孤独とは孤独感を正しく感じることなのだろうと思う | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

孤独とは何だろうか。

若者の範疇から遠ざかって久しいが、若者の間では孤独が深刻化している、という。

孤独とは一体何であろうか。助けるにも何も手立てがない、話す機会もきっかけもない、というのならば、

間違いなく孤独であるし、有害であるし、人と人の関わりを妨げている要因をどうにかしなければならないが、

一人が一番気楽であり、誰かに口を挟むことをせず、自分の世界に没頭しひたすら何かを組み立てている人間は果たして孤独であろうか。

私としては飲み会の異様な雰囲気とか、社内レク等の何か集まらなくてもいいのに集めされられるという行事自体に違和感がある。

一人であることで出来ることはたくさんあるのに、人を集めなければどうにもならないスポーツ競技以外で集まる必要はあるのか、と。

飲み会なんて一人でもできるだろう。酔って絡みにいったり、くだを巻く方が遥かに有害である。

こう、陰でこっそりと飲みたいペースを守って静かに飲む、そうしないと人には迷惑がかかる人間を無理やりに人の中に入れていい物なのか。

自分なんて酒癖がいい方とは言えないから当然人には干渉しないように自分で考えて接しないことに決めているんですが、

それでも害を与えることを前提に人と関われなんて言われるのは拷問でしかない。

孤独とは有害である人とないひとが明確に区別、分別されるべきものである。

一人でも全く苦にならない人間に人間の輪は大きくて重すぎる。

一人で苦しむ人間に、正しく人間の輪は作用すべきである。

そんなに人に話しかけたければ、愛好者同士だけで集まれば良く、そうでない人を巻き込んではならない。

会社は人と何かをしなければならない場所、場面だからある程度妥協しなければならないが、

家庭やプライベートまで同じ感覚でやられると身体を掻きむしられる痛みを覚える人間もいるのである。

まあそういう人間は記事のような表面にすら出てこないことがほとんどだと思いますが。

誠に遺憾である。