ひとときのときのひと

ひとときのときのひと

広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。


まずは英語から。

 中年を過ぎると健康診断で「要再検査」となるケースが少なくないでしょう。

 

 ましてや、アラフィフやアラカンとなると、やれ「膝が気になる」「腰が痛む」とか、毎日、薬を飲まざるをえない生活になってしまったりする。

 

 アラカンの本ブログ筆者が見たところ、そんな同世代の方の病気や不快感を吹き飛ばすのにうってつけ、必読の一冊としておすすめなのが、このエッセイ集。

 

 70年代から「異色の芸術家」として独走してきた横尾忠則氏の「病気のご利益」です。

 

 

 この本は、横尾忠則氏が幼いころから高齢に至るまで実際に体験した数々の病やケガ、不思議な症状を題材にして氏独特の考察を織り交ぜながら語っている随想集です。

 
 その考察をあえて要約すると、
 
病気を人生における「敵」とか「悪」と捉えるような通念を否定し、むしろ病気とは人生に何かをもたらしてくれる恩寵ではないか?
 
 という問いかけです。
 
 したがって、「病気のご利益」という本のタイトルは、この問いかけよりもやや大げさというか、少しオーバーランしています。
 
 氏自身、病気が自分の人生に恩恵をもたらしたとまでは言っていません。
 
 病気やその症状に一喜一憂する生き方よりも、病気を自分自身の生活や精神のあり方を見直すヒントにしてみる生き方の方が得るものが大きいと提唱しているわけです。
 
 といっても、その語り口は非常に飄々(ひょうひょう)としていて軽やか。時には、吹き出しそうになるくらい滑稽な描写もあり、すらすらと読めるようになっています。いや、抱腹絶倒といってもいいくらい笑わせてくれます。
 
 たとえば、横尾氏は若いころタクシーに乗車中に交通事故を被り、全治二カ月のムチ打ち症になります。その後、入院中の病院で歩行訓練をするのですが、なぜかふくらはぎがパンパンにはってしまう。退院しても治らず、ついには両足の先が黒く変色してしまい、いよいよ足を切断という瀬戸際に立たされます。
 
 ところが、当時同じ会社に勤めていた詩人の高橋睦郎(むつお)氏に紹介された鍼灸あんま師の治療で「薄皮を剝ぐようにだが」痛みが和らぎ、治ってしまう。
 
 また別のとき、10ヵ月以上も膝痛を抱えていて、歩行困難だったときも、京都は伏見稲荷大社山頂の方に有名なぜんざい茶屋があると聞くと、そのぜんざい食べたさに同行している奥さんの制止も振り切って上っていきます。
 
 もちろん、無理がたたり、その晩は宿で眠ることもできない位の痛みにさいなまれるももの、帰りにふと寄った「腰神不動神社」で手に入れたお札(ふだ)を患部にこすり続けていたら、朝には全く痛みが消えてしまっていたというストーリー。
 
 あるいは、1年以上も長引いた腰痛が「健康サンダル」を買い求めた翌晩には治ってしまっていたという話。
 
 あるいは、パリに仕事で旅したときに突然、激しい頭痛と高熱に見舞われたものの大好きな「マロンクレープ」を食べたら、たちどころに恢復し、そのまま映画を見に行ってしまったというエピソード。
 
 一体、どこまで本当なのだろうか、と思わされます。
 
 その一方で、こういった話は、人間の体がすべて、西洋医学の「検査」や「分析」、「診断」によって解決できるものではないということを示しているようにも思えてきます。
 
 別の言い方をすれば、病気やけがを前にしたとき、何かといえば、医師任せ、病院任せの対応に終始してしまう現代人の生き方に鋭い疑問を投げかけている。
 
 あるいは、病気やケガの症状が本当に治っているのに、わざわざ「治っていない自分」を保持してしまっているがために長引かせてしまっている状況にないか、こじらせてしまっていないか、よくよく見なおしてみる必要があるのではないか、そんな問いかけにも思えてきます。
 
