ARROWS A18

ミニチャンプス製 1/43
ARROWS A18
6th PLACE BRITISH GP
JULY 13th 1997
DAMON HILL
デーモン・ヒルがアロウズ移籍後初ポイントを取ったイギリスGP仕様。
チャンピオンを取ったデーモン・ヒルが、速いとはいえない
中堅チームのアロウズに移籍することは誰にとっても驚きでした。
この年のアロウズは、エンジンがヤマハ、タイヤはこの年デビューのブリヂストン。
しかし、開幕戦は予選落ち間近のタイム。
序盤は苦戦を強いられることに。
そして、イギリスGPで初ポイント。
その後、マシンの競争力も上がり、ハンガリーでは終盤まで1位を走行、
ところがマシントラブルが発生、2位でチェッカー。
もし、優勝していたら、アロウズ、ブリヂストン、ヤマハも初優勝。実に惜しい。
BRABHAM JUDO BT60
BRABHAM JUDO BT60
1992
D. HILL
96年のチャンピオンであるデイモン・ヒルのデビューマシンであり、ブラバム最後のマシンです。
ヒルのデビューした年齢は、なんと31歳。今じゃ考えられないぐらいの遅いデビューです。
女性ドライバーであったジョバンナ・アマティの替わりにシートへ。
日本企業も複数スポンサーになっており、ヒルの名前「DAMON」と悪魔「DEMON」綴りと読みが
似ているということで、デーモン小暮の聖飢魔IIがスポンサーについたことはあまりにも?有名。
しかし、マシン自体に競争力も無く、予選落ちが多く、イギリスとハンガリーだけ決勝に進めました。
結果はイギリス16位、ハンガリー11位、このころからハンガリーは得意だったのかな。
そして、ヒルは次の年にはプロストのチームメイトとしてウィリアムズの正ドライバーへ。
一方、ブラバムはこの年をもって解散。
今年のIndy Japan
震災の影響なのでしょうがないですね。
でも、今年が最後の年だったので残念ですねえ。残念が2倍です。
私はCART、Indy含め、3,4回もてぎのオーバルで観戦したことがあります。
オーバルだと、上のほうの観戦席からコース全体が見渡せ、
一台のマシンを目視で追いかけることもでき、楽しいです。
ロードコースでは、これはできません。
オーバルでの観戦、お勧めだったんですけどね。
再び日本でIndy復活して欲しいです。
今年は見に行こうかなあ。
F1横浜元町
昨日、行って来ましたよ。横浜の元町商店街
8時40分に元町・中華街駅についたのですが、
駅内に係りの人がいて、「F1見れません」との説明。
そして、商店街に行ったら、人人人・・・。
この後、ブオーンっとエンジン音が鳴り響き、終わりました。
肩車している親子が多く、F1の走行が終わった後に、
肩車しているお子さんに、「見えた?」と声をかけるお父さん(お母さんだったかな?)
子供は、「さっきから見えない言って言ってるでしょ!!」とキレてました。
そしたら、マシンがトラックに乗せられて運ばれていきました。
ちょっとラッキー。
Williams 1999 showcar
ミニチャンプス製 1/43
WILLIAMS
1st EDITION
PROMOTIONAL SHOWCAR 1999
A. ZANARDI
昨日のブログで撮ったマシンです。
えー正確には、このミニカーはFW21ではありません。
ショウカー、昔はラウンチといっていたミニカーであって、
前年のマシンに次の年のカラーリングを施して発売されているミニカーです。
と言うわけで、このミニカーはFW20にFW21のカラーリングがされています。
だから、商品名にFW21とは記載されず、1999と記載されています。
ミニチャンプスは、本線仕様が大体そのシーズンが終わってから発売されていて、
シーズン中の前半にこのショウカーを発売するという商売をしています。
ですから、ショウカーはカラーリングも本線仕様とは若干異なっていたりします。
これからミニチャンプスのミニカーを買おうと思う人はご注意を。
私はあまりショウカーを買いません。
で、なぜショウカーを買ったかと言うと、私が探したところ、
FW21は1/43も1/18もバージボードを装着したミニカーが発売されていなかったんですね。
そしたら、ショウカーはバージボードが装着されていたので購入しました。
パーツとして持っているバージボードとミニカーのバージボードの形状が違うのは、まあ、しょうがないでしょう。
ザナルディは初めF1で活躍できずに、アメリカに渡りCARTで2回チャンピオンを獲得。
その後、鳴り物入りでウィリアムズからF1復帰。
しかし、ウィリアムズ低迷期であったものの、全く活躍できず、たった1年でF1から去りました。
あまりの低迷振りに確か、ブレーキをカーボンから
CARTで使っていた鉄製のブレーキに変えたときもあったんでしたっけ。
チームからはラルフの1台体制で走っているようなものだとか、言われたりもしてました。
1年の休養を経て、再びCARTに復帰、そのシーズンのドイツであの事故。
F1に復帰しないほうが良かったのかもしれません。
















