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隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

どこかに行くことで脚が痛くなる。太陽も雨も関係なく歩けば痛い。前は左脚で済んでいたものが少しずつ右脚にも痛みが走るようになってきた。

しかし骨に異常は無い。関節の変形あるいは軟骨のすり減り具合、

そのようなことの積み重ねで歩調が乱れる時期がやってきてしまったのである。

病院に何回か行っても骨が折れたわけでもない。肉離れとか筋肉機能の話でもない。

関節の老朽化で痛みが走って歩くのも走るのも終いには立つのもつらいようになりそうで怖い。

かといってここをどうにかするには人工関節しかほぼ見当たらず、それももう少し歳をとらないと選択肢にものぼらない。

太陽が綺麗ですね、なんて言うにはあまりにも脚が痛すぎる。

もう少ししたら車椅子に乗った方が痛みにあれこれ悩まなくていいかな、などと思う。

治るものならいいが治りかけにもならない、むしろ痛みが加速していくものなんて、生きていく上でたちの悪い鎖みたいなものである。

とにかくつらいものはつらい。

誠に遺憾である。

今最高気温が連日30℃を超えてとても外で労働をしている場合ではない。

連日スマホの通知には「熱中症警戒、今日は外での運動を控えましょう」と出てくる。今日も出た。

しかし運動を控えると家庭菜園の手入れなんてまったくできなくなる。

草刈りなんて思ったよりも重労働である。もちろん根っこまでやったら暑くて倒れるので雑に、草の上だけ切り倒して何とかするしかない。

まあ畑はもう草原なんですけど。

冬に降る雪がいつもより少なく、いつもよりかなり早めに雪が溶けてしまい、春に「夏は何か暑くなりそうだ」と思った結果がこれだよ。

夏は暑くて冬は寒いとか、生きていくのが試練みたいな場所になってしまい、

何とかエアコンは設置したがなければ今ごろどうなっているかわからない。少なくとも家はエアコンがない限り安らぎの空間ではなくなる。

多分外のエアコンがある場所に向かって家から脱出して一目散に向かうだろう。

実際エアコンがついてないアパートに暮らしていた時はそうだった。

自宅にいるのが一日の生活の中で最もきついとかもう罰ゲーム以外の何物でもない。

夜は店なんてやってないから家の中で熱気に囲まれなければならず、管理会社にアパートにエアコンをつけて、と言ったら即座に却下された。

そもそもエアコン用の配線も穴も開いてないので一からどこに穴を開けるか、というところから始めなければならない。

つまりこのアパートが建てられた頃には過酷なまでに温度が上がらないから、窓を開ければよく、まずエアコンなんていらないし、

わざわざエアコンを取り付けるほども工事をする必要のない住環境だったという証拠なのである。

生活環境の変化、温暖化によって、エアコンのいらない前提が覆されてしまったのである。

クソ暑い、生命の危機(暑い時の睡眠時間は平均で二、三時間程度)と言っているのにどうしてそこから逃げることも許されないのでしょう。

今は別なところに引っ越してエアコンがあるからいいが、外の畑にはエアコンなんて置けないから、

「いつもならこんな湿度はない」などと愚痴をこぼしながら草を抜いたり野菜を収穫したり支柱などの手入れをしなければならない。

一体何の拷問か。

誠に遺憾である。

毎年同じ事を言うがエアコンはないと全体的に死にかける。暑くてまいる、のひと言に尽きる。

尽きるが何とか自室にエアコンを設置したものの、その他の場所にはエアコンを設置するなんて親は一切考えないから、

自室には炊事洗濯家事以外のことを全部賄えるようにありとあらゆるものを詰め込んでギチギチである。

結果的に用事のないとき以外は夏なら完全に自室にひきこもっているようなものである。

自室以外にエアコンのある部屋が無いからトイレとか台所とかは過酷な環境である。

もはやゴミ屋敷みたいな風貌になっているが、自室にしか冷風が行き渡らないのでどうしようもない。

パソコンなんてエアコンの無い部屋で扱ったら排熱でさらに暑くなる。

ゲーミングパソコンが室温を数度上げるなんて親には信じてもらえないが、性能がいいほど電力を食うのでとりあえず暑くなる。

涼しい時期ならちょっと暖かくなるくらいでいいが、夏は困る。

精密機器を過酷な環境で扱えば何かしら異変が起きるに決まっている。何も起きなくてもパーツの寿命は縮まっていることだろう。

つまり人間にも機械にもエアコンを設置する、というのは必須事項のようなものである。

昔の夏と温暖化を迎えた今の夏は概念からして異なるものだと声を大にして言いたい。毎年同じ事を言ってますが。

なぜ焼き肉や揚げ物を暑い場所でしなければならないのか。風呂上がりも室温が高ければ汗のおさまる気配はなく、汗で一層かゆくなる。

エアコンをつけると具合が悪くなる人の基準でエアコンをつけないと具合が悪くなる人の判断をしないでいただきたい。

誠に遺憾である。