 具体的に本文から引用してみましょう。こんな感じです。
 
 「今晩も眠れないのかな?」と思いながら寝るのも不眠症の原因である。大抵の不眠症がこのケースではないかと思う。昨晩の自分と今晩の自分は違うはずなのに、不眠症になる人は昨晩起こったことを今晩も起こると考える。随分とコンセプチュアルな考えだ。こういう人は根底から考えを変えない限り、永久に不眠症という病気を創造してしまう。(中略)
 今でも寝つきが悪かったり、夜中に目が覚めたまま、とうとう朝まで一睡もできない日はよくある。(中略)
 こんな状態の根底には、眠るのが嫌いという僕の性癖があるので、要は自分の「思想」の問題である。体の要求を無視して頭や心の言い分に従ったために起こった災いである。
 
 いかがでしょうか。
 
 さて、本ブログ筆者は、この考えをあえて英語学習、外国語学習にも当てはめてひとつの問いかけをしてみたいと思います。
 
 それは、英語アレルギーとか、英語のスピーキング苦手といったよくある症状や悩みも、似ている部分が大きいのはないかという問いかけです。
 
 本当は、英語アレルギーにかかっている日本人などは、いないのです。そういう言葉を使って、英語が嫌いな自分を正当化しているだけではないでしょうか。
 
 あるいは、英語のスピーキング苦手というのも、本当は話せているのに勝手にこじらせているだけなのではないでしょうか。
 
 あるいは、医者まかせで自分で治す気がないのではないでしょうか。つまり自分は、予習も復習もせず、ただ英会話学校などに行きさえすれなどうにかなると思っているのではないでしょうか。
 
 もちろん、なにも勉強をせずに英語を習得したり、外国人と会話することは難しいかもしれません。
 
 が、どうも日本人は、出来ない自分、やれない自分を演出してはいないでしょうか?
 

 以上、このユニークな一冊があなたの病気やケガとのかかわり方や外国語学習への姿勢に関しての参考書になれば幸いに思います。

 

 

 

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 上下巻に分かれて売られている文庫本を見て、わざわざ下巻から読もうとする人は、いない。のかもしれません。

 
 しかし、この「天路の旅人」に限っては、上巻を読まず、下巻だけ読んでも相当楽しめることを請け合います。
 
 読み方によっては、相当な数の思いを胸の中に貯えることになるだろうからです。

 

 

 この本は、先の大戦末期に、蒙古人のラマ僧になりすました20歳過ぎの日本人青年が、敵国である中国奥地やさらにはチベット、インド等への「密偵」(スパイ)を8年にわたり務め、終戦後に日本に帰国。80歳を超え天寿を全うするまで東北の街で化粧品の卸売りを営んだ男を描いたノンフィクションです。

 

 実際には、この稀有なる日本人、西川一三は自ら密偵としての活動記録を「秘境西域八年の潜行」という3巻にもわたる大著として世に送り出す機会に恵まれてはいました。

 

 そして、本書「天路の旅人」の著者、沢木耕太郎は、この原著を踏まえつつも、老境を過ぎた西川本人に何度も会いに行き、酒を酌み交わしながら、密偵活動の様子をきめ細かに聞き取ります。そして、この「天路の旅人」として、つまり一人称ではなく、三人称の読み物として完成させ発表したのです。

 

 そして、この下巻では、西川青年がチベット潜入(当時は実質的に鎖国となっていたため)成功の後、首都ラサで、日本の敗北、終戦を知ったあたりから、彼の旅路の行方が大きく変転していきます。

 

 すなわち、密偵としての使命は捨てて、今度は純粋にインドやネパール、アフガニスタン(結果的には入国できず)と未踏の地への巡礼に向かうのです。

 

 そのためのなりふり構わぬ行動が読者の好奇心を強く惹きつけます。

 

 たとえば、托鉢(物乞いといってもいいでしょう)、煙草の密売。

 

 あるいは鉄道への無賃乗車、苦力として鉄道工事への従事。

 

 あるいは、一面の雪に反射した太陽の光で目を傷付けられても、「小川の水で冷やす」といった荒療治。

 

