私が結婚した人の実家は、
江戸時代から代々続く旧家です。
実家がある今の土地に、ずっと住んでます。
そして、昨年義父が他界し、
夫が跡を継ぎました。
なので、私は今、
義母にいろいろ教わりながら、
お家を守っていくためのことを日々学んでいます。
その一つとして、今日は、
天野家が代々檀家をつとめているお寺の法要行事に、
義母と一緒に行ってきました。
天野家は真宗大谷派のお寺の檀家をつとめているのですが、
その真宗大谷派の一番大きな法要行事である、
報恩講という行事に行ってきました。
こういう行事に出るのは初めて。
実家では、親が全部やってたので、
お寺のこととかまったくわからず。
(実家と天野家では宗派も違うし)
お寺に着いて、受付を済ませ、
食事をいただきながら、
お寺の女性の方々に「初めまして」のご挨拶をしたり、雑談したり、
義母からお寺のことを教えてもらったり。
その後、法要が始まり、
休憩を挟んで法話を聞き、
全部で3時間弱で終わりました。
お経を聞きながら、
いろんな思いが湧いてきたのですが、
ご先祖様たちが代々守り継いできたもの、
天野家という家、
土地、人付き合い、お寺、
新しいものや外側に目を向けて生きていくのもよいけれど、
ただただ、受け継いだものを粛々と守っていくのも、
とても大切で意味のあることで、
(チープな言葉になっちゃうけど)「やりがい、生きがい」なんだな、と強く感じたのです。
今の世の中、
守り継いでいく、ということが減ってきて、
自分の親すら面倒見ないとか、
家のお墓に入りたくないから友達と一緒にお墓立てて入る(「墓活」というものがあるらしいよ)とか、
私は私、自由に自分の人生生きるのよ、的な、
いや、別に、
無理やり家に縛り付けられることを推奨するわけではないし、
自分の人生は自分で決めればよいのだけど、
「先祖がいろんなものを守ってくれたから、今の自分がいる」
という意識がかなり希薄になってきてるんじゃないかなあ、
という気がしました。
結局、それは私が自分自身に向けた言葉でもあって、
「先のことをあれこれ悩み考えるのもいいけど、
まずは目の前のことを地に足つけてこなしなさい」
と仏様から言われてる気がしたのです。
天野家の嫁として、家長の妻として、
私が守り継いでいかないといけないものはものすごく大きくてたくさんあるので、
どんな仕事よりも、
まずはそれをこなすことが一番大切で最優先事項。
息子を大切に育てていくことも、その中に入っています。
正直大変だけど、その代わり、
絶対的なものに守られている安心感はあります。
そして何より、
今日のような行事に違和感や面倒くささを感じない私は、
実は、天野家の嫁として「適任」なのではないかと、
自画自賛してたり(笑)
人付き合いが嫌いではないので、
ご近所の方ともにこやかに話せるし。
(←これも田舎では大切な要素ね)
最近の世の中、
とんでもないスピードで物事が進んでて、
ネットのおかげなのか、せいなのか、
いろんな情報も錯綜していて、
何が本当なのか、何をどうすればいいのか、
疑心暗鬼にもなったり、少し絶望しそうにもなったり、
なかなか自分を保つのに疲れる世の中なのだけど、
だからこそ、
何百年も変わらず、守り継がれてきたものを、
静かに受け入れていくことに魅力を感じてしまった私なのでした。