
かなり前ですが、江戸時代の仙厓和尚が作った「老人六歌仙」を読んだ時は軽いショックでした。
1. 皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる
腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる
2. 手は震う 足はよろつく 歯は抜ける
耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる
3. 身に添うは 頭巾(ずきん)襟巻(えりまき) 杖眼鏡
たんぽ温石 尿瓶(しびん) 孫の手
4. 聞きたがる 死にともながる 淋しがる
心は曲がる 欲深くなる
5. くどくなる 気短くなる 愚痴になる
出しゃばりたがる 世話焼きたがる
6. またしても 同じ話に 子を褒める
達者自慢に 人は嫌がる
老いの醜さ、みじめさをいやらしい程、正確に描いています。
還暦を過ぎた昨今、「老人六歌仙」が現実として忍び寄ってくるのが実感されます。
単純に年はとりたくないと思います。さはならじとばかり健康に関する情報を求めるのも理というべきでしょう。
健康法の一つに呼吸法があり、いくつかの本を読みましたが、座禅の丹田呼吸は有名です。
これには色んなバリエーションがあることを知り、いくつかを試みました。
確かに気持ちを落ちつけたり、イライラを抑えたり、気分をゆったりするには効果があります。
そんなことから禅に興味が出て何冊か、その手の本を読みました。
秋月龍珉「一日一禅」はさる書評で食指を動かされ買い求めて、やっと読了しました。講談社の学術文庫でそれなりのモノなのでしょうが、読み終えるのに苦痛を覚えました。
書かれている内容はほとんど理解できません。楽しみの読書からは程遠いものでした。浮世離れした内容です。
ニーチェのいう高みにおける深みというやつでしょうが、仏典・仏教の知識が背景になくてはとても理解できません。
江戸時代の落語に「こんにゃく問答」があり、禅宗の僧が、こんにゃく屋に禅問答をしかけて、珍妙なやり取りを笑い飛ばした内容です。
当時から、禅は浮世離れした珍問答に終始する役に立たない代物として揶揄されていたのでしょう。この本の内容もそのようなものでした。
禅問答と同じように西洋にも「神学論争」という言葉があり「不毛な議論」「現実離れした実りのない論議」というような意味で使われています。
文化遺産・歴史的価値があるものとして見るか、壮大な無駄として見るか、微妙なところです。