 あるいは何にもさえぎられないなか、豪雨に打たれながら野宿を続ける日々。

 

 そんな壮絶な情景が幾度も繰り返されるのです。

 

 こういったシーンをあたかも、テーマパークの「アトラクション」に乗ったつもりでイメージし追体験するのも、一つの読み方でしょう。

 

 自分の肉体は、西川のように痛むことはないのに、その「気分」は、なんとなくわかる。一種の怖いもの見たさと言い換えてもいいかもしれません。

 

 あるいは、上巻における旅では、一度も匪賊(盗賊)に遭遇しなかったのに、下巻の旅ではいよいよ無法者の餌食になってしまう。

 

 命は取られなかったものの、「ほうほうのてい」で旅を続けなければならない。これも一種の怖いもの見たさでの読書の楽しみとなりえます。

へたなホラー小説よりも、インパクトがあるのは間違いありません。

 

 しかし、いよいよ西川の正体、日本人であることがインドの官憲により明らかにされ、日本に帰国となったあと、つまり後日談においてこそ、既に述べた大陸での旅よりも、一層孤独で一層壮絶な人間の生きざまを見せ付けられることとなります。

 

 むしろ、下巻の魅力は、西川が日本にあえて故郷の山口ではなく、岩手に移り住み化粧品問屋を営んでいるあたりにあるのかも知れません。

 

 たとえば、西川は帰国した後、上で述べた自著「秘境西域八年の潜行」がメディアで取り上げられたことにより、ほんのひととき「時の人」となりますが、かえってその成功から、勤め先を解雇されます。

 

 その後、独立する形で化粧品の卸売りを「1年364日働く」形で続けますが、その間にまったく名誉欲とか、事業での成功を追求することはありませんでした。

 

 チベットやネパール、インド、そして中国大陸の西域をさまざまな道連れとともに西川が歩いていたときと全く対照的な帰国後の壮絶なまでの孤独な旅路をもってストーリーが終わるところ。そこをぜひ読み飛ばさずに味わっていただきたいのです。その意味で、冒頭申し上げたように上巻を読まずとも下巻だけでも読む価値が十分あると申し上げたのです。

 

 さて、それでは、あくまでも外国語学習に関してこの本がどのように本ブログ筆者にとって役立ったかを最後に付け加えたいと思います。

 

 というのは、もしこの本を読む機会があれば、「密偵」西川が何カ国語を仕えたかを勘定していただきたいのです。

 

 まず、中国語。そして蒙古語。これは、戦前、満州に会った興亜義塾という戦前の教育機関で学んでいました。

 

 その後、彼は、チベットに入り生活しますので、チベット語ができました。この下巻では、英語からチベット語を調べるための辞書を手に入れるそれだけのために、東奔西走するさまが描かれています。これで3カ国語になります。

 

 インドを旅しているので、份ディ語、英語もできていました。

 

 実は下巻P246 には、こう説明がありました。西川がインドでの旅の途中で警察にスパイ容疑で捕まってしまうシーンです。引用してみましょう。

 

 容貌のせいもあるが、何年も前から伸ばしている口髭(くちひげ)がわざわいして回教徒と間違われたのだ。ウールグ(注:荷物入れ)の中に会った各国語による本や辞書も、スパイ容疑の証拠とされてしまったのだ。チベット語、蒙古語、ウルドゥー語、ヒンディ語、中国語、英語。こんなに多くの言葉を操れるのはスパイしかいないということになった。

 

 つまり6カ国語となります。もちろん、それは旅の途中でも決して読書や研鑽を怠らなかった彼の姿勢によるものであることを著者の沢木耕太郎は、このようにさりげなくではありますが、随所に散らして記しています。

 

 しかし、そういった語学の才を西川は後半生でたとえば外国語学校の先生になるといった形で活かしませんでした。同じような「密偵」に従事し、帰国してから大学の教師になったような人物もいたのですが、西川はそういう生き方を取りませんでした。

 

 このあたりが、上に述べた西川の壮絶なまでの「孤独な旅路」の一端でもありますが、いかがでしょうか。

 

