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千手成庵の雑記雑感

日々、のんびりと・・・・

千手成庵の雑記雑感


「私の書斎 Ⅰ~Ⅳ」

Ⅰ 昭和53年8月10日
向坂逸郎、茅誠司、樋口清之、糸川英夫、河盛好蔵、南條範夫、矢野健太郎、田宮虎彦、尾崎秀樹、山本薩夫、宮城音弥、荒正人、植草甚一

Ⅱ 昭和54年2月10日
桑原武夫、桶谷繁雄、羽仁五郎、円地文子、梅原猛、宇野信夫、池田弥三郎、加藤唐九郎、楠本憲吉、金達寿、田辺茂一、佐藤愛子、新藤兼人、臼井吉見、会田雄次

Ⅲ 昭和54年8月10日
林健太郎、入江相政、中西悟堂、田村隆一、磯村英一、奈良本辰也、三鬼陽之助、越村信三郎、横溝正史、岡部冬彦、木下恵介、高木健夫、岡本太郎

Ⅳ 昭和63年5月30日
中村元、荻昌弘、西澤潤一、胡桃沢耕史、斉藤茂太、市川昆、江崎真澄、黒川紀章、南博、常盤新平、池田満寿夫、渡部昇一

1978年当時、それぞれの分野で既に功をなし名声を博していて著名人で規模内容の素晴らしい書斎・蔵書を訪ね歩くという企画本です。

当初は1冊だけの予定でしたが、反響、人気が大きくシリーズ化して4巻まで続きました。

渡部昇一著「知的生活の方法」でサラリーマンでも長い時間をかければそれなりの書斎が持てるということが、設計図とともに紹介されていました。団塊サラリーマンがマイホームを持つことが普通になったころで、男にとって書斎を持つことがあこがれだったと言う背景があったのかもしれません。

著名人の書斎とあっては興味ある読者が多かったので人気があったのでしょう。

紹介されている著名人は学者、作家、芸術家、評論家、事業家、映画監督など多彩です。
個人全集を出されている方が多く、また大半の人は既に鬼籍にはいっています。

いずれもため息の出るような書斎・蔵書・書庫で、数千万円から数億円かかっているだろうと思わせます。

すぐれた書物も多く、最初に紹介された向坂逸郎のマルクス、エンゲルス関係の書物は規模内容において世界一と言い、貴重な本も多いとのことです。
書斎の域を超えた防火設備の施されたコンクリートの書庫に7万冊の蔵書です。

渡部昇一さんは77才で2.7億円の借金をして書斎兼書庫を立てました。蔵書は20万冊と言います。もし銀行からの借金とすると蔵書・建物で2.7億円以上の担保価値があると評価されたのでしょう。

鬼籍に入った後の登場人物の蔵書は、たいていは大学、研究所、個人記念館に寄付されています。

マンション3つに膨大な蔵書を収めた植草甚一さんでしたが、個人的な趣向が強く学術的な価値はなかったようです。死後、すぐに神田の古本屋で処分されました。

「書斎」については定期的といえるくらい特集を組んだ雑誌が出されます。男ごころをくすぐる何かがあるのでしょう。
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フクシマ原発の放射能汚染を心配した東京在住の娘が生後5ヶ月の孫を連れてアメリカへ避難していましたが、最近帰国しました。

孫はカルフォニア・シャワーをいっぱい浴びて元気印です。

もう安心安全だから帰ってきても大丈夫と言えなかったのが面映ゆいところです。

被災地ではないものの放射能汚染の野菜やお茶がでた栃木という微妙な位置なので、メディアの情報には神経質になります。

今までの経緯で政府・東電・行政・NHKの情報は放射能汚染から身を守る立場にあっては心もとないところがあります。

今のところ、放射能汚染から身を守る具体的な方法手段を、伝えているのは武田邦彦先生のブログが理解を得やすいです。特に放射能被害を受けやすい幼児をもつ母親への配慮は行きとどいていると感じます。

 http://takedanet.com/

最近はTV番組に出て発現されていますが、いかにも先生の言いたいことが時間制約にあって断片的で十分伝わっていません。

近著「エネルギーと原発のウソをすべて話そう」が出ましたので、さっそく読みました。
トンデモ本のごときタイトルですが、技術論の根本思想から原子力・核・エコのあり方を見据えています。
政治家、国際情勢、官僚などの利害関係者の貪欲な動きに対する批判は当を得ていると思います。

