死刑よりも重い罪とは | 石元太一のブログ

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無意識に出る宗教的な行動

 

という記事で「プレイボーイ」に掲載されて

 

いる宇垣美里さんの連載について書いたが、

 

同じ号に掲載されていた橘玲さんの連載も

 

俺的にはすごく興味深い内容だった。

 

なぜなら、日本の死刑制度について

 

書かれてあったからだ。

 

その箇所を抜粋させてもらう。


「広く知られているように世界の大半は

 

死刑を廃止し、OECD38カ国のなかで

 

死刑制度存置国はアメリカ、日本、韓国のみ

 

となりました。

 

死刑執行が圧倒的に多いのは中国、イラン、

 

サウジアラビアの3カ国で、それ以外の国は

 

徐々に執行数が減っており、この流れは

 

今後も変わらないでしょう。

 

日本で死刑制度の議論がこじれるのは、

 

リベラルが「いのちは大切だ」と唱えて

 

廃止運動を行なってきたからです。

 

そうなると当然、「理不尽にいのちを

 

奪われた被害者はどうなるのか」

 

という話になり、収拾がつかなくなって

 

しまいます。

 

ここで指摘したいのは、死刑廃止を

 

推進するのはアムネスティのような

 

人権団体だとしても、死刑を廃止した国がみな

 

「リベラル」というわけではないことです。

 

移民問題で混迷する欧州では近年、排外主義の

 

右翼政党が勢力を伸ばしていますが、

 

だからといって「死刑制度を復活させろ」とは

 

誰も主張しません。

 

ここからわかるのは、制度の廃止までは

 

はげしい対立があったとしても、

 

いったん廃止すると、保守派も含めて

 

誰も元に戻そうとは思わないことです。

 

檻に閉じ込められた動物は、

 

じゅうぶんな食事を与えられていても

 

弱って死んでしまいます。

 

だとしたら、死刑よりも生涯にわたって

 

収監するほうが重い罰かもしれません。

 

日本では死刑が「極刑」とされているため、

 

死刑に反対すると「加害者を許すのか」と

 

反発されます。ところが2008年、

 

仮釈放のない終身刑を導入するとともに、

 

死刑の執行を一定期間停止するという

 

議論を超党派の国会議員が始めたとき、

 

死刑存置派の元法務大臣は「人を一生牢獄に

 

つなぐ刑は最も残酷ではないか」として

 

反対しました。ここでは、死は苦しみから

 

逃れるための「恩寵」とされています。

 

死刑が犯罪の抑止になるという主張は、

 

死刑廃止国で殺人などの重罪が増えていない

 

ことから、いまでは否定されています。

 

そればかりか日本では、

 

「自殺する勇気がない」という理由で

 

死刑を目的とする凶行が相次いでます。

 

被害者の処罰感情が理由にあげられますが、

 

死刑に処してしまえば「なぜあんなことを

 

したのか」と問うこともできません。

 

平成から令和の変わり目でオウム真理教事件の

 

死刑囚7名の刑が執行されたように、

 

日本では死刑は「けじめ」であり、

 

被害者遺族に対して

 

「加害者は死んだんだから、不愉快なことを

 

これ以上蒸し返すな」という社会的圧力に

 

利用されています。

 

京アニ事件の被告は、

 

裁判での供述をみるかぎり、

 

自分がなにをしたか理解できているようです。

 

だとしたら死刑によって罪から

 

「解放」するのではなく、生涯にわたって

 

自らの罪と向き合わせるという“懲罰”も

 

あり得るでしょう。

 

これまでの死刑廃止運動は、冤罪事件や、

 

そうでなければ死刑囚が自らの過去を悔い、

 

文学作品を発表するような特殊な例を好んで

 

取り上げていました。しかしこれでは、

 

死刑に対する社会の価値観を変えることは

 

できないでしょう。

 

京アニ事件のような

 

「誰一人擁護できない犯罪」でこそ、

 

死刑について真剣に議論すべきなのです。」


確かに「死刑制度を復活させろ」という声は

 

俺も一度も聞いたことがない。

 

それは死刑制度を廃止しても、

 

極端な治安の悪化などを感じることがないから

 

なのだろう。
 

それにしても死刑存置派の元法務大臣が、

 

「人を一生牢獄につなぐ刑は最も残虐では

 

ないか」と発言したというのはおもしろい…。

 

でも本当に人によってはその通りだろう。

 

多くの人が知らないことだが、

 

死刑囚は受刑者と違って刑務作業も矯正教育を

 

受けることもない。

 

拘置所で裁判を待つ被告人と同じように、

 

国から貸与されたものではなく自分の服を

 

着て、死刑執行までの日々を過ごす。

 

また、食事に関しても、購入したものや

 

差し入れられたものを自由に食べることが

 

出来る。

 

死刑囚も受刑者も“自由を奪われる”という罰は

 

受けるが、死刑囚には“刑務作業”という罰は

 

科せられていないからだ。

 

その代わり死刑囚に科せられるのは

 

“死”という罰だ。

 

死刑囚の中には刑が執行される前に

 

病気や寿命などで亡くなる人が多々いる。

 

そのような現状を見ると、

 

やはり俺は死刑を廃止し、

 

代わりに終身刑を導入した方がよいのかなと

 

思ってしまう。

 

そして刑務作業に従事させ、

 

それで得た報奨金の一部を強制的に被害者への

 

弁済、または新全国犯罪被害者の会などに

 

寄付させるのがよいのではないかと考える。

 

それに、もし日本が死刑を廃止すれば、

 

“犯人引き渡し条約”を結んでくれる国も

 

増えると思われる。

 

グローバル化し、国境をまたいだ犯罪も

 

横行している今、

 

そのメリットはとても大きい気がする。