 あるいは、このように本ブログ筆者からの問いを言い換えてもいいかもしれません。

 

 TOEICも英検もない、それらの点数による昇進や転職もあり得ない世界でかくも外国語習熟に熱を上げることができる、できてしまう生き方、

  そして実生活に必要がないとなったら、潔くその技量をいつでも手放せる、人に見せつけない、生き方。

 そんな生き方をあなたはできますか?と。

 ちなみに本ブログ筆者は「できる」と即答できるだけの心持はもっているつもりです。それは、これから徐々に明らかにしていきます。
 

 以上、外国語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの参考になれば幸いに思います。

 

 

 

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 ひたすらグルメする旅。

 あるいは、「日常からの逃避」を目的とするような旅。

 あるいは、ただただのんびりと過ごす、つまり「何もしない」をするという類の旅。

 そんな旅をしながらも、「これが本当に自分の求めているものなのかしらん?」と内心のささやきを聞き取ってしまう。

 そんな経験が一度でもある方は、この本を読んで決して損はしません。

 

 

 この本は、先の大戦末期に、蒙古人のラマ僧になりすました20歳過ぎの日本人青年が、敵国である中国奥地やさらにはチベット、インド等への「密偵」(スパイ)を8年にわたり務め、終戦後に日本に帰国。80歳を超え天寿を全うするまで東北の街で化粧品の卸売りを営んだ男を描いたノンフィクションです。

 

 実際には、この稀有なる日本人、西川一三は自ら密偵としての活動記録を本にする機会に恵まれてはいました。

 

 が、本書の著者、沢木耕太郎は、その「古い」テキストを踏まえつつ、老境を過ぎた西川本人に何度も会いに行き、酒を酌み交わしながら、密偵活動の様子をきめ細かに聞き取ります。そして、この「天路の旅人」として、つまり一人称ではなく、三人称の読み物として完成させ発表したのです。

 

 当然、この本の中には「公共交通機関」などというものは登場しません。特にこの上巻では、西川がほぼ100%徒歩で膨大な距離を移動しています。しかも、最初の旅からして吹雪の夜の出発というありさまです。

 

 限りなく拡がる砂漠や山道をひたすら歩かなければならない厳しさに加え、匪賊(盗賊と言い換えていいでしょう)を避けるために夜間に移動しなければならない。そのさいも、道中、街路灯が照らされているわけではないし、懐中電灯などの助けもない。そんな過酷な旅がこれでもかこれでもかというほど描かれています。

 

 しかし、その奇妙な移動の様子も、読み手の好奇心を強く刺激してくれますが、もう少し違う角度から、なぜ本ブログ筆者がこの本に圧倒されたかにつき、以下記してみたいと思います。

 

 1.現地語を現地で現地人とやりとりしてこそ、旅が「本当の旅」となることをはっきりと示しているから。

 

 この本の「主人公」がベースとしているのは、英語でもフランス語でも中国語でもなく、蒙古語です。その訓練を座学として受けた後、現地に放り出され1年間、蒙古人として生活させられ、風俗風習を含めての語学学習をするさまが描かれています。

 

 そうでもしないと、語学が語学として生きた知恵にならないところが、さりげなくではありますが、明確に示されています。

 

 実際、この「密偵」は、他の命令系統から「密偵」を命じられ中国奥地を探索していた同年代の日本人と、チベットのラサという都市で偶然にも遭遇するのですが、そのときは、日本語がお互いうまく出てこないため、蒙古語でやりとりしたというエピソードが紹介されています。

 

 

2.外国人に一目置かれる存在になるには、語学力よりも、日本人ならではの特徴、特性を活用したほうがいいというセオリーを示唆しているから。

 

 この上巻の圧巻たる部分は、最後の数十ページにあります。むしろ、この部分を満喫するためかのようにその前の300ページ余りが用意されているようにも思えます。

 

 ネタバレになってしまわない程度に紹介してみると、こんな感じです。

 

 ラマ僧になりすましている日本人青年、西川は、蒙古人の隊商の一員としてチベットの首都ラサに向かいますか、同行の蒙古人たちから、旅の途中でとんでもない依頼を受けます。

