S君、今日は楽しみにしていただいた「おさらい会」においでいただけなくて残念でした。

 

結局おさらい会自体が中止になってしまいました。

 

貴君のように「申し訳ないけれど今回は伺えない」とわざわざご連絡いただく方が他にもいらっしゃいました。

 

指南所のメンバーも、なかなか中止を言い出せなかったのですが、お客さんに「申し訳ない」と言っていただくのはそれこそ申し訳ないことですし、自分たちがクラスターになるわけにもいかないとの意見が出演者の中で多数を占め、上記の結果になりました。

 

指南所のメンバーといえば「お茶の〇亭彩〇」さんが転勤になり、しばらく休会になります。

 

彩々さんの休会は指南所にとって大きな痛手です。

 

演者としてもさるものながら、観客として得難い方だったのです。

 

指南所のおさらい会は年に3回あります。

 

例えば11月のおさらい会を終えると3月末のおさらい会に向けて稽古を始めます。

 

月に2回でおおむね6,7回の稽古をして次のおさらい会を迎えるのです。

 

基本的にメンバー自身が演じたいネタを決め、落語会全体のネタのバランスを師匠に考えていただいたうえでおさらい会でのネタを最終的に決めています。

 

新ネタの稽古を開始した時点ではおおむね皆の噺は未完成です。

 

未完成なネタの披露はそれはそれでとても面白いです。

 

入蔵はこの未完成なネタを披露している皆のジタバタしている姿を見るのがとても好きです。

 

はっきり言って本番より面白いです。

 

けれど、噺が頭だいたい入ってくると稽古でする噺は、スジ、運びとも毎回ほぼ同じで、細かな所作や上下(かみしも)の修正になります。

 

普通だったら、退屈になるところです。

 

入蔵は師匠の修正がどこにどのように入るのかに関心がありますから退屈はしませんが、噺を聞いて笑える回数はどうしても少なくなりがちです。

 

ところが彩々さんは、毎回毎回初めて聞いたように笑います。

 

本当に初めて聞いたように楽しそうに笑ってくれるのです。

 

ここは笑わせどころというところでは必ず笑ってくれますし、不必要な感じでなく細かなハプニングにも対応してちょうどいいくらいに笑ってくれるのです。

 

演者からすると「笑わせどころ」で笑ってくれる観客はとてもありがたいです。

 

へましたところでも、ちょうどいいくらいに笑ってもらえると助かります。

 

「ちょうどいいくらい」というところがミソなのです。

 

このちょうどいいくらいに反応してくださるお客さんがいると、演者はやりやすく会場の雰囲気がとてもよくなります。

 

稽古場でも、落語会の会場でも、とても気持ちよく笑ってくれる彩々さんはとても貴重な存在なのです。

 

誤解を恐れずに言えば、落語を楽しむというのは彩々さんのようになるということだといってもよいように思います。

 

同じ噺を何度聞いても、初めてのように笑える。うらやましい限りです。

 

落語会においでいただく彩々さんのお母さん、奥さんも、いいところで笑ってくださるので指南所のメンバーは彩々家の人々をいつも頼りにしていますし、大好きです。

 

奥さんは噺に詰まった演者に客席から上手に助け舟を出してくださるときもあります。

 

奥さんも彩々さんと一緒に北海道にいらっしゃるということなので一同残念なのですが致し方ありません。

 

さて、ここまでがご報告です。

 

ここから、貴君がこの間おっしゃっていた「某師匠の噺」についての入蔵の考えを述べます。

 

「某師匠の噺」についてというより「某師匠の噺についての某氏のコメントについて」入蔵の感想を述べるということです。

 

あくまで感想です。

入蔵が正しいというわけではありません。

 

ここの所、よろしくご理解の上、お読み取りください。

 

入蔵は以前より言っているように「プロ」と「素人」は正直まったく違うと思っています。

 

落語に限って言えば「プロ」の批評家は自分の好みに関係なく、仕事上の都合の上に立って、仕事上の依頼に従って落語を聞き批評をするのだと思います。

 

上記についても、素人の入蔵には計り知れない「プロの事情」があるのかもしれません。

 

でも、おおむねは間違っていないように思います。

 

他のあらゆるライブパフォーマンスにおいて、全く同じ内容のプログラムのパフォーマンスが別の機会に行われたとしても、「現場では全く違うことが行われたかのような」感想をもつことがあることはよくあります。

 

ですから、一連のライブに連日おいでになるファンがいるわけです。

 

うちの息子はこのコロナウィルスのために二日続きで出かける予定だったPerfumeのコンサートの二日目が中止になってがっかりしていました。

 

「内容が違うの?」

「基本同じだけど毎日違うんだってば」だそうです。

 

落語もそうです。

 

人間、体は一つですし、時間、時代的制約があるのですから、全部の会場に足を運ぶわけにはいかないです。自分が直接聞けない時代に活躍した師匠の噺はCDや、レコード等を通してしか接することができません。

 

ですから、ライブパフォーマンスを基本とする芸について何か発言するときは前提としてそのことが頭に入っていなければならないと思うのです。

 

プロの(ちゃんとした)批評家はそこが分かったうえで批評をしてお金をもらっています。

 

入蔵が貴君に「この人は落語が分かっていない」といったのはまず、貴君が入蔵に参考になればと教えてくれた批評文の書き手が「入蔵には」「前提となるそこのところがまずわかっていない」としか思えなかったからです。

 

貴君が落語会に行くする。そこに、貴君が気に入らない落語家が出演していたとする。

 

入蔵は貴君に次回はその落語家の出ない落語会にいらっしゃることをお勧めします。

 

「嫌いな落語家の落語会に行き」「嫌いな落語家のCDDVDを聞きまくり」「どこがダメかの理屈を考えて」「いやな気分に浸りながら批評する」のはずいぶんと馬鹿らしくないですか?

