由に動けるもんね。


それに気づいたら、
あー、私、もう隠居生活でもいいかも(笑)と思った。

若い時にがむしゃらに頑張ったもん、
環境は整えたもん、
あとは、好きなことだけして楽しく生きるよ。




「生クリームみたいだねえ♪

ニ○アにも似てる。



そう言って、あむあむ食べる真似をした息子(ノ´▽`)ノ


久しぶりに、乳化剤を使ったクリームを作りました。

最近はオイルやミツロウを使った「軟膏」ばかり作ってましたが、
息子の肌を見ていて、
こりゃ水分不足だな
と感じたので、
水分と油分を補えるよう、クリームを作ることにしたのでした。


作ったのは、シアバター&ホホバオイル&精製水のクリーム。


シアバター&ホホバオイルに乳化剤を使った加えたものと、
精製水を、それぞれ湯煎して~




オイル分が溶けて、
精製水もあったまったら、
オイル分のビーカーに精製水を入れて~

カプチーノクリーマーで混ぜる!

数分混ぜ続けると、
粗熱が取れたころには、こんなにモッタリ。



もったりしたら、仕上げに手混ぜして、
なめらかになったら、

出来上がり~




注意点をいくつか。

精製水の温度は高めにすること!

シアバターの融点は人間の体温くらいです。
なので、それよりも精製水の温度が低いと、
混ぜ合わせた時にシアバターが冷えてしまい、
シアバターのブツブツができる原因となります。
なので、精製水は50~60度くらいまで湯煎して、それから混ぜたほうがよいです。
(触ってみてアチチってくらいでよいと思う。レンジ600W15秒くらいで温めても可)

<失敗例>
スプーンについてる分を見ると、
なんかブツブツしてますよね。


成功例はこちら。
明らかになめらかです。




粗熱が取れるまで混ぜ続けること!

カプチーノクリーマーで混ぜるとき、
「白くなってきて乳液状になったからオッケーかな」
と、まだ熱めなのに混ぜるのをやめてしまうと、
冷めたあと確実に分離します。

とにかく、粗熱が取れるまで混ぜ続けること。
数分~10分弱です。
そこまでしっかり混ぜると、
分離せずしっかりしたクリームになります。

混ぜるのは、カプチーノクリーマーが必須ね!
100均でも売ってるよ。
手動だとなかなか混ざらず、
温度ばかりが下がっていって、きれいに乳化してくれないです。
←過去、手動でやって失敗した経験ありあせる


<レシピ>

シアバター 6g
ホホバオイル 4g
パーム乳化ワックス 5g
精製水 30g



いやほんと、使用感はニ○アみたいです。
シンプルな材料だけど、
最近ざらついてた息子の顔がモチモチになりましたドキドキ

むふー音譜



久しぶりに石けん作りました。






オイルと苛性ソーダがどんどん反応して、
生地が変化していく様を見るのが好きですラブラブ



春なのでふんわりマーブルにしたくて、
色付けにピンククレイを使いました。

色が沈むのがイヤで、強めのトレースを出したけど、
予想より強めになってしまった(;´∀`)

でも、もったりしたおかげで、
トップがナミナミして、
やわらかい雰囲気が出たので、
かえってよかったかな音譜



【レシピ】

オリーブオイル340g
ココナッツオイル70g
パームオイル50g
ラード20g
ひまし油20g

精製水150g(30%)
苛性ソーダ68g(鹸化率95%)

<スーパーファット>
シアバター大さじ1
ホホバオイル小さじ1

<オプション>
ピンククレイ




おひさしぶりぶりぶりーーーーー!の手作りコスメ。




リップバームを作りました♪

最近てんでサボってて、
すっかり手作りコスメから遠ざかっていたのですが、
市販のリップクリームを使っていたものの、やっぱりうるおいが足りない!!!