 

 それは、蒙古人たちを置き去りにして大河の向こう岸に駆け抜けてしまった乗り物用や荷物ん載せているヤク(水牛の一種)数十頭を今一度、こちらの岸に戻してほしいいという依頼です。

 

 なぜ、そんな依頼を受けたかと言えば、蒙古人は基本的に泳げないからなのです。そもそも蒙古という地域には泳ぎというものが必要とされていないからです。

 

 「密偵」西川は蒙古人になりすましてはいるものの、ふとしたことから「自分は泳げる」とかつて公言していました。そこで、この難題解決の依頼を引き受けざるを得なくなってしまったわけです。

 

 実際にどのような結末となるかは、ぜひ味読していただきたい。

 

 そして、おそらく外国で人をうならせるちからは、発音がいいとか文法が間違っていないということに気づかされるでしょう。

 

 それも重要ではあるものの、むしろ、こういった、水泳ができるとか、頼まれたらいやと言えない、信頼には誠実に応えるといった、日本人としての特性こそが外国人を動かすのではないか。そう感じさせられるのではないでしょうか。

 

 以上、旅において、外国人とどうわたりあうべきか、外国語をどのように学び、そして使えるチカラにしていくべきかといった切り口から、この本の味わい方を紹介してみました。

 

 外国語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの参考になれば幸いに思います。

 

 

 

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 もし、あなたが脂質の多い食品、たとえばバターやから揚げなどを前にしたとき、「太るから」とつぶやき避けようとするとしたら、ちょっと待っていただきたい。

 

 そんな健康法の「定説」あるいは「常識」、「固定観念」を吹き飛ばしてくれるのが、今回紹介する、この本です。

 

 少々長いタイトルですが、

「北里大学北里研究所病院糖尿病センター長が教える 運動しなくても血糖値がみるみる下がる食べ方大全」となっています。

 

 

 

 

 血糖値といえば、血圧やコレステロールと並んで健康診断でも大きなポイントとなる数値です。これが高い状態が続いている人は、いわゆる糖尿病になっている可能性が非常に高いとされます。

 

 また、最近では、仮に血糖値が正常範囲内にあるような人でも、食後高血糖という現象に見舞われケースが少なくなく、そういった場合は血管を知らず知らずのうちに傷付けててしまっている可能性が指摘されメディアでもネットでもひんぱんに紹介されています。。

 

 さて、そのような糖尿病患者、あるいは血糖値が知らずのうちに高めになってしまう人のために、いままでの常識をくつがえすような切り口で書かれたこの本、最初の部分を少し引用してみましょう。

  

 例えば、いつもの「から揚げ定食」を、ご飯を減らし、から揚げを増やして小鉢をつける。これで血糖値は下がります。

 主食を減らして、おかずを増やす。

 麺の量を減らして、具材を増やす。

 そんな食べ方を6ヵ月続けていると、

 空腹時血糖値もヘモグロビンA1cもみるみる下がり、体重も減少します。

 

 いかがでしょうか。

 

 から揚げを増やしてしまったら、カロリーが増えて太ってしまうではないか?

そう反応した方は、ぜひこの本を手に取って読んでいただきたいと思います。

 

 「脂質をたくさん摂ると、体脂肪が燃やしやすい体質になる」とはっきり書いてあるのです。

 

 バターについても、「油を控えても動脈硬化症の発症は下がらない!」との見出しが付いたグラフや、「日本人は動物性の脂の摂取量で心筋梗塞の発症率は変わらない」との見出しのグラフできちんと裏付けられています。

 

 さて、なぜこの本に本ブログ筆者が「圧倒された」のか。その理由を具体的にご説明したいと思います。

 

1.従来のカロリー制限食の非現実性を指摘し、明解な対案を示しているから。

 

 従来の糖尿病患者あるいは血糖値が高めの人に対する食事療法は、カロリーの点から食事内容を見直すものでした。

 しかし、少し考えみればわかると思いますが、普通の生活をしている人に食べ物を買ったり、料理を作ったりするときにいちいち献立のすべてについてカロリー計算などできるでしょうか?まず無理です。