とりあえず何が投票の基準かと言うと、今現在自分がなって診断されて色々人と関わる上で自分が困っている原因の「発達障害」というものを、

はっきり「なかった」とか「環境がそうする」とか言う政党にだけは投票することはない、ということです。単純な話です。

当事者会などで集まって、同じ診断名でもとても大きな個人差や波があったりするので、これが発達障害だと言い切るのは当事者でも難しいですが、

だからといってなかったことにはならないし、ないなら何とかしてくれよ!と言いたくなるので、

もう自分の社会不適応とか棚に上げるならあげてしまってその症状を「存在しない」と言い張る人々にぶつけられるならぶつけて帰りたい。

ぶつけられないのであくまでも机上の空論ですが。

ちゃんと調べればどこかしら穴があるようなことを言うような政党に正当などあるのか。

たまたま発達障害のことで疑問に思ったからそこで判断を止めて、他のこともついでに調べたら何かしら不具合が見つかるというか、

考えない、直感で投票することはとても危ないと思いました。それでも勢いがあるから何とかしてくれるとでも思ったのだろうか。

消去法というのがあるのならば、とんでもないことを、科学的あるいは論理的に飛躍した非現実的なことを、

ことあるごとに何かと挟んでくるものは、真っ先に消去されるべきものである。

変な農法を推し進めたり、あれこれ権利が欠けた憲法草案を出したりすれば、

一カ所か二カ所どうしても引っかかる場所が出てくる。一番引っかかりの少ない政党に投票する、消去法みたいなものであるが、

表に出した威勢のいい看板だけを掲げて、その裏側がボコボコに空いた穴のような政党にどうやって投票する気になれるだろうか。

誠に遺憾である。

田舎に住んでいると選挙ポスター掲示板以外に選挙っぽい活動は一切ないので、本当に選挙戦をやっているのか、と思う。

多分都市部は相当に騒がしいんでしょうね。行かないのでわかりませんが。

講演会もない、普段選挙がある度にとてもうるさい選挙カーのせの字も今日まで微塵も来ない。さすが田舎。

都市部に住んでいた頃は家の目の前の駐車場で演説をやられたり、講演会の案内の車が日時をスピーカーで音量を上げながら通り過ぎるとか、

あとはいつも通りの政党と候補者名を連呼するうるさい選挙カーが通り過ぎるばかりであった。

マイクで拡大された声ばかりが聞こえるのでちっとも寝られない、休日は休ませてくれよ、などと思いながら過ごしておりました。

田舎は本当に静かですね。

来週が投票日なんて信じられないほど何も起こらないので、選挙公報でも挟まれていない限り、

自力でネットやマスメディアから情報を仕入れて投票せざるを得ない。

どこの党もほぼ等しく何も起こさないから平等といえば平等である。

票田などとよく言われますが、我が田舎は田んぼや畑だらけですが全く票田ではないので、本当に誰も来ません。

ただ機械的な感じで投票日に投票に行くか手っとり早く期日前投票を済ます以外に選挙でやることがない。

誠に遺憾である。

海外、どこということはなくちょっとタイっぽい国に旅行に出かけ、一番大きな都市に着いた。

特にすることもないからぼんやりと電車に乗り、適当な路線を乗り継いで郊外までやってきた。

そこには大学のような建物があって、何かの講座が日本語で開かれていたので聴きにいったら、

何か仏教の話になり、話がうまいのもあってか、聴き惚れて講座が終わった後に少し話を聞けた。


その次の日、また電車に乗って同じように動き、また同じ場所に行ったら、受付の人に「その方は昨日亡くなられました」という。

私は慟哭するようにしてその場を去って、思い出にふけるのであった。

帰国する日もその人のことをあれこれ思いつつ、記念品は確かに残して駅に向かい、帰国便の待っている空港を目指すのであった。

最近とんでもないことを(極端なことを)言って話題を振りまくだけ振りまいて票を集めようとしているどこかの政党があるが、

声がでかかったり、センセーショナルな発言をしたり、何でも敵という的にしていると、

いずれ敵とみなした外側の人間にいずれボッコボコにされるのではないかと。

今の政治に不満がないわけではない。しかしすべて逆張りをすればいいというものでもない。

人を誰か排除するとき、排除されるのは該当者だけではなく、何の関係もない該当者周辺の近親者だったり友人であったり仕事の関係だったりする。

特定の人だけをピンポイントに排除するなんて無理である。人間の抱える属性というのは確実に一つではないから。

例えば自分など障害者という属性があり、福祉の施設との人間関係があり、また作業所の職員、利用者あるいはその周辺の人々まで含むことになる。

あるいは病院の主治医であったり、薬局のいつもの窓口であったり、人間関係がほとんどなかったとしても、

重度の引きこもりで部屋から一歩も出ないという段階にならないと全く人付き合いがない、ということにはならない。

そして障害者というだけでなく、他の、例えば出た学校とか、所属した組織などとの関係においても私は存在している。

