前回記事をあげてから夢幻のごとく一月以上がたってしまいました。

 

この出だしからして「入蔵も年取ったなあ」と思います。

 

夢幻のごとくって・・・。

 

その年取った入蔵はいまだに平日はほとんど日をまたいで仕事をしています。

 

診療関係ばかりでなく、会合や、講習会、研修会に追いまくられ、休日も仕事がらみの催し物に出かけることもあります。

 

5月、特に後半は特にひどかったです。

 

歯磨き教室、所属学会の総会・代議員会・学術学会、大学の6年生の授業等々、診療関係以外の仕事が多かったのです(ちょっと苦手な飛行機で人生初沖縄の学会に出かけた話はまた後日)。

 

特に6年生の授業は冒頭に記したように「自分の年齢を強く意識する」ものになりました。

 

内容について大きな瑕疵があるとは思いませんし、教科書にかかれていない余白についても言及した話をすることができました。

 

余白に言及するのは、記憶を助ける一助になると考えてのことです。

 

国家試験で、真正面からではない方向からの問いが出た時に対応することができるのではないかと考えてのことです。

 

ただ、まさにこの考えが「もしかして古臭いかなあ?」と思えてしまうのです。

 

先に書いたように、意図があってやっているのですが、こういう意図を込めたくなってしまうのが、老化した証拠なのかもしれません。

 

国家試験を控えた6年生にとっては「もっと効率的に点数が取れるような授業をしてくれよ」と言うのが本音でしょう。

 

前にも書きましたが、入蔵は専門家に拙いお話をお聞かせすることがあります。

 

入蔵のようなものにもそういうお話が来るのは、入蔵のようなものにも皆さんにお伝えすべき事があるという事です。

 

大学の可愛い後輩には学生のうちに、すなわち「頭の柔らかいうち」に、そういった内容の基礎になる考え方を伝えたいと思ってしまうのです。

 

そういう考えは古臭いですよね。

 

やめたほうが良いかとは思うのですが今年もやめられませんでした。

 

入蔵は来年兼任講師の定年を迎えます。

 

来年もお声がかかれば講義します。

 

多分、また同じことを言ってしまいそうです。

 

余計な事かとも思いつつ、入蔵がやめた後誰が、入蔵が伝えたい内容を後輩に伝えてくれるのでしょうか? という事が気になります。

 

「入蔵が伝えたい内容」ですし「入蔵ごときが伝える内容です」入蔵がわざわざここに興奮して書く内容でもありません。

 

本当に「偉い先生方」はどういう思いで職を辞すのでしょうか。

 

大学や研究所の先生方にはいわゆる「最終講義」をなさる方がいます。

 

そういった先生方の思いを、聞き手である入蔵はちゃんとくみ取ったでしょうか。

 

皆さんが入蔵のような考えを持つわけでないに決まっています。

 

むしろ入蔵のような態度は「老害」かもしれません。

 

かも知れないではなく「老害」ですよね。

 

悩ましいです。

 

来年に向けてよく考えてみます。

 

入蔵が高校生の時、ある先生が「最終授業」をなさいました。

 

中等教育や初等教育、幼児教育の教諭のかたで「最終授業」をなさる方が他にもいらっしゃるかどうかわかりません。

 

入蔵は高校生の時にもちろん今のような考えを持っていたわけではありません。

 

先生のお話を聞いたとき「一期一会の覚悟を持って」聞いていたわけではありません。

 

今思えば迂闊なことにメモすら取りませんでした。

 

それでも50年の時を経てその時の先生の言葉のいくつかが入蔵の心を過ります。

 

過るどころか入蔵の思考、思想の根幹を支える言葉になっています。

 

前にも書いたかもしれませんが、幼少期の記憶が割と鮮明な入蔵になぜか高校時代の記憶がほとんどありません。

 

しかし、その少ない記憶が今の自分の「人間としての基礎」の重要な一部を形づくっているように思えるのです。

 

たぶん同じようなことを今までも何度も書きましたよね。

 

同じことを繰り返し話すのはまさに老化の表れです。

 

でも老人の繰り言をまとめてみようと思っています。

 

上記のつたない記憶もいつなくなるかわかりません。

 

そうなる前に何とかしたいです。

 

メモ作りは始めています。

 

何とかなるかなあ。

 

さて、かつしか落扇指南所第51回おさらい会の番組表ができました。

今回入蔵の出はいつもより遅いです。師匠の出とだいぶ離れています。入蔵の高座はともかく師匠の高座前後の高座をお楽しみいただければと思います。

 

お時間がありましたらおいでいただけると嬉しいです。

 

では、また(^O^)/