 その点、この著者の提案している「糖質制限食」はいわゆるご飯やパンといった糖質をメインとする食品は制限するやり方は、非常に現実的です。外食する回数が多い人にも応用が非常に利きやすい点でも、一馬身も二馬身も先をいっています。

 

 

2.「がまんしないから続けられる」点が誰にでも実行に移しやすいから。

 血糖値を下げるためには、まずは何よりもカロリー制限とされていたことは既に上で述べましたが、仮にそれが一般の方でもできる条件が整っていたとしても、食べさせらる方は、「おなかいっぱいに食べられない」ことを強いられていました。

 その点でも非常に実用的ではなかったのです。


 著者は、この点につき、はっきりと「カロリー制限食は間違っていたのです」と述べています。代わりに「おいしく、楽しく、おなかいっぱい食べられる」食べ方を対案として提示しているのです。

 両者のうちどちらが、食べる方として選びたくなるかは、明白でしょう。

 

 本ブログ筆者も現在この食べ方を実行し、その利点を実感していますが、そのことについては別の機会、別の場所で書こうと思っています。

 

 そして、やや飛躍気味と思われるかもしれませんが、この本の言わんとするところから。英語学習にからめてひとつ付言したいと思います。

 

 たとえば「英会話といえば、即道案内」といった「常識」がスマホで旅行する時代にはもう古すぎるといったことや、「英作文といえば、添削教室」といった「定説」がChatGPTや自動翻訳ソフトの力を借りれば、相当できるといったことについて、もっと敏感になってはいいのではないか、という問いかけです。

 

 人はしらずしらずのうちに常識を疑うことを忘れてしまいます。その方がリスクが高いのに、「常識だから安心だ」と決めつけてしまっている傾向があるのです。

 

 そのあたりを、貪欲に見直していくことの重要性をこの本は教えてくれています。

 

 以上、最新の食事療法の本を紹介しつつ、英語学習のやり方の見直しを提案してみました。

 

 英語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの参考になれば幸いに思います。

 

 

 

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 もし、あなたが、今、恋の絶頂にいるものの、先行きの不安を感じているなら、ぜひおすすめしたい。

 もし、あなたが過去の恋を思い出してあの頃に戻りたいと懐かしんでいるなら、ほんの少しでも、この本の一節を読んでいただきたい。

 と、本ブログ筆者が最近読んでいる本の中で「いちおし」なのが、「ロベルト⇔クラーラシューマン 愛の手紙」です。

 

 シューマンといえば、もしかしてクラシックの作曲家。そういう音楽は、聴かないので関係ない、などど思わず、まずは、この動画を見て、いや聞いてみてください。

 

 

 この曲はもともと歌曲で、シューマンが未来の妻となるクラーラという少女、当時天才女流ピアニストとしてヨーロッパに名声を轟かせていた女性とあたかもロミオとジュリエットのように激しく密かに交際をしていた時代に書いた「献呈」という曲(そして、厳密には、それをあのリストがピアノ独奏用に編曲したもの)です。

 

 なんとも甘美でまさに恋の絶頂を象徴するような躍動感と輝かしい喜びに満ちた曲と言えます。

 

 この本の前半部では、クララの父に交際を反対された二人が密かに手紙のやりとりを通じて気持ちを確かめ合うところが、これでもかというほどに出てきます。

 

 少し、引用してみましょう。

 

 56.クラーラ

            (一八三八年一月一八日 ヴィ―ン)

 わたしの愛する、大好きなローベルト!