 

と、入蔵は思います。

 

入蔵の知っている素人落語家の皆さんの中には貴君の教えてくれた批評好きの方のように古典落語の「改変」に熱心に取り組んでいらっしゃる方がいます。

 

「古典落語は改変して演じるのが難しいので、新作落語の方が好き」とおっしゃる素人落語家が結構います。

 

入蔵などは下手な落語を自分の好きなようにさせてもらって喜んでいるだけです。

 

いろいろと賞を取ったりする素人落語家さんからしたら、「ゴミのようなもの」でしょう。

 

ですから、これから先の話は、貴君も話半分で聞いてもらったらいいです。

 

入蔵に言わせてもらったら、古典落語は「誰もが知っている大師匠の噺をそのままやれば」それだけで十分にお客さんに楽しんでいただけます(例の批評家のような人もいるので断言はできませんが)。

 

少なくとも、素人落語を聞きに来ていただく皆さんはプロのような落語を期待しておいでとは思えません。

 

上手な落語が聞きたいなら、お金を出して「プロの落語」を聞きに行けばいいだけなのですから。

 

「素人落語会」にいらっしゃる皆さんは「素人落語」を聞きたいものと思います。

 

入蔵は「素人落語家」は「素人落語家らしく」「お客さんと一緒に落語を楽しめばいい」と思います。

 

彩〇さんのように。

 

ご自分の作った「新作落語」をおやりになるのは、それがご当人にとって楽しければ大いにおやりになればいいと思いますが、おつくりになった師匠が現役のうちに、その方のおつくりになった噺をその師匠に稽古をつけていただきお許しをいただいていないのに高座にかけることには抵抗があります。

 

入蔵が、そういう方によく言われる「古典だってもとは全部新作」だと言えばそうなのですが。

 

入蔵も、諸般の事情により「歯科ネタ」の新作をそろそろ作らなければならないです。

 

しかし、オリジナルの新作はお客さんの反応が分かりませんから正直怖いです。

 

さて問題の「改変」です。

 

貴君が前回の落語会においでの時、帰りの出口で入蔵が年配の男性に声を掛けられていたのにお気づきだったでしょうか?

 

ちょうど貴君が会場から出ていらした時だったように記憶しているのですが。

 

この頃、記憶力怪しいので間違っていたら申し訳ありません。

 

その方は、いろいろな賞をおとりになるような方々の所属する、ある「落語研究会」の落語会のご常連だそうで、そちらの会の落語会にはずいぶん長くお通いだそうでした。

 

その方が入蔵に上記の自己紹介をなさった後で「ずいぶん何度も『天災』聞いたけど、あんたのような『天災』は聞いたことないよ。

 

でも今まで聞いた中でいちばんおもしろかった」と言ってくださったのです。

 

くれぐれも言いますが、入蔵がそんなにすごいわけはないです。

 

ここで、真剣に素人落語をなさっている方より優れているなどという自慢話をするつもりはないです。

 

ただ、そういうことがあったという事実を書いているだけです。

 

入蔵は意図的に噺を「改変」などしていません。

 

基本的に他の師匠のCDDVDも直接には参考にしていません。

 

前にも言ったように、中学生の頃に読んだ「古典落語」の文庫本の記憶と、たぶん無意識に体の中に入ってしまっている(昔の)師匠方のパフォーマンスの記憶をもとに、「自分が面白く感じられて」「自分が納得できる筋の運びで」「自分が覚えられるように」噺をしているだけです。

 

そのような噺に「今まで聞いたことが無い」と言ってくださる方がいるのです。

 

プロの師匠方で人気のある方の中には大幅な「改変」をなさっている方もいます。

 

ただ、それでも、それは「体に古典をしみこませた先にあるもの」だと思います。

 

入蔵にはそういうことをしている時間はありません。

 

入蔵は今のようにしかできないですし、素人として今のようにするのが楽しいのでこれで行きます。

 

ただ、入蔵は古典を「大幅に改変して落語を変えた」と言われる大師匠方が「『改変』を目的」としていたり「改変の継承(S君、これ、そもそも入蔵には意味不明です)」を目的としていたとは思えません。

 

どうやったら、お客さんに笑ってもらえるのか、楽しんでもらえるのか、(プロだから)仕事をもらえるのか等を考えた先に「改変」といわれる状況が出来上がったのだと信じたいです(もっと違う意図もあったやにも聞き及んではいますが)。

 

少なくとも、貴君には自分の好まない演者の「研究」に時間を割いてほしくないです。

 

というところが貴君にお約束した答えかな。

 

本当に申し訳ありませんが、以前このブログで書いたように、入蔵は、大学で働いていた時に「大先生」というあだ名がつけられていた程度の人物です。

 

つまり偉そうに見えて実は「しょうもない人物」です。

 

この文章を読んでご不快に感じられた方、本当に申し訳ありません。その程度の人物の発言です。なにとぞご寛恕ください。

 

でも、S君、貴君には小中高の生徒だったころ、擦り切れるまで聞いたレコードなかったですか?

 

何度聞いても同じなのに聞くたびに本当に楽しく、うれしく感動しましたよね。

 

入蔵は彩〇さんのように、同じ噺を何度聞いてもいつも楽しく笑える聞き手になりたいです

そして、どうすればなれるかはわかりませんが、いつも聞き手に新鮮に聞こえる落語ができるようになりたいです。

 

S君、5月無事に落語会ご一緒できるといいですね。

 

ご自愛の上、お過ごしください。

 

では、また