上下巻に分かれて売られている文庫本を見て、わざわざ下巻から読もうとする人は、いない。のかもしれません。
しかし、この「天路の旅人」に限っては、上巻を読まず、下巻だけ読んでも相当楽しめることを請け合います。
読み方によっては、相当な数の思いを胸の中に貯えることになるだろうからです。
この本は、先の大戦末期に、蒙古人のラマ僧になりすました20歳過ぎの日本人青年が、敵国である中国奥地やさらにはチベット、インド等への「密偵」(スパイ)を8年にわたり務め、終戦後に日本に帰国。80歳を超え天寿を全うするまで東北の街で化粧品の卸売りを営んだ男を描いたノンフィクションです。
実際には、この稀有なる日本人、西川一三は自ら密偵としての活動記録を「秘境西域八年の潜行」という3巻にもわたる大著として世に送り出す機会に恵まれてはいました。
そして、本書「天路の旅人」の著者、沢木耕太郎は、この原著を踏まえつつも、老境を過ぎた西川本人に何度も会いに行き、酒を酌み交わしながら、密偵活動の様子をきめ細かに聞き取ります。そして、この「天路の旅人」として、つまり一人称ではなく、三人称の読み物として完成させ発表したのです。
そして、この下巻では、西川青年がチベット潜入(当時は実質的に鎖国となっていたため)成功の後、首都ラサで、日本の敗北、終戦を知ったあたりから、彼の旅路の行方が大きく変転していきます。
すなわち、密偵としての使命は捨てて、今度は純粋にインドやネパール、アフガニスタン(結果的には入国できず)と未踏の地への巡礼に向かうのです。
そのためのなりふり構わぬ行動が読者の好奇心を強く惹きつけます。
たとえば、托鉢(物乞いといってもいいでしょう)、煙草の密売。
あるいは鉄道への無賃乗車、苦力として鉄道工事への従事。
あるいは、一面の雪に反射した太陽の光で目を傷付けられても、「小川の水で冷やす」といった荒療治。
あるいは何にもさえぎられないなか、豪雨に打たれながら野宿を続ける日々。
そんな壮絶な情景が幾度も繰り返されるのです。
こういったシーンをあたかも、テーマパークの「アトラクション」に乗ったつもりでイメージし追体験するのも、一つの読み方でしょう。
自分の肉体は、西川のように痛むことはないのに、その「気分」は、なんとなくわかる。一種の怖いもの見たさと言い換えてもいいかもしれません。
あるいは、上巻における旅では、一度も匪賊(盗賊)に遭遇しなかったのに、下巻の旅ではいよいよ無法者の餌食になってしまう。
命は取られなかったものの、「ほうほうのてい」で旅を続けなければならない。これも一種の怖いもの見たさでの読書の楽しみとなりえます。
へたなホラー小説よりも、インパクトがあるのは間違いありません。
しかし、いよいよ西川の正体、日本人であることがインドの官憲により明らかにされ、日本に帰国となったあと、つまり後日談においてこそ、既に述べた大陸での旅よりも、一層孤独で一層壮絶な人間の生きざまを見せ付けられることとなります。
むしろ、下巻の魅力は、西川が日本にあえて故郷の山口ではなく、岩手に移り住み化粧品問屋を営んでいるあたりにあるのかも知れません。
たとえば、西川は帰国した後、上で述べた自著「秘境西域八年の潜行」がメディアで取り上げられたことにより、ほんのひととき「時の人」となりますが、かえってその成功から、勤め先を解雇されます。
その後、独立する形で化粧品の卸売りを「1年364日働く」形で続けますが、その間にまったく名誉欲とか、事業での成功を追求することはありませんでした。
チベットやネパール、インド、そして中国大陸の西域をさまざまな道連れとともに西川が歩いていたときと全く対照的な帰国後の壮絶なまでの孤独な旅路をもってストーリーが終わるところ。そこをぜひ読み飛ばさずに味わっていただきたいのです。その意味で、冒頭申し上げたように上巻を読まずとも下巻だけでも読む価値が十分あると申し上げたのです。
さて、それでは、あくまでも外国語学習に関してこの本がどのように本ブログ筆者にとって役立ったかを最後に付け加えたいと思います。
というのは、もしこの本を読む機会があれば、「密偵」西川が何カ国語を仕えたかを勘定していただきたいのです。
まず、中国語。そして蒙古語。これは、戦前、満州に会った興亜義塾という戦前の教育機関で学んでいました。
その後、彼は、チベットに入り生活しますので、チベット語ができました。この下巻では、英語からチベット語を調べるための辞書を手に入れるそれだけのために、東奔西走するさまが描かれています。これで3カ国語になります。
インドを旅しているので、份ディ語、英語もできていました。
実は下巻P246 には、こう説明がありました。西川がインドでの旅の途中で警察にスパイ容疑で捕まってしまうシーンです。引用してみましょう。
容貌のせいもあるが、何年も前から伸ばしている口髭(くちひげ)がわざわいして回教徒と間違われたのだ。ウールグ(注:荷物入れ)の中に会った各国語による本や辞書も、スパイ容疑の証拠とされてしまったのだ。チベット語、蒙古語、ウルドゥー語、ヒンディ語、中国語、英語。こんなに多くの言葉を操れるのはスパイしかいないということになった。
つまり6カ国語となります。もちろん、それは旅の途中でも決して読書や研鑽を怠らなかった彼の姿勢によるものであることを著者の沢木耕太郎は、このようにさりげなくではありますが、随所に散らして記しています。
しかし、そういった語学の才を西川は後半生でたとえば外国語学校の先生になるといった形で活かしませんでした。同じような「密偵」に従事し、帰国してから大学の教師になったような人物もいたのですが、西川はそういう生き方を取りませんでした。
このあたりが、上に述べた西川の壮絶なまでの「孤独な旅路」の一端でもありますが、いかがでしょうか。
あるいは、このように本ブログ筆者からの問いを言い換えてもいいかもしれません。
TOEICも英検もない、それらの点数による昇進や転職もあり得ない世界でかくも外国語習熟に熱を上げることができる、できてしまう生き方、
そして実生活に必要がないとなったら、潔くその技量をいつでも手放せる、人に見せつけない、生き方。
そんな生き方をあなたはできますか?と。
ちなみに本ブログ筆者は「できる」と即答できるだけの心持はもっているつもりです。それは、これから徐々に明らかにしていきます。
以上、外国語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの参考になれば幸いに思います。

