未翻訳の「降伏への道」をこう読んだ【3】 | ひとときのときのひと

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まずは英語から。

 本ブログでは、英検1級1発合格ノウハウ紹介だけでなく、未邦訳の本についても、紹介をしています。それが、英語上級者の社会的責務と考えるからです。

 

  ここで取り上げているのは、Evan Thomas 著 Road to surrender「降伏への道」です。

 

 題名からも想像いただけるように「米国の原爆使用は日本に無条件降伏をのませるためには、不可欠であった」との趣旨で書かれています。

 

 が、その一方、日本や日本人に関する記載や表現で奇妙な部分があまりにも目立ちます。

 

 実際にどこがどう奇妙なのかを読者にシリーズでお見せしています。

 

 本稿では、いよいよ赤穂浪士と昭和初期のクーデター(二二六事件など)やテロ(血盟団事件)に関する著者の珍妙な分析について紹介をしたいと思います。

 

In the 1930s and’40s, Japan is caught in an agony of conflicting of obligations. Young army and navy officers are repeatedly openly insubordinate to their superiors, This may seem odd in a deeply hierarchical society, but gekokujo---the overpowering of seniors by the juniors---is widely accepted. The young emulators of The 47 Ronin can be excused or expect only mild punishment if they deemed to be sincere.

 

1930年代から1940年代にかけて、日本は義務の葛藤に苦しんでいました。陸海軍の青年将校は、上官に公然と反抗する行為を繰り返していました。階層が深く積み重なっている社会では思いがけないと思われることではありますが、若手が年長者を打ち負かす、ゲコクジョウ(下剋上)が広く受け入れられていたのです。

 

 いかがでしょうか。下剋上は若者が年取った人間を打ち負かすこと?なぜそんな使われ方をするのでしょうか?

 

 試しに手元にある「「新明解国語辞典」を引いてみると、「地位・身分が下の立場にある者が、上の人をしのいで勢力をふるうこと」とあります。全然違うではありませんか。

 

 しかも、この1930年代から1940年代にかけて起こったテロやクーデターの実態はどうだったでしょうか。

 

  一つとして成功しませんでした。青年将校やテロリストが「上の人をしのいで勢力をふるう」に至ったことは一度もありません。全て失敗しています。

 

  にもかかわらず、そんな成功もしていない下剋上とやらが「広く受け入れられた」とは、どういう意味なのでしょうか。

 

 もう少し先まで読んでみましょう。数十行先にこんな文章が書き連ねられています。

 

In the 1920s, Japan briefly flirted with democracy, but economic hard times fueled a populist movement that took hold especially in the army, whose ranks are filled with the sons of impoverished farmers.

 

1920年代、日本は一時的に民主主義を標榜したものの、経済的苦境に陥ったことでポピュリズム運動に火が付きました。すなわち、軍隊には、特に貧しい農民の子が集まることとなったのです。

 

この分析は我が国の日本史教科書等の記述内容とほとんど違わないので、その先を読んでみます。

 

Army and navy salaries are low ---but officers are made to feel that they are noble samurai, adhering to a code of bushido that makes them as fierce and rightness (if ultimately doomed) as The 47 Ronin.

 

陸軍と海軍の給料は低く---とはいえ、将校は武士道の掟(おきて)にこだわる高貴な侍の気風をまとうべきであることを強いられてきました。すなわち、武士道と言えば(最終的に破滅の道をたどるにせよ) 赤穂浪士のように、暴力を厭わず道義を押し通せとされていたのです。

 

 いかがでしょうか。違和感を感じませんか?

 

 というのは、ひとつ前の投稿で赤穂浪士に関して著者がこんな風に述べていたからです。

 

もちろん、義務感には葛藤(かっとう)がつきものですから、道徳心がマヒしたり、奇妙な脱力感に陥ってしまうことがありえます。あるいは、他人に激しく襲い掛かったり、自殺と言う形で暴発したりすることもありえます。

 

 

 つまり、この本の著者は「武士とかサムライとかその精神を受け継いでいる戦前の軍人は、自分の正義に固執ばかりしていて、あげくのはてには、テロやクーデターや自殺も厭わないような、イカレタ連中、扱いに困る連中」と決めつけているのではないでしょうか。

 

 なぜか。

 

 「日本を降伏させるためには、原爆投下が必要だった、そこに間違いはない」というこの本の著者の主張を裏付けるためには、日本政府部内で無条件降伏に抵抗した軍人を「困ったちゃん」としてあげつらうことが好都合だからではないでしょうか。

 

 同じ日本政府内でも東郷外相のように降伏を急ごうとするような「話の分かるやつ」がいたのに、反対勢力の中心であった軍人たちは「とんでもない奴」だった、と位置付けるためではないでしょうか。

 

 さらに詳しくは、こちらをお読み願います。