そういう訳で入蔵は色々と引退しています。

 

別に悲しんでいるわけではありません。

 

各種催し物での挨拶もしなくて済むようになったので、催し物を気楽に楽しむことができるようになりました。

 

片付けの苦手な入蔵は、今、一田憲子さんの著書「大人の片づけ できることだけやればいい」(マガジンハウス2021年9月16日 第1刷)を読んでいます。

 

 

 

 

「『学び』の時代をそろそろ卒業しなくちゃ……。そう考えた時、じゃあいったい次の一歩はどこへ踏み出したらいいのだろう? とわからなくなりました。 -中略- 唯一できることは、今手元にあるものを、もう一度みなおすことでした。(p.28)」

 

「あの時とこの時、と時間差で手に入れたもの同士を組み合わせ、今の暮らしに落とし込む……。そうやって、ものを『得る』のではなく、日常で『使う』ことで、新しくしることだってきっとある。人生の後半は、そうやって『すでに持っているもの』を味わい、楽しんでみようと思っています。(p.29)」(引用にあたって原文の「」を『』に入蔵がかえさせていただいています)

 

物欲に(それもくだらない物共に)悩む入蔵にとって大きな示唆に富む文言です。

 

一田さんの本意でないとは思いますが、ここでいう「手に入れたもの」を入蔵はいわゆる「物」ばかりでなく、人間関係や人生経験その他も含めた「今までの人生の経験の全体」ととらえたいです。

 

簡単ではありません。

 

入蔵にとっては茨の道になりそうです。

 

でも、必要な道だと思います。

 

さて、上記の話しと関係ありそうでなさそうですが、自分の職業に関する分野以外は、なるべく新刊書は買わず、自分の持っている本を再読していこうかと思っています。

 

もう二十年以上前になるかと思いますが、昔、教員をしていたという方の御宅に伺ったことがあります。

 

その当時、90歳近い方で、寝たきりではないという事でしたが、ベッド上でお過ごしになることが多いという事でした。

 

教養のある方ですからお部屋には本がさぞたくさんあるかと思ったのですが、すっきりとかたずいて不要に見えるものが全くないお部屋のなかで入蔵の見える範囲にある本は枕元の、しっかりした製本の分厚い一冊だけでした。

 

それはご本人の専門の数学の本でした。

 

表紙には「代数幾何学」と書かれていました。

 

この本には種々の設問が載っており、この一冊の本を数十年にわたり再三再読し、読んだり、設問を解いたりしているという事でした。

 

数十年も飽きず、続けられ、楽しみをえられる一冊の本がある。

 

1つの道がある。

 

なんと幸せな事でしょう。

 

本当に羨ましく思いました。

 

入蔵のように、あっちにふらふら、こっちにふらふらするというのは、入蔵が人生における本当の楽しみを見つけられない漂流者であるという事かもしれません。

 

「漂流者」の人生論的な価値については、本来的には軽々に論じられないと思いますが、冒頭の一田さんのようなお考えを確固たる信念として持っているかどうかは、入蔵が自分の人生の終末を考える時、真摯に向き合うべき課題だと思います。

 

さて、入蔵は今もう一冊読んでいる本があります。

 

江国滋さんの「落語美学」(東京書房 昭和41年11月1日)です。

 

 

   文庫版の古書です。

 

自跋には「たった千部の、その『たった』を売るのがおそらく精一杯だろうとにらんで上梓した初版限定本が、どうした風の吹きまわしかよく売れたため、いま装をあらためて即ち、軽装普及版。」(ここも引用にあたって原文の「」を『』に入蔵がかえさせていただいています)とあります。

 

  たった千部とか言われると入蔵は参ってしまいます

  苦労しています。自分でいうのもなんですがいい本だと思います。

 

落語好きのブログ読者各位にお読みになった方も多いことでしょう。

 

これまた、示唆に富んだ本で、入蔵の好きな個所を引用していたらキリがないです。

 

そこで読者諸氏には是非ご自分でお読みいただきたいのですが、残念ながら絶版です。

 

古本がお嫌でない方なら、文庫版は送料込みで数百円で手に入るようです。

 

文中には高座の速記がふんだんに引用されています。

 

高座の引用元、参考文献の引用元の記載がほとんど無いのが残念ですが、高座の速記部分については、ここは志ん生師匠だな、ここは文楽師匠で、ここは圓生師匠という具合にわかります。

 

改めて師匠方の個性、味わいのすごさに酔わされます。

 

ただし、引用元書きされておらず、「高座の速記だ」との明確な記載もないので、入蔵が速記だと思っている部分がそもそも「本当に速記なのか?」という問題があります。

 

まさか江国さんがオリジナルで書き分けて書いているのではないとは思いますが。

 

とにかく、落語好きで、未読の方には是非お読みいただきたいです。

 

この本の最後の章は「落語・連想」という章です。

 

とても興味深い話が、この章に付された副タイトルのごとく「それからそれへと」と展開されています。

 

この本はこの章の「たいこ腹」という題の文章で締めくくられます。

 

この文章は「ハリの荒治療で廃人」という地方紙の四段抜きの記事の紹介で締めくくられます。

 

北日本新聞の昭和39年10月18日付の記事です。

 

「からだに数十本のハリをさし、そのまま体内に残すという荒療治を受けて廃人になったという被害者三十余人が富山県立中央病院で手当てを受けていることがわかり、県医務課と県警防犯課が実態調査にのりだした」という記事です。

 

この記事が掲載された時点では「当局は目下このハリ師をさがしている」という事だったようです。

 

本当に洒落にならない話です。

 

被害者には本当にお気の毒でおかけする言葉もありませんが、真実は落語より奇なりだなあと思ってしまいました。

 

猛暑です。

 

とにかく、お体にお気をつけてお過ごしください。

 

では、また(^O^)/