未翻訳の「降伏への道」をこう読んだ【4】 | ひとときのときのひと

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広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。
だいたい毎日。



まずは英語から。

 本ブログでは、英検1級1発合格ノウハウ紹介だけでなく、未邦訳の英語の本についてもご案内をしています。

 

 なぜわざわざそんな地味なこと、読者が「得する」わけでもないことをするのか。

 

 それが、英語上級者の社会的責務と考えるからです。

 

 この国で、英語と言えば、すぐに英検1級だのTOEIC高得点だのといった目先のことに「かまけてしまいしがち」なのはおかしい、という思いからです。

 

 あるいは、英語は、コミュニケーションの道具なのに、なぜ、そこまで勉強とか自己実現と言えば聞こえがいいものの、内向きの行為に終始してしまいがちなのか、といった疑問からです。

 

 もっと平たく言えば、「英語ができるなら、もっと他にやるべきことがあるでしょう」ことになるのかもしれません。

 

 前置きが長くなりましたが,ここで取り上げているのは,Evan Thomas 著 Road to surrender「降伏への道」と言う本です。

 題名からも想像いただけるように「米国の原爆使用は日本に無条件降伏をのませるためには、不可欠であった」との趣旨で書かれています。

 

 その内容を云々する以前に、日本や日本人に関する記載や表現で珍妙な部分があまりにも目立つので、どこがどう珍妙なのかをお伝えしてきました。↓をご一読願います。

 

 まだほかにもあります。

 

 たとえば終戦時のいわゆる玉音放送でどのようなメッセージが伝えられたかを紹介した後、本著者エヴァン・トーマス氏は、こう続けています。

 

The emperor (formally showa, meaning “peace) is not only saving Japan; he is savig the world.

 

 天皇 (正式には、昭和は「平和」を意味する)は、日本を救っただけではありません。彼は世界を救ったのです。

 

 いかがでしょうか。確かに玉音放送の内容に関して「日本を救い、世界を救い云々」と解するのは間違いではありません。

 

 しかし、昭和は、固有名詞ですし、「昭和イコール平和」という解説をしてしまうのは、どうみても強引な説明でしょう。

 

 こんな、本当にいい加減な説明を本に外国人読者にとうとうと著者が語ってしまっていることに、憤りを超えて呆れるほかありません。

 

 既に、皇居内に設けられた天皇のための防空壕、御文庫(おぶんこ)について、obunkuと記載して平気だったり、下剋上や赤穂浪士などに対する曲解をしたり顔で述べているあたり(前投稿で指摘しました)に加えてこれですから、なんともはや、と言った感情しか起きません。

 

 ところが、この著者エヴァン・トーマス氏は、本著作のあとがきの一部で、こんなことを述べています。

 

「私は、東郷茂徳外相の双子の孫、和彦(注:原文では、kazuhiroでここもobunnkuのようにkazuhikoであるべきところ、誤記が放置されています)と茂彦に感謝しています。

というのも、彼らは、私に彼らの調べたことや記憶を教えてくれたからです。かずひろ自身、長年、外務官僚を務めていて、しかも、東郷外相の日記抜粋を含む未公表の資料をわざわざ自由に私に見させてくれました。

その資料はプリンストン大学の博士号を持つ、ブライアン・ウォルシュ(関西学院で国際関係論を教えており、戦後日本の研究者でもある)が私のために翻訳してくれました。ブライアンは、私の原稿を注意深く読んでくれました」

 

 さらに他の国内外の学者たちの助けを借りたとも述べていますが、それだけの事前チェックがあったのにもかかわらず、御文庫をobunkoではなく、堂々とobunkuと記載して修正もしていないのですですから。

 

 しかも、大恩人である日本人の東郷和彦氏の名前を間違えてしまっていても、平気なのは、どうみても解せません。

 

 ちなみに本書のアマゾンの読者レビュー↓にも目を通してみてください。軒並み高い評価となっています。

https://www.amazon.co.jp/Road-Surrender-Three-Countdown-World/dp/0399589252

 

 自分は、あえてこの著者の考え「原爆は日本降伏のために不可欠であった」自体に対する思いは表出を控えています。それは、それで別の論点ですので、ここでは控えています。

 

 しかし、少なくともこのように日本や日本人に対する生半可でいい加減な理解が米国インテリ層の中に流通し、浸透し常識化してしまうだろう現実に、愕然とするばかりです。

 

 また、繰り返すようですが、このような事情に対して関心薄く(ないとまでは申しません)、英語資格試験の得点や級アップに「のめり込みがちな日本人」の有様に、たまらなく情け無い思いがします。

 

 恥ずかしいとさえ言いたくなります。

 

 興味があれば、あるいは英語中級以上の方は、ぜひ↓の動画やpodcastingも見聞きされることをおすすめします。いろいろな意味で勉強になることは、請け合います。

 

 

 

 また、そんな時間が無い方であっても、少なくとも、

 

 日本・日本人は、このくらい欧米人から「安直に」把握されてしまっているのかもしれないな、

 

 自分達が思っているよりも、誤解されているかもしれないな、

 

 くらいの疑問符は、持っておく方が健全なのではないでしょうか?