今回、武田先生が過去の著作で警告した原発事故が現実となりましたが、原子力以外にも多くの巨大リスクがあると知り、考え込んでしましました。
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かなり前ですが、江戸時代の仙厓和尚が作った「老人六歌仙」を読んだ時は軽いショックでした。

1. 皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる 
  腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる
2. 手は震う 足はよろつく 歯は抜ける
  耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる
3. 身に添うは 頭巾(ずきん)襟巻(えりまき) 杖眼鏡 
  たんぽ温石 尿瓶(しびん) 孫の手
4. 聞きたがる 死にともながる 淋しがる
  心は曲がる 欲深くなる
5. くどくなる 気短くなる 愚痴になる
  出しゃばりたがる 世話焼きたがる
6. またしても 同じ話に 子を褒める
  達者自慢に 人は嫌がる

老いの醜さ、みじめさをいやらしい程、正確に描いています。
還暦を過ぎた昨今、「老人六歌仙」が現実として忍び寄ってくるのが実感されます。
単純に年はとりたくないと思います。さはならじとばかり健康に関する情報を求めるのも理というべきでしょう。

健康法の一つに呼吸法があり、いくつかの本を読みましたが、座禅の丹田呼吸は有名です。
これには色んなバリエーションがあることを知り、いくつかを試みました。
確かに気持ちを落ちつけたり、イライラを抑えたり、気分をゆったりするには効果があります。

そんなことから禅に興味が出て何冊か、その手の本を読みました。

秋月龍珉「一日一禅」はさる書評で食指を動かされ買い求めて、やっと読了しました。講談社の学術文庫でそれなりのモノなのでしょうが、読み終えるのに苦痛を覚えました。
書かれている内容はほとんど理解できません。楽しみの読書からは程遠いものでした。浮世離れした内容です。
ニーチェのいう高みにおける深みというやつでしょうが、仏典・仏教の知識が背景になくてはとても理解できません。

江戸時代の落語に「こんにゃく問答」があり、禅宗の僧が、こんにゃく屋に禅問答をしかけて、珍妙なやり取りを笑い飛ばした内容です。
当時から、禅は浮世離れした珍問答に終始する役に立たない代物として揶揄されていたのでしょう。この本の内容もそのようなものでした。

禅問答と同じように西洋にも「神学論争」という言葉があり「不毛な議論」「現実離れした実りのない論議」というような意味で使われています。
文化遺産・歴史的価値があるものとして見るか、壮大な無駄として見るか、微妙なところです。
ホーキング博士が、昨年、出版した本の中で「神が宇宙を作ったのではない。」
と書いて物議をかもしましたが、先日も新聞紙上で「天国はおとぎ話にすぎず、死後の世界はない。」と言いキリスト教の反発をかっています。
 
キリスト教の権威の強い欧米ですから反発も買い、話題にもなるのでしょう。

キリスト教の世界観については新井白石とシドッチの問答が有名です。
江戸時代にシドッチというキリスト教の宣教師が日本に潜入し、捕えられて新井白石と問答した時に、シドッチが天地創造神話を語ると白石は「神が天地万物を作ったというなら、その神は誰が作ったのか。」と問われ、返答に窮したとのことが「西洋紀聞」に書かれています。