人を一人でも弾き飛ばせば、必ずその人の周囲の世界も巻き込むことになる。

さて、或る政党が目の敵を排除しようとしてセンセーショナルな発言を繰り返すが、

ピンポイントに取り上げられた人だけを取り除けないのは先述の通りである。

それとも周辺世界ごと根こそぎやってしまうつもりなのだろうか。

個人的には気に食わない奴を即刻排除しにかかるようなのは支持したくない。

普段の生活であいつはダメだこいつはおかしい、とすぐに人の批判を繰り返す人と、これからの人間関係を持続させる意義が見当たらないように。

その批判がいつ自分に向いてくるかを考えるだけで背筋が凍るものである。

最初はどうあがいても対抗できないもっともなのを排除しにかかるが、それが終われば段々と矢印が内側を向いてくる。

障害者を排除すれば、次は健常者の一番外側のグレーゾーンが排除され、次は健常者の仕事の出来ないのが排除されていく。

社会の一番外側の成員を弾き飛ばして排除するのは、限りない排除の始まりである。

ナチスドイツがどうなったか。ポル・ポト派やたちの悪い独裁者の最期について思いを馳せたことがあるか。

歴史は繰り返す、なんて信じたくもないが強い言葉を使う人々が選挙をし始めたら、やっぱり歴史は繰り返してしまうのか、となる。

何かをターゲットにして自分らの忌々しさをカモフラージュしないといけない。

自分達の言っていることも同様にはかりにかけるのであれば自己批判も行き届いているが、

大体言葉の強いのは自分のことについては振り返ろうともしない。いわゆる他責、である。

退かないし媚びないけれども、少しは自分のことについて省みることだけはした方がいい。

自己批判を忘れたものは、積年の恨みによって片されることであろう。いや、そうされなければとても政権運営能力があるとは言えない。


などと公約でまず先の方で明らかに弾かれる側の人間は言うのである。

誠に遺憾である。

政治って面倒くさくて困る。

ちゃんと投票には行く。行くけど行き先は決めているので外で政党名を連呼しながら通り過ぎないでほしい。

それとも叫んだだけ票が入ってくるとでもお思いですか。

一番うるさかった政党にだけは投票したくない。うるさいから。うるさいというのは節度がないから。

疲れるんですよ。人の大声というのは。

いくら大声で連呼してもすでに期日前投票を済ませた人の票の中身が変わるわけでもあるまい。

当日に投票するとしても支持層がすでに決まっている人の決意を翻すこともできない。

あとは単なるうるささが道路を、目の前を通過していくだけである。

なんと虚しいことか。

誠に遺憾である。

孤独とは何だろうか。

若者の範疇から遠ざかって久しいが、若者の間では孤独が深刻化している、という。

孤独とは一体何であろうか。助けるにも何も手立てがない、話す機会もきっかけもない、というのならば、

間違いなく孤独であるし、有害であるし、人と人の関わりを妨げている要因をどうにかしなければならないが、

一人が一番気楽であり、誰かに口を挟むことをせず、自分の世界に没頭しひたすら何かを組み立てている人間は果たして孤独であろうか。

私としては飲み会の異様な雰囲気とか、社内レク等の何か集まらなくてもいいのに集めされられるという行事自体に違和感がある。

一人であることで出来ることはたくさんあるのに、人を集めなければどうにもならないスポーツ競技以外で集まる必要はあるのか、と。

飲み会なんて一人でもできるだろう。酔って絡みにいったり、くだを巻く方が遥かに有害である。

こう、陰でこっそりと飲みたいペースを守って静かに飲む、そうしないと人には迷惑がかかる人間を無理やりに人の中に入れていい物なのか。

自分なんて酒癖がいい方とは言えないから当然人には干渉しないように自分で考えて接しないことに決めているんですが、

それでも害を与えることを前提に人と関われなんて言われるのは拷問でしかない。

孤独とは有害である人とないひとが明確に区別、分別されるべきものである。

一人でも全く苦にならない人間に人間の輪は大きくて重すぎる。

一人で苦しむ人間に、正しく人間の輪は作用すべきである。

そんなに人に話しかけたければ、愛好者同士だけで集まれば良く、そうでない人を巻き込んではならない。

会社は人と何かをしなければならない場所、場面だからある程度妥協しなければならないが、

家庭やプライベートまで同じ感覚でやられると身体を掻きむしられる痛みを覚える人間もいるのである。

まあそういう人間は記事のような表面にすら出てこないことがほとんどだと思いますが。

誠に遺憾である。

入っていた建物から出たら何かグロい犬が出てきて襲って来たので逃げたが逃げ遅れたのが完全に噛みちぎられた。

あれは幻か何かか、と思って、でも一人だと危険なので、

もう一回同じ場所に集団で行ったらやっぱり襲ってきて一人逃げ遅れて、

自分らは別の家に駆け込んで扉を固く閉めて悲鳴を聞くしかなかった。

何かよく知らないが完全にバイオハザードの世界でした。

もう全力で逃げるしかないじゃないですか。