なので、よっしゃ!と重い腰を上げて作りました・・・


・・・って、作り始めたら10分もかからずできたよ、っと(笑)
(準備時間含む)


このブリキ缶がまたかわゆすでよかったラブラブ

手作りコスメ基材のお店オレンジフラワーさんで買いました。


やはりこの時期はシアバターでしょ、ということで、
シアバターを使ったリップバーム。

そして、リップと言えば「スースー」でしょ!ということで、
ハッカ油を1滴入れました。




そしたら、これがまた、いい感じのスースー具合で!
ハッカ油、グッジョブです(*^-^)b


うるおい具合ももちろんバッチリ!
ちょっと多めに塗れば、うるおいがかなり続きます。

指に取って塗るわけですが、
指についた分は、そのまま手に伸ばしちゃってもいいしね音譜

リップバームとは言っても、材料がシンプルなので、
唇に限らずどこでも使えちゃうのが、
手作りコスメのよいところ。


それに、安心素材なので、
お子さまにチューキスマークしても安心ラブラブ



このリップバームを作る講座を、2月25日に開催することになりました。

詳細はこちらのブログを見てね!
クリックアロマリップバームを作ろう♪



私が結婚した人の実家は、
江戸時代から代々続く旧家です。

実家がある今の土地に、ずっと住んでます。

そして、昨年義父が他界し、
夫が跡を継ぎました。

なので、私は今、
義母にいろいろ教わりながら、
お家を守っていくためのことを日々学んでいます。

その一つとして、今日は、
天野家が代々檀家をつとめているお寺の法要行事に、
義母と一緒に行ってきました。

天野家は真宗大谷派のお寺の檀家をつとめているのですが、
その真宗大谷派の一番大きな法要行事である、
報恩講という行事に行ってきました。


こういう行事に出るのは初めて。
実家では、親が全部やってたので、
お寺のこととかまったくわからず。
(実家と天野家では宗派も違うし)


お寺に着いて、受付を済ませ、
食事をいただきながら、
お寺の女性の方々に「初めまして」のご挨拶をしたり、雑談したり、
義母からお寺のことを教えてもらったり。

その後、法要が始まり、
休憩を挟んで法話を聞き、
全部で3時間弱で終わりました。



お経を聞きながら、
いろんな思いが湧いてきたのですが、

ご先祖様たちが代々守り継いできたもの、
天野家という家、
土地、人付き合い、お寺、

新しいものや外側に目を向けて生きていくのもよいけれど、
ただただ、受け継いだものを粛々と守っていくのも、
とても大切で意味のあることで、
(チープな言葉になっちゃうけど)「やりがい、生きがい」なんだな、と強く感じたのです。


今の世の中、
守り継いでいく、ということが減ってきて、
自分の親すら面倒見ないとか、
家のお墓に入りたくないから友達と一緒にお墓立てて入る(「墓活」というものがあるらしいよ)とか、
私は私、自由に自分の人生生きるのよ、的な、

いや、別に、
無理やり家に縛り付けられることを推奨するわけではないし、
自分の人生は自分で決めればよいのだけど、

「先祖がいろんなものを守ってくれたから、今の自分がいる」

という意識がかなり希薄になってきてるんじゃないかなあ、
という気がしました。


結局、それは私が自分自身に向けた言葉でもあって、

「先のことをあれこれ悩み考えるのもいいけど、
まずは目の前のことを地に足つけてこなしなさい」

と仏様から言われてる気がしたのです。


天野家の嫁として、家長の妻として、
私が守り継いでいかないといけないものはものすごく大きくてたくさんあるので、
どんな仕事よりも、
まずはそれをこなすことが一番大切で最優先事項。
息子を大切に育てていくことも、その中に入っています。

正直大変だけど、その代わり、
絶対的なものに守られている安心感はあります。


そして何より、
今日のような行事に違和感や面倒くささを感じない私は、
実は、天野家の嫁として「適任」なのではないかと、
自画自賛してたり(笑)

人付き合いが嫌いではないので、
ご近所の方ともにこやかに話せるし。
(←これも田舎では大切な要素ね)



最近の世の中、
とんでもないスピードで物事が進んでて、
ネットのおかげなのか、せいなのか、
いろんな情報も錯綜していて、
何が本当なのか、何をどうすればいいのか、
疑心暗鬼にもなったり、少し絶望しそうにもなったり、
なかなか自分を保つのに疲れる世の中なのだけど、

だからこそ、
何百年も変わらず、守り継がれてきたものを、
静かに受け入れていくことに魅力を感じてしまった私なのでした。