再掲・第三百九十二夜・ラ・ベル・オテロ様 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
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2015年4月26日記事

 

 

エドワード7世愛妾シリーズ番外編?

 

王室にありがちとはいえ、まあ、見事なまでに奥様を無視して、

こまめに愛妾を可愛がり続けた英国王Edward VII(エドワード7世)

1841年11月9日~1910年5月6日、享年68歳。

かつて、コツコツ、愛妾のの方々を記事にさせて頂いていたのが、

ここの所、長いこと、休眠中。

 

リリー・ラングトリー様

アリス・ケッペル様

理由あってダイアナ妃

デイジー・グレイヴィル様   それぞれ、クリックで記事に飛びます。

 

先日、リアーヌ・ド・プジー様にご登場頂いた時、ドゥミ・モンデーヌ(高級娼婦)の関連で、

La Belle Otero(ラ・ベル・オテロ)様(1868年11月4日~1965年4月12日、享年96歳)に遭遇。


 

ダンサーであり、俳優であった女性が、数々の寵愛を受けた、華やかなりし時代の華。


 

ロシア帝国のピョートル大公とニコライ大公の兄弟、ウェストミンスター公爵、

モナコ大公アルベール1世、セルビア王ミラン、スペイン王アルフォンソ13世。


の方の場合、エドワード7世の愛妾というより、エドワード7世も彼女の「彼」の一人?


そして、作家ガブリエーレ・ダンヌンツィオ様・・・

裏が色々な芸能界でも、ケネディ兄弟&マリリン・モンロー様どころの話ではない?



 

貧困の中で育ち、10歳にして、奉公先で性的な暴力を受け、14歳で男性と出奔。

リスボンで、歌手・ダンサーとして働きだしたのを始まりとして、

1888年、スポンサー(すぐにポイ捨て)を見つけたのを皮切りに、

「アンダルシア生まれのジプシー」として、とんとん拍子の大出世。

お巴里、フォリー・ベルジェールのスターの座に。

 

ここらへん、売り方は、マタ・ハリ様 ↓ に似ておられますね。ご衣裳も似てます。 


 

エキゾチックさの流行の中での、東西横綱でしょうか。

初めにこの系統の衣装を身につけられたのは、どなたなんだろう?

 

 

こんな銅像が作られるあたり、欧羅巴!という感じ。

先般のリアーヌ・ド・プジー様に捧げられたオマージュ写真の、オテロ様版はこちら。

 

 

 

 

 

ドゥミ・モンデーヌに必要とされたのが、美貌、ナイスバディは言わずもがな、
昔の銀座のマダム達のように、エスプリ(知的なジョーク)がきいた話術、 

客を飽きさせない豊富な知識、文学、音楽、美術、ファッションへの精通。

と言われますが、オテロ様、厳選したお相手選びで、「公娼」の地位を得ておられます故、

どれだけ機知にとんだ、魅力あるお方だったか、想像できようというもの。



 

元ネタっぽいあたり。 







 

ちゃんと、女優さんです。そういう時代だったのです。

この方も、ポスト・カードになってますね。

当時の彼女らの、「アイドル」度が伝わって来ます。



La Belle Otéro


 

 

 

恋のお相手だった男性で、サヨナラされた後、自殺を図ったのが6名。

決闘に及んだ方が2名いらっしゃるとか。さすが・・・???

 



 

女性からは嫉妬・嫌悪されたという、男殺しの勲章付。



 

第一次世界大戦後にご引退。この段階で、かなりの財テクを成功させていらした・・・

とはいえ、1世紀近いご一生。身に付いた、豪奢な生活、賭けごと、と、

どんどん使い果たされてしまわれたそうです。



 

 

しかし、10歳の事件の為に、子供の出来ない身体でらしたというオテロ様。

女性が貧困の中から世に出る、稀少な道で登りつめ、ご自分の一生をニースで終えるという、

ご自身ひとりの人生のご演出、成功。力強く魅力的、 

かつ、本能的に賢いお方であったのではないかと思います。




 

 

だって、あの時代からこの時代まで生き抜いて、この「エスプリ」の効いたお茶目さや笑顔。

御自分でも、ご満足な人生でらっしゃったように、拝見いたしました。

本名、Carolina Otero(カロリーナ・オテロ)様。

 

華やかに咲かれた1世紀近い御人生に、

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