 全身全霊でそうお呼びいたします。そしてもっとちがった呼び方がいつになったらできるのかと思ってやみません!―今度のあなたのお便りのすてきだったこと、言葉で書かれたというよりは、易しい花々をわたしにふりそそいでくださった感じでした。この上なく美しい月経樹の花びらが、あなたからはてしなく送られてくるようでした。

 

 いかがでしょうか。

 

 ここから先は、まだ文章は延々と続きます。たとえば、交際に反対している父親をかばってみたり、早く会いたい、この恋を成就させ結婚したい、「結婚しなければならない」とまで何行にもわたり書き綴ります。いやはや、その熱量というかしつこいまでの表現に、本ブログ筆者はたじたじとさせられます。

 

 二人は、裁判にまで訴えて結局、法的にも有効な「結婚」を勝ち取り、夫婦となります。8人の子供(幼くして亡くなった子供をふくめて)に恵まれます。


 しかし、めでたしめでたしとはならなかったのです。


 結婚後、実質的に生計の中心を担ったのは、妻、クラーラだったようで、欧州各地に演奏旅行。その様子もこの本の往復書簡に登場します。

 

 しかし、この結婚生活は16年しか続きません。ロベルトは、1854年つまり、43歳の2月、ライン川に身を投じてしまい、救助はされるものの、その約2年後に精神病院で亡くなることとなります。一方、クラーラの方はその後も音楽家として活動し、77歳で亡くなります。

 

 さて、なぜこの本に本ブログ筆者が「圧倒された」のか。その理由をいくつかご説明したいと思います。

 

1.この本は、確かに二人の往復書簡を編集した形にはなっているが、ロベルト晩年に関しては、クラーラの手紙は一切掲載されていないから。

 

 あれほどまでに手紙を通じて熱く愛を語っていた二人ですが、ロベルトの亡くなる数年前から死の直前に関しては、ロベルトの手紙しか、掲載されていないのです。

 

 そして、その手紙の中で、ロベルトは、しきりにクラーラに対して、こんな手紙を君からもらったといった記述はしているおのの、そのクラーラの手紙は、ひとつもありません。

 

 あたかも、シューマンが壁に向かって独り言をつぶやいているような印象を持たされるのです。しかも、それが一回や二回ではないのです。

 

 クラーラの手紙になんらかの問題があるとみて、すなわち、とても公開できないような深刻な記載、たとえばロベルトの精神状態や治療に関する記載があり、あえて掲載しなかった可能性もあります。あるいは、クラーラが愛想をつかして、返信をもともとしていなかった可能性も考えられます。

 

 いずれにせよ、前半のやりとりとのあまりの違いに本ブログ筆者は唖然とせざるを得ません。

 

 

2.恋という液体は、液体のようなままにしておくのが望ましいと感じさせられるから。

 

 しばしば、永遠の愛などという言葉を人は安易に使いがちですが、人の気持ちは液体のようなもので、彫刻のように固形にはできません。

 

 しかし、文字というのは、一種彫刻のようなもので。形として残ります。しかし、恋する気持ちは、揺れ動く。にもかかわらず、文字で固定しようとする。それは、どうやっても無理なのです。

 

 つまり、この二人はもともとやってはいけないことをやってしたった。あるいは、やってはいけないことを、やり過ぎてしまったのです。

 

 しかも、女性は当代随一のピアニスト。知名度も高い。この手紙は後世にのこされると、どこか意識して書いていた可能性があります。その意味でも、二人は無理をしていたと言えるでしょう。

 

 もっとわかりやすく言えば、セレブと言われる人たちはあたかも夫婦円満や、良妻賢母を演じたものの、あっさり別れてしまう。あれと同じような構図、いいかえれば、彼らが人生の演劇のように生きようとしたがゆえの残酷な結果を読み取らざるを得ないのです。

 

 さらにこの考え方をもう少し広げて言わせていただければ、本ブログ筆者は、しばしば英語教育でいわれるところの、「英語を好きになろう」といったやり方には、疑問を感じています。

 

 無理が少なくないと申し上げています。が、その通じるところは上に述べたことと同じです。

 

 つまり、「好き」などという気持ちは、そんなに人間が簡単に扱えるものではないのです。また、そんなに文字にしたり言葉にしては、いけないのです。

 

 以上、愛についてあなたが考えるひとつのきっかけになればお思い、やや手に入りにくい本をもとに問いかけをさせていただきました。英語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの参考になれば幸いに思います。

 

 

 

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