現代でも同じで白石の問いに対して日本人が納得できる返答は期待できないでしょう。

40年ほど前にイザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」がベストセラーになり、「日本人は水と安全はタダだと思っている」「日本人は日本教(人間中心教)という宗教を信仰している」として世界から見た日本の特異性を指摘しました。その後の日本人論ブームの先駆けになりました。

その中で日本人の世界観をよく表しているとして紹介しているのが夏目漱石「草枕」の一節です。

「人の世を創ったものは神でも鬼でもない。向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくいだろう。越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどかくつろげてつかの間の命をつかのまでも住みよくせねばならぬ」

ホーキング博士の発言も日本人にとっては「それを言ったらお終めえだよ。」と言ったところでしょうか。

わが家はトイプードルのペット犬を飼っていますが、こいつは番犬としても役立っています。
夜眠っていても外で物音がするとパッと飛び起きて吠えて威嚇します。そのたびに起こされるのですが、頼もしいものです。

オオカミを先祖に持つイヌは集団活動をしますので、自分を飼主やその家族の一員と思っています。

自分が飼われている家を集団が生活するテリトリーとみなします。泥棒が忍び込もうとすると吠え威嚇し攻撃するのは自分その集団、テリトリーとしての家を外敵から守るためです。

一方、ネコは単独行動が本能として備わっていますので泥棒が飼主の家に忍び込もうとしても威嚇なんかしません。

わが身に危機が迫っているから一目散に逃げるだけです。飼主やその家族と自分が一体の集団と思っていません。イヌ猫とも長年培われた本能による行動です。

古今東西、人間社会・集団には大抵、宗教がありますが、宗教心は人間の持つ本能的な特質でしょう。

古来より自然は恐ろしい反面、たくさんの恵みを与えてくれるありがたい存在です。人間は、自然に人の力の及ばない何か大きな力の働きを感じて「ありがたい」「恐れ多い」として敬い崇める存在として対象とし、儀式化・形式化したのが宗教だったのでしょう。

信仰の対象は、どのような宗教でもあります。神、仏、創造主、宗祖、開祖と色々とネーミングされています。関連して聖地とでもいうべき場所もあります。

キリスト教、イスラム教、仏教などは時代、地域を超えて強大になりましたが、土着宗教と違った特徴を持っていました。

強大な宗教に特徴的なのは、聖書・コーラン・仏典などの教義書・理論書があったことと組織化された教団でしょう。土着宗教にはなかったものです。これによって時代、民族、国、地域を超えて強大になったのでしょう。

平安時代末期の西行の

「なにごとの おはしますかは しらねども  かたじけなさに なみだこぼるる」

は万物に神仏宿るとの日本人の持つ宗教的心情を見事に詠んでいます。

日本では一般的に宗教的儀式として葬式、法事は仏式、初詣、七五三、結婚式、起工式は神式です。クリスマスも祝うというこだわりのなさです。

人智を超え時空を超えた存在に対して敬う感情を宗教心とするならば、何事につけ神仏に祈り、願い事をするのは宗教心に富んでいるからでしょう。他の宗教とも共存する宗教的寛容さも特徴でしょう。

だから特定の強大な宗教に属することによって厳格な宗教的規律・戒律で日常生活を縛られる窮屈さや、他宗教を排撃する融通のなさは肌に合わないように思います。

「サッカーの神様」とは言いますが「サッカーの仏様」とは言いません。
日本人は仏教と神道をうまく使い分けていると感心します。

仏教は死者・先祖・葬式・法事など過去に関することに関係が深いと分かります。
神道は初もうでが典型的ですが、将来の吉事を願うことが多いようです。

神道は来世のたましいの救済はしません。
ケガレを祓い清め神に願い事をする祭祀です。
教祖開祖なく教理経典もなし、布教活動もしません。
いわゆる民族宗教・土着宗教でしょう。

明治以降、国家統一の精神的支柱として政治的に利用されたのは神道にとってはいびつなものだったと思います。
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今年もバラが咲きました。
心がなごみます。
当分、アブラムシとの闘いです。